作品名: リバティ・バランスを射った男 -


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お名前: ママデューク   
TVの影響を受けて、映画産業が衰退していくなかでジョン・フォードとて思うように
映画を撮れなくなっていく過程が、ダン・フォードの「パピー」にはつずられています。
世相も複雑になり、かってのオプティミストのアメリカではなくなってしまった。
かって、オーエン・サーズディを礼賛したフォードもトム・ド二ファンをオールド・ウエスト
の象徴としてタイトル・ロールに描くのだが、その結末は悲劇にほかならない。
「騎兵隊」以降、この種のほろ苦さがつねにつきまとうのはフォード自身が言う、
歳を取ったためだけではなさそうです。
[2008年2月19日 12時7分37秒]

お名前: ウエイン命   
「タイタニック」が似てると云うのは、両方ともお婆さんと昔の恋人のお話しが軸になっている点で
しょうか。
ところで今回見直して思ったんですが、凄みといい、憎々しさといい、マービンこれ最高じゃないで
すかね。年もちょうど良かったんでしょう。この映画は「コマンチェロ」の翌年に作られてるんです
よね。絶好調と云うところでしょうか。人生の転機に当たってたんでしょうね。先日「抜き射ち二挺
拳銃」を観ましたが、若い頃の彼は、のっぺりとした顔で馬面以外大した特徴もなく、後に大スター
になるような予感はまったくありませんね。彼がL・マービンの顔になったのは、J・パランスがメ
チャクチャ良かった戦争物、アルドリッチの「攻撃」くらいからではないでしょうか。まことに残念
ながら私は観ていないのですが、傑作の誉れ高い「七人の無頼漢」と同じ年に作られてますね。とは
云え、この「リバティ」も公開当時は「B級西部劇の悪役がフォード作品でウェインの相手とは随分
な抜擢だなー」としか思いませんでした。それが今、まったく先入観なしに観ると、オスカーウィナ
ーであり、「プロフェッショナル」「特攻大作戦」(少々旧いですが)の大スター、L・マービンが
悪役演ってると云うことになって、例のステーキハウスでの睨み合いも「ウェインに一歩も引けをと
ってない、流石の貫禄」と唸ってしまうのですから、妙なと云うか、勝手と云うか、なんとも調子の
いい自分に気がついてしまいました。
[2007年10月13日 20時55分27秒]

お名前: Masa   
大ヒットした“タイタニック”を観た時、“これってリバティ〜が下敷きになってるのかな”と
思ったのですが、飛躍が大き過ぎるでしょうかねぇ。
 リトル・ジョンさんの書き込みにあるように、私もこの作品は、実に渋い、男のみのラブ・スト
ーリィだと思っています。このJ・ウェインは、いいですよね。わたしも、あの二人で住むはずだっ
た建てかけの家に火を放つシーンは、何度観てもグッときます。
 小学生の時に初めて観たときは、つまらないと思いましたが、これは大人の男の映画だったので
すね。
 初めて輸入物のビデオを買った作品ですが、字幕が無く(あたりまえですが)西部劇なんて
観ていればわかるさと、高をくくっていたら異常にイライラし、英語力の無さを痛感させられた
映画でもありました。
[2006年5月21日 18時9分31秒]

お名前: ウエイン命   
1962年製作とありますからもう44年前ですか。ステーキ屋でのマービンとの睨み合い、カッコ良かっ
たですネ。マービンがウエインの食事を運ぶジミーの足を引っ掛ける、ウエインが悠然と立ち上がる
とマービンが銃を抜く用意をして立ち上がる、(な〜るほど、逆手抜きはああやって構えるのかと
納得)、ウエインが云います、「That's my Steak VALANCE,pick it up」マービンの手下が「俺が拾う」としゃしゃり出ようとするのをボカッと蹴り倒して、もう1度「YOU pick it up,LIBERTY」
もう最高でした。
ところで、ステーキ屋を出る時、抜こうとするマービンにウエインが「Try!」と云いますよネ。
同じシチュエーションが「ラストシューテスト」でもありましたが、ウエインが好きなんでしょう
か、あまり他の西部劇で見たことないような気がします。ちょっと寂しかったのは、冒頭ジミーの
乗った駅馬車がマービン一味に襲われるシーン、最初から全てセットですよネ。「それはないでし
ょ」と思いました。それまでのフォードなら、モニュメントバレーでしばらく例の20コマの猛スピー
ドでの追跡があってからあの場面になるところではと思いました。
それから、当時評論家の100人が100人、口を揃えて「敢えて西部劇でなくてもイイ話」と云ってまし
たが「じゃーどんな分野ならいいと云うのかと」と、今でもイメージ出来ないでいます。
皆さんどう思われますか。
[2006年4月10日 0時19分59秒]

