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お名前: ママデューク
映画は侘しいモノクロームの荒涼とした荒野から始まります。
出足からなんともさびしい。追剥を撃つのだが殺しはしない。
達観がある。カーソンの町ヘきたのは旧知の医者に合うためだ。
そして医者からは病気をつげられる。
癌で、もう治らないと言われたときのブックスの消沈した顔、
とても見ていられない。次から次へと出てくる取り巻きは皆、
ブックスの死を喜ぶばかりだ。一片のユーモアすらないのだ。
わずかにJ・ウエインタッチが見られるのは、
馬上のウエインが新聞を読んでいてギロムとコッブの馬車が通りかかり、
オールド・メンと呼びかけられ振り向くときだ。
ウエインは常に渋面をつくり周りの騒音に辟易する。
作家の池波正太郎は「映画日記」最後のジョン・ウエインに、こう記す
「あくまでも自然なセリフと動作から一歩もはみ出さぬジョン・ウエインの演技が、
死をむかえようとする老ガンマンに乗り移り、
淡々たる中に一種の凄味をたたえた重量感を生む。
(中略)なんだか、これまでのジョン・ウェインとは別の役者を見ているおもいがした。」
(講談社刊)だから私はこの映画が大嫌いだ。
[2008年5月6日 18時19分27秒]
お名前: ウエイン命
「シューテスト」とは「シュートする人」ですから「拳銃使い」には違いないんでしょうが、少なく
とも私はそれまで聞いたことがありませんでした。ずっと気にしていたところ、最近ある本に「拳銃
使い」のいろんな呼び方を時代劇になぞらえて以下のように書いてありました。真偽のほどは別とし
て何となくそれらしいのでご紹介させて頂きます。
ガンマンあるいはガンスリンガー:剣術使い(武士を総称して「二本差し」って云いますよね、そん
な意味でしょうか)
ガンファイター:剣豪(宮本武蔵、柳生十兵衛、荒木又右衛門クラスでしょうか)
シューテスト:剣聖(上泉伊勢守、塚原朴伝、柳生但馬守あたりかナ)
ちなみにシューテストは聖人ですから当然ですが、ガンファイターも悪人には使わないそうです。
そう云えば昔「ガンスリンガー」ってTV西部劇ありましたよね。確か「ブロンコ・シャイアン」の
後番組でウェスタンブームも既に盛りを過ぎた頃、F・レインの主題歌で巻き返しを狙ったものだっ
たと思います(gunslinger,gunslinger,where do you roan?と云う歌だしだったと記憶してます)。
主演俳優の名前は思い出せませんが、当時MGMの新人で、よく云えば「ヴァージニアン」のクーパ
ーがそのまま70年代に現れたような、長身面長で端正ですが古臭い顔立ちの若者だったのを憶えてま
す。でも時代の趨勢には逆らえず結局いつの間にか消えてしまいましたね。
[2007年1月21日 7時27分10秒]
お名前: ウエイン命
1979年6月12日、デュークは逝ってしまいました。その年のアカデミー授賞式にゲストとして登場し
朽木のように痩せ細った姿で「皆さんの顔を見ることが何よりの薬だ」とスピーチするのを見てある
程度の覚悟はしていたので、それ程の驚きはなく「来るべきときが来てしまった」と云う感じでし
た。
「ミスターアメリカ墜つ」「米国の星、偉大な残光」「ガンに死んだアメリカのタカ」「いつもフロ
ンティアを夢見た男の代弁者」、さまざまな見出しが新聞雑誌を飾りましたが、私が一番好きなのは
「大いなる西部劇逝く」と云うもので、「フォード、ホークス既に亡く、今またウェインも逝ってし
まった。大いなる西部劇の幕切れである」と云うようなことが書いてありました。
「最後まで壮絶なガンファイト」と云うのもありました。彼は、最後の最後まで家族と意思を通わせ
ていたいとの思いから鎮痛剤の投与を断固撥ね付け、敢えて激痛の中に生涯を閉じたんですよ。ウェ
