作品名: ワーロック -


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お名前: 44-40   
この映画はクインを射殺したフォンダが、周囲を「お前らも一緒に歌え!」と
怒鳴り散らしながら、ガナリ立てるように賛美歌を歌うシーンが印象に残る。
クインとフォンダの同性愛的関係は、(はせべひろし氏の言うメイクを含め)
当時の作品としても結構わかりやすく描かれているが、「どうせ死ぬなら愛
する人に殺されたい」というクインの心情もまたよく伝わる。賛美歌を歌う
フォンダの心に万感がつのり、臆面もなく涙を流すところなど、得てして
むらのあるドミトリクの演出も成功していると思う。

「かたわモノ」や「クズ」の力を借りておいて、用が済めばさっさと見捨てる
世間の偽善を描いたところが、赤狩りと結び付けられるのだろうが、今と
なってはドミトリクの真意はわからない。
いずれにしてもこの作品が、50年代末期を見事に飾る「50年代ウェスタン」で
あることに変わりはない。
[2007年4月22日 20時10分2秒]

お名前: 杉本   
ウェイン命さん、確かに撃鉄起きていませんし、おっしゃるとおりだと思いました。
細かいことをぬきに観ても感動するジョン・フォードの世界ではないですものね。
私は、後でギャノン(ウィドマーク)のみかたとなる悪党をはじめてみたとき・・
確かスター・トレックのDrマッコイ役かなんかの俳優・・・が、コルトを持っている
のが不自然で、不自然で、がまんならない気がしました。レーザーガンでも持ってろ!
と(冗談)。先にワーロックを鑑賞してれば何でもないことです(笑)。
[2006年8月22日 22時30分51秒]

お名前: ウエイン命   
決闘決闘また決闘、このくらい決闘シーンを堪能できる映画は他にありませんネ。特に、ウィドマー
クの弟達チンピラ3人との決闘は、後にフォンダ自身が「あのシーンの出来栄えは満足の行くものだ
った」と評論家深沢哲也さんのインタビューに答えて云ったそうですヨ。
遥か昔ガンマニアだった私は、ガン捌き就中早射ちには非常にウルサイ嫌われ者なんですが、実はフ
ォンダのガン捌きは技術的(?)には決してウマイ方ではありません。「何てことを」と叱られそう
ですが、致命的な欠陥は、殆どの場合抜いた銃の撃鉄が起きていないことにあります。
D・ケリーの挑発を受けるシーン、確かに早いんですけど残念ながら撃鉄が起きていない、親指の腹
で押してるだけです。当然あのままでは撃てません。ケリーも抜いてますから、逆転は無理としても
相討ちくらいにはなりますよ。ケリーさんちょっとアキラメがよすぎました。
次に、荒野での練習シーン、抜き射ちの練習なのに撃鉄を起こすどころか触れてもいません。何のた
めの練習かと云いたくなっちゃいますよ。余談ですが、ここへ偶然を装って現れるD・ハート、清楚
な美人でしたが、まるでこの映画の後日談のように本当に修道院に入っちゃいましたヨネ。
ラストのウィドマークとの決闘、右左と抜きますが、これまた撃鉄が起きていない。ウィドマークも
あんなにうろたえる必要ないんですよ。
では、フォンダはそれが出来ないのかと云うとそうでもないんです。例の3人との決闘ではワンカッ
トでやってます。ただ、クーパーやマクィーンのようにきれいに出来ない。にも拘らず、フォンダの
ガン捌きが鮮やかでないと云う人は私も含めて誰もいないでしょう。私も最初に「技術的には」と書
きました。例えば、A・クィンとの決闘、と云うか思わず射ち返してしまうシーン、ワンカットで撃
鉄を起こしながら抜いて撃っており、ビックリするほど早くはありませんが不思議な鮮やかさがあり
ます。スローで確認してみるとちょっと銃が遠回りをしているのが判ります。が、これを普通速で見
るとあのように鮮やかに見えるんですよ。意図した動作とは思えませんが、フォンダは技術的な欠陥
をカバーして、結果として鮮やかに「見せる」ことの出来る珍しい人だと思いますネ。ただ抜くだけ
ならクィンの方がウマイですヨ。昔、「A・クィンは早射ちだ」と云って友達に笑われたたことがあ
りますが、早いんですヨ、ホントに。
何でそんなにつまらないことにこだわるのかと思われる諸兄も多いでしょうね。そんなことどうでも
いいじゃないかと。私は黒澤の信奉者でもあるんですが、彼はこう云ったディティールを決して疎か
にしない監督なので、自然私もそうなってしまいます。それに何よりも、西部劇のガン裁きは時代劇
の殺陣と同じで演技の重要な一部分だと思っています。柳生十兵衛や荒木又右衛門がへっぴり腰でい
いはずがありません。ガン捌きなどB級の諸君に任せておけばいいとばかりに熱意を示さない(とし
か思えない)スターが結構多いですヨ。ジミー、ペックなどその代表でしょう。一方、クーパーやダ
グラス、ライフル専門ですがウェイン、最近ではコスナー等のような感心(?)な人達もいます。私
はこう云う人達が大好きなんです。
[2006年7月9日 16時6分56秒]

