作品名: シャイアン -


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お名前: ママデューク   
ジョン・フォードの最後の西部劇。
64年公開当時はなかなか良く出来た作品と思いました。少なくとも、
他の西部劇と比べても出色の出来ばえでした。
主人公が騎兵隊からインディアンに代わっただけで、
フォードは何時もと変らないタッチでモニュメント・ヴァレーを撮ってくれたからです。
でも今、見直すとフォードの演出の切れは確かに鈍い。往時とは比ぶるべくもないのだ。
巻頭、ベンの斥候が帰って来てG・オブライエンの隊長に使節が来ないと報告する場面、
後にチャック・ヘイワードが立っているんだが、
あの所在のなさはなんだ、まるでフォードの演出をいぶかしんでいるようではないか。
又、谷での待ち伏せ、偵察に来たベンとドーブ。ベンの馬が撃たれ、
ドーブの馬に飛び乗るんだけど、何かモタモタしている。
これでは赤シャツに撃たれている。ジャック・マレーがいないとかくもなるものか。
70mmの大画面にルーティンの画像が噴出するのだが、覇気は見られない。
脚本もウェッブで、いつものフランク・ニュージェントじゃないのも微妙にタッチを
変えているのか。劇中「白人の言葉で話しをしよう」などのセリフは奇妙としか思えない。
フォードは「騎兵隊」以後、常に何か新機軸を打ち出そうと試みて、苦悩するのだが
いずれも、その結果はかんばしくない。
フォードの様な巨匠でも、最早60年代には何か話題性がなければ映画を撮れなくなった。
だから「シャイアン」は、決してジョン・フォードのインディアンに対する贖罪なんかではなく
あのジョン・フォードがインディアンを主人公にした映画でなければ商業性はなかったのですね。
そして最後は、男の映画の監督が女を主人公にした映画を撮る事となるのです。
[2008年5月26日 18時3分6秒]

お名前: ウエイン命   
「還暦少年」さんのお気持よ〜く分かるんですよ。私も「フォードのラスト・ウエスタン(恐らく本
人もそのつもりだったと思います)のヒーローが何でウェインじゃないんだよ」と慨嘆しましたから
ね。「クロサワとミフネのように不仲になっちゃったんなら悲しい」とまで気を回しました。でも
「J.W.」さんが「馬上の二人」で指摘されてる「西部劇の嘘への懺悔」や、「ワード・ボンド」さ
んの「フォード自身がインディアンへの贖罪と語っている」と云う書き込みを拝見して、ちょっと考
えたんですよ、「あの役はウェインであってはならなかったんじゃないか」と。「駅馬車」「騎兵隊
三部作」等で散々インディアンと戦い、極めつけ「捜索者」ではインディアンに対する憎悪と偏見の
塊を演じたウェインは、それこそ「西部劇の嘘」を象徴する存在と云えなくもないですよね。「馬上
の二人」も「シャイアン」もウェインを使ったのでは懺悔にも贖罪にもならなかった、と云うのはち
ょっと考え過ぎでしょうかね。フォードは不朽の名作と同じくらい凡作も世に送り出している人なの
で、「何を考えているのかよく分からない」から「こんな思想的に節操のない人は他にいない」とま
で思っていたんですが、そうでもないことが諸兄のご意見でおぼろげながら分かってきました。
[2007年10月13日 20時19分14秒]

お名前: ウエイン命   
案山子さん、「ダイ・ハード」では私のミスリードで大変失礼しました。非難したわけではないので
ご容赦ください。
TV「シャイアン」については、実はこちらへ「ご覧ください」と書いてから向こうを書いて送信し
ようとしたところでエラーとなり、結局今日まで書けませんでした。偶然「J.W」さんが触れられ
ていたので助かりましたが、良く見るとちゃんと「ブロンコ・シャイアン」の欄がありますネ。諸兄
によって語り尽くされてますので付け加えることはありません。ただ、私が「セブン…」の欄にした
のは、本欄が、我等西部劇ファンにとって神聖なるJ・フォードを語ってる場所なので、「グリー
ン・ベイさん」「還暦少年さん」他の皆さんに失礼かナと思ったからなんです。
余談ですが「、Lefty Gun」「hoz」こう云った人達の言には本当に腹立ちます。反論は、後日ゆっくり
と。
[2006年5月16日 23時15分41秒]