お名前: 44-40 お詫び   
管理人さま、みなさま、44-40と申します。初めて書き込んだのですが
要領がわからず、下のように4つも重複して投稿してしまいました。
大変申し訳ありません。どれか一つを残して他は削除していただけると
幸いです。
今後はこのようなことがない様に注意いたしますので、今回はどうぞ
お許しください。
[2004年2月25日 23時32分37秒]

お名前: 44-40   
ジョン・ウェインをアメリカ社会の敗残者として描くことができるのは、おそらく
ジョン・フォードだけだろう。
「捜索者」では、ウェインだけが荒野に残され、家に入らない。この作品では自分で自分の
家を焼く。話の最初から死んでいるし、伝説にも書かれない。彼の真意を知る唯一の人物
ベラ・マイルズは文盲の役だ。彼は社会から抹殺されていく。彼こそ「許されざる者」なのか。
フォードはこれ以降、西部劇でウェインを使っていない。もううまく使えなかったのだろう。

西部劇ひとつに四の五の考え込みたくはない、という方は、「コマンチェロ」をご覧ください。
[2004年2月25日 23時17分53秒]

お名前: 44-40   
ジョン・ウェインをアメリカ社会の敗残者として描けるのは、ジョン・フォードだけだろう。
「捜索者」では、ウェインだけが荒野に残され、家に入らない。この作品では自分で自分の
家を焼く。話の最初から死んでいるし、伝説にも書かれない。彼の真意を知る唯一の人物
ベラ・マイルズは文盲の役だ。彼は社会から抹殺されていく。彼こそ「許されざる者」なのか。
フォードはこれ以降、西部劇でウェインを使っていない。もううまく使えなかったのだろう。

西部劇ひとつに四の五の考え込みたくはない、という方は、「コマンチェロ」をご覧ください。
[2004年2月25日 23時15分19秒]

お名前: 44-40   
ジョン・ウェインをアメリカ社会の敗残者として描けるのは、ジョン・フォードだけだろう。
「捜索者」では、ウェインだけが荒野に残され、家に入らない。この作品では自分で自分の
家を焼く。話の最初から死んでいるし、伝説にも書かれない。彼の真意を知る唯一の人物
ベラ・マイルズは文盲の役だ。彼は社会から抹殺されていく。彼こそ「許されざる者」なのか。
フォードはこれ以降、西部劇でウェインを使っていない。もううまく使えなかったのだろう。

西部劇ひとつに四の五の考え込みたくはない、という方は、「コマンチェロ」をご覧ください。
[2004年2月25日 23時14分17秒]

お名前: 44-40   
ジョン・ウェインをアメリカ社会の敗残者として描けるのは、ジョン・フォードだけだろう。
「捜索者」のラストで、ウェインは一人だけ荒野に捨てられ、家に入れない。この映画では
自分で自分の家を焼く。話の中では最初から死んでいるし、伝説にも書かれない。
彼の真意を知る唯一の人物ベラ・マイルズは文盲の役だ。彼こそ「許されざる者」なのか?
これ以後フォードはウェインを西部劇で使っていない。もううまく使えなかったのだろう。

西部劇ひとつにウダウダ考え込みたくねえな、とお考えの方は、「コマンチェロ」をご覧
ください。
[2004年2月25日 22時21分4秒]

お名前: 結城 優   
ノスタル爺さん、有り難う御座いました。彼は若い時からハゲタカのような
顔をしていたのですね。
[2004年2月10日 0時52分36秒]

お名前: ノスタル爺   
>結城優さん
 リー・ヴァン・クリーフのような人でなく、クリーフその人で〜す。
[2004年1月31日 10時49分32秒]

お名前: 結城 優   
先日、BSでやっとこの作品を拝見しました。
全体にあまり派手さはなく、誰も多くを語らず、熱い決闘シーンでさえ比較的淡々と語られ、
西部劇の史情といったものへの思い入れがないとあまり面白くもない作品と言えましょうか?
私は大好きです。回想から物語に入っていく手法のためか、まるで自分がその時代へ
タイムスリップして一部始終を見てきたかのような錯覚に陥ってしまいました。
自分がなぜ西部劇が好きなのか、思い起こさせてくれる映画でした。
ところでバランスの手下に若き日のリー・ヴァン・クリーフのような人がいましたが、
誰なのか知っている人はいませんか?
[2004年1月30日 0時19分59秒]

