作品名: アラモ -


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お名前: 放浪者   
 1年ほどほったらかしておいた「ウェイン版アラモ」サイトを見てみたら、結構新たな書き
込みがあり、時間を見ながら興味のありそうなものをいくつか拾い出して見ます。


 カットされたシーンのひとつに、ボウイィーの奴隷だったジェズロー・スチワートが「解放
されたあと、志願兵として」砦に残ります。メキシコ軍の総攻撃を翌朝に控えて、守備隊員た
ちが迫り来る死を感じつつ、「生と死」について様々なことを語ります。この中でジェズロー
がギターを爪弾きながら「夏の緑の葉(グリーン・リーブス・オブ・サマー)」を歌うシーン
がありました。

 すでに3時間を越える映画を引き伸ばす訳にいかず、このシーンは残念ながらカットされました。
このほか、最後の戦闘シーンで砦内部に侵入したメキシコ騎兵をクロケットが落馬させると
ころがあります。その前の部分もカットされたということです。
[2006年9月24日 19時8分13秒]

お名前: 放浪者   
「スミティ」の実像

「ウエィナモ」でアラモ守備隊員で唯一の生存者となった「スミティ」という若者が
登場しています。ヒューストンへの連絡係として、陥落寸前の砦から派遣された
ために命拾いをします。非戦闘員であったため生き延びたディキンソン夫人とそ
の娘リサの供をして戦場跡を去るところで映画が終わります。

 この役柄のモデルとなったのが、実在した「アラモからの最後の使者」となった
ジョン・ウィリアム・スミスです。クロケットらテネシーからの一員でった映画とは
異なり、現地の人間でした。地理に詳しいことから偵察や伝令の任務についた
わけです。

 1836年2月23日、守備隊の予想を裏切ってサンタ・アナの先発隊がサン・
アントニオの郊外に接近したとき、それを発見したのもこのスミスでした。医者
ジョン・サザーランドと偵察にでて、モラ将軍指揮のドロレス騎兵連隊と遭遇
して、それを砦に報じました。

 トラビスから援軍を求める伝令として、ゴンザレスに派遣されたスミスとサザー
ランドでしたが、サザーランドは途中で受けて負傷のため同地に残り、ひとり
スミスは砦に引き返し、3月2日未明に砦に途中で志願してきた数人の男た
ちと共に砦に入りました。

 よく3日にボナムが「援軍」の知らせをゴリアドからもたらした(結局、この
軍は来なかった)ことを受けて、その日の夕方、スミスは再度、伝令として
ゴンザレスに向かいました。

 彼がアラモに戻る支度をしているとき、「アラモ陥落」の報が入り、彼は
ヒューストン付のスカウトとしてテキサス共和国軍に従軍します。4月21日
サン・ジャシントでサン・アナ軍を破ったのち、彼はサン・アントニオに戻り、
その市長となり、さらには共和国の議員となり、1845年に亡くなるまで、
その任にありました。

 ところで、「スミティ」を演じたフランキー・アヴァロンはどうなったので
しょうかね?
[2006年9月24日 1時19分38秒]

お名前: 放浪者   
 カットされた「幻のシーン」

 ごたぶんに洩れず「アラモ」でも撮影されたものの、作品には残されなかった
シーンがいくつもあります。この映画が製作された当時は、今日のような「メイ
キングもの」などというものは皆無でした。さらにこの映画はウェインが莫大な
負債を抱えたこともあり、債権者にネガ・フィルムが押収された時期もあり、ま
だ「くずもの」と看做されていたカットシーンのフィルムは保存もされることな
く、十羽一絡げで好事家たちに売却されたり、あっさり処分されてしまいました。

 フィルムのクオリティは劣るものの、こうした「未公開シーン」のフィルムが
コレクター市場にいくつか登場しています。そんなひとつにリンダ・クリスタル
が扮するフラカが、なぜか池に放り込まれてしまい、ずぶ濡れになって着替えて
くるものがあるそうです。残されている台本にもそんな設定はなく、どうしてこ
のようなシーンが撮影されたのか不明です。(シーンの流れからすると、デービー
との別れのシーンに関連するらしいとのこと。)

 そのほか、トラビスの指揮所のバルコニーの下に集まった男たちとその妻や
ガールフレンドたちが「最後のダンス」を楽しむシーンなどもあるそうです。

 いずれ「アラモ:50周年記念盤」に収録されるかも知れません。息子の
マイケル・ウェインが「45周年用」に準備していて間に合わなかった素材を
「50周年」に含めると語っているそうです。また、前回は時間と予算の関係
で間に合わなかった「オリジナル全長版」の完全修復がなっていそうです。
[2006年9月18日 18時17分9秒]

お名前: 放浪者   
 だいぶ、間が空いてしまったが、40年以上も前の映画についての「新ネタ」など、そうは
見つからないので、仕方がないと言えそうだ。それでも探していると見つからないでもない。

 この映画(ウェイナモ)の中で登場する兵器の中で印象に残るものがいくつかある。その中
でも「白眉」と思われるのが、リチャード・ウィドマーク扮するジム・ボウィーが使用したま
るでレンコンを思わせる7連の小銃だろう。

 映画では最初の架空の戦闘シーンと「最後の抵抗」のシーンで効果的に使われていた。

 初めて見た当時は「まるで大砲みたい銃だ」と思った。それでも「映画用の小道具」だと
思っていたら、なんと実在した火打石銃だった! 「The NOCK's Volley Guns 」というもの
で1779年にヘンリー・ノックという鍛冶屋が作ったもの。独立戦争を戦っていたアメリカ
市民軍のために「一度に7発を斉射出来る接近戦に効果を発揮する銃」として数百丁が作られ
たという。帆船同士の切り込み戦などでも活躍したという。

 史実ではボウィーがこの「ノック斉射銃」を使ったという記録はないようだが、映画では
彼の有名な「ボウィー・ナイフ」と共に映画ファンの心に残っているといえるだろう。
 
[2006年9月14日 20時8分29秒]

お名前: 放浪者   
 G さん、こんにちわ。

 アラモ守備隊が掲揚していた旗に書かれていた「1824」という数字の意味は
 当時、スペインから独立したばかりの「メキシコ連邦」が採用した憲法の制定され
 た年です。「自治権」の高いことが「連邦制」の特徴です。すぐ北のアメリカを意
 識して採用されたようです。
 しかし、結果的には「群雄割拠」の状態になり、さらには「旧宗主国」のスペイ
 ンからの干渉戦争さえ仕掛けられる体たらくになりました。このとき「救国の英雄」
 となったのが、アントニオ・ロペス・サンタ・アナでした。彼は「混乱の素」でも
 あった「各地の高度の自治権」を謳った憲法を停止して、強力な中央集権制を確立
 しました。「西半球のナポレオン」と呼ばれたサンタ・アナの声望は高かったので
 すが、メキシコの一部であったテキサスでは、少なくなかった「不法移民」であっ
 たアングロ・アメリカンが主導となり、初めは停止された憲法による「自治権の承
 認」を求めるようになりました。その象徴的意味を持つ「1824年」を団結と要
 求の印としたのです。その後の幾多の事件を経て、テキサス独立戦争となっていく
 のです。
  実際には、アラモ守備隊がこの旗を掲げていたかどうかは不明です。現存する遺
 物・遺品の中にはないようです。また確実な証言や証拠もありません。
[2005年7月26日 23時43分10秒]

お名前: G   
映画でテキサス軍が掲げた旗の中央に書かれた"1824"とは何を意味するのでしょうか?
[2005年6月14日 12時31分59秒]

お名前: 放浪者   
  最新の映画制作ニュースによれば、新しい「ディビー・クロケット」の
 映画が事前の準備段階から、製作準備段階に入っているということです。

  映画制作者トーマス・ボンド氏のスポークスマンが発表した。

  この伝説的人物の周辺を覆っている様々な「神話的・伝説的・ほら話」
 的な要素をできるだけ剥ぎ取って、かれの後半生の実像を描くという。
 誰が主人公を演じるのかはまだ未定だが、意外な俳優たちが候補に挙がっ
 ているという。
  ともかく、彼が伝説的な冒険家・狩猟家としての生活から脱して、政治
 活動に従事するところから始まるそうです。「第1次クリーク戦争」に従
 軍して、将来の大統領ジャクソンの率いる部隊による「大虐殺」を目撃し
 て、政治の世界に身を投じる決意をしたようです。
  しかし志破れて、ふたたび「未開の地(もちろん、彼の場合、テキサス
 でした。)」を目指してそこで人生の終焉を迎える。「ディズニモ」での
 彼の最後描写の根拠となったエンリケ・ペ−ニャの日記は「捏造」の疑い
 が強まったそうで、ボンド氏は「投降・処刑説」は採らないようです。

  偶然見つけたニュースなので、続報が見つかるかどうかは不明ですが、
 現地の5月23日に発表されたばかりのホカホカのニュースでした。
[2005年5月24日 12時57分1秒]

お名前: 放浪者   
  最新の映画制作ニュースによれば、新しい「ディビー・クロケット」の
 映画が事前の準備段階から、製作準備段階に入っているということです。

  映画制作者トーマス・ボンド氏のスポークスマンが発表した。

  この伝説的人物の周辺を覆っている様々な「神話的・伝説的・ほら話」
 的な要素をできるだけ剥ぎ取って、かれの後半生の実像を描くという。
 誰が主人公を演じるのかはまだ未定だが、意外な俳優たちが候補に挙がっ
 ているという。
  ともかく、彼が伝説的な冒険家・狩猟家としての生活から脱して、政治
 活動に従事するところから始まるそうです。「第1次クリーク戦争」に従
 軍して、将来の大統領ジャクソンの率いる部隊による「大虐殺」を目撃し
 て、政治の世界に身を投じる決意をしたようです。
  しかし志破れて、ふたたび「未開の地(もちろん、彼の場合、テキサス
 でした。)」を目指してそこで人生の終焉を迎える。「ディズニモ」での
 彼の最後描写の根拠となったエンリケ・ペ−ニャの日記は「捏造」の疑い
 が強まったそうで、ボンド氏は「投降・処刑説」は採らないようです。

  偶然見つけたニュースなので、続報が見つかるかどうかは不明ですが、
 現地の5月23日に発表されたばかりのホカホカのニュースでした。
[2005年5月24日 12時3分17秒]

お名前: 放浪者   
  書き落としたことがあるので、追加です。

  ウェインの「アラモ」をファンたちは「ウェイナモ」と呼んでいることは
 すでに紹介しました。最近のサイトを見るとディズニー版の「アラモ(20
 04)」を「ディズニモ(Disnimo)」と呼んでいることを知りました。
  共にタイトルが「The Alamo」なので、便利な表記だと思います。

  ディズニーの「アラモ」のサイト、最近は映画から離れて史実の「アラモ」
 を中心にした話題が扱われることが多いのですが、それでも映画に関する投
 稿も根強いものがあります。映画の部門のなかに「ディズニモ」の写真とい
 うスレッドがあり、ここに百枚以上の「ウェイナモ」と「ディズニモ」の写
 真が掲載されています。また、「聖地アラモ」での「再現ショー」の写真も
 あるので、興味のある方はどうぞ。プロ級の写真家が気楽に撮影したものの
 ようです。
[2005年5月17日 2時39分23秒]

お名前: 放浪者   
  西部劇ファンは、かつてほどではないにしても、それなりの数はいるはず
 なんですが、どうしてか余り発言される方はいませんね。

  某巨大チャンネル(2チャンネルに決まってるか)の「懐かし洋画」とい
 うサイトがありますが、規定の「1000」ポストになるのは少ないです。
 アクションものか、恋愛ものが中心で、アクションの傍流と化した西部劇は
 ここでも「苦戦中」ですね。

  ジョン・ウェインのスレッドからのスピン・オフで「アラモ」スレッドが
 立っていました。1ヶ月程度で40の玉石混交ですが書き込みになっていま
 す。アメリカではいまも「ウェイナモ」や「ディズニー版・新旧アラモ」に
 ついて活発な論戦や「事実」の紹介がされています。写真の投稿もかなりあ
 るので、興味ある方はどうぞ。ほとんどは「素人写真」ですが、時には「掘
 り出しモノ」というもあります。このスレの以前のどこかに紹介してありま
 すので、そのURLをたどってください。
[2005年5月17日 2時6分56秒]

お名前: 放浪者   
Alamo Cats さん、こんにちわ。

 おたずねの「The Pries of Freedom」については、アメリカのサイトでもよく
話題に上ります。広い米国のことですから、テキサスまで行くことでも大仕事と
なる人が少なくないのです。このIーマックス版については何度もDVD化の希
望が寄せられているのですね。でも、当分はその機会はないようです。現地サン・
アントニオ市のアトラクションともなっている作品なので、これに替わるものが
製作されてない限りは、「ご当地限定映画」として上映されるだけのようです。
[2005年4月22日 2時10分51秒]

お名前: Alamo Cats   
10年ほど前訪問したときサン・アントニオのIMAXシアターで、『Price 0f Freedam』を
上映していましたが、このフィルムはDVD化されることはないのでしょうか?
[2005年4月21日 19時56分10秒]

お名前: 放浪者   
  ブラケットビルに「巡礼」する人々は絶えることはなさそうです。
  ほとんど「廃墟」と化した「ウェイナモ」の屋外セットを訪れる
  人は今も絶えることはないそうです。
  英文のサイトですが、すでに紹介してあるので、そこから「現地」
  を訪れてください。
[2005年4月10日 3時3分16秒]

お名前: 放浪者   
  ALAMO CATS さん、こんにちわ。

  ウェイナモのセットの空撮写真への感想、楽しめました。
  と、思ったら、また新しい「今日のウェイナモ」とでも題する
  写真のセットがアップされていましたので、ご紹介します。

  http://thealamofilm.com/forum/viewtopic.php.t=4344

    もし、このダイレクトのアクセスが難しいようでしたら、
  前半の thealamofilm.com でこの「映画アラモのサイト」に
  アクセスして、そのトップ・ページの上の方にある「メッセージ」
  という欄をクリックして下さい。「フォーラム」欄にジャンプし
  ます。そこの「THE ALAMO MOVIE 」をクリックして、そこの欄の
  中から「Waynamo Tour 」というところをクリックすると、最近の
  「ギャンブラー」氏一行が行ったというブラケットビルのセット
  の現況を写した写真を数枚見ることができます。空撮ではなく、
  観光客の目線で取ったものですから、セットのそれぞれの位置関
  係は判りにくいのが残念ですが、それなりに興味がもてるものだ
  と思います。
[2004年12月17日 22時26分40秒]

お名前: ALAMO CATS   
放浪者さんの書かれているウェイナモ撮影時の空中写真2枚を拝見しました。
破壊前の写真は10年ほど前に、ブラケットヴィルのウェイナモ・セットの売店で
入手しました。
この写真で、ロングバラック北側に撮影機材他の搬入路が作られていることや、
映画でトラビスの司令部となっている建物が結構しっかりした構造で現代的な
立派な階段が作られていることがわかります。
この階段は撮影時には撤去されたのでしょう。
この部分の裏側は、映画のなかで、クロケット一行がサンアントニオに到着
して高台からアラモを眺めるシーンで見ることができますが、よく見れば
どうやらこの建物の裏側は現代的な建物としてつくられているようです。