お名前: 案山子   
ウエイン命様
ご指摘の「セブンセントの決闘』欄見ました。TV映画でしたか!
それにしては劇場で見た記憶があるのですが。
3本立てのうちの1本がこれだったみたいに。
タイ・ハーディンの、確か「ブロンコ」シリーズもあったように記憶しています。
但し、こちらは劇場用映画だったのかTVシリーズだったのか、記憶が定かではありません。
C・ウオーカーはボディビルダーのような逆三角形の身体をしていましたが、
上半身が大きすぎてまるでゴリラみたいでした。
拳銃を握ってもサマにならず、かといってライフルでもガンマンに見えない。
結局は上半身裸になって乱闘するしか能がない。どう見ても田舎のアンちゃん風でした。
でも、昔はこうした劇場用映画にしては短い、だけど短編でもない中途半端な長さの
映画がよくかかっていました。
短編といえば、シネマスコープが出始めの頃、オーケストラの演奏を実写した
テストフィルムのような映画がありましたね。
画面の広さとサウンドトラックの迫力をデモンストレーションするためのものだったのでしょう。
本編の「シャイアン」に話を戻すと、ギルバート・ローラン、リカルド・モンタルバン、
サル・ミネオがどう見てもシャイアンに見えない。ドロレス・デ・リオもそうですが。
でも、映像はきれいでした。


おまけにリーゼントみたいになでつけた髪の毛がハラリと落ちるのが気になって気になって。
[2006年5月16日 21時16分6秒]

お名前: ウエイン命   
案山子さん、確かにありました。「セブンセントの決闘」の欄に書き込みましたので
そちらをご覧いただけますか。
[2006年5月15日 4時19分43秒]

お名前: 案山子   
J・フォードの本編とは関係ないのですが、クリント・ウオ―カーの「シャイアン」シリーズ
というB級西部劇がありませんでしたか。確かシャイアンとの混血だという設定の主人公で。
もう40年以上前のことで記憶も定かでありません。当時の映画は大体80分から90分ぐらい。
この「シャイアン」はもっと短く60分ほどでした。TVシリーズかな。
[2006年5月14日 21時39分11秒]

お名前: hoz   
End of Trail をキーワードにしてアメリカのサイトを開けば、
映画シャイアンのことがよく理解できますよ。 
更にはウンデッド・ニーの虐殺も研究材料になりますよ。
[2006年1月18日 4時7分51秒]

お名前: 還暦少年   
bsで2時間40分じっくりと見ました。良い映画でした。封切当時に二十歳代でみていたら、おそら
く物足りなかったと思いますが、今はじめて全体を余裕をもって見ることが出来て良かったと思います。
 確かに派手な作品ではなく、それでは物足りないでしょうとワイアット アープのまったく別
の映画をおまけに付けてくれたんでしょう。けっこうでした。モニュメント バレーの景色の中を
騎兵隊、インディアン、あえて使います、の一団が通る、それだけでももう充分です。
 それにしても、リチャード ウィドマークの役どころはジョン ウェインの方がというより今目
をつぶるとジョン ウエィンの顔で出てきてしまいます。でも、良い時間をもてました。
 大きい画面で見たいです。
さて、今夜はウエスタン、40年まえに一度見て好きではないが傑作と思えた作品、楽しみです。
[2004年9月29日 11時40分1秒]