お名前: 捨石喜市   
 ヒーショットさんへ。(読んでいて下さい!)
 歌は映画とは関係なく作られました。「片目のジャック」をジョニー・バーネットが歌ってヒット
したのと、同じようなものです。
[2003年8月18日 8時41分15秒]

お名前: ヒーショット   
ジーンピットニ―の歌う「リバティバランスを射った男」とジョンウエィンの「リバティバランスを射った男」って何か関係あるんでしょうか。ジョンウエィンの映画の中にはジーンピットニ―の歌が流れてなかったみたいですが。
[2002年11月4日 21時46分17秒]

お名前: marineflat   
テレビで一度観ました。
スチュアートは悪者リバティー・バランスを射った男として今でも英雄視されていますが、実際に
射ったのは誰なのか。西部の英雄とはこんなもんなんだろうな。とやけに納得した記憶があります。
バカラックがこの音楽を作っていたとは全く知りませんでした。映画に使われた曲ではないですよね。
リー・マービンは、「いい人」と「悪い人」と役柄は半々くらいですかね。器用な役者です。
[2001年5月31日 15時38分46秒]

お名前: リトルジョン   
中学1年の時ゴールデン用が劇場で観ました。丁度、英語の授業で関係代名詞を習っている時
で「THE MAN WHO SHOT LIBERTY BALANCE」というタイトルをみて
「あっ関係代名詞だ」と思ったことを覚えています。
その後数回観ましたが大好きな作品のひとつです。
ジョン・ウェインが恋に敗れたことを悟り、好きな女性と一緒に暮らす為に作っていた家に火
を放つ場面は観る度に涙が出る名場面です。
私が生まれて初めて買ったレコードは「西部劇全集2枚組」でしたが、その中にこの映画を観
て感動したバート・バカラックが即興で作ったこの映画のための曲が収められていました。も
う30年聴いていませんが優しいメロディの曲です。
[2001年3月31日 18時24分4秒]

お名前: グリーンベイ   
 「馬上の二人」「シャイアン」と話題に上れば、この「リバテイ・バランスを射った男」について私見を
 載せないわけにはいられない。60年代に入って、フオード作品に、大きな変化を感じます。再見後すぐ
 書き込みしていますが、今まで、この作品は、フオード西部劇の中で一般的には、魅力的でないと評論家 たちも凡作とした者もいたわけです。・・私も含めて・・・。しかしながら見終わって感じるには、目か
  ら鱗でした・・・。以前に「ジョン・フオードの世界」と題して衛星放送で放映されたことがありまし
 た。彼は大のインタビュー嫌いで通っていること。その代わり駄洒落が、ポンポン飛び出るのでした。  想像するにフオードは、「どうだ、この映画の心と云うべきところが分かるかな」・・・・。とニンマリ しているようにもとれたわけです。私なりに、興味を持った幾つか羅列すれば、敢えてモノクロで撮った とこ。40年代後半への回帰(全編当時の西部劇を思い出す)。ジョン・ウエインの顔がいつも西部の王 者として映る。政治家をだらしなく捉えている。選挙演説中、スチュアートが後込みするが、ウエインが
 「彼女を幸せにするためにも出ろ」と後押しをする。最後に、上院議員夫妻が、ワシントンに向かう汽車
 の中での会話・・・「粗末なお棺の上の花束は誰が・・」「私です」「これからワシントンから戻って
 ここで暮らそう・・・」「ええあなた・・」これらのセリフに、ジョン・フオード監督のこの作品に対す る心の奥底を感じた次第です・・・。
 戦後っ子さんの、阪妻の「無法松の一生」との比較ですが、大変興味深いご意見と存じました。 
[2001年1月23日 23時10分29秒]

お名前: J.W.   
「馬上の二人」を書いたならば,次は「リバティ・バランスを射った男」について触れねば
ならないだろう。この映画の公開は,1962年8月,さすがの西部劇ブームも沈静化し始めた
頃で,西部劇少年であった自分も、大方の作品は見尽くした感を抱いていた。

 ただし、久しぶりのフォード・ウェインコンビに加え,ジェームス・スチュアートも出演
する西部劇と言うので公開前の期待はすごく大きかった。また、ジーン・ピットニーの主題
歌も公開前にヒットしていたと思う。(もっとも、この歌は映画では全く出てこないので不
思議に思ったものです。)

 物語は,西部の小さな町の駅に,年取った上院議員夫妻が降り立ったところから始まる。
孤独のうちにさびしく死んでいった無名の西部男の葬式に出るためだった。

その理由を記者に問われて,議員は回想する・・・・・・・・。
 彼が話し終えたとき,記者は「ここは西部だ。伝説が真実となったら、伝説を記事にしま
す.」と取材メモを破り捨てる。そしてワシントンへ帰る夫妻の乗った汽車が、画面の外へ
消えてジ・エンドとなる。静かな悲しい物語であった。
 
 画面は白黒で,しかも野外シーンはほとんど無くて,暗い夜ばかり。観終って直後は、
「馬上の二人」以上に失望感があった。これは西部劇ではないと、当時10代の少年であった
私は、思った。ウェインは,配役順位は2番目であり,しかも最初から死んでいる役なんてと
嘆いたものである。今,考え直すとウェインが、恋する(できる)カウボーイ,ウェスタン・
ヒーローの役から外れたのは、この頃からではないだろうか?