もうひとつ興味深いのは、破壊後の写真です。
実は前述の売店で、破壊後の写真の別バージョンを入手しました。
馬車や大砲のかわりに何台かのステーションワゴンや乗用車が駐車しています。
その写真では、さらに徹底的に破壊されていますが、駐車している自動車の
年式から見れば撮影後それほど時間は経っていません。
見比べてているうちに、いくつかの違いに気づきました。
北の壁沿いに1本のペカンの樹木(?)があります。
ご存知のように、戦闘シーンのなかでメキシコ騎兵が殺到するなか、この木は
壮烈に燃えています。わたしの入手した写真でも当該の樹木は燃えがらのよう
に見えます。
しかし、HPの写真ではこの北の壁あたりはそれほど痛んでいません。
ということは、このHPの写真撮影後にさらにポストプロダクションとして
追加撮影がされた可能性があったのかなと推定できます。
メーキング本でも、いくつか取り直しがあったとあるので、これもその一部
だったのでしょうか?
1枚の写真で結構楽しませてもらいました。
[2004年12月13日 20時9分46秒]

お名前: 放浪者   
  久しぶりの書き込みになります。

  「アラモ」ネタの宝庫はなんといっても、本国アメリカのサイトです。とはいっても、勿論
  英語でしか書かれていないので、苦手な方にはどうしてもとっつきにくいものです。

   最近、アメリカの「アラモ狂」が立てたサイトで面白そうなものがありました。写真が
  主体なので、英語の知識は余り必要としないでしょう。

   http://alamosports.proboards24.com

   と言うサイトです。そこには「アラモ」に関するあらゆる問題を扱うつもりようです。
    Alamo Movie というという項目をクリックすれば、過去に製作された「アラモ」映画を
  対象としたページが開かれます。「JW's Alamo」と「The Alamo(1960)」のふたつがあり
  ますが、後者は文章だけなので、お勧めできません。前者の方には撮影当時の写真が何枚
  も掲載されているので、それだけでも楽しめます。特に撮影前と後の「アラモ砦」の空撮
  写真は、映画でセットがどのように「破壊」されていったのかが判る「お宝もの」です。

   
  
[2004年12月10日 21時24分0秒]

お名前: ALAMO CATS   
ここは、ウェイナモのページということですが、最新の「THE ALAMO」について。
このページも含めて前評判は散々だったので、いささか怖気気づいて、今週ようやく見に行って
みました。感想は・・・正直自分自身で両極端に分かれます。

その1:評判通りの編集だった。
たしかにエピソードてんこ盛り。史実に詳しくなければ、<あれは誰?><これは何?><誰誰
はどうなったの?>という状態ですね。例をあげれば最後になってミカジャーオートリーが死ぬ
シーンで、ようやくこの人物が誰か判明しますが、これとてクロケットの「自分が連れてこな
ければ・・・」という悔悟のセリフの意味は殆どの観客には伝わらないでしょうね。ボナムに至
ってはどこに居たのやら???)
編集段階での大幅なカット、DVD版で復元してもらえれば、とも思いますが、コスナーの「ワ
イアットアープ」並の退屈さになりそうです。

そして

その2:予想したほど悪くなかった。
撮影のシーズンがいつだったのか知りませんが、テキサスの冬(実際は春というべきでしょうが)
のどんよりした曇天と寒い風が砦を吹き抜けている雰囲気、守備兵が徐々に重苦しい感情に包ま
れていく雰囲気・・などがこれまでのどのアラモ映画やTVよりよく描かれていたと思います。
またクロケットがテキサスにどのような期待をもってあらわれたのか、そして自分が決してイメ
ージ通りではない人間であること、そのことへの自己嫌悪と同時に彼を生かしている動機にもな
っていること、などもよく伝わってきましたし、ボウイとトラビスの捉え方も悪くないと思います。
セットも、ベクサー
の町並を含めてブラケットヴィルのウェイナモ・セットよりもさすがに迫力があります。(10
年前、2度目の訪問の深夜、帰路でハイウェイパトにスピード違反で捕まったことがなつかしい)
要するに、<THE ALAMO>ファンであれば、映像の美しさも含めて出来具合への評価は、
いわれているほど無残ではない、という印象です。
史実がもたらすイメージが、具体的な人物の行動と言葉の映像となって迫ることでの共感が、
この映画そのものへの共感を高めているともいえます。

しかし同時に、いま21世紀に製作された映画という観点からは、(多文化論的観点を含めて)
もうちょっと踏み込んだ解釈もでてきてよかったのではないかという思いもあります。

また時間ができたら、書き込みさせてください。
[2004年10月7日 19時27分32秒]

お名前: 放浪者   
  「リメンバー、アラモ!」の補足(?)

  「会議室」を紹介しておいて、中身に触れないのも変なので、少し読み返してみました。
  何と偶然なことに同会議室に「Gambler」名義で投稿しているフランス人が書いたものが、
  あの「アベンジャー雷撃機」が登場している作品だそうです。原題は「Souviens-toi 
  d'Alamo」で、英文訳は「Remember Alamo!」と Randle の作品と同じタイトルになって
  しまったそうです。「ファイナル・カウントダウン」とまさに日本の「戦国自衛隊」の
  両作品からヒントを得て書いたと、著者の Christophe Lambert と書いています。

   ウェインの「アラモ」に沿いつつもより史実に合せて、ボウイは包囲戦の2日目に病
  いに倒れ、ファニン隊の全滅の知らせは来ず、またボウイの家族も既に亡くなっている
  など、の違いがあるそうです。クライマックスでは既にトラビス、クロケットは倒れ、
  ボウイの部屋に乱入したメキシコ兵たちは、そこに重機関銃を構えたボウイの姿を見る
  そうです。「助っ人」に行った現代の連中のことについては何も触れていませんね。

   Randle の本はどこかにあったような気もしますが、行方不明なので書きようがありま
  んね。残念ですけど。アマゾンのリストには載っているように思いますが、確かめては
  いません。  
[2004年9月15日 1時27分9秒]

お名前: デンバー・パイル   
放浪者さん
調べて頂いてありがとうございます。
私の見た写真の物とは違うようです。
アラモ・ヴィレッジで見た写真では、あのようなレンジャーのBDUではなく、
第2次大戦のBDUでした。武器もアラモ・ヴィレッジのではM14やBARを使用していたと思います。
インターネットに載っていた写真ではM4やM16A2が写っていました。
確かにTBFアベンジャーがアラモの上を飛んでいる本のカバーがありますが、語学力不足で
よくわかりません。どなたかご存知の方がいらしたら教えてください。
予測ですが、日本の横山信義氏や森詠氏が書くような仮想戦記のようなものみたいですね!
あっと、半村 良氏の「戦国自衛隊」の類ですかねぇ。
[2004年9月15日 0時7分19秒]

お名前: 放浪者   
  夏バテとネタ切れで、とんと書き込めませんが、以前、デンバー・パイルさんからのご要望
 だった「アラモと海兵隊」に関するスレッドが最近のアラモサイトに出ていたので、

  http://www.thealamofilm.com

  のフォーラムに入ってから、「si fi alamo book」という会議室に、この件が話題になって
 います。原作は Kevin Randle でタイトルは Remember the Alamo!  です。アラモの礼拝堂
 を背景にした海兵隊の一群の写真もアップされていますが、これは明らかに「はめ込み」写
 真ですね。そのほかの作品もあるようで、本の紹介では礼拝堂の上空を「アベンジャー雷撃
 機」が飛んでいる表紙のものもありました。もちろん、文章は英語ですので「翻訳ソフト」
 の助けが要りますね。しかし、中には「お前、ほんとにアメリカ人?」と言いたくなるよう
 な綴りも文法も怪しげな文体のもありますから、ご注意のほどを。
[2004年9月14日 19時24分37秒]

お名前: 放浪者   
  9月25日の公開だそうです。

  最近の週刊誌などでも、映画紹介などがされていますが、どうもあの陰険な「パール・
 ハーバー」と同様の「羊頭狗肉」的な宣伝を仕掛けている様ですね。

  「西洋浪花節」だったジョン・ウェインの「アラモ」に比べると遥かに史実に忠実な
 映画化をした作品に仕上がっているされています。それは事実なんでしょうが、「苦渋
 の挙句に、ヒューストンはアラモへ救援を送らず見捨てる決断を下した」とか「永久の
 別れとなると知りつつも、自由の大義のためにトラビスは愛する家族に別れを告げる」
 なんてキャプションつきの宣伝写真を見ていると、「嘘コケ」と文句のひとつも付けた
 くなりますね。アメリカのサイトでは、時間が短すぎたので「ヒューストンはただの大
 酒飲みでしかなく、なぜかサン・ジャシントで突然優れたリーダーに変身する」とか、
 「トラビスは家族を放り出してテキサスに逃げ出した男」にしか思えないなんて、散々
 ですけどね。唯一、誉められているのがクロケットで、「心ならずもヒーローにしたて
 あげられた等身大の男の悲しみと苦悩が理解できる」という評価ですね。サンタ・アナ
 も一応立派に描かれているが、結局は「やられ役は大物の方が観客の受けがいい」とい
 う範囲を出ていないので、彼の母国メキシコでの興行も惨憺たる結果で終わりましたね。

  アイズナーが会長になってからのディズニー作品は、概して評判は良くないようです
 から、日本ではどうなるのでしょうか?
[2004年9月9日 2時29分22秒]

お名前: 放浪者   
 いやー、暑い日が続きますね。

 夏ばてを起こして、「アラモ」サイトを覗く元気もなくしていたら、いつの間にか
 ディズニー版はロードショウを終了していました。

 7月22日に打ち切られたようで、この日を以て興行収入の集計が終わっていました。
 4月9日の封切り以来、減収の連続で一時7月の独立記念日休暇のときに、一度は息
 を吹き返した感じもあったのですが、結局15週目で「陥落」したわけです。

 最終興行収益は2241万4961ドルで、製作費の1億ドルの4分の1にも足りま
 せんでした。宣伝費の3千万ドルすら回収できなかった「惨劇」−−ハリウッドで製
 作される映画の4本に1本がたどる運命だそうですーーとなりました。

 ちなみに最近の話題作「ワイルド・レンジ」は製作費2200万ドルに宣伝費2000
 万ドルに対して、北米で5833万1254ドル、その他の地域で992万5780
 ドルの合計6825万7034ドルを稼いだとあります。現在の日本での興収などは
 含まれていないので、海外での稼ぎは1000万ドルの大台を突破していると思いま
 す。

 「アラモ」の海外での興行収入は161万9923ドルにしかなっていないのです。
 これにどれだけ、太平洋を越えた島国の観客たちが追加の「円」を払ってくれるのか、
 この秋がお楽しみというところですね。
[2004年8月11日 1時28分4秒]

お名前: 放浪者   
 脱線話「人気女優:アンジェリーナ・ジョエリー」の元夫が、


 昨日(10日付け)辺りのスポーツ新聞の芸能欄に出ていたことが多いと思いますが、
 ハリウッドの人気女優のひとりで刺青(「タットー」いうのがはやり言葉)好きでも
 知られるアンジェリーナ・ジョエリー(名優ジョン・ヴォイドの娘でもある)がバン
 コックでお尻の上当たりに虎の刺青を彫っている写真が載ってました。

  何年か前、彼女は「衝動的に」ずっと年上の無名の俳優と結婚して、周囲を驚かせ
 たもんですが、そのとき、すぐに分かれるだろうと言う声に反発して、旦那の名前を
 腕に刺青したのが、その「タットー狂い」の始まりなんだそうです。

  そこまでして「永遠の仲を誓った」割には、数年足らずで予想通り離婚していまい
 ました。その年上の「おっさん俳優」がなんとビリー・ボブ・ソーントンなんだそう
 です。映画に登場するときはすべてメークで隠しているので判りませんが、今も消さ
 れずにあり、それなりに「いい友達関係」を保っているとか。確かいま50歳くらい
 ソーントンに対してジョエリーはまだ30歳になるかどうかというところ。ほら話の
 名手として知られたクロケット、あっちの方面についても結構語っていたようですか
 ら、案外今回の配役は間違ってなかったのかもしれませんね。(^^)

 


 
[2004年7月11日 13時35分55秒]

お名前: 放浪者   
  「ウェイナモ」の無名の出演者

  先に映画の冒頭でクレジットされた俳優たちの役柄についての表を挙げました。

  他に百人近いクレジットされていない出演した俳優たちの名前が判明しているのですが、
 何せ「背景の一部」としてのエキストラではないものの、役柄が単に「トラビスの部下」
 なんてだけでは判別の仕様がありません。でも、数だけ拾い出して見ました。

  トラビスの部下     21人
  ボウィの部下      40人
  ボウィのチャロ(Charro) 19人
  クロケットの仲間    15人

  数え間違いがなければ、以上のような内訳になっていました。多分、冒頭のヒューストン
 の部隊は兵士たちの顔がほとんど判るようなシーンがないので、上のリストの一部の俳優た
 ちが演じていたのだろうと思います。(スミティが伝令にいったヒューストンの「司令部」
 のシーンも同様でしょう)

  ボウィの部下とチャロと区別している理由は判りません。多分、スペイン語なので、英和
 辞典でも判りませんでした。騎馬隊員のことではないかと思いますが、「脱出行」をしよう
 とするときは全員、騎乗していたように見えますので、どうもよく判りません。「警護要員」
 という訳でもなさそうですし。何なんでしょうね? 
[2004年7月10日 22時14分57秒]

お名前: 放浪者   
  奇跡の復活か!? 「アラモ」上映館増大す!

  米国の独立記念日の週末に合わせて、「愛国心が高揚」したのか?

