思い出の車   ーエスカルゴ号
現在製作途中です。
        

 私が中学生だったころ、ほかの本は読まずに旅行記ばかり読み漁っては世界旅行に行く夢
ばかり見ていた。いっのまにか小田 実の「世界を見てやろう」と桐野江節雄、神保 五生著
の「世界は俺の庭だ」が愛読書となっていた。

 時代は過ぎてゆき、世界旅行の真似事も出来たし、曲がりなりにも中古ながらキャンピング
カーを持てることも出来た。しかしながら大切に保存していた2冊の愛読書は残念にも二十数
年前の宮城県沖地震の時に喪失してしまった。(家が半壊した)

「世界を見てやろう」は著名な作家(小田 実)なのですぐに古本屋を漁り見つけ出すことが出
来たが「世界は俺の庭だ」は探し続けても出てはこなかった。
 しかしIT化に伴いインターネット検索をかけたところ国立図書館に存在することが解り、資料
としてコピーを取り寄せ、再び読むことが出来ました。
感激です、思い入れが先行していますがすこし中身をご紹介いたします。

この車エスカルゴ号は、三輪車の改造キャンピングカーで旅し昭和33年12月から4年4ヶ月
にわたりサンフランシスコを皮切りに南北アメリカ大陸およびヨーロッパを、旅した二人の青年
の記録です、
但しキャンピングカーのホームページですので旅よりも車に重点を置き紹介いたします。

その当時の海外旅行
         この昭和33年当時、日本の外貨準備高はすずめの涙であって、貿易が最優
         先であった。そのため、一般の人が外国に行くのは至難のわざであった。
         ブルブライトなどの留学生試験に 合格するか、誰かにギャランティーを発行
         してもらうかしか方法がなかった。
         貿易が自由化されていなかった。外貨の裏付けが無いとパスポートはもらえ
         なかったので、どうしても外国に行きたい人は、外国の知人の呼び寄せで外
         貨を使わないオールギャランティ名目でパスポートをもらうか中小貿易商社の
         優先外貨を買ってその会社の、社用、市場調査、視察目的でパスポートをと
         るしか方法がなかった。
         
 結局、パスポートは知り合いのそのまた知り合いの取引先であるメキシコの
         某氏からギャランティーレターをもらい手に入れ、メキシコとアメリカのビザを
         申請するためには、往復の切符と、滞在に必要なドルを見せる必要があった
         ので旅行社の某氏から航空券を二人分借り、滞在費の分として船賃用に某
         国某書記官長から正規のドル小切手を買いそれを見せてビザを取得した。

車の持ち出
         カルネ(国際自動車通行手形)の取得
          そのころの日本自動車協会はまだ法的にあやふやな時代であった、その
         ころの日本はアメリカの自動車にひどい税金を課税していたこともあり、持ち
         出しに高い関税がかかる可能性があった。何よりも日本自動車協会じたい
         があやふやで国際機関として認めてもらえない可能性があった。
出発まで
          三輪車で・・・・と考えてから車のメーカーの後援、竹シートでの車の改造、
         パスポート、外貨の獲得、および生活費の捻出で7ヶ月、3万キロを走り回り、
         貯めた75万円はあらかた使い果していた。
訪ねた国の数
          北アメリカ〜メキシコ〜アメリカ大陸縦横、横断〜ヨーロッパ(オランダ、フ
         ランス、ドイツ、デンマーク、北欧)など13カ国

三輪改造車の製作の経緯
         作者の一人桐野江氏は画家でフランスに絵画の修行に出る話が持ち上が
        っていた時期に
札幌の喫茶店でふと目の前に停まったパン屋の三輪車を見
        て後部がパネルバンになっていて窓がある。
        ひどく驚いて胸がどきどきしたのを覚えている

        この時点で三輪車で旅行することを決心したと記載されている。
名前の由来
        速度の遅い三輪車に生活できる家を持ち、世界中を駆け巡る。丁度カタツム
        リの様だったのでエスカルゴ号と命名される。
エスカルゴ号
     
ベース車両スペック
         マツダオート三輪、1958年型 2t車(但し別なところに3tの記載あり),1500
        cc、43馬力マツダから旅行を前提に無償提供を受ける。重量、長さの記載が
        無いので不明。 色はダークグレイ。
         高速走行が続くので耐えられる用に多少の改造、調整はマッダが行なった模
        様、簡単な修理ができるように講習を受けた記載あり、後日フランスでピストン
        を交換した記載あり。
        写真によりガソリンタンクが左右両方に付いていることが解る。
    