インはオフ・スクリーンでも男を貫きました。
翌日からTVで放映される追悼番組を録画するために、当時まだ30万していたビデオの購入を決意し
ました。2時間テープが1本5千円ですヨ。ちょうどナショナルが世界初の3倍速「マックロード2
号機」を発売したばかりで少し助かりました。3倍速はナショナルの発明なんですよ。
話がそれましたが、この映画はそんな思いを抱えながら新宿プラザ劇場で見ました。中はガラガラと
判ってましたが、ウェインに敬意を表して指定席でカセットラヂオを抱え最後の声を録音しながらお
別れを云いました。当時の入場券が今もスクラップブックの1頁を飾ってますが、「54.7.7」とあ
ります。亡くなってから1ヶ月もしないうちに遺作公開?、話が出来すぎてますよね。実は、この映
画は1976年、製作直後に輸入されながら折りからの西部劇衰退の煽りで公開されていなかったんで
す。3年もオクラ入りさせていた映画を、このときとばかりに引っ張り出してくる配給会社の商魂は
お見事と云う他はありませんが、そんな余計なことを忘れるくらい素晴らしい映画でした。シーゲル
の演出もいつになく格調高く、画面も上品だし、何よりもウェインの虚像と実像を交差させた構成は
それまでにない才気を感じさせるもので、特に、ウェインとブックスの半生をダブらせたオープニン
グには唸ってしまいました。ラストの、それこそ壮絶なガンファイトは、これが本当の遺作だけに涙
なしには見られませんでしたが、老ガンマンの死とオールドウエストの終焉が、新世代を代表する少
年の自立へと繋がって行くと云う、非常に高邁且つ感動的なものでした。こういうのを佳作って云う
んでしょうね。ウェインも、ループレバーのウインチェスターや窮屈そうなガンベルトにダンスン牧
場のブランドバックルと云ったお馴染みの小道具なしで臨んでおり、並々ならぬ取り組みと見えまし
たし、口髭に初めて見る二挺拳銃と云うガンマンスタイルも決まってました。抜こうとした瞬間に
「Try!」と声を掛けて相手を怯ませる、「リバティバランス」で使った手をこの映画でも使ってまし
たね。あれ、ウェインだけだと思いますがどうですかね。
タカ派と云われましたが、私は、そうではなく「少年のように無邪気な愛国心の持ち主」だったと思
っています。彼に批判的なハーバート大学の学園祭に招かれて戦車で乗り込んだウェインを、拍手喝
采で迎えるアメリカ人の懐の深さ、「貴方の髪はモヘアと聞いたが本当か」との学生の質問に「No
it's real,but not mine.」とやり返したウェインのユーモア、思い出せばキリがないのでもう止め
ますが、彼がマスコミのインタビューを受けた最後のTV番組で、B・ウォルタースと云う女性キャ
スターの「死ぬのは怖いか」と云う不躾な質問に、嫌な顔一つせず「怖くはないさ、上の人達とは毎
日話してるからね」と悠然として答えていたウェインの風格も忘れられません。デューク、まさに大
いなる西部劇。
生前、日本で云えば国民栄誉賞のようなものを贈られましたが、議会で推薦の証言に立ったM・オハ
ラが涙をいっぱい流しながら訴えた一言、「John wayne is America!」は今も私の耳に残っていま
す。
[2006年6月18日 8時36分46秒]
お名前: 44-40
時代に合わなくなった老人が、自分で自分らしく人生の幕を閉じようとする物語など、
別に新しくも珍しくもない。それだけならかなり陳腐な部類だ。ドン・シーゲルは
それをよくわかっていた。だから当初はジョージ・C・スコットに出演依頼をし、
よりリアルな演出を目指したという。
結局ジョン・ウェインになったが、それでもオールスターによるベタで盛大な葬式には
しなかった。シーゲルの醒めて乾いた演出は、一人の老ガンマンの人生の、半ば愚かな
終焉を、最後まで突き放して描き、ブルース・サーティーズの透明感のある映像の中で、