  7月5日までの祝日週末の四日間、前週までに2609館から僅か7館にまで減少の一途を
 たどっていたディズニー製作の「アラモ」を上映する映画館が突如として159館も増えまし
 た。興行収益も9万556ドルを揚げて、封切り以来の総興行収益は2228万7179ドル
 となりました。今度の週末がどうなるのか、ちょっとした楽しみが出来ました。
[2004年7月10日 21時32分28秒]

お名前: 放浪者   
 「ウェイナモ(アメリカでのアラモ狂たちが呼ぶ、ウェイン版「アラモ」の略称)のキャスト
 一覧表」

  うーん、さすがに本場だけにネット上での情報交換は凄いものがあります。

  先に(4月22日付け)、映画の冒頭クレジットを参考にした穴だらけのキャスト表を載せ
 ましたが、こんど「完成版キャスト一覧表」というを見つけました。全部載せても「名無しの
 権兵衛さんの行列」になるので、一部を載せます。(それと先の表で、サンタ・アナとホアン・
 セギンと入れ違えてしまいました。訂正させていただきます。)

  俳優名                 役柄名

  ジョン・ウェイン            ディビー・クロケット大佐
  リチャード・ウィドマーク        ジム・ボウィー
  ローレンス・ハーベイー         ウィリアム・トラビス大佐
  
  フランキー・アヴァロン         スミティー
  パトリック・ウェイン          ジェームズ・バトラーボナム大尉
  リンダ・クリスタル           グラシエラ・カルメーラ・マリア・
                      ”フラカ”デ・ロペツ・イ・フェヤール
  ジョアン・オブライエン         スー・ディキンソン大尉夫人
  チル・ウィルス             ビーキーパー(「蜂蜜屋」)
  ジョセフ・キャレイア          ホアン・セギン
  ケン・カーチス             アルメロン・ディキンソン大尉
  カルロス・アルルーザ          レイエス中尉(メキシコ軍騎兵)
  ジェスター・ヘアストン         ジェズロ(ボウィの奴隷)
  ヴェダ・アン・ボルグ          盲目のネル・ロバートソン婦人
  ジョン・ディーカーズ          ジョッコ・ロバートソン(守備隊員)
  デンバー・パイル            シムブリーグ(「ギャンブラー」)
  
  アイッサ・ウェイン           リサ・アンジェリカ・ディキンソン(娘)
  ハンク・ワーデン            パーソン(「牧師」)
  (ウィリアム)ビル・ヘンリー      サザーランド医師
  ビル・ダニエル             ニール大佐
  ウェズリー・ロー            エミール・サンデ
  チャック・ロバーソン          テネシー男(「やろうぜ!」と云う男)
  グィン・ウィリアムズ          フィン中尉(愛称「アイリッシュ」)
  オリーブ・パディラ           デニソン婦人
  ルーベン・パディラ           アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ大将軍
  リチャード・ブーン           サム・ヒューストン将軍

  以下、「名無しの権兵衛」の行列になるので、「役柄」が判りそうな人だけ。

  キャロル・バックスター         メリンダ。テキサスの女。
  レジェーン・エルドリッジ        ガイ夫人。
  トム・ヘネシー             「ブル(雄牛)」と呼ばれる男。
  サイ・マリス              ピート。
  ジャック・ペニック           軽歩兵の軍曹。
  ジュリアン・トレビノ          シルベロ・セギン
  ロヘリオ・エストラーダ         「フラカ」の従僕の少年。

  捜すのが「お楽しみ」役
  パイラー・ウェイン(ジョンの奥さん!) どっかに出ているはず。
  トニ・ウェイン(誰かな?)         同 上
[2004年7月8日 21時16分22秒]

お名前: 放浪者   
  ウェイナモ(WAYNAMO) 以前の「アラモ」映画

  1955年  ディビー・クロケット:辺境の王者
         アラモの砦:「最後の指令」
  1953年  アラモから来た男
  1939年  征服者の男
         自由の大地
  1938年  テキサスの聖地:アラモの自由
  1937年  アラモの英雄たち
  1935年  アラモを忘れるな!
  1926年  アラモの陥落時のディビー・クロケット(無声)
  1915年  アラモの殉教者たち(無声)

  戦前の作品は未見ですが、製作年次を見ると第1次大戦中、狂乱の20年代、第二次
  大戦前夜の不安な時代、そして冷戦の最中とやはり「愛国心」と「信念・確信」を求
  める大衆の潜在的な願望が現れている時期ですね。

  今回の作品は、ある意味では「原体験」世代とそれを直に伝え聞いた世代が共に歴史
  の彼方へ去ったことを示しているようです。5世代前、125年前の出来事や話なら
  当事者や同時代に生きて事件を知った世代とその「思い出話」を直に聞いて育った世
  代ということです。他人事、歴史の上の昔話とはなり得ない人々です。

  まだ「西部劇」が息を継いでいるのは、案外「オールド・ウエスト」の息吹を知って
  いる人々がつい最近まで、健在であったという事情もあると思います。西部劇に関心
  を持った頃、半世紀近くも前ですが、彼のジェシー・ジェームズが1882年に暗殺
  されることなく、生き延びて天寿を全うしたなんてニュースがあったことを記憶して
  います。110歳くらいでしたか、そんなものでした。こんなヨタ話は別にしても、
  私よりもう一世代上の年代の人たちなら、幕末や西部開拓時代に生きていた人たちの
  話を直に聞いていたはずですから。(日露戦争や第1次大戦の老兵の話なら、断片的
  ですが、子どものころ聞いた記憶があります。内容は全然覚えていませんけどね。)

                           
[2004年7月6日 18時43分12秒]

お名前: 還暦少年   
 日本公開がきまりましたか。だれがなんと褒めようとけなそうと私はこの映画は見に行きます。
1000円で見せてもらえるのにあまり利用していない。ジョン ウェイン フェス パーカー
を思い出しながら久しぶりにただだまって映画にひたってみたいと思います。
[2004年7月5日 22時8分6秒]

お名前: ノスタル爺   
アメリカ人にとって、デイヴィ・クロケットはイメージとして定着したものがあるんでしょうね。
私たち日本人が豊臣秀吉に持っているのと同じような……
ジョン・ウェインのクロケットは、三船敏郎の秀吉みたいなものかも。(^^)
[2004年6月30日 16時27分13秒]

お名前: 放浪者   
  「不屈の闘志」はいまだ健在なりか?

  アラモ攻防戦を扱った本の中に「栄光への13日間」という題名のものがありました。
 映画化もされました。当初、到底「13週間」は持たないと思われたデイズニー版「ア
 ラモ」でしたが、なんと12週目に入っても上映を続けているところがありました!

  今月に入ってから上映館数は僅か33に減りました。次の11〜13日の週末にはそ
 れが26になり、18〜20日には14となってしまいました。ついに、終わりと思わ
 れましたが、25〜27日の週末にもまだ7館が上映を続けていました。興収は全部で
 1484ドルでしたが、1館当たりの興収は124ドルから212ドルに「改善」され
 ました。4月9日以来の総興行収入は2219万5273ドルとなりました。2222
 万ドルに到達できるか微妙なところですね。(スロット・マシンなら、「中当たり」程
 度かも知れませんが、単なる「語呂合わせ」でしかありませんけど。)

  クロケットにふさわしかった役者の争いはソーントンとパーカーのつばぜり合いが続
 いています。アーサー・ハニカットも大差をつけられながらも「追撃」を開始しました。
 ところで、デューク(公爵)ことウェインを押す人が皆無なのには少々驚かされていま
 す。日本人とアメリカ人の好みの違いか、はたまた「クロケット像」のイメージが違う
 ためなのでしょうね。
[2004年6月29日 23時18分39秒]

お名前: 放浪者   
  前記の「クロケットにふさわしい役者」に新たな候補が加わりました。

  といっても、日本人にとっては、知識は皆無の俳優です。

  カレン・ランディス(Cullen Landis) と俳優だそうですが、なにせ「無声映画」時代の
 「アラモ砦の陥落」という作品でクロケットを演じたそうです。このあたりも、ブラケット
  ビルでフェス・パーカー=ディズニー(1950年台のそれです)主演の作品が製作され
  る以前のものなので、戦前の「レアものビデオ」を購入されたW.H.さんの守備範囲に
  なりますね。

  また、ソーントンとパーカーの争いは、とりあえずソーントンが頭ひとつリードしている
  ようです。以後の経過をお楽しみに。

  
[2004年6月27日 4時21分4秒]

お名前: 放浪者   
  誰が一番、クロケットにふさわしい俳優だったか?

  興行的には惨憺たる結果になった新作「アラモ」ですが、主演者のひとりディビー・
 クロケットを演じたビリー・ボブ・ソーントンへの評価は高いものがあります。父親の
 世代はジョン・ウェイン、その前の世代ならフェス・パーカーだったが、新しい世代に
 とってクロケットとはソーントンとなるだろう、なんて評価は映画が公開される前の批
 評でもよく見られていましたから、その通りなのかも知れませんね。

  そこでアメリカのファンの間で、つい最近、6月23日(現地時間)からネット上で
 過去の「アラモ物」の代表作でクロケットを演じた俳優の中で、誰が一番ふさわしいか?
 という投票が始まりました。

  ジョン・ウェイン     アラモ 1960年
  フェス・パーカー     鹿皮服の男
  ビリー・ボブ・ソーントン アラモ 2004年
  ブライアン・キース    アラモ2(栄光への13日間)
  アーサー・ハニカット   アラモの砦
  メリル・コナリー     アラモ・自由への代償

 の6人です。ただし、日本人で以上の作品すべてを見た人は皆無でしょう。

  最後の「自由への代償」はサン・アントニオ地区だけで限定上映されているからです。
 また、当面ビデオ化もされる予定もないそうですから、現地を訪れた人以外はアメリカ
 人たちですら「未見」の作品となっています。(撮影はもちろん、ブラケットビルで行
 われたそうです。。)
 
  W.H.さんやデンバー・パイルさんはその稀有な存在ですから、ご意見をどうぞ。
 (といっても、ソーントンの演技は見ていないでしょうから、残る5人が対象となりま
  すけど。もし、日本で新作が公開された暁には、全部を含めた話になりますけど。)

  初日の投票結果では、ソーントンとパーカー派に二分されているようです。「公爵
 (ウェインの愛称です)」は「苦戦」中というところです。

  また、ウェインの「メイキング・オブ・アラモ」のドキュメンタリーをブライアン・ 
 フーバーマンが製作していますが、日本ではDVD版の特典として40分の「短縮版」
 が収録されています。これもLD版のコレクターズ・エディションには全長版が収録さ
 れているはずなんですが、いまや「幻の存在」となりつつあります。 
[2004年6月26日 1時32分45秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモに掲げられていた旗は?」

  映画で掲揚された旗は赤、白、青の縦のストライプに1824の数字が入っていたもの
 でした。「新アラモ」ではこれといった旗が登場していないようです。

  と言うのも、ウェインのそれは「伝説」に従って、何のためらいもなくこの模様の旗を
 登場させていたのですが、研究が進んだ現在ではそうはいかなくなったようです。特に今
 回の作品のように「史実に忠実」を謳っていては、うかつな表現ができなかったというと
 ころでしょう。

  いまのところ、支持が高いのは白地に黄色の一つ星、その下に独立と黒字で書かれた手
 製のものか、星条旗を真似て青地のところに大きな白い一つ星だったいうものだそうです。
 別に、ニューオリンズ義勇隊が独自の旗を掲げていたことが知られています。正確な模様
 は分かりません。

  実際、テキサスの独立が宣言されたのはアラモの包囲が始まった後ですから、「正式な
 テキサス共和国旗」なんてものはなかった訳です。同じ伝でいけば、ヒューストンが「将
 軍」に任じられたのも同じ経緯でしたから、映画の冒頭で「テキサス軍の司令官に任じら
 れた云々」も間違いという訳です。そこいらは「娯楽映画」ならではの「ご愛嬌」として
 おきましょう。でないとつまらないです。映画は楽しむもので「粗捜し」をするものでは
 ありません。

  ただ、映画で描かれたことを「史実そのもの」と思い込んではいけない、ということで
 す。ウェイン版だけでなく、今回のそれも含めて「演出」が含まれていないものはない、
 からです。特に強烈な印象を残すエピソードほど「眉につばを付けて」措かないと、エラ
 イ目に遭うことが多々ありますから。(映画の中の「話」と断っておく必要があることが
 それこそ、山のようにあるのが普通です。)
[2004年6月23日 23時50分29秒]

お名前: 放浪者   
  「アラモよりの伝令、到着! まだ、砦は陥落せず」と。

  どうやら、先に砦は「陥落した模様」と書きましたが、今日、新たな「伝令」が到着して、
  抵抗は第11週目に入りったそうです。「陥落せり」は「誤報」だった訳です。m(-.-)m

  とはいえ、事態は楽観を一切許してはおりません。新着の報道によれば、6月18〜20日
  の週末に「アラモ」を上映していたのはわずか14館で、前週の26館からさらに12館も
  減りました。興収は1742ドル! でも不思議なことに平日の方が入りが「良かった?」
  ようで、総興行収入では、5907ドルの増加となっていました。通算で2219万2426
  ドルとなりました。

   ネットへの観衆の書き込みでは、A〜Fの6段階評価ではっきりと分かれています。
  A,Bという「優」「秀」と言った評価が半数を占める一方、Fという「問題外」という
  最低最悪の評価も約4分の1を占めています。CやDのような「良」「並」というものも
  残る3分の1を占めるので、全体としては「平凡な作品」となってしまいました。「お暇が
  あったら」というランクのEがないという珍しい結果でした。

   ただし、ネットへの書き込みをする人は日本でもそうですが、百人に一人もいません。
  アメリカのように広大な国でも同じです。いや、日本より少ないかも知れません。ウェイン
  の作品当時にも、こんなシステムがあれば興味深い経過を知ることができるでしょうね。

   でも、それは熱心な研究者たちの努力の成果を待つよりないですね。 
    
[2004年6月22日 20時54分12秒]

お名前: 放浪者   
  新作「アラモ」は傑作?

  映画の封切りは、惨憺たる有様で製作費はおろか、広告宣伝活動に費やした間接費すら
 回収できない状態で上映が打ち切られたようです。また、9月にDVD版の発売が予告さ
 れているのですが、これまた熱心な「アラモマニア」の期待を裏切る粗雑な商品だ、とい
 う非難がサイトに多々書き込まれています。とにかく、ディズニー社のアイズナー会長へ
 の攻撃は凄いものがあります。

  一方、監督のジョン・リー・ハンコックには少数派ではありますが、熱心なアラモマニ
 アから「絶賛」が送られています。(また、クロケットを演じたボビー・ソーントンの評
 価も高いです。ついでにサンタ・アナのエチェバリアもですが)。

  熱心なファンは数回から20回近くも劇場へ足を運んでいました。全体的な評価はBかB−
 というところですが、熱心なファンたちはAとかA+なんて高い評価をしています。ただ、
 これらの熱心な後援者たちも、上映時間の短さについては不満を示しています。DVDの特
 典について、当初の2時間50分用のバージョンでカットされたものが収録されるのでは?
 という期待を裏切って2時間35分前後の「B−バージョン」でお茶を濁すつもり、(よう
 は金はこれ以上かけることなく、すこしでも稼ごうという「せこい商売」をするようです。)

  パイルさんの期待に沿うように、ウェイン版のビデオを見直して見ます。
[2004年6月21日 3時11分36秒]

お名前: デンバー・パイル   
放浪者さん以外の方の書き込みが久し振りにありましたね?
副長さん、頑張って書き込みお願いします。
今は、秋以降封切り予定の「アラモ」についての書き込みが多いいですが、
皆さんジョン・ウェイン制作・主演の「アラモ」ついて思いをどんどん書いてください。
放浪者さんもよろしくお願いします。
新作「アラモ」はあまり期待出来そうにないですね!
ディズニーは昔は良い映画を作っていたんですがねぇ〜
[2004年6月19日 23時25分0秒]

お名前: 副長   
はじめてかかせていただきます。
アラモのことが、こんなに書かれているとはしりませんでした。
ひととおり、,読みましたらまた,また書かせていただきます。
それにしても,放浪者さんはスゴイ。
書きこみになれていないので、誤字,脱字等ありましたらお許しください。
[2004年6月19日 17時54分55秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」ついに陥落! か?

