作品名: アイアン・ホース -


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お名前: ママデューク   
現代のSFXに慣れきった目からみると、サイレント映画など、
とても見られたものではないかもしれませんね。
でも、これが1924年当時、時代のエピックで、
フォードを一流に押し上げた作品であるのは、間違いありません。
フォードはこの10年後「男の敵」を撮ります。
そして、この10年でフォード・タッチがどの様に培われたかを検証するには是非
、見る必要はあります。たとえ、
退屈であっても。それよりも
、若き日のジョージ・オブライエンやJ・ファーレル・マクドナルドの活躍を
楽しもうではありませんか。
[2008年2月18日 8時24分25秒]

お名前: はせべ ひろし   
10年前、「アイアンホース」のビデオは、ほかの見たくもない映画とセットで、
きわめて高額だったので、安くなる時を待つことにした。少年のころ、小遣いが
ないので、一次公開をあきらめ、場末の映画館で公開されるまで、じっと辛抱し
ていたのと同じ心境であった。やっと単独のDVDが発売されて、わくわくしな
がら、鑑賞した。しかし、結果は失望。エピソードにメリハリがなく、肝心の戦
闘場面も、機関車の車輪のところに隠れたのでは迫力がない。映画評論家は、ジ
ョン・フォードといえば、ありがたがったようだが、これは、フォード映画の大
部分を占める、駄作のひとつに分類すべきではないか。フォードのものは、傑作
で、デミルのものは、駄作なんて、今冷静に見れば許されない。わたしの父も、
生前、「幌馬車」の話はよくしたが、「アイアンホース」のことは、ジョージ・
オブライエンに限ってであった。
[2005年10月11日 21時53分31秒]

お名前: KOJI   
アイアン・ホース、やっと観ることができました。
DVDといい、通販といい、幸福な時代になったとつくづく思います。
執念かけて捜索する必要なくこういった作品が手に入るんですから。

ジョン・フォードはやはり人間好きな人なのだと改めて思いました。
共に共通の目標に向かっていくときの苦楽を共にする「仲間意識的な喜び」が
湧き出るように描かれます。

逆説的にいうと「それ」は、孤高で支配的でサディスティックといわれるほど自負心が高く、
酒に浸り、不用意に自分の写真を撮らせず、気心の知れた仲間を尊重し「一家」といわれるほど
同じ人間と仕事をし続け、いったん事がおこるとハリー・ケリーやヘンリー・フォンダなど
長年の相棒とも修復不能な決別を引き起こす、
頑固で人付き合いが下手な社会的な地位を切り開くのを「作品をもってする」ことを選んだ、
「孤独な天才」にとって、心底から貴重で渇望するものであったのではないか、・・・と。

この正月に「幌馬車(23)」とあわせて観ることができたわけですが、
同じく集団による一大事業が描かれているにもかかわらず。
集団内の人間の描き方が全く違います。
「幌馬車」における仲間は、事情によって変化する流動的なものが根底にあり、
今、この共通の目的において利害的に行動を共にしている個人というような感じが
見受けられます。その中で近しい者がいたり不仲なものがいたり・・・。ある意味リアルです。
一方アイアン・ホースにおける仲間は、不動の強靭な相互理解によって結ばれた絆があります。
自然や先住民やそういった「戦うべきべき相手」は「外にある」感じです。
よって「対立」が起こるとき、その「緊迫感」が、在り得べからざる事態として強調されます。

この「外」と「内」という概念は、ジョン・フォード映画には目立たない潜在意識として
常に根底に流れているような気がします。

荒野の決闘では、
「外」からきて「外」の集団であったダッジ・シティを仲間意識を持つ共同体として再生した
「内」の人アープと、他の共同体から離脱することを選び常に「外」であろうとするドク。
以前の共同体でも、おそらく今後のダッジシティでも自然に「内」の人でありつづけるであろう
クレメンタイン。

捜索者では、
自ら選んで「外」にあり「内」に入るのを拒否するイーサンと、
運命によって自分の意思ではなく「内」から「外」へ身をおくことになったデヴィーと
かって「外」から「内」へと受け入れられ、今イーサンとデヴィーを「内」へと願うマーティン。
しかし、イーサンは「内」の安定とその心を受け入れデヴィーを「内」へと送り込みながら、
自らはその扉をくぐらずに静かに背を向けて「外」へと歩み去るラスト。

