カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ
全員集合が終了後、傑作選が年内一杯放送され、昭和61年番組は始まる。
野球で言えば、3番、4番のドリフターズの最強コンビの番組だ。
探偵物語、カトケン面白ビデオコーナーなど新しい笑いを作り、再び人気に火がつく。
からくりテレビの面白ビデオなどはここが原点と言ってよい。
だいじょぶだぁなどのギャグもここから誕生する。だいじょぶだぁ教なるコントがあり、
太鼓を叩いて、だいじょぶだぁ、うぇうぇうぇ、などを言って街中を歩くシーンがあった。
バカ殿様
志村けんが、初めて単独でコントをして、今も続いている番組だ。元々は、大爆笑の一部分だったと
思う。それから、何年かして復活した感じだ。うれしいなぁ。とか、怒りのリアクションは、今もそのままだ。
数々の歴代アイドルが腰元を勤める。最初のじぃは、故・東八郎さんだった。志村けんが、後に語っていた。
なんで、若い人と絡めるんですかって、お客さんはわかっている、だからバカなことも出来ると。これを
今でも心にコントをしている。亡くなったのが52歳。志村けんは、56歳だからもう東さんの年齢を過ぎている。
だいじょぶだぁ
志村けんが、単独の毎週コントをすることになった最初の番組だ。田代まさし、松本典子、石野陽子、カトちゃんケンちゃん光子ちゃん笑いころげて面白家族
ご存知、森光子さんがコントに挑戦。ザ・ドリフターズからの流れで、今度は加トちゃんと志村との
競演で、笑わしてくれた。当時すでに70を過ぎているにも関わらず、ドリフからのスタイルである。
ドタバタ劇を遠慮なく大女優が演じたことがすごかった。
志村けんのゴールデン番組の終了
志村けんのゴールデン番組が終了した。20年以上ゴールデンでやってきたことがすごい。けれども
永遠ではない。寂しかった。けれども志村けんは、笑いコントを辞めようとはしなかった。役者として
ドラマの依頼もあったが、断っていた。だが、テレビに出なくてはいけなく、やむなく他のバラエティーや
トーク番組にもでるようになった。志村けんの素顔が分かるチャンスでもあり、どれだけの人が志村けん、
ドリフターズを見て育ってきたかを再認識できた。