  6月11〜13日の週末の興行収入の発表があり、「要約」と題した項目が付け加わった
 ので、どうやら「封切り館」での上映は打ち切られたようです。

  4月9日の封切り以来、10週間耐えてきた最後の映画館主たちも「ギブ・アップ」した
 ようです。上映館数は26に減り、興収もわずか6341ドルとなっては「資本主義の原理」
 に従えば、当然の処置ということになりますね。(13日間ならぬ、13週も持ちこたえる
 ことは出来なかったことになります。)

  北米大陸での総興行収入額は2218万6519ドルでした。これに、早々と上映を打ち
 切った(5月半ば)メキシコでの興収155万5千ドルが加わります。

  こうした実績から見ると、日本での公開は少数館での短期上映となりそうです。DVDなど
 を発売する際の権利関係でたとえ、1週間でも1館で上映する必要があるからです。そうなる
 と「コールド・マウンテン」や「ミッシング」などのように2週間程度の「お茶濁し」上映に
 なる可能性が高いですね。アカデミー賞を受けた「コールド・・」でも反響が皆無だったので
 すから、北米での興行に「失敗」して、知名度の有る俳優も出ていない西部劇では、冷遇され
 ることは目に見えているようです。
[2004年6月17日 20時52分37秒]

お名前: 放浪者   
  セギンの子孫が、ハンコック監督への激励

  興行収入の点では「いまいち」どころか、「壊滅」に近い状態の新作「アラモ」ですが、
 ホアン・セギンの子孫、曽曽々祖父にあたるアンソニィー・セギンがジョン・リー・ハン
 コック監督へ、「先祖への敬意と正確な史実を描いてくれたことへの感謝」を述べたそう
 です。そして作品の「真の評価は9月28日に発売されるDVD版でなされるだろう」と
 いうコメントを付けたそうです。

  どっちにしても、映画館では最早、駄目なようです。昔のように「リバイバル上映」と
 いう方法があれば、それなりに回収できるのですが、DVD版やレンタルでの回収も意外
 に厳しい状況ですね。

  ウェイン版の「アラモ」はリバイバルのお陰で、60年代の終わりまでに、回収できた
 ということです。今回はどうなることやら。
[2004年6月14日 0時40分5秒]

お名前: 放浪者   
  「テキサスの自由の旗」は未だ落ちず。

  五月一杯で、打ち切りになるとの予想を裏切って、いまもなお「アラモの礼拝堂」の
 上には襤褸切れと化した「テキサス共和国」の旗が翻っています。

  六月の最初の週末(四日〜六日)の興行収入が発表になりました。前週に比べても
 上映館はさらに十六館減り、三十三館となりました。興収は一万二千三百四ドルで、
 通算二千二百一拾七万二千五百三十六ドルとなります。

  33館となると、多分実際の戦闘でも、終盤でむしろ「掃討戦」の段階になっている
 のかも知れません。興味深いのは、それなりに「リピーター(複数回、見に行く観客の
 こと)」がいることで、ウェイン版の「アラモ」と同様に公開当時は散々な評判であっ
 たが徐々に評価が高まり、ついには「古典」のひとつに数えられるまでになるだろうと
 いう人たちがいることですね。

  現物を見てもいないうちから、こんなことを言うのは変ですが、もし、この新作「ア
 ラモ」がそうして評価を得るようになるとしても、それは「劇場公開版」ではなく、発
 売されるであろう「DVD特典版付アラモ」だろう思います。

  もともとウェインが構想していたという「2部作」形式で映画化しなければ無理、と
 いう範囲のエピソードを2時間15分程度に押し込んだのでは、舌足らずの「駆け足」
 でしかないからです。あの大駄作「パールハーバー」がそれなりの興行収入を得たのは、
 取りあえず時間が長かったので、開戦前からの恋のつばぜり合い、真珠湾攻撃に蛇足の
 「ドーリトッル空襲」までの冗漫な話がつながった感じを与えたからでしょう。

  3時間半は必要だったというハンコック監督の言が本当であり、また、それを証明す
 るに足る特典映像を加えてくれることを、一縷の期待とするしかないようです。
[2004年6月10日 0時21分33秒]

お名前: 放浪者   
  訂正かな?「アラモ」同窓会のメンバー

  先月27日に、前作ジョン・ウェイン版「アラモ」の出演者たちの「同窓会」が開かれた
 という話を書き込みました。今日、「アラモ」のサイトを見たら、ALAMO-JIM という人物が
 これについて書いていました。

  彼によると、「同窓会」が開かれたのは97年ではなく、翌98年の5月のことのようで
 す。ジョン・ウェイン・ファンクラブが主催したもので、招待者、出席者は前にも書いたよ
 うにディキンソン大尉夫人を演じたジョアン・オブライエンのほかに、ヒューストンの副官
 ニール大佐のビル・ダニエル、「テネシー義勇隊員」のルディ・ロビンス、ディーン・スミ
 ス、フラカの従僕の少年を演じたロヘリオ・エストラーダ、酒場のテーブルの上でフラメン
 コを踊っていたダンサーのテレサ・カンピオン、別のダンサーのエンマ・フェルナンデスに
 ウェインの未亡人ピラーさんだったそうです。

  既に80代後半で引退生活に入っていたリチャード・ウィドマークとフラカのリンダ・ク
 リスタルは欠席しました。40年以上も前に製作された映画ですから、関係者の大半は鬼籍
 に入っていても不思議はありません。ウェインしかり、ハーベイ、チル・ウィルス、リチャー
 ド・ブーンしかりです。

  ウィドマークと同年代の俳優でもあった元大統領のロナルド・リーガン(俳優時代の呼び
 方。レーガンは大統領になってから)氏が5日死去したというニュースも入り、一つの時代
 の終焉を象徴している思いにかられました。(彼らよりひとつ下の年代の俳優であったユル・
 ブリンナー、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、
 ホルスト・ブーフホルツなどもすでに鬼籍に入っています。時の流れの無情なこと・・・。)
[2004年6月8日 0時38分35秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」公式サイトへ寄せられたハンコック監督の感謝メッセージ

  今日(6月5日午前4時4分登録)RLC−GTT(ブラケットビル、テキサス州)


  新作「アラモ」の監督を務めたジョン・リー・ハンコック氏からこのサイト(「アラモ」
 サイトのことです。)の皆様への感謝のメッセージが寄せられました。以下、

  「アラモ」サイトの皆様へ

  私はこの作品に係ることになって以来、製作準備、製作中、製作後作業のすべての過程で、
 このサイトにたびたびアクセスしては、皆様の議論、疑問などを心から楽しませていただき
 ました。

  この映画の題材に関する皆様の知識の豊富さや愛情の深さにも、しばしば感嘆させられた
 ものです。多くの観客が見落としている画像が意味している表現にも、鋭い観察眼を感じら
 れました。

  主たる観衆の好みに合わせた形で作品を作ることは簡単なことでしたが、敢えてドラマ性
 に乏しくとも、史実に厳格な形で製作することにしました。この方針には、作品に係ったほ
 とんどの人々が賛同と熱意を示しました。従来の作品に沿った形で製作することを主張した
 人は皆無でした。

  今、私はこの作品を製作できたことに、大きな喜びと誇りを抱いております。そして、い
 つの日にか、1835〜36年の「栄光のオーラ」に包まれた出来事に関心を持つ人々が、
 この作品を私のためでなく、またこのサイトの皆様のためでもなく、自らの意思で観ること
 が来るように望んでやみません。

  このサイトの皆様が私たち製作スタッフに寄せてくださった多大なる関心と忍耐と愛情に
 衷心よりの感謝を表明するものであります。

  アラモを忘れるな!

  朋たちは銃を手に立ち上がった!

  ジョン・リー・ハンコック

  ****************************************

  RLC−GTTの追伸:

  私の手を見てください!どこにも意志に反した行動を強制する手錠はありません!
  私の首を見てください!どこにも「私、アンドリュー・ジャクソン、の(忠実な僕[しも
  べ]である)犬」という首輪はありません!

                −−ディビー・クロケット(1834年)

   
  とにかく、秋の公開を楽しみに待つよりありません。 
[2004年6月5日 23時35分20秒]

お名前: 放浪者   
  その名前は高く、永久に、主の御名と共に讃えられん・・・。

  こんなフレーズが「アラモ賛歌」にあったと記憶しています。

  5月27日までに、99館に減っていた上映館数は28日には、更に50館減り49館
 となりました。30日までの週末の興行収入は1万9千88ドルでした。メモリアル・デー
 の週末で31日までが休日のアメリカでは、この一日分を加えると2万4480ドルとな
 り、4月9日の封切り以来の興行収入は2215万3767ドルとなりました。

  製作費1億7百万ドルはもちろん、宣伝費の3千万ドルすら回収できないのは明白です。
 海外の収益も、まだ153万ドル!ある意味で一番当てにしていたメキシコの一月半分の
 稼ぎです。DVD販売やレンタルの権利収益が一縷の望みという状況です。
[2004年6月2日 21時19分15秒]

お名前: 放浪者   
   未だ落ちずや、アラモの砦は・・・。

  5月27日までの興行収入は1万9千230ドル増えて、総額では
 2212万9千287ドルとなりました。上映館数は不明なので、個
 別の数字はまだ出ていません。99館がどうなったのか、火曜日あた
 りには判明するはずです。
[2004年5月30日 21時43分31秒]

お名前: 放浪者   
  1997年にブラケットビルの「アラモ・ビレッジ」で「同窓会」が開かれたそう
 です。既に高齢だったリチャード・ウィドマークはもちろん、出席できませんでした
 が、映画の撮影時の思い出について語ったメッセージを送ったとか。

  今回の「ずっこけ大作・アラモ」についての「ボウィ大佐」のコメントはありませ
 ん。すでに90歳の大台にのって余生を静かに送っている元・俳優には酷な仕事にな
 る可能性があります。ブラケットビルの地元紙によれば、リンダ・クリスタルの出席
 も予定されていたそうですが、直前にキャンセルになったとか。替わりにディキンソ
 ン大尉夫人を演じたジョーン・オブライエンが参加したそうです。

  意外にも彼女、撮影当時は22歳だったそうで、史実のディキンソン婦人と違いは
 なかったのですね。髪の色は黒が金髪になっていましたが、年齢的な違いはなかった
 とは驚きでした。彼女にとっても、この「アラモ」は始めての本格的な映画出演だっ
 たそうですが、興業的に「失敗」したことで、ほとんど記憶にも残らなかった作品に
 なっていたそうです。しかし、このときに映画の出演者、製作者およびファンの集団
 から寄せられた「信じがたい賛辞」の数々に、あらためて「偉大なる作品」の一翼を
 担えたことに「誇り」を持てるようになったというコメントを寄せていました。

  また、欠席した(容色の衰えが著しいため、という噂)リンダ・クリスタルも、彼
 女なりのメッセージを送り、「この作品でディーク(ウェインの綽名)は、アラモの
 史実ではなく、神話を描いた。そして、その中で彼の理想ー共和制ーを語った。彼が
 意図したのはそれだけだった。そして、それに成功した」と書いてきたそうです。

  ジョン・フォードの遺作ともいうべき「リバティ・バランスを撃った男」の終わり
 で「伝説と真実とが違ったのなら、ためらいもなく伝説を採る」と取材記者に言わせ
 たように、ウェインも「真実よりも伝説を採る」立場を貫いたのですね。
[2004年5月27日 3時2分6秒]

お名前: 放浪者   
 いよいよ、鎮魂の鐘が鳴りそうです。

 本日発表された先週末の興行成績では、アラモの上映館はついに守備隊員数を下回り、
 ただの99館になりました。21−23日に挙げた興行収入は35,438ドルで、
 1館当たり57ドル、1日当たり19ドル!となりました。「離脱・逃亡者」は先週
 末で133館であったわけです。ここまで来れば命運は尽きたというべきでしょうね。

 
[2004年5月26日 4時56分37秒]

お名前: 放浪者   
  しつこいのは「ディズニー」か「テキサス魂」か

  「アラモ」の平日の興行収入が発表されなくなったと書いたら、5月の
 17日から20日までの合計が発表されました。たったの39256ドル
 の増加でした。232館として、4日間で割ると1館あたり一日の収益は
 42ドル30セントとなり、そこいらのスナックでの飲み代にもなるのか
 な?というところです。(1ドル115円として、約4864円なりです
 から、週末の「癒し代」にもなりませんね。)
[2004年5月23日 1時24分48秒]

お名前: 放浪者   
  いまだ「アラモ」は陥落せず!

  4月9日、全米2609館で一斉に封切られた「アラモ」でしたが、公開後
 わずか2週間で「撤退」する上映館が相次ぐ様になりました。まず570館が
 2週間で「撤退」。翌週には半数以上の1103館が、更に次の週(4週目)
 にも547館が、次いで今週にはさらに157館が「撤退」若しくは「脱落」
 したためについに残る「守備隊?」は232館となりました。史実のアラモの
 守備隊員をも下回るのは時間の問題です。

  それにしても、史実のよう「13日間で陥落」はしないものの、「13週間」
 くらいは持ちこたえるだろうと思っていたのですが、早くも「5週目」で10分
 の1以下になってしまいました。興行収入の発表も日計は、5月の6日をもって
 発表されなくなり、週末の3日間だけになってしまいました。

  5月 7〜 9日  293660ドル 389館 21790818ドル
  5月14〜16日  115462ドル 232館 22035363ドル

  週末3日間の1館当たりの収入が754ドル、497ドルとなっては、もはや
 「陥落」は目前に迫ったという感じです。

  
  「9・11テロ」直後の愛国心が高揚した時期、2002年の春に「時流に乗っ
 て一儲け」を狙ったディズニーのアイズナー会長のもくろみは見事にはずれたと
 いうところです。既に「アラモ」は地元テキサス以外では、単なる「歴史の一駒」 
 でしかありません。全米に知られた人物といえば、「落ち目」になっていた「辺
 境の王者・ディビー・クロケット」を除けば誰もいません。そこで変に「史実に
 こだわり、真実を描く」のでは、10代後半が主流のアメリカ映画興行界で「失
 敗」となるのは避けられなかったのかも知れません。

  いわば、「なじみのない事件とその関係者が、訳の判らないことを言い合い、
 ささやかな戦争になった」話なんて、興味を惹かなかったんでしょうね。

  「イエス・キリスト(いわずと知れた宗教界のスーパー・スター)」とか「ト
 ロイのヘレン(絶世の美女の代名詞になっている)」といった歴史にうとい観客
 でも知っている事件を扱った「史劇」ならともかく、年表の片隅に「ひっそりと
 書かれている事件」を忠実に再現したのでは金にならない、ということでしょう
 かね?
 