お名前: Lefty Gun   
はじめまして。

正統派ウェスタンとお見受けする方々が、昔の先住民登場西部劇を、安易に美化されているように思
えるのですが・・・。
最近、他分野の映画サイトでも述べたのですが、”開拓”という言葉は、それこそ開拓される立場か
らすれば、侵略以外の何ものでも無いということを、脳みその、たとえ片隅にでもよいから、叩き込
んで観ないことには、歴史を見る目にも曇りが生じるのではないでしょうか? それを、ロマンだの、
ノスタルジーなどと、ことさらに言われては、やられた側からすれば「何好き勝手なことぬかしやが
んでェ!」となるはずです。
私も年代的にウェスタンを相当観てきた人間ですが、中学生の頃、アメリカの少数民族や移民のなど
に対する関心が芽生え、以来、先住民を含め、彼らの歴史(イオージマの国旗掲揚海兵隊員アイラ・
ヘイズの物語など)にまつわる資料などに接してゆくうちに“先住民を描いた伝統的ウェスタン”の
大半が、胡散臭い映画であることを知るに至ってからは、既にジョン・フォードとも決別しておりま
す。
従って、映画があくまでもエンタテイメント優先とはいえ、これまでのような史実を著しく捻じ曲げ
た西部劇は、資料として観るようなことはあっても、子供時代のように無邪気には鑑賞できなくなっ
ております。
それでも、「あの当時は、仕方が無かったのでは」といわれる方には、こう申し上げたいのです。
「その言葉、正面きって、先住民に言えますか」と。
映画は、”楽しく怖いもの”です。
[2003年11月12日 11時17分32秒]

お名前: ワード・ボンド   
J.W.さん、同感です!
どんなに理解したとしても、あくまでも「差別する側」が「差別される側」を描いている
わけで、自ずとそこには限界があると思います。本当に彼ら(先住民)の立場から描くと
したら、先住民が自ら製作し、監督するしかないと思います。でも私は、そんな映画を観
るのは辛いです。映画は、史実に題材を求めていたとしても、あくまでも虚構の世界であ
り、ファンタジーであり、エンタテイメントであると割り切っています。
J.W.さんがおっしゃるように「ダンス・ウィズ・ウルブズ」ですら、全く同じで、根
本的には何も違わないと思います。余談ですが、この「ダンス・・・」は、私は今でも何
故あんなに評価が高いのか理解できません。
[2001年1月23日 17時46分41秒]

お名前: J.W.   
 確かに「シャイアン)に関する評価は,難しいなと私も感じていました。ただ,私のその理由の主な部分
は、フォードプロダクションの4連作(バファロー大隊からシィアンまで)の中でのポジショニングが
難しいなというもので、この作品そのものは決して嫌いではない。
 インディアンに対する謝罪が物足りない,不充分だという指摘は,現代の考え方ではないでしょうか?
64年当時としては、良く出来たと思いますし、「駅馬車」や「荒野の決闘」の頃のインディアンは人間
以下で物みたいな描写をされていた事,一種タブー的に取り上げられることすらなかった事に比べれば,
すごい進歩ではないでしょうか。
 そうはいっても、現代社会ですら、正直に言えば,白人至上主義みたいなものを日本人として感じないわ
けではないのですから、このような問題は、単なる映画としても、簡単には解決できないのでしょうね。

 評価の高い「ダンス・ウィズ・ウルブズ」ですら、そういう意味では不充分と私には思える。

 
[2001年1月23日 13時53分56秒]

お名前: ワード・ボンド   
映画の評価というのは元来、主観的なものですから、いろんな観方があって良いと
思います。ジョン・フォードに限らず、ハリウッドの、白人至上主義、キリスト教
絶対主義が分かるのも映画の面白さだと思います。恐らくジョン・フォードマニア
の皆さんも、それを無条件で受け入れているわけではなく、エンタテイメントとし
て観て楽しんでいるのだと思います。私自身も、ずっと昔に観た、フォードが作っ
た太平洋戦争の国威発揚映画で、不愉快な思いをしたことは忘れていません。
ただ、多くの映画で我々を楽しませてくれた映像作家としての、彼の実績は認めざ
るを得ませんし、フォードは、リュミエールやエイゼンシュテインらと同様に、映
画史上に永遠に名を残す人だろうと思いますので、敬意を表して、晩年の、作家と
しては衰えた後の作品でも、その想いを汲んで積極的に評価してあげようと思って
います。
[2001年1月23日 11時44分27秒]

