【煮詰まる】について〜プリキュアから学んだ知らなかつたこと〜
 『ドキドキ!プリキュア』第40話(2013年11月17日放送)で、次のやうな場面があつた。

 歌づくりに難航してゐる脇役の紫色の状況を解説役の黄色が言ふ。
 「あのやうに、煮詰まつていらつしやるやうですわ」
 それを聴いた主人公である桃色は、
 「煮詰まるつていふか、煮崩れてるね」
 すると突く込み役の青色が言ふ。
 「使ひ方、違ふわよ」

 この一連の台詞について考へ、この記事の原稿の下書きを書き終へた時点の結論は次のとほりだつた。

 「確かに《煮崩れる》は一般的ではないが、《煮詰まる》よりは《煮崩れる》の方が正しい表現に近い
 だから、青色は、実は黄色にも「違ふ」と言つたのであり、また、桃色のやうな独創性の強い者の視点は、時に言ひ得て妙な発言をもたらす、ともいへる。さらには、黄色桃色の特色を引き出すために敢えて誤用したのかもしれない。

 この結論に至つた理由とその後を記すことゝした。思考は徒労となつたが、考へを巡らせたこと、そこから得られたことは、決して無益ではなかつた。

 問題の場面での紫色の状況は「目的達成は程遠く難航してゐるが努力は続行中」と考へられる。一方、《煮詰まる》は「水分蒸発をせしめる加熱調理が最終段階に至り加熱調理の目的が達成される段階に至つた状態」である意味から転じて「議論(検討)が十分になされ結論(目的達成)が間近になつた最終局面に至つた」といふ意味となる。しからば「努力中の状況を指して《煮詰まる》は違ふだらう」である。
 では、なぜ《煮詰まる》と言つてしまつたのか。
 誤用だとすればなぜ誤つたのか。恐らくかうだらう。
 《煮詰まる》の《詰まる》は「空間が物質で満たされてゐる状態」を意味するが、その状態は「身動きがとれない」とか「先に進めない」といつた状況の直接要因となる。接続詞の《つまり》も「先に進めない」から「結論は…」を意味することになつたのだらう。《煮詰まる》も「鍋の中の水分が減つてきて具材の鍋の中での動きが鈍くなる状況となつた」といふことだと思ふ。なので《煮詰まる》でない《詰まる》(たとヘば《行き詰まる》)ならば頷ける。
 さういふ訳で、「努力中にもかゝはらず成果が出ない状況」と「煮詰まつた鍋の中の状況」が重なつてしまつたのだらうと考へられる。
 誤用でないとすれば、桃色の名台詞を引き出すために違ひない。が、それは詳述の必要は無用だらう。
 一方、《煮崩れる》に一理あると思つたのは次のやうな理屈だ。
 《煮崩れる》は具材の状態に注目した表現で、「調理に何らかの不備があり具材の形状が想定外に崩壊してしまつた状態」を意味する。だから、「単独行動を採用したといふ不備の結果、健全な思考力が崩壊しつゝある状況」にある紫色の表現としては、意外と相応しいのではないか。

 しかし、以上の考察は、下書きを書いた翌日、念のために国語辞典を引いた時点で瓦解した。私の方が煮崩れてしまつたのだ。

 《煮詰まる》が「結論に近づく」の意に転じた理由は「鍋の中の水分がなくなつてきたやうに会議などで議論が出尽くし…」といふ説明であつた。歌づくりのアイディアが出尽くした感に見える紫色の状況を表現するに際しては違ふどころかそのまゝではないか。
 さらに、大型の辞典には《煮詰まる》の語意に私の知る2項目の他に(小型の辞典にはない)3項目めもあつた。「時間が経過するばかりで、もうこれ以上は進展が望めない状態になる」。もはや出尽くしたかどうかも問題ではないらしい。3項目めが近年に追加されたのだとしても、それは関係ない。言葉は変はるものだからだ。

 さういふ訳で、黄色青色も自然体であり、桃色だけが違つてゐたのである。また勉強になつた。それでも、《煮崩れる》も言ひ得て妙だつたとは、今も思ふ。

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このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
- (内容については実質的には2013年11月24日版)