[2004年5月20日 20時35分5秒]

お名前: 放浪者   
  アラモの足取りゲームの補足

  砦が「整備」されつつあるとき、主演の3人が始めて勢ぞろいする場面で、
 砦の西北の角の砲座用の傾斜路の上に上がっています。その時、遠景で町が
 写りますが、教会が見えます。カメラの位置からすると、北の方向にあたる
 のですが、実際の教会は南西の方角に見えたはずです。まあ、見栄えのする
 映像のために、礼拝堂の向きを逆にすえたりしているので、文句は言えませ
 んけど。

  陥落後、ディキンソン母子が砦を去りますが、そのシーンでもおかしな所
 があるようです。まだ詳しくは判らないので、調べてみます。
[2004年5月17日 0時38分27秒]

お名前: 放浪者   
  新旧「アラモ」の野外セットの運命

  稼ぎ時の週末の興行も1館辺りの収益が250ドル程度にまで
 落ち込んでは、打ち切りは時間の問題でしょう。(ちなみに平日
 の収益は70ドル台で、観客は一回あたり20人足らずとか)

  せめて、つぎ込んだ膨大な制作費を回収する「一助」として、
 テキサスに「北米一広大な野外セット」といわれたサン・アント
 ニオやアラモの修道院跡などを「観光資源」として活用したいと
 ころでしょうね。でも、残念なことに土地の所有者との契約で、
 撮影後は取り壊すことが決まっているそうで、「取り直し」も終
 わっていることなので、もうほとんど存在していないかも知れま
 せん。

  一方の「ウェインのアラモ」は、ご承知のように今もほとんど
 が健在です。これは、このセットが作られたブラケットビルの町
 長だった「ハッピー」シャーハンの功績が大きいそうです。

  当初、セットの建設が始まったときは映画に写る部分だけの工
 事が行われたのです。経費の掛かり方が相当に違いますから、屋
 根とか裏側なんかは作らないのが普通です。その通りに工事が進
 められていたのを、経費が余分に掛かりすぎるというウェインを
 説得して、「土台から屋根まで」しっかりしたセットを地元の住
 民たちに仕事を与える目的を果たしつつ、完全な家屋のセットが
 建設されたそうです。

  この交換条件として、ウェインはセットを「自由に破壊」する
 ことが認められました。しかし、それは砦に関する部分だけで、
 町の部分にについてではありませんでした。

  そのため、はじめの脚本にあった「メキシコ軍が弾薬庫として
 使用した町の教会の尖塔を爆破する」シーンは、映画のように、
 教会の地下室に隠されていた弾薬を「押収」する形に改めらたと
 いうことです。

  町長シャーハンの思惑は当たり、いまもブラケットビルの町は
 「ウェインの遺産」を守りつつも、しっかりとその果実を収穫し
 続けているのです。
[2004年5月12日 23時11分49秒]

お名前: 放浪者   
  アラモの「揚げ足取りゲーム」の追加

  ひとつ「発見」したんですが、「牛肉調達作戦」の最中に最年少のスミティ(フランキー・
 アバロン)がヒューストンの下に伝令に送られます。劇中では3〜4日後に到着して、また砦
 に引き返すものの、既に戦闘は終わっており、ディキンソン大尉夫人とその娘リサたちが退去
 してきたときに「出迎える」形で映画は終わっています。

  上記のヒューストンの下に到着したスミティは、ヒューストンの副官ニールが休みをとるよ
 うに勧める言葉を振り切って砦へと引き返しますが、肝心のヒューストンの返事を聞いていな
 いのですね。これでは「伝令」としては「失格」ですね。
[2004年5月11日 21時35分54秒]

お名前: 放浪者   
 「夏の緑の葉ーーグリーン・リーブス・オブ・サマー」の原曲?

  いまもスタンダート・ナンバーとしてBGMでもよく耳にする機会の多い曲が
 いくつもあるジョン・ウェインの「アラモ」ですが、その中でも屈指の曲といえ
 ば、やはりこの「グリーン・・・」(GLOS)でしょう。

  この曲は作曲者のティオムキンがいろいろな曲を提示したものの、気に入られ
 ず、ついに頭にきた彼が母国のロシアで聞いた古いフォークソングをべースにし
 た半ば「やっつけ仕事」的に作曲したものをウェインに聞かせたら、意外にもOK
 が出たという話でも知られています。

  これについて、別の説があることを知りました。ロシアではなく、スペインの
 古い歌曲がベースになっているというものです。「フォリアス(folias)」という
 伝統的な音楽のひとつで、アルカンジェロ・コレリ(Arcangelo Corelli 1653〜
 1713) の作品に強く影響されたものだそうです。

  歌曲の形式や作曲者については、よく判りません。音楽史に詳しい方の書き込
 みに期待するよりないでしょう。
[2004年5月11日 21時23分4秒]

お名前: 放浪者   
  「アラモ」の続編が企画されていた?

 「新アラモ」の陥落は近いでしょうが、本来はジョン・ウェインの「アラモ」のページなんで、
 最近、掘り出した話題です。

  ジョン・ウェインの当初の「アラモ」は2部作として構想されていたという話です。

  なぜ、ウェインが主演をやらずにカメオ出演(ゲスト出演のことです)で、サム・ヒュース
 トンを演じて、監督業に専念しようとしたのか?という謎を少し解いてくれる話です。

  出演者として、ロック・ハドソンやウィリアム・ホールデン、ロバート・ミッチャム、
 ジェームズ・アーネスなどが挙げられ、女優としてはコンスタンス・タワーズ(フォードの
 「騎兵隊」に出てました)が挙げられていたそうです。アーネスなんかは、当時ならボウィー
 にはまり役だったですが、20年以上もあとでは、いけませんでしたね。ミッチャムも同じ
 役の候補だったということですが、「怪物」みたいな感じになりそうですね。

  ウェインは「第1部」で「脇役」ヒューストンを演じて、「第2部」でサン・ハシントで
 サンタ・アナを破るヒーローになると同時に、アラモでは「勝利者」、(「ゴリアド」でも
 ファニンの部隊約400人を全滅させたりしていましたから、サン・ハシントでは一転して、
 「敗北者の悲哀」を味わう悲劇の将軍として、サンタ・アナを描きたかったということです。

  なるほど当初の構想とは違ったものの、「敵役」であるはずのサンタ・アナの描き方が意
 外にも丁寧だったし、メキシコ軍もその「勇敢」さ「不屈」さなどがしっかり描かれていた
 訳ですね。予算不足のために、ウェインにとっては「不満だらけ」の作品になってしまいま
 したが、それなりに脚本家のジェームズ・エドワード・グランドは話をまとめていたことに
 なりますね。前半のだらついた感じのあるテンポの遅さも、もともと2部作用の話を1本に
 まとめたことから生じた「無理」でもあったんですね。
[2004年5月10日 0時9分36秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」は、いまだ「陥落」せず。

  4月9日に全米2609館で公開された「アラモ」は、2週間後には2039館に
 減り、その翌週には936館へと激減しましたが、さらに今週は389館にまで減っ
 てしまいました。史実でいうところでは3月1日辺りでしょうか、まだ18ポンド砲
 は「健在」を示す大砲は鳴り続けているようです。

  コアなファンは既に10回以上劇場に足を運んでいるのですが、今週末の興行成績
 が運命を決めるでしょうね。3月5日のサンタ・アナの「決断」はいつ、そして6日
 未明の総攻撃と陥落はいつになるのでしょうか?
[2004年5月8日 22時12分42秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」の砦の陥落は近いようですが、「コア(核)」になるファンがいることが、
 救いでしょうか?既に封切られてから3週間で、上映館数は当初の2609館から3分
 の1に激減しています。1日当たりの1館での興行収入平均はわずか70ドル前後にま 
 でなっています。資本主義の原則からいえば、「余命、いくばくない」状態であること
 は間違いありません。

  しかし、そのわずかな「アラモ命」の男たちの叫び声が聞こえてきます。ジョン・ウェ
 インの「アラモ」だって当初は、「駄作」「凡作」「独りよがりのお手盛りファミリー
 映画」などぼろくその評価でした。興行成績も惨憺たるもので、ウェインはその負債の
 返済に長くくるしめられました。それが今では、B+かA−程度の高い評価を受けるよう
 になっているのです。(新アラモの評価は大体、C−かD+と散々です。)

  DVD版でこそ、真価が発揮されるであろうという「コア」なファンたちが言っていま
 す。作品そのもをみていないので、評価はできませんが、事態は厳しいといえるでしょう。
  (彼らはこぞって、この「新・アラモ」をB+かA−程度と比較的高い評価を与えてい
  ます。中には「クラシック(古典)」になると絶賛する人もいますが、いかんせん「少
  数派中の少数に留まっています。)

  ウェインの時は、フェス・パーカーと「アラモの砦」でのクロケット像が全米に知られて
 いました。それから40年、クロケットもテキサスで知られた「英雄」のひとりになってし
 まいました。若い観客たちにはなじみのない人物となってしまいました。ボウィーもトラビ
 スも、はたまたサンタ・アナもです。ましてはヒューストンなどにおいておやです。

  はやく本編を見たいものです。そして、ウェイン版のそれとの違いの意味を知りたいもの
 です。

  しかし、歴史でのあるエピソードを映画化しようとする場合には、常に時間との制約が
 避けられないということですね。そして、そのバック・グランドを知る必要があればあるほ
 ど、映画の監督の苦悩は深まるのですね。せうした制約を超えて真に名作と認められるには
 きの遠くなほどの苦難な道が待っているのです。

  
[2004年5月7日 21時53分56秒]

お名前: 懐かしの野郎ども   
貯蔵していた食料が腐敗してしまう場面で、豚の腿肉の塩漬けがハムであることに些かの
カルチャーショックを受けた記憶が在ります。
トラビスとクロケットの邂逅シーンでのやり取り、この中で、クロケットの言葉に初めて
彼の人格を認める弁護士トラビス。
最後の場面ですが、総攻撃を開始する前に最後通告を行うメキシコ軍士官に対して、
ローレンスハーヴェイ演じるトラビス大佐が、葉巻で大砲に点火するシーン。
婦女子の安全を約したサンタアナ将軍の前を、砦から出て行く婦女子に兵士たちが道を開
ける、そんな彼女らに軍帽を外して敬礼するサンタアナ将軍。いや〜良かったですね。

史実に忠実も良いが完璧に再現できるものでは無い事を踏まえて、創作である商業映像芸術
としての位置づけだけで良いのではないか、楽しければそれでいい、哀しければそれでいい、
受け止める個人の問題であって、作者の主張とは裏腹に観客の眼は肥えてます、と思うのは
私だけでしょうか。
[2004年5月7日 0時48分45秒]

お名前: 放浪者   
 もはや、陥落は時間の問題・・・。「新・アラモ」

  いろいろ「手直し」やら「お化粧」やら、「売り出し時期」を変更したりのあの手、この手
 の数々の手練手管を駆使したものの、元の「素材の質」が良くなければ売れない、という当た
 り前の商売の鉄則が生きた見本になってしまったようです。(5月2日に終わる週末の興行成
 績が発表になっていませんが、上映館は前週の2039館から半分以下の936館に減りまし
 た。その前の週末に打ち切った570館と合わせると1673館となり、当初の3分の1とな
 りました。1館あたりの1日の興行収入がわずか80ドル足らずに減っては当然でしょう。公
 開当初は1200〜1300ドル平均でした。)

  ブエナ・ビスタ(ウォルト・ディズニー)社の「アイズナー(会長)・マジック」の神通力
 も尽きたようです。あのひどい駄作「パール・ハーバー」をゴテゴテに塗りたくった化粧でご
 まかして、それなりの成績を上げた経験から「柳の下の2匹目を狙った」がモロにはずれたと
 いうところでしょう。
 
  アラモの攻防戦に的を絞ったジョン・ウェインの「アラモ」でも3時間前後を必要としたの
 に、その発端からサン・ジャシントの戦いまでを2時間15分に押し込んだのだから、無茶苦
 茶な説明不足となり、激戦の再現を楽しみにしていた観客が「短い戦闘シーン」の連続にブー
 イングの雨をスクリーンに投げつけたという現地からの報道です。

  これなら、当初に予定されていたロン・ハワードに監督をさせ、1億4千万ドルを投じて、
 ラッセル・クロウにジム・ボウィーを演じさせ、流血の雨を再現させたほうが良かった?と
 流血の凄ましさでR指定(成人のみ)でありながら、超ヒットとなったメル・ギブソンの
「キリストのパッション(情熱)」の大当たりを横目で見ながら、アイズナー会長は思ってい
 るでしょうね。

  その点、ウェインの方は前半は長すぎたものの、後半の戦闘シーンについては公開当初から
 評価されていました。彼の「政治的メッセージ」が嫌われたのであって、映画としての評価、
 特に後半部については、この部分だけで公開すれば良かったのに、とさえいわれていました。

  サンタ・アナの到着を史実より遅らせ、架空の「探り攻撃」とその撃退戦を描き、さらに
 全周囲からの白昼の総攻撃というスペクタクルあふれる映像で描きました。

  今回の作品のように、いくら「史実を忠実に再現した」といっても、わずか2〜4時間程
 度の長さで歴史のエピソードを語ることはできませんから、背景や経過については忠実であっ
 ても、物語としては適当なはしょりと誇張をアクセントとしなければ、観客はついて来てく
 れないということですね。

                            
[2004年5月3日 16時1分4秒]

お名前: 放浪者   
  陥落近いのか?「アラモ」の興行不振続く

  4月9日(金曜日:現地時間)に公開されたウォルト・ディズニー・プロの
 最新作「アラモ」は予想通り?興行成績の不振にあえいでいます。

           興行収入(ドル)   通算(ドル)   対前日比(%)

  4月 9日(金) 3370012   3370012     −
  4月10日(土) 3494943   6865955   + 3.7
  4月11日(日) 2258746   9124701   −35.4
  4月12日(月) 1135159  10259860   −49.7
  4月13日(火)  771796  11031658   −32.0
  4月14日(水)  656518  11688174   −14.9
  4月15日(木)  575682  12263856   −12.3
  4月16日(金) 1245402  13509259   −63.0(対前週比)
  4月17日(土) 1801090  15310348   −48.5(同上) 
  4月18日(日) 1092079  16402427   −51.7(同上)
  4月19日(月)  314162  16716589   −72.3
  4月20日(火)  318110  17034699    +1.3
  4月21日(水)  335131  17369830    +5.4
  4月22日(木)  321102  17690932    −4.2
  4月23日(金)  582444  18273376   −53.2(対前週比)
  4月24日(土)  893444  19168820   −50.4(同上)
  4月25日(日)  557239  19724059   −49.0(同上)
  4月26日(月)  157903  19881962   −49.7

  といった具合で、低落傾向に歯止めが掛かりません。上映館数も22日までは2609館
 ありましたが、23日からは2039館に減りました。21.8%の減少となります。

  製作費は1億7百万ドルと当初の予算を1700万ドル超過していました。そのほかに
 宣伝費などの間接費が3千万ドルと推計されますので、総額は1億3700万ドルというこ
 とになります。1億を除いた分の回収すら難しいようです。あとは、DVDや海外での収入
 が頼りになります。

  「アラモ・死の砦」が「アラモ・自滅の砦」となるのは、時間の問題のようです。
 
[2004年4月29日 3時39分44秒]