静謐な悲壮美を醸し出す。最後まで女も含めて誰も号泣しないのも印象深い。
ウェインとシーゲルは演出に関してかなり衝突したらしい。しかし完成した映画はぎり
ぎりのバランスを保ち、最終的にウェインが譲ったことを物語っている。
ジミー・スチュアートはすでに耳が遠くNGを連発したが、ウェインがわざと間違えた
りしてスチュアートをよくかばったという。またウェインはロニー・ハワードを高く
評価していたとも伝えられる。
ジョン・ウェインはこの映画を最後に、本当にガンで死んだが、それは神様が用意した
ちょっとしたオマケであろう。
[2004年2月29日 17時55分56秒]
お名前: 捨石喜市
黒澤映画のミフネのように、ジョン・ウェインはフォード作品以外では大根だと、なぜか思い込んで
おりました。でも、ウェイン旦那が亡くなったとき、40本近くみている彼の映画をふりかえってみた
ら、好きな作品の上位はほとんどがフォード作品ではなかったのです。「ルースター・コグバーン物」や
この「ラスト・シューティスト」ももちろんその数の中にはいっています。彼の映画がなかったなら、私
の人生観はもう少しちがったものになっていたのかも知れない、と思うことがあります。リアルタイムで
デユークの新作の何本かを見ることができたのは、幸福だったと、今、これを書きながら、しみじみそう
感じています。
[2003年7月17日 19時13分34秒]
お名前: 鳴海昌平
ジョン・ウエインの死の映画。思えば監督のドン・シーゲルも今はもういない。
この映画で思い知らされたのは西部劇の男は実はいつでも死と向かい合わせに生
きているということだった。病気で死にかかっている事やジョン・ウエインの
実際の死が、そのことを映画の内部でかえって際立たせている。
それまでは強烈な緊張感で自分を取り巻く死の匂いを弾き飛ばしていた男が
この映画では実はいつでも死の恐怖と匂いに充満した世界で戦ってきたことを
際立たせてしまう。その残酷な現実性の前では言葉を失ってしまう。
[2002年1月6日 16時55分22秒]
お名前: 鳴海昌平
ジョン・ウエインの死の映画。思えば監督のドン・シーゲルも今はもういない。
この映画で思い知らされたのは西部劇の男は実はいつでも死と向かい合わせに生
きているということだった。病気で死にかかっている事やジョン・ウエインの
実際の死が、そのことを映画の内部でかえって際立たせている。
それまでは強烈な緊張感で自分を取り巻く死の匂いを弾き飛ばしていた男が
この映画では実はいつでも死の恐怖と匂いに充満した世界で戦ってきたことを
際立たせてしまう。その残酷な現実性の前では言葉を失ってしまう。
[2002年1月6日 16時54分32秒]
お名前: はせべひろし
ジョン・ウェインの最後の作品だから、見たのはそんなに昔でないと思っていたのだが、もう一度調べて
みると、四半世紀も前。月日のたつのが早いこと。癌におかされたガンマンの、最後の一週間と、その最
後の日に酒場に呼び出した、宿敵三人との決闘を、淡々と描いた小品で、晩年は、大味な西部劇の主役を、
いい気で演じてきたジョン・ウェインが、珍しく渋い味を出して、心境西部劇の佳作といっていいものに
なっている。開巻、主人公の過去を紹介するのに、ジョン・ウェインの出演映画のシーンが、西部開拓史
の年代とともにでてくる。これだけで西部劇ファンは満足する。できれば、もっと西部劇に関係深いキャ
ストで固めれば、遺作にふさわしいものになったはずだと悔やまれる。
それにしても、バーのカウンターに立ったときの風格と重量感は、ジョン・ウェインならではで、ジョン・ウェインの死が、正統派西部劇の終焉であることが、よくわかるのである。
[2001年6月22日 17時30分1秒]
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