作品名: ガンファイターの最後 -


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お名前: ウエイン命   
時代は既に20世紀、鉄道も敷けたし、これから東部からの投資を呼び込んで大いに発展しようとして
いる町のお偉方が、大きな障害に頭を悩ませています。それは、まるで三文西部小説の挿絵から抜け
出して来たような老保安官(ウィドマーク)の存在です。東部の投資家が見たら何と思うかと云うわ
けです。町側は辞職を求めますが、保安官は「好きなだけ続けていい」と云う20年前の約束をタテに
聞き入れません。不思議なのは、この保安官の人柄なんです。R・スコットみたいに立派なら分かる
んですが(主人公ですからネ)、尊大で意固地、頑迷で友人の忠告も聞かない、短気ですぐに人を殴
る、と云った具合で、まったく人間的魅力のない、見ているこちらだって辞めてもらいたくなるよう
な嫌な人物なんですよ。だから全然共感が持てない、そのうち、イザコザがエスカレートして町議と
その息子を射殺する羽目になってしまい、遂に、市長以下お偉方の一斉射撃に遭って蜂の巣になって
も、特に感慨も沸いてこないどころか、仕方ないかとまで思ってしまうくらいです。ごひいきウィド
マークの西部劇と云うので見に行ったんですが、ひたすら後味の悪いだけの変な西部劇だなと思いま
した。そう云えば、アラン・スミシーとは聞いたことのない監督だなと思いましたが…。
実は、ハリウッドでは、プロデューサーとの意見の食い違いなどで、自分の意図したものと違う作品
になった場合、監督は協会に申請して変名を使うことが認められており、しかもA・スミシーとは
D・シーゲルの変名だと云うことを後で知りました。つまりD・シーゲルが気に入らなかった作品と
云うことですヨ。トホホですよネ。
私が思うに、シーゲルはきっと老保安官の死にオールドウエストの終焉を重ね合わせる、あの「ワイ
ルドバンチ」や「ラストシューテスト」のような作品を意図していたのではないでしょうか。原題が
「Death of a Gunfighter」となっており、必ずしも特定の人物の死だけを意味してはいないとも受
け取れますし、何よりも、これでは「西部劇にこんなのアリかよ」と云う思いが残るだけですから。
「リバティバランス」が公開当時「西部劇でなくてもいい話」と云われましたが、「映画はイリュー
ジョンである」と云う我がウェインの主張を全面的に支持する私には「これこそ西部劇でなくていい
話、どころかこんな西部劇あっていいわけナイヨ」そんな感じすらしました。シーゲルが変名を使い
たくなるのも尤もだと納得した次第です。紹介する必要なかったカナ。
[2006年6月4日 19時20分55秒]

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