お名前: 放浪者   
  日本頼みになるのか?「新アラモ」

  昨年暮れの公開を延期して、春のシーズンに臨んだブエナ・ビスタ(ウォルト・
 ディズニー)社が9千万ドルを投じた大作、「新アラモ」が4月の9日の金曜日か
 から全米2069館でいっせいに封切られました。

  出だしこそ、興行収益は912万5千ドルと順位も6位につけて、まあまあの
 成績でした。しかし、週を追うごとに急速な低落傾向が目立つようになりました。

  次の週末(4/15〜18)が413万9千ドルと55%もの「大激減」となり、
 さらに続く週末であった(4/23〜25)では速報値ですが、200万ドルと
 さらに「半減」しました。52%の減少となりました。当初の5分の1の22%
 にしかなりません。それでも全米チャート・ランクでは12位だそうで、この時
 期の不作ぶりが目立ちますね。

  この5月1日に日本で公開されるメル・ギブソンの「パッション」がすでに、
 3億千万ドルを稼ぎ出し、史上6位にランクされたということを考えると、既に
 「新アラモ」は「負け犬」のレッテルを貼られることは間違いないでしょう。

  制作費は9千万ドルとも1億ドルともいいますが、回収はまずもって「無理」
 だと思われます。やっと1968万2千ドルしか回収していないのですから。

  米国の映画の興行収入の変化から見ると、3週目までの収益の3倍になること
 はほとんどないようです。ということは「新アラモ」はせいぜい5千万ドル程度
 の興行収入しかみこめないということなります。

  はたして、「新アラモ」に「サン・ジャシントの逆転」はあるのだろうか?
[2004年4月27日 0時7分51秒]

お名前: 放浪者   
  「新アラモ」は公開第1週、ベストテン入りも赤字は必死。

  「ショウビズ」の報道によると全米第4位の興行収益を挙げた
 ものの、製作費の1億ドルを回収するがやっとだろうとの予想で
 す。3位になったのが、同じ週に公開されたコメディ(製作費は
 「アラモ」の8分の1で、集配は倍だそうです。

  「アラモ」ものは当たらないといジンクスができそうですね。
[2004年4月26日 1時16分49秒]

お名前: 放浪者   
 フランキー・アバロンが落ちていたようです。

 彼の役柄はスミティーでしたね。
[2004年4月25日 2時22分12秒]

お名前: 放浪者   
  季節も春となると、意外に野暮用が増えて、書き込みに割ける時間が減りますね。

  ふと、あの長ったらしい「新・アラモ」のキャスト表を見ていて、ウェイン版の
  それを書き抜いて見ました。

  主演
  ジョン・ウェイン          ディビッド(ディビー)・クロケット大佐   
  リチャード・ウィドマーク      ジェームズ・ボウィー大佐
  ローレンス・ハーヴェイ       ウィリアム・バレット・トラヴィス大佐

  助演
  パトリック・ウェイン        ジェームズ・バトラー・ボナム少尉
  リンダ・クリスタル         フラカ  
  ジョアン・オブライエン       スザンナ・ディキンソン大尉夫人
  チル・ウィリス           ビー・キーパー
  ジョゼフ・キャレリア        サンタ・アナ将軍

  その他
  ケン・カーティス          アルメロン・ディキンソン大尉
  カルロス・アルーザ
  ジェスター・ヘアストン
  ヴェダ・アン・ボルグ
  ジョン・ディーカース
  デンヴァー・パイル
  アイッサ・ウェイン         アンジェリーナ(リサ)・ディキンソン

  ハンク・ワァーデン
  ビル・ヘンリー
  ビル・ダニエル
  ウェスリー・ロウ
  チャック・ロバーソン
  グウィン・ウィリアムス
  オリーヴ・カーリー
  ルーベン・パディラ

  特別出演
  リチャード・ブーン         サム・ヒューストン将軍

  現在のように端役にいたるまで、クレジットに登場するのなら、簡単な話ですが、
  1960年ころでは、そんな訳にはいかず、HPなどで検索しても意外に配役が
  判りません。西部劇は結構見ていたものの、脇役のことなどはほとんど覚えてい
  ないので、「だろうな?」くらいの見当はつくものの、具体的には誰がどの役を
  演じたのかははっきりしません。空白をうめていただけると有難いのですが。

  その他タイトル・クレジットにも登場していない人物や配役なども判れば、とも
  あげていただきたいですね。

  (じつは、当時の超大作のひとつ「史上最大の作戦」の出演者、特にヨーロッパ系
   の俳優さんは現地ではかなりの大物でも、クレジットされていない人が少なくな
   いので、「発掘作業」をやっているのです。「西部開拓史」の方なら結構判明し
   ているのですが、「アラモ」の方はまさに「手抜かり」でした。)   
[2004年4月22日 19時14分16秒]

お名前: 放浪者   
 ジョン・ウェイン版の「メイキング・オブ・アラモ秘話」を開陳
してくれるはずのW.H.さん、どうしたのかな?

 DVD版のおまけの約40分版ではなく、約60分のロング版を
みた「わずかな日本人のひとり」として、「証言をする義務」があ
るよ。

 アクション・シーンの大半はアンドリュー・マートンの演出によ
るもので、ちまたに伝えられるじょん・フォードの関与はほとんど
なかったということですよ。

 あまりフォードがうるさく言うので、フィルムの入っていないカ
メラで「撮影」させたとかで、フォードが関係した映像は「皆無」
というのが本当のところらしい。

 こんな程度の記憶しかないので、あとはよろしく。
[2004年4月20日 4時5分32秒]

お名前: 放浪者   
  ジム・ボウイの身長

  ウェイン版の「アラモ」でジム・ボウィを演じたのはリチャード・ウィドマークで
 でしたが、これはジョン・ウェインの選択ではありませんでした。製作費がかさんだ
 ため、ユナイト映画に資金協力をあおいだことで、出資条件としてウィドマークの出
 演を条件にされたそうです。

  当初のキャステングでは、ジム・アーネスかチャールトン・ヘストンを予定してい
 たそうです。「アラモの砦」の冒頭の歌で、「6フィート・6インチの大男、それが
 ジム・ブィーイだ」と歌われているように2メートル近い大男だったと伝えられてい
 るのがボウィですね。後にボウィーを演じたアーネスは6フィート・7インチ(20
 1センチ)ですし、へストンにしても6フィート・5インチ(195センチ)といい
 ますから、イメージに合いますね。「アラモの砦」でボウィーを演じたスターリング・
 ヘイドンも6フィート・4インチ(193センチ)とジョン・ウェインと同じ体格で
 でしたから、堂々たる貫禄がありました。

  一方のウィドマークは5フィート・11インチ(180センチ)とも10インチ
 (177センチ)ともいいますから、見劣りするのは仕方ありません。しかし、その
  肉体的ハンデを克服して有り余るボウィを演じていたことは確かです。

  近年の研究では、ボウィの弟の証言として「兄は痩せ型の6フィートか6フィート
 1インチ前後の体格だった」というものが発見されているので、意外にウィドマーク
 の方が実像に近いのかもしれません。(ただし、有名な揉み上げひげがありませんで
 した。ヘイドンもそうでした。)

  6フィートだろうが、6フィート・6インチだろうが、当時のテキサスの主な住民
 であったメキシコ人たちからみれば「雲突くような大男」であったことには変わりな
 かったでしょうね。6フィート・2インチ(188センチ)というサム・ヒュースト
 ンが時として、7フィート(213センチ)を超す「超ノッポ」として語られること
 もある場所と時代だったので、話は大きいほうが「西部劇」らしくていいですね。
[2004年4月12日 13時25分53秒]

お名前: 放浪者   
  やっぱり、駄目か?「新アラモ」

  現地時間の4月9日に公開されたデズニィー・プロの「アラモ」の評判が、早くも
 ネットに登場しています。大体、7:3か8:2の割合でしょうか、評判は良くない
 ですね。(英語のネットなんで、よく理解できませんけどね。)

  とりあえず、ジェイソン・パトリックのジム・ブウィーィ(予告編ではこう聞こえ
 ます)とビリー・ボブ・ソーントンのクロケットが評価されているようです。デニス・
 クエィドのサム・ヒューストンとエチェバリアのサンタ・アナは「今いち」のようで
 す。

  新米の監督のジョン・リー・ハンコックの評判はいいようです。ただし、編集の評
 価は惨憺たるものです。いわく、登場人物が多いのに時間が短すぎる。(2時間15
 分位らしい)それぞれのエピソードが短くて理解しにくい。など、上映回数を確保す
 ることを優先した営業重視のディズニー・プロの姿勢は叩かれています。

  少なくとも3時間は要る話を切り詰めてしまったので、売り物になるはずだった戦
 闘シーンがあっけなく終わってしまう、という不満がけっこうありました。「特典映
 像付きのDVDセット」で商売する気なんでしょうか?下手をするとカットされたシー
 ンだけで本編より長くなるという体たらくらしいです。製作現場で半年ほど仕事をし
 ていた人物が、現場で予想していた出来上がりを滅茶苦茶にしたとアイズナー会長以
 下の製作トップをこき下ろしていますね。

  衛星放送の「アラモの砦」の方が楽しめそう。これがカラー映画だったと初めて知
 りました。ゆっくりと鑑賞している時間がないのが困り者ですが。
[2004年4月10日 22時52分58秒]

お名前: 放浪者   
  「新版・アラモ」の最終キャスト

   どうやら、公開ぎりぎりまで手直しのための編集が行われていたようです。

   今回のキャスト表が「最終」と思われます。

   デニス・クエイド              サム・ヒューストン将軍
   ビリー・ボブ・ソーントン          デイビィー・クロケット
   ジェイソン・パトリック           ジェイムズ・ボウィー
   パトリック・ウィルソン           ウィリアム・B・トラビス大佐
   エミリオ・エチェバリア           アントニオ・ロペス・サンタ・アナ
   ジョーディ・モーラ             ホアン・セギン
   ローラ・クリフトン             スザンナ・ディキンソン
   レオン・リッピィー             ウィリアム・ウォード軍曹
   以下、ABC順
   バート・ビートソン             伝令
   エイドリアン・ブラック           ジェイソン・ラスク
   マルク・ブルカス              ジェームズ・ボナム
   マーク・ブラウナー             ニュー・オリンズ義勇隊員
   W・アール・ブラウン            デビッド・バーネット
   ディモン・クラーク             ジョーンズ氏
   リック・ディアス              テキサス軍兵士
   クリスタル・マリー・ダッドレー       キャンプの一員
   クレイグ・エリックソン           トム・ウォーターズ
   スチィワート・フィンリー=マックレナン   ジェームス・グラント医師
   スコッティー・フリーマン          テキサス軍兵士
   ジェット・ガーナー             ニュー・オリンズ義勇隊員
   チャールズ・E・グレイ           アラモ守備隊員
   サフィア・グレイ              ウルスラ・オールズバリィ
   キット・グウィン              ボウィーの護衛
   マーク・ヘイル               アラモ守備隊員・曹長
   セリナ・ヘルナンデス            テハノの売春婦
   エドウィン・ホッジ             ジョー
   リチャード・ジョーンズ           飲んだれの老人
   トミー・G・ケンドリック          T・J・ラスク
   クリストファー・ヨーンズ          メキシコ軍兵士/テキサス軍兵士
   ニック・コーキッチ             ダニエル・クラウド(?)
   エストファニア・レブロン          ホアナ・オールズバリィ
                         ホアナ・ナヴァロ・オールズバリィ
   ジェームズ・マークス            サン・ハシント/ゴンザレスの伝令
   マーク・メンチャカ             ヴァイオリン奏者
   ニータ                   サルバドール(ウォーターズの飼犬)
   マット・オリアリー             ダニエル・クラウド(?)     
   フィリップ・オリヴァス           メキシコ軍兵士
   アフェモ・オミラニ             ベン・ジョンソン
   ロバート・プレンティス           アルバート・グリムス
   ネイサン・プライス             チャールズ・トラビス
   トッド・レイマーズ             ジェームズ・ファニン大佐
   モーリス・リプッケ             座り込んでいる捕虜
   グレッグ・ロメロ            ジェームズ・ガランド(テキサス守備隊員)
   ランディ・シグレイ             メキシコ軍曹長
   ラザロ・ソラレス              メキシコ軍中尉
   ジョー・スティーブンス           マイルズ・スカーロック
   ウェス・スチュウーディ           ボウル酋長
   アン・テイラー               劇場のパトロン
   デビィッド・K・ザンディ          メキシコ軍の軍曹
   
   以下 クレジットに表示なしの俳優
   ウェンディ・ボン              青い服の淑女
   ジェームズ・ダグラス            兵士
   パトリック・ジョンストン          バストロップの騎兵・伝令
   ニック・メドラーノ             テキサス軍兵士
   ロバート・C・ペメルトン          テキサス軍兵士
   アイッサ・ピーターソン           植民者
   アマンダ・リーターソン           植民者
   ティモシー・レーリィ            ジェームズ・マックグレガー
                         パイプ楽器奏者
   クリント・タイドウェル           守備隊員
   ダニエル・ズビーテ             中隊軍曹

   元のバージョンを見ていないので、どんな風に変えられたのか判りません。

   それにしても「難産」の末に誕生した作品となったようです。             
[2004年4月8日 5時8分8秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモの砦」を衛星放送が放映。

 4月8日衛星放送第2で放送する予定だそうです。原題 Last Command だと思います。
 ジム・ボウィーが主演の作品で未見なので、録画しておくつもりです。これまでに製
 作された作品の中では、これが一番史実に忠実なものといわれています。この作品に
 ついてはWHさんに、おまかせしますよ。
[2004年3月31日 23時6分7秒]

お名前: 放浪者   
  アラモーー歴史と伝説   (3)

  「アラモ砦の遺跡保存」から始まった「テキサス共和国の娘たち」協会が掲示して
 いる「アラモ攻防戦」の日誌をアップしましたが、他の「研究者」たちが集めた話も
 面白いものがいくつも含まれています。

  「アラモ」を浪花節の世界にたとえた方がおられましたが、それだけ「伝説」が入
 り込み易い事件でもあった訳です。なにしろ一方が「全滅」した関係で史料に大きな
 片寄りが生じている上に、「勝者」の側に起きた話だからですね。

  独立戦争に勝利したテキサス側に加担したメキシコ系住民のひとり、ホアン・セギ
 ンが戦いの後、守備隊員の遺灰を「回収して、丁重に葬った」のですが、その場所が
 よく分かっていません。何しろ、本人の言っているのが複数の違う場所を示している
 からなんですね。しかし、サン・フェルナンド教会の周囲のどこかということは判っ
 ています。実際、いくつかの遺骨や遺灰、壊れた銃の部品などが見つかっていますが、
 それがサンタ・アナの命によって、焼かれた守備隊員のものかどうかははっきりしま
 せん。前年に行われたサン・アントニオ包囲戦での戦死者、戦病没者らの遺体である
 可能性があるからです。

