作品名: 革命児サパタ - |
メキシコ革命の立役者、農民のために戦い悲惨な最後を遂げたエミリアーノ・サパタの 半生を描いているが、数十年ぶりで再見した感想は・・・。開巻のデイアス大統領の 部屋で農民陳情のシーンで、農民代表として、いかにも際立った人間として浮き出させ ていく演出のうまさ・・・。将来、大物となるを予感させる人間像の扱い方が良い。 サパタの首筋に漂う屈強な男らしさ・・・は、「昭和残侠伝」シリーズの池部良のあの 彼の首筋に見る男の中の男の魅力に合い通じるもの見たのである。又、特筆すべきは アルフレッド・ニューマンの音楽である。全編に流れる哀愁引きずるメキシカンメロデイ が、この作品を上質のものとしていた・・・。[2003年11月5日 19時58分45秒]
ノスタル爺さん・・・今晩は。時代劇フアンとして、バンツマの5本立てを楽しく読ませて 貰いました。 エリア・カザンが亡くなりましたね。(合掌) 「欲望ちう名の電車」(51)では、異常な人間の体臭を、様々と感じさせたカザン監督は 翌年、同じマーロン・ブランドで、今度は血生くさい乾いた埃っぽい作品に取り組みました。 当地では、「花咲ける騎士道」(52)と二本立て上映された。映画少年の場合、メキシコ革命 等には興味もなく、ただ強烈なアクションとブランドの格好の良いヒゲ、そしてジーン・ピータ ースの野性的な魅力に大満足でした。 後年になって、脚本が「怒りの葡萄」(40)、「革命児サパタ」(52)や「エデンの東」 (55)のジョン・スタインベックと知りました。又、スタインベックの創作であるにせよ 実伝にこだわらいメキシコ革命の背景と農民のサパタがいかにして革命の英雄になっていくか そしていかにして運命のまま殺されていくか・・・。エミリアノ・サパタの運命的悲劇を知った 次第です。当時、年賀状に、騎乗のサパタを描いてやり、映画フアンの友達に喜ばれたことを つい昨日の様に思い出されます。[2003年10月6日 20時39分37秒]
この作品は、ジョン・スタインベックのオリジナル脚本をエリア・カザンが監督したことで注目 されます。 カザンは病的とも思える悩める人間を描くのが好きな監督だと、私は思っているのですが、 この作品でもサパタを悩める農民として描いています。 革命家としての理想を持っているわけでなく、ただ病的と思えるほど正義感が強いだけの男。 そこからくるサパタの悲劇を描くことに集中していますね。 サパタ率いる革命軍と政府軍の戦闘シーンは迫力がなく、不満なのですが、アクション映画の 演出をしたことがないカザンなので仕方ないでしょう。 主演のマーロン・ブランドはメーキャップを凝らし、メキシコ人を演じています。後年のブランドの 演劇スタイル(『八月十五夜の茶屋』の日本人、『ゴッド・ファーザー』のイタリア人など)の原点に なっていますね。 ついでに、メキシコ革命について少しふれますと、 1876年、ポルフォリオ・ディアスが、欧米植民地主義者と大農園主の支持を取りつけ、 みずから共和国の憲法にのっとった大統領であることを宣言し、軍事力を背景に1911年までの 長期に渡り独裁政治を行ないます。 大農園主のために、農民から土地を取り上げたり、アメリカの資本家のために、税金の払えない 都市労働者を強制的に鉱山に送りこむなどの暴政をしいていました。 そのため、メキシコ全体に反政府行動が起きてきます。 東部ではベヌスティアーノ・カランサが、西部ではアルバロ・オブレゴンが、南部ではエミリアーノ・ サパタが、北部ではパンチョ・ビラが徒党を組んで暴れ始めます。 このような状況下の中、ユダヤ人の大農園主フランシスコ・マデーロがディアス打倒のために 立ちあがります。 彼はスペイン系農園主と異なりメスティーソにも理解をしめしたので、土地を追われた農奴たちや、 都市労働者たちを初めとする反ディアス派の民衆が彼のもとに参集します。 それまでの反政府行動が、軍閥や山賊は金のため、民衆の反抗は百姓一揆みたいなもので 政治思想もなく苦しまぎれの結果に過ぎなかったものが、農地解放を旗印に掲げて民族の結集を うながしたわけです。 革命軍は各地で政府軍を破り、危険を察知したディアスはさっさとフランスへ亡命しました。 1911年3月、マデーロはメキシコシティに入城し、選挙の結果、圧倒的多数で大統領に選ばれます。 しかし、マデーロは改革に着手せず、政権の安泰を図りはじめます。 欧米植民地主義者と手を握り、新興大地主の権益を守る政策をとります。懐柔できないサパタや パンチョ・ビラを“掠奪・強奪・放火・殺戮者”として、追放するんですよ。 大統領といっても、マデーロは軍事力を持っていません。大統領になった時点で、革命軍は 解散したからね。政府軍は、旧政府軍を引継いだヴィクトリア・ウェルタという軍閥が握っていました。 ウェルタの夢は、第二のディアスになることで、マデーロを暗殺し、1913年2月に大統領に 就任するや、またしてもメキシコ全体に不気味な風が吹き始めます。 ウェルタは、残存している革命軍を過小評価していました。 民衆がサパタとパンチョ・ビラのもとに結集するや 南からサパタが、北からパンチョ・ビラが ものすごい勢いでメキシコシティに進撃します。 政府軍は破れ、ウエルタはディアスと同様にフランスに亡命します。 1914年6月にサパタとパンチョ・ビラはメキシコシティに入城しますが、彼らには政治ブレーンが ついておらず、国家運営なんかできっこありません。 彼ら自身にも国家運営のビジョンはありませんでした。彼らにあったのは、天才的な戦闘能力による カリスマ性だけです。彼らは革命家でなく、テロリストに近い存在ですね。 革命家には理想とする国家体形があり、その夢を語って民衆を惹きつけ、民衆とともに戦い、 新国家を築くものがなければなりません。 二人は、破壊はしたが、建設のプランはもっていません。だから、ともに大統領位を拒絶して、 しかるべき人物が登場するのを待つというかたちで、それぞれの州に引き上げてしまいます。 それでどうなったかといいますと、政治的野心のあった、カランサが“革命の第1統領”を自称して、 ヴェラクルスに革命政府を樹立します。 1915年10月にアメリカは、カランサを傀儡政権にすべく、正当な大統領として承認します。 またしてもメキシコに内乱の嵐が吹くことになります。カランサは、オブレゴンと手を組み、 パンチョ・ビラとサパタを分断することに成功します。 1917年、セラヤの戦いで政府軍はパンチョ・ビラを破り、さらに刺客を送りこんでパンチョ・ビラを 暗殺します。 サパタも追いつめられていき、ゲレロ州の山中にたてこもって抵抗しますが、サパタもカランサの 刺客によって暗殺されます。 1919年4月のサパタの死で、メキシコ革命の歴史は幕を閉じます。[2003年10月3日 17時53分42秒]