シェル部分
            

  シェル部分は我々キャンピングカー乗りにはお
なじみの浅草タケシートでパネルバンを居住で
きるように改造。費用14万、2週間の期間をか
けて製作。

六尺八寸(224.4cm)×六尺(198cm)高さの
記載はない。おそらく鋼鉄製。後ろにドア
を持ち、側壁に窓が数箇所あり、天井には
ベンチレータがある。照明は天井に一つ、ド
アの内側についている。

 内部は前面に戸棚を設へ衣装棚とし、十
分な厚さのラワン材で床を設えその下を箱
収納とした。

 もちろんキャンピングカー、モーターホーム
などの名称、概念ははこの時期にはないの
で、それらの名称の記載はいっさい無い。
 
広くは無いがエバーソフトのマットレス、羽
毛の寝袋に入ってジョニーォーカーを一杯
もひっかければ寝心地は上々だと記載され
ている。

 但しシェル部分の断熱に関してはたぶん
鉄板剥き出しであった様で、寒さには弱い
様である。
また換気については天井に換気孔が一つ
あるのみで鉄板剥き出しの砂漠等の熱さに
もやはり弱い様である。但しそれらに関して
の記載はいっさい無いので写真等での憶
測である。

   積載物の説明
        
 炊飯道具として二連式のガソリンストーブ、2Lのポリエチレン水筒2本厚手の
        鍋大、中、小3丁、フライパン、湯沸かし、シナ鍋、包丁その他、ガソリンストーブ
        以外は二つの木箱に入れてドアを開ければすぐに引き出せるようにしてある。
         箱の蓋の内側はまな板で外側はチャブ台となる。
         炊飯道具がすこし多いようだが食べる事は大事なことだし、不必要にレストラ
        ンに行くと損だと思って十分に積んだと記載されている。
         油絵具七百本(石油缶三杯ほど)キャンバス、枠、ホールドキャンバス、紙、和
        紙、筆、油、イーゼル油、その他写生道具。
         修理用の工具、部品一式、クラッチデスク、ブレーキシュー、ライニング、ピス
        トン、バルブ、カーボンブラシ、ポイント、その他。
        スペーアタイヤは積まなかった、(チューブ修理用の火薬と小型空気入れは積
        んでいた)。
         三輪自動車工学、電気工学、部品表、取り扱い説明書などの修理用虎の巻
        はいつでも取り出せるようにドアすぐそばに積んでいた。
        寝具はエバ-ソフトのマットレスとゴムとビニュール布団各1、羽毛の寝袋二つ、
        枕は座布団か米の袋で代用した。
         衣服はスーツ五着と替えのズボン、レインコート、和服、下着大量、洗濯用の
        ポリエチレンの箱、ゴルフクラブ八本、釣り竿、碁、将棋盤、美術雑誌折り紙、お
        土産げの人形その他。


  
トイレは
         付いていない、カセットトイレなど無かった時代だ。コカコーラのビンを代用。
 
 横っ腹には
         カタツムリの絵と日本語、英語、ドイツ語、フランス語で「カタツムリ絵筆をかつい
        で旅に出ると」と横腹いっぱいに書いてある。世界地図も描き添えてある。
        ただし写真での判別は拡大しても不可能なので何と描いてあるかは不明である。
  
ドアの文字
        スペインで左右のドアにスペイン語で
        「エルカラコール ハポネス アドミラ トウ パイス イ ピンタ ロベヨケ エス」
        「日本のカタツムリ号はあなたの国の美しい風景に心を打たれて、それを描くで
        あろう」とスペイン語でメキシコで記載されているが、こちらも写真が小さいため
        に判読できない。
  
日章旗
         フロントグラス、側壁、後部に日章旗が描いてあり日本から来たことを強調して
        いる。今見ればオーバーなようだがその当時の旅行記を読むと大なり小なり日
        本人であることを意識して、行動していたようだ。
        旅行自身意気込みとしての考え方が解るようだ。
         蛇足ながらその後の旅行記を読むと時代を経過すればするほど日本人であ
        ることが強調されなくなって、ー国際化ーを歌いだしているように見える。