  クロケットの最後も議論の的です。普通は「アラモ」で描かれたように壮烈な戦死
 を遂げたというのですが、近年「発見」されているメキシコ側の史料の多くは、彼が
 一度は「降伏」または「捕虜」となったのち、サンタ・アナの命令で処刑されたとし
 ています。

  コス将軍が残した証言では、クロケットは兵舎の一部屋に逃げ込んで鍵をかけて閉
 じこもっていたところをメキシコ軍兵士に発見されました。彼は将軍に「たまたま当
 地を旅行中にこの戦闘に巻き込まれ、逃げる機会を失った」と語り、サンタ・アナの
 「慈悲」を請うたそうです。この願いを「偉大なる独裁者」は拒絶して、クロケット
 は処刑されたとあります。

  1878年にも同様の話が伝えられています。他の5人と共に「降伏」を申し出た
 クロケットが、「胸を1ダースもの銃剣で貫かれて死んだ」というものです。この手
 の話はメキシコでは早くも1836年のうちに伝えられていました。ホセ・エンリケ・
 デ・ラ・ペーニャ中佐の日記がメキシコ・シティで出版されていて、その中に「クロ
 ケットの降伏と処刑」が書かれていたのです。英語に翻訳されたのは1970年代に
 入ってからのことで、「クロケット奮戦死」説を信じていた多くのアメリカ人を驚か
 せましたが、強硬な別人説が打ち出されて、いまも壮烈な戦死説は根強く支持されて
 います。なにしろ、名前は聞いたことはあっても本人の容姿や顔は知られていないの
 が普通の時代でしたから、服装が似ていた別人の可能性は否定できないのですね。で
 も「真相は神のみぞ知る」ものとなっています。

  同様にジム・ボウィーの最後についても諸説あります。守備隊の指揮を取れなくなっ
 たのは、砲座を構築中に足場から落ちて「腰または尻の骨を折った」からだという説 
 は昔からありました。現在ではチブスか急性肺炎によるものという説が有力です。

  トラビスの「線引きとそれを跨ぐ」話でもボウィーは担架に載せられたまま、線を
 越えたことになっています。

  最後の戦闘が始まったとき、ボウィーの部屋にクロケットが駆け込んできて、「健
 闘を祈る」といって2丁の短銃を渡したという話もあります。

  最後の模様はいろいろ伝えられています。いわく、2丁の銃で二人を倒し、さらに
 ボウィー・ナイフを振るって数人を倒した後、銃剣で串刺しにされたーー「アラモ」
 はこの説を使っていました。いわく、すでに重態のボウィーはメキシコ兵が乱入して
 来たときも、事態を理解できないまま串刺しにされた。病身ながら最後の抵抗をしよ
 うとして、部屋の扉を開けて出たところを串刺しにされた。

  いちばん、グロテスクな話は戦闘が終わって守備隊員の遺体の焼却をしているとき
 に砦の片隅から担架に横たわっていた人物が発見された。それはまごうことなき彼の
 ジム・ボウィーその人であった。彼はまだ息があったが、サンタ・アナはそのまま、
 巨大な焚き火の中に担架ごと放り込ませた、というものでしょう。

  さて、新作の「アラモ」はどんな「最後の姿」を採用したのでしょうね。
[2004年3月31日 1時14分32秒]

お名前: 放浪者   
  アラモの13日間ーー歴史と伝説ーー  (2)

  1836年3月1日 月曜日

  午前3時ごろ、ゴンザレスの町からジョン・W・スミスが31人の「援軍」を連れて、
 メキシコ軍の包囲網を潜り抜けてアラモに到着した。テキサス側はメキシコ軍の司令部
 に向けて12ポンド砲2発を撃つ。1発はサンタ・アナの宿舎をかすめた。

  3月2日 火曜日

  アラモの守備隊員の疲労はひどくなり、この日正式に行われた「テキサス共和国の独
 立宣言」の知らせにも気づかなかった。(教会の鐘が打ち鳴らされて、使者たちが馬を
 駆けて各地に知らせをもたらす前に、人々に「予告」された。)


  3月3日 水曜日

  ゴリアドから長躯、メキシコ軍の包囲を潜り抜けてボナムが帰還した。しかし彼が
 もたらしたのはファニンが救援に来れないというものだった。(これは史実とは異な
 るボナムはゴリアドではなく、ゴンザレスに行っていた。さらにそこからの救援部隊
 が可能な限り速やかに送られるという「朗報」であった。)ジョン・W・スミスが独
 立協議会議長に宛てた手紙を持って、砦を出る。トラビスはスミスに「砦が健在な証
 し」として、毎日3回、朝、昼と夕方にそれぞれ18ポンド砲を1発ずつ撃つと告げ
 た。

  3月4日 金曜日

  メキシコ軍は包囲の輪を縮めて、砦への砲撃をアラモの北側と西側の壁に向けて
 砲撃を集中するようになる。

  3月5日 土曜日

  この日の夕方、トラビスは守備隊員を礼拝堂の外に集め、「砦は完全に包囲され、
 生き残れるチャンスは皆無となった」として、地面に剣で線を引き、砦に留まるこ
 とを希望する者はその線を越えるように、また、脱出を望むものはその場に留まる
 ように告げた。病の床にあったボウィーも寝床に横たわったまま、担がれて線を越
 えた。しかし、ひとりだけモーゼス・ローズだけは線を越えず、その夜砦から姿を
 消した。アラモ砦からの最後の使者として、ジェームズ・アレンも夜陰にまぎれて
 メキシコ軍の包囲を抜け出た。(この話はまず、脱出に成功したローズによって語
 られたという。その後、何十年もしてディキンソン夫人や奴隷のジョーなどによっ
 て「裏書き」されたので、信憑性に問題がある。)

  3月6日 日曜日

  午前2時、サンタ・アナはホアン・アルモンテ将軍と砦の攻略プランを練る。

  午前3時、メキシコ軍は移動を開始する。マルチン・コス将軍は西北の角を、
  デュッケ将軍は東北の方角から、ロメロ大佐は東から、モラレス将軍は南側か
  ら攻撃を行うことになった。ラミレツ・セスマ将軍の騎兵隊は砦から脱出する
  兵を阻止、掃討するために待機した。

  午前4時、攻撃前の沈黙。

  午前5時、アラモの守備隊員たちは夜明け前の闇の中から、「皆殺し」を意味
  する「デグエロ」の曲が奏でられるのを聞く。四方からメキシコ軍の攻撃が開
  始されたことを副官から告げられたトラビスは、守備隊員たちに向かってスペ
  インと英語で「諸君、降伏はないぞ!」と叫んで、北の壁に向かった。彼は戦
  闘の初期での戦死者のひとりとなった。


  午前6時半、戦闘が終了した。

  午前8時、サンタ・アナは本国に宛てた戦闘の報告書の口述を始める。

  (実際には、攻撃の命令は前日の午後5時頃に決定され、午後8時頃までには
  各部隊に命令が伝達されていた。部隊の移動は真夜中前に開始され、悟られな
  いために砲撃が午前3時頃まで続けられた。そのため、守備隊員の多くは砲撃
  が止まったのち眠りに落ちてしまった。そのため、メキシコ軍の攻撃は「奇襲」
  となった。)

  
[2004年3月29日 19時36分23秒]

お名前: 放浪者   
  「アラモ」の歴史と伝説ーー13日間の動きーー  (1)

  「アラモ砦保存協会」である「テキサス共和国の娘たち」がアラモ内部に掲げてある
  「アラモ攻防戦日誌」からの写しです。(史実と微妙に違いがあります。) 

  1836年2月23日 火曜日

   「エル・プレジデンテ(大統領)」ことアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アンナ・
  イ・ペレツ・デ・レブロン閣下が直卒する1000人余りの軍勢が、メキシコ辺境の州
  テキサスのサン・アントニオ・デ・ベハールの町に到着したのはこの日の昼過ぎだった。
  町のサン・フェルナンド教会の尖塔にいた見張りが先遣隊の到着を発見したのが、この
  日の朝方のことだった。ジョン・サザーランドとジョン・W・スミスがサンタ・アナの
  本隊が後続していることを確認する報告を受けて、町の守備隊の指揮官ウィリアム・B・
  トラビス中佐は守備隊員たちとその家族などに町の東側にあった「アラモ砦」に退避す
  るように命じた。同時に上記の両名を北東150キロのゴンザレスの町に救援を求める
  急使として派遣した。町の中央広場に入った本隊とサンタ・アナは、教会の尖塔の上に
  「慈悲なし」を意味する深紅の赤旗を掲げた。守備隊から脱落するものはひとりもいな
  かった。トラビスは「返答」として、砦の18ポンド砲の空砲で応じた。

   2月24日 水曜日

   トラビスと共に「アラモ守備隊」の「共同指揮官」であったジム・ボウィー民兵大佐
  がチブスか急性肺炎のいずれかのために病床に臥したため、指揮官はトラビス中佐(正
  規軍)に一任されることになった。(砦の守備隊はテキサス臨時政府に属する「正規軍」
  と志願者からなる民兵隊のふたつのグループから構成されていた。)メキシコ軍の砲撃
  が開始された。トラビスは「テキサスのと全アメリカ連邦の人々」に宛てた手紙を書き、
  急使に託した。

   2月25日 木曜日

   トラビスはホアン・セギンとアントニオ・クルーズ・イ・アローチャの二人をサム・
  ヒューストン将軍のもとへ更なる増援部隊を求める使者として送り出した。夜9時ごろ
  から土地名物の北風”チィエルゾー”が吹き荒れる。ロバート・ブラウン、チャールズ・
  デスパイラー、ジェームズ・ローズの3人が町の郊外にある「ラ・ヴィリィータ」を焼
  き討ちする。

   2月26日 金曜日

   前日に続き寒風がテキサスの大地を吹き荒れる。守備隊員にとっては休息の暇を取れ
  ない一日となった。旧修道院の古びた建物を「要塞」に変える任務を任されていた、グ
  リーン・B・ジェームソン技師(大尉)は隊員たち叱咤して砦の周囲に塹壕を掘った。
  デイビィー・クロケットとテネシー義勇隊が、周囲のメキシコ兵たちの狙撃を行い始め
  た。(これはかなりメキシコ側にとって「脅威」となったようです。)

   2月27日 土曜日

   メキシコ軍が砦の水の供給路を遮断しようとする。状況を視察中のサンタ・アナが
  砦から狙撃されるが命中はしなかった。ジェームズ・B・バトラー中尉がゴリアドに
  駐屯するジェームズ・W・ファニン大佐の下に救援を求める使者として派遣される。

   2月28日 日曜日

   北風がひどく吹き荒れる。気温は低下して、両軍の兵士は凍える。テキサス側は早
  くも食料の不足と休息の少なさに悩まされだす。メキシコ軍が再度、水の供給路を断
  つ試みる。この夜、砦の中で士気高揚のために「宴会」が行われた。クロケットはバ
  イオリンを弾き、スコットランド出身のマクグレガーがバグパイプを吹奏した。彼ら
  は誰が一番大きな音を出せるのかを競いあった。これが砦で行われた最後の「慰安会」
  となった。

   2月29日 月曜日(この年はうるう年だった)

   サンタ・アナは軍の再編成を行った。

   −−続くーー
  
[2004年3月29日 18時26分26秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」揚げ足取り −2−

 ● 指揮権を剥奪されたボウィが礼拝堂にトラビスを訪れるシーンで、天井部分は
  ない。少なくとも200キロはあった18ポンド砲を載せた砲座が作られていな
  ければならないはず。

 ● 後半部で、先遣部隊に包囲されたアラモの中でリサの誕生日を祝うシーンで、
  「ハッピバースディ・ツー・ユー」を歌っているが、この歌は半世紀以上も後の
  1893年に作詞されたものだ。

 ● 斥候が「とてつなくでかい大砲をメキシコ軍が持っている」と報告し、実際打
  ち込まれ、砦の部隊がそれを夜陰に乗じて破壊する。が、メキシコ軍は強行軍で
  サン・アントニオに到着したので、重砲部隊は包囲戦には間に合わなかった。こ
  の戦闘で最大の大砲は砦にあった18ポンド砲であった。メキシコ側は12ポン
  ドと8ポンド砲だけだった。

 ● 砦が陥落した後、保護されたディキンソン母子が砦を去るシーンで、ショット
  が替わるとリサの頬に汚れが突然付いたり、逆に母スザンナの首の汚れが消えて
  しまったりする。

 ● 映画の中でヒューストンもトラビスもメキシコ軍との位置関係を語るところが
  あるが、間違えている。ヒューストンはサン・アントニオを「リオ・グランデ」
  河のほとりに位置していると2度も語るが、サン・アントニオ川の間違い。ふたつ
  の川は250キロも離れている。

   トラビスがクロケットにアラモ死守の意義を説明するとき、地面にサーベルで
  地図を描く。そこで「X」印でサンタ・アナの部隊、線で「サビーン川」と言っ
  て仕切り、「X」の反対側ににヒューストンが軍を訓練・編成していると説明す
  るが、それではヒューストンはメキシコ領テキサスではなく「アメリカ領・ルイ
  ジアナ」にいることになってしまう。

 ● トラビスは「結婚している」と話しているが、この時点では既に「離婚」して
  いた。

 ● トラビスは守備隊の指揮所でスザンナ・ディキンソンを「いとこ」とボナムに
  紹介しているが、そのような血縁関係はなく、逆にトラビスとボナムが親戚関係
  にあった。またディキンソン婦人は金髪ではなく、黒髪でまだ22歳くらいだっ
  た。娘のアンジェリーナ(リサ)もまだ生後15ヶ月(18ヶ月とも言う)であ
  った。

 ● アラモ伝説でも有名な「トラビスの告別の演説」−−普通は、地面に線を引い
  て自分と運命をともにする者は、それをまたいで欲しい。去る者がまたげ、と言っ
  た説もあるーーが、メキシコ側の最初の正面攻撃のあと、増援に来るはずのファ
  ニン隊が待ち伏せされ、全滅したとボナムが伝令として知らせたあとに行われる
  が、すでに包囲されたあと、まだ明るい日差しがあるときに約百人もの大人数が
  包囲を突破して、脱出できるような状況ではない。 

 ● 砦の礼拝堂の向こうに夕日が落ちていくシーンがあるが、実際の礼拝堂は西を
  向いて建っているので、こういうことはあり得ない。(このあと、ウェインが共
  同監督をした「グリーンベレー」でも最後、水平線に沈む夕日を背景にベトナム
  の海岸を歩くウェインとベトナムの子供のシーンで観客の「失笑」を買った。訳
  はベトナムのを地図をご覧ください。話の舞台はベトナム中部になっていました。)
  
[2004年3月22日 2時32分26秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」が公開された1960年

  この年、日本は戦後も15年経ちテレビが普及しだしたころだった。でも、
 映画はまだ 「娯楽の王様」であり、名画と呼ばれる作品も数多く公開されて
 いた。

  キネマ旬報がまとめたこの年のベスト・テンによれば、

  1.「チャップリンの独裁者」(米・1940年)
  2.「甘い生活」(伊=仏・1960年)
  3.「太陽がいっぱい」(仏・1960年)
  4.「ロベレ将軍」(伊・1959年)
  5.「大人は判ってくれない」(仏・1959年)
  6.「黒いオルフェ」(仏・1959年)
  7.「人間の運命」」(ソ連・1959年)
  8.「勝手にしやがれ」(仏・1959年)
  9.「スリ」(仏・1960年)
 10.「誓いの休暇」(ソ連・1959年)

