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■恋について 7/23
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<恋に恋する>ということ
これが恋の始まりであり、恋のすべてであるかもしれない・・・
恋ははじめ大きな歓喜であると同時に、それまで気付かなかった内なるたましいの発見を伴うものである(たとえ意識はされなくても)。だからひとはそれに理屈もなく惹きつけられる。恋の相手が優しいとか好みの顔立ちだとかいったことは、ひとが恋に陥る理由のほんの上っ面でしかない。ましてや相手の経済力や学歴などといったものが恋する理由になどなろうはずもない。恋する能力がない人間ほど現実離れした恋を嗤うが、恋とはそもそもそんな現実離れした体験なのである。
けれどいっときはたましいをふるわせた恋も、やがては形骸化されるという運命にある。運がよければ恋が破綻なく成就し、それが何不自由もない結婚生活、家庭生活という喜びに引き継がれるかもしれない。けれどそこにはもはや恋の歓びはなく別の喜び(満足)に取って代わられているだけなのだ。恋に特有のあの神秘的感覚はもはやどこにも無い。もっとも恋の歓びが他の喜びに変質したからといって、嘆くひとなどほとんどいないであろう。それはそれで喜ばしいことなのかもしれないが・・・。
恋には謎が必要である。恋を持続させるためにはたとえ結婚したとしても互いが謎の部分を持ち続けなければならない。それはやはり一般的には至難の関係だろうと思う。<恋の至極は忍ぶ恋>とは「葉隠」にもある言葉だ。恋には距離と、それに伴う神秘、謎が必要なのだ。そしてそのような恋だけが<在る>ことへの秘密へと、わたしを導いていく。
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■抱擁の時 5/27
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■美しい精神−Clematis 5/5
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■雨ー4月
雨はつめたい吐息。
そっと首筋をすべる
手のなめらかさの
うすれゆく追憶・・・。
■青い窓と桜 4/3
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歓びが深すぎて
胸が痛いほど苦しい
永遠に届かぬのに
永遠に在る花を呼べば
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■外人墓地と桜 4/1
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つかの間この世界に帰り、
懐かしんでいたいのだ。
苦悩も悲しみもほんとうはなかった。
生まれてみれば、
ただ幻のように美しかった。
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■読み逃げ問題って?! 3/30
ミクシイで「読み逃げ問題」というものが話題になっているらしい。
ひとの記事を読みながらコメントをしないひとのことを指す言葉だとか。
失礼な行為ということらしいのだが・・・ぼくに言わせればこんないやな言葉をつくるひとのほうがよほど失礼だ。
「わたしはあのひとのことを思いやってコメント”してあげている”、それなのにあのひとは恩を仇で返すような読み逃げをして」という感情が根底にあるのだろうが、ネットの外の常識にあまりにも縛られすぎていると思う。
ミクシイに参加しているひとのなかには、そのような読むだけのひとに対してむかつくとか、アクセス禁止にしたらいいといった過激な意見もあるようだ。
そこまでは思わなくても、不愉快と感じているひとは案外多いのだという。
正直、なんでそんなに狭量なのかと暗然としてしまう。
そして息苦しくなってくる
自由に心を解き放って交流を楽しむネットのなかで、ネットの外と同じようなしがらみを持ち込むのはミクシイのようなSNSの性格上仕方のないことなのだろうか?
読みにもこないというのならまだしも(それだってめくじらたてることではないと思うが)、読みにきてくれているということは、そのひとなりにつながりを保とうと努めているのだからコメントのあるなしに関わらず感謝すればいいことなのだ。
ひとにはいろいろな思いや事情があるし、友情の表し方だって同じではない。
たえず密着しているばかりが良い人間関係というわけでもない。
距離を保って互いに敬しあうという人間関係だってある。
ネットの外のしがらみを厭い、より生き生きとした関係を築きたくてネットの世界に入ったひとも多いだろうに、なぜまたそのがんじがらめのしがらみをわざわざつくりだそうとするのか。
ネットのなかの人間関係は「はかなさ」を認めあうというのが理想ではないかとぼくは思う。
(ほんとうはネットの外でも同じことなのだが)
「はかなさ」を認めあう関係だからこそより相手をたいせつに扱うし、結果として自然で自由な関係が生まれる。
たしかにネットの世界で友となったひとが自分から離れていくのはさびしいことだ。
ぼくもいつのまにか離れてしまった友人が何人もいるが、その直後はやはり身を切られるようにさびしかった。
しかし、それでも友情を強要したり押し売りしたりすることはできない。
こんなことを書くぼくはやはり異邦人なのかもしれない。
けれどこんなぼくもネットの世界でこころに残る出会いをいくつか持たせてもらった。
ベタベタとしたつきあいはなかったがそれでも(それゆえ)想いが通じ合った交流があった。
もちろんこんなぼくのやりかたも強要できないのだが(笑)
ミクシイの場合、ネットの外でも知っている関係が多いのでよけいに悩んだり怒ったりしてしまうのだろうか?
