以下の文章は、基本的には2001年の半ばに記したものである。その後、2008年2月に現代仮名遣ひについての文献に偶然出会ひ、以下の一部については誤りがあることがわかつた。しかし、結論は変はらず、むしろより一層、現代仮名遣ひは中途半端であることを再認識した。誤りの部分は、近日中に補筆修正等をしたいと考へてゐる。
このサイトの文章は、他の方のサイトに置かせていたゞいてゐるものを除き、すべて旧仮名遣ひによる表記を採用してゐる。
しかし、それは主に和語に適用するものであり、漢語(といつても「漢字を用ゐた熟語」程度のもの。決して「漢の国の言葉」ではない)を(その難読性に鑑み)仮名表記する場合の字音仮名遣ひについては、現代仮名遣ひとすることもある。これは、字音仮名遣ひといふ名にも表はれてゐるとほり、発音を表はすのが主目的である仮名遣ひなので、私が考へる“旧仮名遣ひを適用する有効性”が認められないからである。たゞし、元は漢語であつても、もはや和語としての性格が強いと思はれるものについては、和語同様に旧仮名遣ひを適用するつもりである。(なほ、これは丸谷才一氏の考へ方に賛同した結果である。)
こゝで、旧仮名遣ひが現代仮名遣ひに対して有効だと思ふ例(現代仮名遣ひが中途半端だと思ふ例)を少々紹介する。
「扇で扇ぐ(煽ぐ)」は、旧仮名遣ひでは「あふぎであふぐ」だが、現代仮名遣ひでは「おうぎであおぐ」。現代仮名遣ひは、発音に従ふあまり、扇と扇ぐの親密性が薄くなつてはゐないだらうか。
旧仮名遣ひなら「…しませんか。…しませうよ」だが、現代仮名遣ひでは「…しませんか。…しましょうよ」である。語の活用が、旧仮名遣ひの方が合理的ではないだらうか。
「大地・地震」。このサイトでは旧仮名遣ひにしない漢語だが、もしもこれを旧仮名遣ひで書けば「だいち・ぢしん」である。が、現代仮名遣ひでは「だいち・じしん」と書く。同じ「地」なのに…。
上の3例は、いづれも「現代仮名遣ひは発音どほり」に見えるかもしれない。ところが、現代仮名遣ひは徹底的に(現代の)発音どほりといふわけではないのだ。たとへば、「そう」と書かれる語の多くは「ソー」と発音されるのが自然だし、助詞に旧仮名遣ひを残したことも「発音どほり」とはいへない一面だらう。促音を小さな「つ」(っ)で表はしたりして発音どほりを目指してゐる(?)のにだ。しかし、そもそも語の発音といふものは流動的なものではないだらうか。転訛とか音便とか、語の発音は喋りやすいやうに(あるいはまた聞きやすいやうに?)変はるものなのだ。だから、先の例の「ませう」にしても、「マセウ」が「マショウ」になつたからといつて「ませう」を「ましょう」にして発音に合はせたと思つても、今は「マショー」になつて、また発音どほりの表記ではなくなつたのだ。(これ、単に私の勘違ひであらうか?)
また、仮名遣ひは旧仮名遣ひを使用するが、文体は現代一般の口語体であり、文語体や古語はほとんど使用してゐない(。と、いふより私には書けない、たぶん)。
さらに、字体も新字体が基本である。旧字体(正字体)には、使用できれば使用したいと思ふ「魅力」もある(たとへば、「芸」より「藝」に魅力を感じるし、砂浜の「浜」は「濱」の方が断然すてきだ)が、なかにはJISコードとして登録されてゐないものもあらうし、読み手の機械環境によつては書き手の意図する字体にならないといふ問題もある。さらには、(仮名遣ひはともかく)字体まで歴史的なものを使へば、難読性が増してしまふこともある。したがつて、総合的に判断した結果、字体については深く考へずに自分が使用してゐる環境で普通一般に使はれる字体を使用することにした。(字体まで旧字体にすると、たとへば「旧字体」は、(私の環境では)「舊字體」となる。これは、今の世の中、読みやすいとは決していへないだらう)
なほ、かやうなことを言つてはゐるが、いちいち辞書を確認することもなかなか面倒なので、ところどころに仮名遣ひの誤りもあるかもしれない。私は、現代仮名遣ひで教育を受け、現代仮名遣ひで公式文書と付き合はざるを得ない生活をしてゐる一般人である。
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このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
(2017年4月9日版)
(内容については実質的には…2001年6月19日第3版[初版(たぶん):2001年5月7日/第2版:2001年6月8日]の改版予告版[2008年2月24日])