(もちろん,その後の太っ腹で豪快なスタイルも嫌いではないが,)そして、少年の憧れとし
ての西部劇はこの作品により終止符をうたれた。

 個人的な思い出ばかりですみません、ただ、大方の観客や批評家の間でまで,公開当初は
不評であった事は事実です。従来のフォードタッチが、見られないことに戸惑うのです。
一方で,年月が経つにつれ、この作品の評価も高まっている。私も、その後LDを何度も見直しし、
「バファロー大隊」「馬上の二人」に続くこれら3部作は、当時の時代の流れとそれに対する
フォードの回答として,つまり西部の神話の終わりを告げるものとして、実は優れた作品なのだ
と思い直している。「捜索者」のイーサンの末期がこの作品でのトムではないかなんてね。

 観た当初は,実は,あの馬鹿でかいステーキと,リー・マービンの演じたリバティ・バランス
が一番印象的でしたが、今はフォード・ウェインコンビの最後の西部劇としてまことに感慨深い
ものがあります。

[2001年1月21日 0時37分56秒]

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作品重複につき、2001年1月22日転載させていただきました。GOGH(管理人)
[2001年1月22日 23時56分23秒]

お名前: john   
西部劇ファンが、結構いるのでうれしくなります。
たしか、中学一年のとき見ました。本当に、詩情がありましたね。
[2000年11月19日 15時41分54秒]

お名前: ワード・ボンド   
ジョン・フォード作品の中では、大スターが揃った割には小品の方でしょうが、
大好きな作品のひとつです。西部史の中でも、ジョン・ウェインが演じたような
影のヒーローが数多く存在したのかもしれません。この作品で最も印象に残って
いるのは、ちょうど旬の時期にあった、リバティ・バランス役のリー・マービンで
す。ジョン・ウェインに気に入られて、この作品のほか、「コマンチェロ」や
「ドノバンの珊瑚礁」に立て続けに共演していますが、ホントに渋いいい役者で
した。それから、この映画のジミー・スチュワートとリー・マービンの決闘(物
陰からウェインが撃つ)シーンは、なぜか「駅馬車」の最後の決闘シーンを思い
出し、リンゴー・キッドがダイビングした後、何が起こったんだろうと考えてし
まったことを憶えています。
[2000年10月24日 16時18分18秒]

お名前: 終戦っ子   
ジョン・フォード監督。ジョン・ウェインとジェームス・スチュアートの両方がでています。
わたしがこの作品が好きなのは、西部劇のヒーローになるような人物についての穿った見方
が示されていると感じるからです。
物語はジェームス・スチュアートとベラ・マイルズの夫婦が、都会から、ジョン・ウェイン
の葬式のために生まれ故郷の田舎の町にかえってくるところから始まります。映画の始まり
には、主人公のジョン・ウェインは死んでいるのです。
ジョン・ウェインの役はまことに男の中の男なのですが、家庭的には不幸なのです。ジョン
・ウェインはベラ・マイルズが好きだったのですが、彼女は知的なジェームス・スチュアー
トと結婚してしまいます。ジョン・ウェインが絶望して、やけっぱちに何か無茶をする場面
が出てきます。彼はそのまま独身を通します。西部劇のヒーローとはそういうものではない
かと思わせるところがあります。
阪妻の<無法松の一生>の中に同じような感慨を抱かせる場面があります。年老いた松五郎
が酒場で以前自分が世話をしてやった男と話をする、その受け答えの様子をみると、この愛
すべき男が身寄りのない独り者であることがわかります。そのことは台詞の中にでてくるこ
とはないが、かれが吉岡未亡人とその子のことばかり心配しているうちに年をとってしまっ
たことを、観客は気付かされて愕然とするのです。
好漢ジョン・ウェインも阪妻/松五郎もたったひとりで死んでしまいます。そのことによって
この二人がまことに純情にその思いを貫いたことがわかるのです。

[2000年10月10日 0時56分51秒]
[2000年10月16日 22時7分0秒]

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