お名前: ヘンリー・フォンダ   
往年の西部劇名作のなかでも大好きな作品です、保安官役にフォンダのちにウィドマーク代わりますがとりわけフォンダの歩く姿がかっこよく決まってました、一匹狼の如く最後には孤独を背負って去ってゆくシーンはいつ見ても感動です。
[2005年6月26日 17時9分15秒]

お名前: はせべ ひろし   
ワイヤット・アープ役のヘンリー・フォンダの記憶を強烈に残して、この映画を見に行ったのですが、
なんと登場したのは、大時代にお化粧した、若づくりもいいとこ、気持ちの悪いフォンダ。そらなら
それで、全員が歌舞伎風にお化粧して演ずるなら分かるのですが、ウィドマークなどは、きわめて、
リアリスティックな演技。とくに最後のおおげさな決闘のシーンでは、歌舞伎と現代劇が同時に演じ
られているようでした。やっぱり、フォンダを名優列伝に入れるわけにはいかないですね。
[2003年8月30日 14時22分51秒]

お名前: 老レンジャー   
 ガンファイト西部劇全盛時の作品で、フォンダ、ウィドマーク、クィンの顔合わせが
凄いんで語られるべき西部劇の一つですが名作、傑作、快作には今一つと云う感じでした。
この頃のエドワード・ドミトリク監督は「嘆きの天使・1959」「ワーロック・1959」
「若き獅子たち・1958」「愛情の花咲く樹・1957」とスターの顔合わせやドラマ性から
話題作なのですが出来は今一つと云う作品ばかりです。
 1対1の決斗は元々単純なアクションの上に、その頃のアメリカではもうTVで毎週
何本も描かれていて至上のものの提供は難しい状況にあったと思われる。そこで決斗に
至るドラマですが、この作品は「法と正義と力」を「実行には力、やがて力は一人歩き、
その力を市民は疎む」と悩ましい取上げ方をして重い西部劇になってしまっていた。フォ
ンダは余りにも恰好よく立派なのにドラマ上は否定されるし、その哀感が主でもないから、
見ている者の肩入れは中途半端にされてしまいます。
 ガンファイトそのものもドラマに対応して変化球ばかりで、矢張りスカッとしません
でした。
 私の好きな西部劇傍役・デフォレスト・ケリーの最も目立った映画です。フォンダに
因縁をつけて挑み、銃を抜くまでにフォンダに銃を突き付けられ、撃つまでもなく負け
るという完敗ぶりでした。帰り際に捨てた銃を拾いながら2本指でフォンダに会釈する
と言う、無様なのに恰好つけるというワルの性を演じていました。私は手塚治虫の
ハム・エッグを見るとデフォレスト・ケリーを思い出します。
[2003年6月30日 22時0分28秒]

お名前: 鳴海昌平   
あの銃撃戦の切り替えしカットの呼吸が忘れがたい作品です。あそこだけついつい何回も見てしまう。
[2002年1月5日 16時56分0秒]

