作品名: 許されざる者(1992) -


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お名前: ヤマザキ   
付け加えるなら

神は「汝、殺すなかれ」と言った。

そして、イーストウッドは間違いなく
「撃つ男」である。

という事です

神は俺を許さないか?

そういうタイトルなのだと
私は思います。
[2009年2月20日 4時7分37秒]

お名前: ヤマザキ   
この映画は、主人公が「許される」までを描いた物語ではないのでしょうか。

私はこの映画を観終わったとき、主人公は「許された」と感じました。

この映画は、立ち向かう、物語です。

物語の序盤からラスト近くまで…痛み、苦しみ、、まやかし、迷い、臆病、老い、社会的な正義、良心、悲しみ…そういったものでスクリーンが埋め尽くされます。

しかし、ラストは酒場でのあの戦いです。

それでも、撃つんだよ、と…

圧倒的な暴力を余す所無く発揮します。

それでも殺るんだよ!

昔、見境なく人を殺し、愛を知り、それを失い。痛みと悲しみを知った男が、撃つべきものを知り、撃つ。あらゆるものを乗り越え、いや、全て知りながら、撃つ。

そうして主人公は始めて「許された」…と

それを、亡き妻は解っていた。主人公は、必ず、そういう男であると。

これは男の物語です。
[2009年2月20日 3時43分41秒]

お名前: ウエイン命   
イーストウッドがアメリカに帰ってからの西部劇には皆さん余り興味がないんでしょうか、概して書
き込みが少ないですよね。私は、彼の西部劇に対する特別な思い入れが大好きなんです。
この映画は公開前から大変な評判でしたからね。確か、タイトルも最終的に「許されざる者」に決定
するまでにいろいろ経緯があったように記憶してます。J・ヒューストンの同名西部劇があるからで
しょうが、あちらの「The unforgiven」に対して、こちらは「unforgiven」と定冠詞を取ったところ
がミソ。許されない者は特定の人物ではないと云うことですね。
シネコンの時代になってから、飲み食いおしゃべりを2時間ガマン出来ないヤング達にそれこそガマ
ン出来なくて「どうせ昔のような大画面じゃないし」と映画は専らDVDで観ることにしていましたが
イーストウッドに敬意を評して久々に映画館に行きました。しかし内容については殆ど予備知識をも
っていなかったので、イーストウッドのベストは「アウトロー」だと思っている私には、映画自体の
並々ならぬ迫真力にも拘らず、恥ずかしながらいまいちピンときませんでした。キッドに向かって云
うイーストウッドの「殺人とは残酷なものだ。その人の過去や未来すべてを奪ってしまう」と云う台
詞が印象に残ったのと「何で出てくる奴が揃いも揃ってじいさんばっかりなんだ」と思ったくらいで
すから、後でテーマや製作経緯を知って我ながら自分の鑑賞眼の貧しさにガッカリしました。
その後ビデオを繰り返し繰り返し観てますが、この映画に託したイーストウッドの心情、人生の黄昏
を迎えた男達の悲哀、そして消えていく西部劇への深い想いなどが段々分かってきて、観る度に新た
な感銘を受けています。恐らく彼は今後西部劇を作らないつもりではないかと云う気がします。
ところで、ウィリアム・マニーと云う名前はウィリアム・ボニーをもじったものと思っていいんでし
ょうか。
[2006年8月19日 7時33分21秒]

お名前: 44-40   
開拓時代の一切を美化せずに、それでも「西部劇」として成立させるにはどうしたらいいか、
イーストウッドの長年のもくろみは、ここに一定の結実を見る。
「外国製」でもなく、幽霊ガンマンでもなく、奇をてらわず、説教くさくも言い訳がましく
もならず、「西部劇」のほぼすべての要素をはらんだうえで、血の通った人間たちの物語と
して、彼はついにこの作品を撮り上げた。たいしたものだと思う。

酔った勢いで「女もこどもも動くものはすべて」片っ端から撃ち殺したかつての無法者は、
女房に先立たれ、こどもを抱え、年老いた貧しい農夫として厳しい現実にさいなまれる。
ガンマンに憧れる未熟な若者、インディアン女と所帯を持った(あるいは持たざるを得
なかった)黒人の元相棒、「植民地」の人間を侮蔑しながらも、そこに堕ちてそこで暮らさ
ざるを得なくなったイギリス人賞金稼ぎ、その彼をただただ暴力によって排除する法の
番人、無知・無学ゆえに娼婦を切り刻んだカウボーイ、彼らの仲間の精一杯の謝罪も受け
入れない強情で愚かな娼婦達、小便を漏らしながら大げさな伝説を追い続けるジャーナ
リスト… 彼らのような人間達もこの国の礎の一部なのさ。

イーストウッドの画面作りと演出は、CGに頼らず、カメラもほとんど動かさず、マカロニ
や黒沢作品のような派手な誇張も排除した、ひたすら禁欲的なもので、それが西部の風物
を、むしろ美しく研ぎ澄ます。そしてそれらすべてが最後の暗闇の殺戮シーンへと劇的に
高まってゆく様は、私の心を素手でつかんだ。

最後の最後に、主人公が姿を消した後に、「何であんな優しい娘が、こんな無法者を愛した
のだろう?」というクラウディアの母親の疑問を提示することで、イーストウッドは、もはや
西部劇がすっかり廃ったこのご時世に、彼自身も含めた世界中の多くの西部劇ファン達と、
静かに肩を組もうとしたのかも知れない。
[2004年12月26日 15時57分54秒]

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