お名前: グリーンベイ   
 ノスタル爺さん・・・今晩は。グリーンベイです。
 映画「シャイアン」についての評価を伺いました。映画の評価なんて、その人の持つ背景によって、
 色々有って良いものだと思います。ノスタル爺さんの、この度のご意見は本音のところだと思っていま
 す。私は未だ本音の書き込みなんて出来ないと思ってます。(苦笑)私の映画への対し方は、映画少年
 の頃の感動の思いでを懐かしんでる域を出ていないと思います。ですから専門家の皆さんの評価を共有
 することで楽しいのです。一寸、私も本音で申し上げましょう。仰る通り、映画「シャイアン」は、私
 も.高く評価しません。云わせてもらえば、フオード西部劇は「駅馬車」から騎兵隊三部作までです。
 50年の「リオグランデの砦」を入れるに躊躇さえあります。ですから後年の作品は、これがフオード
 西部劇かと思ったりしました。それは、黒沢監督でさえ当てはまります。しかし、西部劇の神様に敬意
 を表して、何とか体裁を作ろう場面があってもよろしいのではと・・・。生意気云って御免なさい。
 これからも専門家としての、ご意見をお聞かせいただき、ご指導の程お願い致します。
 
[2001年1月23日 0時29分21秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 皆さん、こんばんは。
 『シャイアン』の評価が高いようですね。
 滅び行く民族の悲劇を70ミリの大画面で格調高く描いた作品とでもいえますか。
 だけど、私はこの映画が大嫌いなんですよ。(笑)
 この映画は、オクラホマの居留地に放っておかれたために、飢餓と伝染病が蔓延し、死に直面
した300人のシャイアンの戦士と婦女子たちが、父祖の地であるイエローストン地方まで1500
マイルに及ぶ悲愴な逃走の旅を続けた史実に基づいています。合衆国騎兵隊の執拗な追撃に
さらされて、生き延びて父祖の地を目にしたのは、たった80名だったんですよ。
 私が、気に入らないのはインディアンの視点にたってないからです。
 キャロル・ベーカーもリチャード・ウィドマークも白人という一段高い位置にいて、インディアン
に同情してるだけでしょう。インディアンに理解を示す白人なんて、『折れた矢』以来、何度も登場
しており、使い古された存在ですよ。
 一般論では『シャイアン』は、インディアンに対する謝罪のように云われてますが、『駅馬車』
や『騎兵隊三部作』などの映画製作を通じて、貧しいインディアンためにお金が入るようにして
やった同情心と同じ程度にしか感じないんですね。
 本当のインディアン俳優を使って、弱者としてのインディアンでなく、誇り高い民族としてのイン
ディアン像を描いてこそ、インディアンへの謝罪になると思うんですよ。
 あくまでも私の個人的主観ですが……。 
[2001年1月22日 22時43分17秒]

お名前: ワード・ボンド   
グリーンベイさん、J.W.さん、こんにちは!
この映画も公開と同時に待ちきれない想いで、見に行きました。もちろんその時は
ジョン・フォード最後の西部劇になるとは知らずに…。その時から、日本での公開
の仕方に不満がありました。まず、タイトルですが、原題の「Cheyenne Autumn」
が「シャイアン」になりましたが、先住民の悲劇を描いたこの映画にとってのキー
ワードはむしろ後ろの「Autumn」の方にあります。また、大活劇であるかのような
宣伝文句に、観た人は一様に、そのギャップに驚き、ガッカリしたものです。興行
的にはそうせざるを得なかったのかも知れませんが、公開前から、オールスター・
キャストながら、地味な作品であるという話は伝わっていました。フォード自身も、
「インディアンに対する贖罪」の想いで作ったとインタビューに答えています。恐
らくこれが最後の西部劇になることを予感し、過去を反省したかったに違いありま
せん。私が特に興味深く観たのは、インディアンのリーダー達のキャスティングで
す。フォードもこの点にかなり腐心したと思われます。リカルド・モンタルバン、
ギルバート・ローランド、ビクター・ジョリーらは、いずれも、白人よりも「マジ
ェスティック」な印象を与えます。つまり、過去のフォード作品の中における位置
付けと、明らかに逆転しているのです。これは、フォードの、インディアンに対す
る最大級の敬意の表し方だったと考えます。
この映画の26年後に作られ、アカデミー賞を獲得した「ダンス・ウィズ・ウルブ
ス」に多大な影響を与えていることは間違いありませんが、「ダンス・・・」が過
大なほどの評価を受けた背景には、アメリカ人の西部劇に対する郷愁があることは
もちろんですが、昔「Cheyenne Autumn」に対して冷淡だったことへの反省がある
のではないかと推測しています。
[2001年1月22日 11時40分13秒]