いずれにしても、ネットのなかにいながらこころを牢獄につないでしてしまってはむなしいと思う。
■風の夜 3/25
眠れない耳が、
夜を渡る風を聴いている。
群木の枝々をどよめかせ、
夢のなかへ飛び立っていく鳥達。
わたしは眠るために、
永遠の夜に堕ちなければならない。
■東京散歩〜本郷菊坂 3/18
本郷菊坂あたりは東京の異界だと何かの本に書かれていた。
異界というとおそろしげだが、要は古い東京の面影を色濃く残している場所ということらしい。
今回はそんな本郷菊坂を中心に歩いてみた。
メインはなんといっても菊坂下道にある樋口一葉の旧居跡ということになる。
旧居前には写真にも撮った古い井戸がある。
一葉もここで水を汲んだのだろう。
なんだか路地のつきあたりにあるのがいい感じ。
子どもの頃、路地で缶けりなどして遊んだ記憶が甦った。
本郷は文学の香り高い土地柄であるらしい。
本郷6丁目の「大栄館」も石川啄木と金田一京助が下宿していたところで、啄木の歌碑が建っていた。(当時は蓋平館)
迷わないように地図を持っていったのだが、ほんとうのところ、あちこちの路地に迷い込みたいと思った。
もうひとつ写真に撮った本郷館は木造3階建ての迫力ある建物。
先に湯島の旧岩崎邸も見学していたのだが、全体の大きさはともかく、迫力というか存在感という点ではこちらが上だったかもしれない。
実際にいまでも下宿として使われていて、お金の無い?東大生の生活の場になっているらしい。
ちょっとうらやましいような・・・。
異界本郷の散歩、時がゆっくりと流れていく感覚が楽しかった。
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■ただひとつの夕べの空を 3/10
わたしはながれている
ただひとつの音楽のうえを
ゆるやかに解放されるまま
わたしはながれている
ただひとつの言葉の背後を
しずかなかなしみを引き連れて
わたしはながれている
ただひとつの眼差しのなかを
あらゆる世界とともに滅びながら
そしてわたしはながれている
ただひとつの夕べの空を
あなたの頬をばら色に染めるために
「夕べには、ばら色の雲がゆるやかに輝きながら」
ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」より
■レコードを聴きたかったのに 3/1
東京本郷の近くに出張があったので、本郷三丁目駅前の「麦」という名曲喫茶(何て時代に取り残された響きだろう!)まで足を延ばしてみた。
実は以前にも名曲喫茶というものに入ろうとしたことがある。
渋谷に行った時のことだ。
その筋?では有名らしい「ライオン」という店に入ろうとしたのだが、店の前まで足を運びながら入るのをやめてしまった。
歓楽街にあるうえに妙に個性的な店構えになんだか躊躇してしまったのだ
そこで再チャレンジ、というわけでもないのだが、こちらの「麦」はためらうこともなく、なんなく入店できた。
たぶんガラガラだろうと思っていたのだが、案外客が入っていた。
圧倒的にネクタイしめたおじさん族が多かったのだけれど(笑)
家族で営業しているらしい店はレトロというよりもチープ感があったが、落ち着く感じではあった。
席に着くと何やら管弦楽らしい曲が静かに聴こえてくる。
ほうなかなかいい音じゃないの、などと聴いていたらアレ?曲にナレーションが!
どうやらレコードではなかったようだ。
時間が悪かったのか?
レコードはたくさん置いてあったので、レコード演奏の時もあるのだろう。
音なんか悪くてもいいから?チリチリいうレコード演奏を聴いてみたかった。
管球アンプにタンノイの古いスピーカーなんて組み合わせがいいかな。
近いうちに菊坂方面(樋口一葉の旧居あたり)まで散歩する予定なので、その時にでもまた寄ってみようかと思った。
東京散歩と喫茶店めぐりはまだ続く・・。
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■世界の涯の花 2/23
この世界の涯にも雨は降り
君はひっそりと咲いている
訴えることも
身をよじる苦悩ももはやなく
さびしいという言葉すら忘れて
ただひっそりと雨に咲いている
■茫雨 2/14
ふと顔をあげると
茫漠と雨が降っていた。
わたしの内に降る雨に
わたしの外の雨が重なり
たちまちわたしはかき消え
無限の雨となって落ちていった
■春のゆらぎ 2/10
遠くで
あたたかい涙のように
海があふれている
愛のように
打ち寄せる波は けれど
冬の眼差しに拒まれている
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