お名前: marineflat   
フォンダは数々の決闘を自分一人で生き抜いてきたのではないんですね。クィーンが後ろから撃ってくる卑怯者から守ってくれた。
クィーンは容貌、片足が悪いことからして自分はヒーローにはなれない。それでフォンダをヒーローにしておきたかった。
クィーンとフォンダの決闘は明らかにクィーンの勝ち。フォンダをヒーローにしておくため、ウィドマークと決闘させるための、クィーンの芝居だったように思えます。
最後のウィドマークとの決闘。フォンダが負ける筈がない。ウィドマークを殺してしまったのではこの映画が成り立たない。それであのような結末になったのだと思います。
フォンダがワーロックに来る前に町を牛耳っていた連中はマッカーシーとその仲間。保安官一人に任せ、何もしなかった町の連中は一般の映画人並びにアメリカ人。だとするとフォンダやウィドマークは何なのか。ちょっと無理があるかな。
[2001年4月3日 7時49分24秒]

お名前: ワード・ボンド   
終戦っ子さんが触れておられますが、監督のエドワード・ドミトリクは、ハリウッドにも
マッカーシズムが吹き荒れた40年代末から50年代中頃に、赤狩りに遭って投獄され、
共産党員であったことを告白した際に、仲間の名前をバラしたとして批判された経歴があ
ります。エリア・カザンと同じですね。立派な作品を数多く残していながら、それ程評価
されないのは、そんな過去が影響しているのでしょうか。
この映画が作られた頃は、既にマッカーシズムも終息していましたので、それ程メッセー
ジ性は感じられません。
むしろ、興味があるのはワイアット・アープとドク・ホリデイの関係を穿った見方で描い
た言われる点や、当初のキャスティングはヘンリー・フォンダとリチャード・ウィドマー
クの配役が逆だったと言われる点です。リチャード・ウィドマークは非情なギャング役で
世に出ましたが、いくつかのジョン・フォード映画でも見られるように、非常に誠実で
体型もきゃしゃな人だったそうです。
[2000年10月25日 21時12分0秒]

お名前: 終戦っ子   
リチャード・ウィドマークは『ワ−ロック』で見ると、あまり上背がないんですね。
容貌がかわっているので、ドライでニヒルな性格のように思っていましたが、
『ワ−ロック』の感じからすると割りと真面目な人なのかもしれません。
リチャード・ウィドマークはシャイアンにもでていたのでしょうか。
彼の持ち味をいかした代表作というとなんになるのでしょう。

『ワ−ロック』はハリウッドの赤狩りについてのメッセージがこめられているという
映画評論を読んだことがありますが、忘れてしまいました。実際の映画はそんな感じ
はしません。
[2000年10月12日 20時8分55秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 黒い服、黒いテンガロンハット、腰には幾人もの男をあの世に送りこんだ黄金の銃杷
の拳銃。『ワーロック』におけるヘンリー・フォンダのイデタチは、保安官のソレでなく
殺し屋といった感じでした。要するにこの黒ずくめは、相手を墓場に送るための喪服
ですね。フォンダが拳銃を抜いたら、必ず相手を仕留めずにはおかない、
 観る者の背筋をゾクっとさせる冷気を発散させていました。
 “ワーロック”の町を去り、“イタリア”へ行って、冷酷無比の無法者になったのが
『ウエスタン』のような気がします。セルジオ・レオーネは、『ワ−ロック』のフォンダ
をイメージしてたんじゃないかな。

 『ワーロック』には、印象に残る決闘シーンがいろいろありますが、私のお気に入りは、
フォンダ対アンソニー・クインの決闘。両者がいずれおとらぬ早射ちであることがミソ。
 深酒したクインがフォンダにからむが相手にされず、背を向けて歩き始めますが、
やがて振り返りフォンダと向かい合います。そして、早抜き一発、フォンダの帽子を
飛ばしますが、フォンダも抜き射ちで応射し、クインを倒します。
クインは、フォンダとよりを戻すための腕自慢のつもりだったのでしょうが、
フォンダはガンマンの条件反射として相手の心臓を射ち抜いたんですね。
 このシーンに比べると、ラストのウィドマークとの決闘は今イチでした。
[2000年6月28日 21時22分17秒]

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