おそらくジョン・フォードの胸底には「あの扉」が高い高いハードルであり、
また、自らの存在基盤を賭けた「一線」として頑として存在するのでしょう。
[2005年1月4日 11時33分17秒]

お名前: リンゴキッド   
 九州のある村出身の私の友人から聞いた話によると、その村にはアメリカ大陸横断鉄道の仕事の出稼ぎに何代か前のじいさんが行ったという家族がいたそうです。そんなこともあったのかと思っていたところ、この映画に出稼ぎ日本人が出てきました。納得しました。
[2002年11月11日 23時33分26秒]

お名前: グリーンベイ   
 この作品について、このBBSでは紹介されることはないだろうと、密かに思っていました。ところが
 驚きです。大変嬉しい限りです。(この作品で意見交換出来るなんて)・・・
 「アイアン・ホース」は、西部劇映画史上、際だったイベントとして高く評価されたこと、そしてアメ
 リカの、まれもない叙事詩であること。その後のフオード作品のバックボーンとなっているとした、  
 ワードボンドさんのご意見に全く異存有りません。
 1923年に製作されたパラマウント社の「幌馬車」が、当時衰退の一途をたどっていたこのジャンル
 の景気ずけとなる、成功を収めたのに刺激されフオックス社が、強い対抗意識を持ってフオード監督に、
 この作品を撮らせるわけですが、時間と制作費をたっぷり余裕を与え社をあげての支援だったと記して
 ある。それについてのエピソードを挙げてみると、まずロケ隊ですが、俳優の数、騎兵隊一個連帯に
 相当する数、鉄道工夫として3000人、中国人労働者1000人、インデアン8000人、それに馬
 2000頭、1300頭の野牛、一万等頭の牛が、監督が意図する本当の西部の一部として描くために
 準備されたとのこと・・・。これらから推しても、当時として無声映画ながら、画期的な大作として、
 壮大な見せ場を至る所に創り、アクションシーンも次々と押しまくった作品に仕上げ、一般公開では
 大喝采を浴びたとある・・・。
 1953年、あるインタビューでフオード監督は、「最も好きなご自分の作品は・・・」と云う質問に
 彼は「アイアン・ホース」と答えている。後の作品で世間で高く評価されている「駅馬車」よりも、
 この作品が好きだということから考えれば、監督自身にとっても最も愛着のある作品なのでしょう。
 29歳という若さ、最初に手がけた大作からしても理解できますネ・・・。
 淀川長治氏の西部劇10撰に入れている。双葉十三郎氏は「中学生のぼくは大興奮、大感激」と四星半
 の大評価である。また、野口久光氏は芸術祭の特別公開で再見した時の感想として、今日観ると、まだ
  作風が生硬で、後年の「駅馬車」のようなシネマの快感が伝わってこなかった。とあります。
 いずれにしてもワードボンドさんのお話にもある通り、西部劇映画鑑賞の原点ともなる作品であるに
 違いない・・・。、
 
[2001年4月17日 11時36分6秒]

お名前: ワード・ボンド   
西部劇否、映画史に残る伝説的名画として、このBBSで取り上げないわけには
いかないと思い、諸先輩方を差し置いて紹介させていただきます。
今さら申すまでもなく、1924年、ジョン・フォード29歳のメジャーデビュ
ー作品です。私自身、西部劇鑑賞の基本に戻る意味で、折にふれてDVDで観る
ことにしています。サイレント時代末期の作品ですが、当時の映画作りのテクノ
ロジーは、機械系の技術が未発達なのに比べ、人間系の技術(脚本や演出や撮影
あるいはスタントなど)の方は、既にかなり高度化していたことが分かります。
また、フォードはその後、数々の名作西部劇を作りつづけていくわけですが、荒
削りながらも、この作品にそのバックボーンのようなものが見てとれますし、そ
れは最後の「シャイアン」まで終始一貫変わらなかったことも分かります。
この映画は、苦難に満ちた大陸横断鉄道の敷設工事の物語ですが、フォードは間
違いなく、この映画で「西部劇」の進むべきレールを敷いたと思います。
それにしても、この映画の10数年後には「風と共に去りぬ」や「駅馬車」が生
まれるわけですから、その後の映画の進化の早さは驚くばかりです。
[2001年4月15日 14時7分21秒]

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