お名前: J,W.   
 グリーンベイさん、こんにちは。早速「シャイアン」を取り上げていただき、感謝です。
この映画制作時のフォードは、69歳。ワード・ボンドは既に亡くなっており、ウェインは独自の路線を
歩み出したところであるし、気心の知れたスタッフも多くは引退している中、気力・体力の限界に近づ
いていたに違いない。
 また、ケネディのニュー・フロンティア路線でリベラルな時代風潮だった。しかし、撮影中にダラス
の暗殺事件が起こった。その他、天候不順、配役、風邪など多くのトラブルがあったと「ジョン・フォ
ード伝」にあります。
 しかし,これがフォード最後の西部劇という意識で再見する度に、もう、細かな手抜きなどどうでも
良くなる、グリーンベイさんの言うように,フォード監督の最後を飾るにふさわしい作品と思えるよう
になるから、不思議である。そして、さいごにシャイアン族に注ぐ優しい視線に、こんな偉大な監督の
作品群に触れる事の出来た我々は,何と幸福だったと思うのです。
[2001年1月21日 18時31分32秒]

お名前: グリーンベイ   
 「シャイアン」について書き込みしましたが、全体の感想でしたので、今般は、部分的なコメントを載
 せます。まず出演者、リチャード・ウイドマーク、キャロル・ベーカー。エドワード・G・ロビンソン
 カール・マルデン、アーサー・ケネデイ、ジェームス・スチュワート、ジョン・キャラダイン、パット
 ・ウインざっとこうです。R・ウイドマークは、愛と任務との間を悩みながらシャイアンの側に立つ役
  C・ベイカーは、二万四千キロを子供たちと旅に加わる。いずれも好演。カール・マルデンは、規則、
 命令、出世でコチコチに凝り固まった砦の長官。ナチのアウシュビッツに見る総統の命令に従ったと
 弁明する収容所の責任者と似ている役。・・・・。フオードタッチと言えば、モニュメント・バアレー
 をシャイアンが民族移動するシーンに、多く蘇ったこと。山の稜線をシャイアンが馬で行くシーンは、
 騎兵隊もので何度も目にした美しさである。監督の悪戯ともとれるセリフがあります。R・ウイドマー
 クがパット・ウエイン(デユークの息子)を窘めるシーンがあります「勇敢と向こう見ずは違う・・・
 親父さんは、もっと勇敢な人だった・・・・」。それにダッジ・シテイでの物語展開はドタバタの何も
 のでもなく、本当に、これがフオード監督の演出かと目を疑った場面がありました。・・・・・・。
[2001年1月21日 14時17分48秒]

お名前: グリーンベイ   
 1939年の「駅馬車」から1964年の「シャイアン」まで、ジョン・フオードは、西部劇の中でも
 群を抜く数々の傑作を撮ってきました。一口にフオード作品と言っても、後年の三作品「馬上の二人」
 「リバテイ・バランス・・・」そしてこの「シャイアン」は、従来の西部劇、所謂、基本的要素から
 仕上げた作品と違っていることに気付きます。それは「人間は皆同胞である」ことを強調した視点の
 拘りを感じることです。インデアンはいつも悪者の役から抜け出すことは出来なかったが、昔の西部 
 におけるインデアンの歴史的事実を見直そうとしたのでは・・・。初見では「馬上の二人」同様フオ
 ード西部劇しては期待はずれの作品として見流した感じでしたが、今回再見して、あらためてフオー
 ド監督の最後を飾るに相応しいオールスター競演による超大作なんだなあと確信いたしました。
 映画「シャイアン」は誇り高いシャイアン族が故郷(イエローストーン)へ帰還を目指した苦難の
 旅ですが、今まで映画の中で数多くのインデアンをアクションの素材として殺してきたフオード監督
 の免罪符とも云うべき作品ではないだろうか。是非、160分ジックリと再見なさることをお薦めい
 たします。
[2001年1月20日 10時40分49秒]

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