  ハリウッド映画が「制覇」している感じのある現在とは、かなり違う印象を
 受けますね。もちろん、キネマ旬報の評価は「映画評論家」諸氏の選出したも
 のですから、一般の観客が好んだものとは違いがあります。その方面の資料は
 手元にないので、何とも言えません。また、日本の興行関係の数字と言うのは
 信頼度が低いので、困ったものですが、いまもその点では改善が進んでいませ
 ん。

  最近、刊行されだした「20世紀シネマ館」という週刊誌タイプの映画史の
 1960年度ー1−に取り上げられている作品は、「太陽がいっぱい」「ベン・
 ハー」「勝手にしやがれ」「アパートの鍵貸します」「甘い生活」です。

  その年に話題になった作品として、「渚にて」「アッシャー家の惨劇」「カ
 ルメン」「五つの銅貨」「若者のすべて」「スパルタカス」「去年の夏突然に」
 などと並んで我が「アラモ」が挙げられています。

  それにしても、本国では悪評で散々な「アラモ」。大きな赤字を抱え込んで、
 資産の大部分を差し押さえられたウェインでしたが、日本での興行収入のお陰
 でウェインは「息をつけた」そうです。最近になってやっと「名画」のひとつ
 と本国でも評価され始めたのですが、まだカナダのような「外国」からの評価
 が主力のようです。日本の観客の目は「ミーハー的」ですが、意外にいいもの
 をもっていることを忘れてはいけないですね。(まったく無名だったゲーリー・
 クーパーが端役で登場した「つばさ」で、いち早く騒いだのが日本の観客たち、
 特に女性陣で、その人気振りが本国に伝えられて、経営陣が注目したという話
 があります。)
 
 
[2004年3月18日 18時12分40秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ・ヴィレッジ」奮戦す。

  テキサス州ブラケットヴィルという片田舎の町、というより
 も村に毛が生えたような小さなコミュニティが、過去50年ほ
 どハリウッドを中心とした映像産業の拠点のひとつとして活動
 しています。なによりもジョン・ウェインの大作「アラモ」の
 野外ロケ用のセットが建設され、また保存されていることでも
 知られています。

  しかし、この町のセットがウェインの「遺産」だけで食べて
 いる訳ではなく、大小200を超す作品のロケ、取材を受けて
 いることでも、それなりの観光スポットとして生きているので
 す。

  テキサス州の片田舎の村ブラケットビルは、第2次大戦で全
 米各地に建設された軍の基地のひとつがすぐそばにあったこと
 で潤いました。しかし、戦後は軍縮のために町は軍を頼りにす
 ることができなくなりました。1950年、市長に当選したケ
 ニー郡の牧場主であり、ビジネスマンでもあったジェームズ・
 T”ハッピィ”・シャーハンが町の運命を変えました。

  いわば「町興し」の一環として、ハリウッドの映画のロケ地
 として売込みをしたのです。そのかいあって、1951年には
 初めての大掛かりな映画ロケが「アロウヘッド(弓矢の矢じり)
 というチャールトン・へストンーー当時はまだ売り出し前の駆
 け出し俳優でしたーーが主演した作品がブラケットビルの町の
 新しい歴史の最初の1ページ目を飾りました。

  1955年、歴史考証の観点からいえば、一番正しいと評価
 されている「アラモの砦(ラスト・コマンド)」の撮影に使わ
 れました。しかし、このときに作られた「アラモの砦」のセッ
 トはディズニーの「鹿皮服の男」と大差さないものでした。

  そこで、ジョン・ウェインはアラモのセットを礼拝堂はほぼ
 実物大に、また、その他の部分は実物の75%程度の大きさに
 縮小したものをブラケットビルの町の郊外に建設したのです。

  その後、40年以上にも渡ってブラケットビルの「アラモ・
 ヴィレッジ」は数多くの作品のロケに使われました。もちろん、
 アラモ関係の作品はほとんどここで撮影されています。

  「ホアン・セギン」(1980年)、「アラモ2−−栄光へ
 の13日間」(1986)、「ヒューストンーーテキサスの伝
 説」(1986)、「アラモ、自由への代償」(1987)、 
 ミッチナー原作「テキサス史」(1994)、歴史チャンネル
 「アラモ」(1995)、ディスカバリー・チャンネル「アラ
 モの戦闘」(1995)、「ディビー・クロケットーー辺境の
 伝説」(1995)、「アラモーー新たな守備隊」(1999)
 などアラモに直結したものから、「ロンサム・ダブ」(198
 8)やPBSのケン・バーンズの「大西部史」(1995)な
 どのロケ地としても利用されています。

  今回、ディズニー・プロが別の場所に恒久的な野外セットを
 作ったことで、ブラケットビルは新たな事態に対応が求められ
 ています。

 
[2004年3月18日 2時40分52秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」の「揚げ足取りゲーム」

  映画・演劇文化が根付いているアメリカならではの、「雑学自慢」というか、
 「揚げ足取り合戦」みたいなものも、けっこう楽しまれています。

  すでにいくつか取り上げていますが、そんなHPを見つけたーーといっても
 24項と少ないーーので、重複を恐れずに面白そうなものを紹介します。

  ● 映画の冒頭部分は登場人物の名前をのぞけば、間違いだらけ。

    サム・ヒューストンが二ールやトラビスを伴ってサン・アントニオに行っ
   たことはない。泥酔しているボウィに替わってトラビスが少佐から大佐に
   昇進させて砦の守備隊指揮官に任命させたのも間違い。彼は前年の12月
   に臨時政府の知事ヘンリー・スミスによって「中佐」に任命されていた。

    ジム・ボウィが大酒を飲み泥酔して、徘徊したことは事実だがそれが原
   因で彼の指揮官としての「資格」を問われたことはない。また、彼がメキ
   シコ市民であったことや現地に大きな資産を持っていたことなども、彼の
   「テキサス共和国臨時政府」への忠誠心を疑われたことはない。

    そもそも、砦の指揮官はニール大佐であって、ボウィでもトラビスでも
   なかった。ニールが家族の急病のために「20日間だけ」砦を離れざるを
   得なくなったとき、指揮官代理としてトラビスを任命した。戻る前に砦が
   包囲されたため、ニールは戦闘の指揮を取れなかった。

    ボウィの奴隷が砦にいたことは事実だが、名前はジェズロ・スチワート
   ではなく、サムと呼ばれていた。彼はトラビスの奴隷ジョーと共に包囲戦
   を生き延びたが、その後の消息は分かっていない。

  ● 映画の終盤、クロケットが弾薬庫に向かって礼拝堂の前を駆け抜けるが、
   既に礼拝堂の中にいるメキシコ軍兵士は何の反応も見せない。彼は弾薬庫
   の前で槍兵から致命傷を受けるが、最後の力を振り絞り松明を弾薬庫に投
   げ込み、壮烈な死を遂げる。史実では別人、ロバート・エバンスが爆破を
   試みたが銃弾を浴びて倒れて、果たせなかった。

  ●   最後の戦闘シーンで、クロケットたちが守る低い防壁を騎兵の一隊が飛
    び越えるが、待ち構えた守備隊の一斉射撃を受けて倒れるが、次にその広
   場に散らばったはずの彼らの遺体は消えている。(このシーンは、スタン
   ト・コーディネーターのヤキマ・カヌート親子の快心の出来だったそうで
   す。ひとりの怪我人はもちろん、馬も傷付かなかったからです。)

  ●   トラビスが撃たれ、サーベルを投げつけて倒れたあと、駆け抜けるメキ
   シコ兵に踏まれないように左手をよけている。(ビデオでは分かりにくい
   ですね。(ついでにトラビスが戦死した場所は、映画で描かれた所に近い
   が、戦闘開始直後に頭部に銃弾を受けて死亡しています。守備隊の戦死者
   の最初のひとりだという。)

  ●  エミールたちと乱闘になるシーンで、背を向けているウェインは明らか
   にダブルであることが分かる。多分、監督と製作の「掛け持ち」で忙しかっ
   たためだろう。(^o^)

   ●  ボウィの妻は映画の3年前、コレラのために死亡していた。

  ●  クロケットの集団が始めてサン・アントニオの町に来たとき、馬には
   毛布程度しか乗せていないのに、次のシーンでは皆盛装している。それ   
   らの荷物を運んだのは誰?   
   
   ひとまずは、これまで。
    
[2004年3月17日 21時22分14秒]

お名前: 放浪者   
  DVD版の謎

  2002年に発売されたDVD版の「アラモ」は評判は散々でした。40分の
 メーキング・フィルムが「特典」として付いていたにもかかわらず、映画本編は
 162分と「ロードショウ」公開時の193分ーー前奏曲や、中間曲、終曲など
 を含めると202分ーーの「完全復元版」がVTRで1992年に出されていた
 からです。

  その原因は実に単純であり、愚かなものでした。1992年に「発見」された
 オリジナルのトッドAO式70ミリフィルムのネガの保存が「お粗末」だったた
 めでした。色彩の褪色はとても発売できる状態ではなく、市場からの要求に間に
 合わせるために、保存状態の良かった「短縮版」のネガを使ってDVD版を製作
 したというわけです。

  「マイ・フェア・レディ」「アラビアのロレンス」「スパルタカス」などの復
 元に当たったロバート・ハリスが復元に努力していますが、予算の不足と時間の
 不足(18ヶ月)に悩まされているといいます。しかも、ネガの痛みは想像以上
 なので、部分的にはオリジナルの色彩を復元できないところもあるそうです。

  いずれにしても、新作「アラモ」の公開に合わせて「復元版DVDアラモ」の
 発売が予定されているそうです。
[2004年3月15日 22時39分10秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」製作の過程

  どのような作品であれ、それが製作されるまでにはそれなりの時間が掛かります。
 「アラモ」もその例に漏れず、約15年の歳月を必要としました。

  きっかけはよく分かりませんが、第2次大戦中の1944年にウェインは「アラモ」
 のことを知り、映画にしたいと友人に語っていたそうです。少なくない数の俳優たち
 が軍服を着て祖国のために戦地に赴くなかで、ウェインは撮影現場に留まったひとり
 でした。1907年生まれのウェインは米国が本格的に参戦した当時の1942年に
 は35歳になっていました。しかし、先輩や同年輩のゲーブル、スチワート、フォン
 ダなどが軍に志願している中では「異例」な部類に入ってしまいます。彼は「銀幕」
 の中で前線や後方の兵士や家族たちを激励する立場に置かれました。そうした、実際
 面での「奉仕」ができなかった分、より「愛国的な心情」を表明せざるを得なかった
 し、またそうし続けることで、思想的にも「保守・愛国派」になっていったものと思
 われます。

  1950年代になって、全米を覆った「共産主義への嫌悪・恐怖」「反共主義」、
 それに対する「愛国主義」の高揚などの中で、「アラモ」を製作したいというウェイ
 ンの気持ちは次第に強くなり、特に55年に製作された「お子様向けアラモ」ともい
 うべき、ディズニーの「鹿皮服の男」での安直なクロケット像とアラモ攻防戦の姿に
 不満を爆発させたようです。

  「アラモ」の史実を当時の歴史研究のレベルに合わせて、出来るだけ尊重した作品
 として製作するつもりで準備に入りました。当初、ウェインは監督をするだけで、自
 分はヒューストン役として、後のリチャード・ブーンにように2、3カットだけの出
 演に止めるつもりだったのです。しかし、始めは250万ドル程度ーーこれでも当時
 なら普通作の倍以上ーーの制作費で抑える予定で準備に入ったのですが、何かに取り
 付かれたかのように、ウェインの構想は広がり、大きくなっていきました。

  簡単な組み立て式のセットではなく、ほとんど実物大のアラモの砦のセットを実物
 と同じく手作りの日干し煉瓦でくみ上げ、10種類を越すメキシコ軍の制服6000
 着、エキストラ2000人(3000人ともいう)、馬1千頭、牛400頭、大砲5
 0門、鉄砲1500丁などが調達され、制作費は当初の3倍以上の8百万ドルにもな
 ると予想され、ついにウェインは資金を提供する側から「担保」として、主演者のひ
 とりとなるようにという要求を受け入れざるを得ませんでした。製作・監督・主演を
 兼ねることでウェインのストレスは極端に大きくなり、撮影現場で「援助」してくれ
 たジョン・フォードとも衝突を繰り返し、数年後に両者の「離別」の一因ともなりま
 した。

  制作費はさらにかさみ、ついにウェインは自身の邸宅を始めとする資産や将来の映
 画出演料まで抵当に入れるはめになり、最終的な制作費は当時としては破格の120
 0万ドルにも達しました。しかし、興行的には400万ドルの赤字を出して「アラモ
 ・死の砦」ならぬ「アラモ・赤字の砦」と揶揄されることになります。ウェインはそ
 の後の10年間、借金の返済に苦しめられたといいます。

  しかし、ウェインが誠意を込めて製作に心血を注いでくれたおかげで「アラモ」は、
 いまも新たなファンを獲得し続ける稀な作品として存続しています。ただ、怪しから
 ぬことに、DVD版の発売にあたってMGM/UA社はそれまで市場に出回っていた
 「ディレクターズ・カット完全版、アラモ」(193分)のビデオ2本組を回収して、
 161分の「短縮版」を売り出したのです。これは熱烈なマニアたちの怒りを買いま
 した。多分、おまけの「メーキング・オブ・アラモ」を付けることで一番流通してい
 た「短縮版・アラモ」で売れると判断したのでしょうね。(今度の新作「アラモ」の
 公開に合わせて、「完全版アラモ」が発売されるというニュースもあります。ただ、
 そのための費用と時間が不足しているという気になる情報もあります。)
 
[2004年3月14日 20時1分27秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」の逃亡者?トラビスは「線を引いたのか?」

  ジョン・ウェイン版では守備隊からの脱落者はひとりも登場しませんでしたが、
 その前に作られた「鹿皮服の男」では、最後の戦闘を目前にしてひとりの男が脱出
 したことが描かれていました。そしてその直接の動機として、トラビスが守備隊員
 全員を前にして、砦の状況は絶望的になっており、砦に留まって最後まで抵抗を続
 けるか、もしくは砦を脱出して、他日を期するも各人の自由意志であるとして、地
 面に線を引き、留まるものはその線を越える(逆に脱出を希望するものが越える、
 ようにと言ったというふたつの話をディキンソン婦人が残しています)ように言い、
 病気でベッドに横たわったままのボウィーも担がれたまま線を越えます。

  ひとりの老兵、ルイス・”モーゼス”・ローズだけが「脱出」を選択します。と
 いって、彼が脱出できる可能性は極めて、少なかったので、彼が「卑怯者」だった
 ということにはなりません。守備隊の中で最も「実戦経験」が豊富であったひとり
 として「的確な判断」を下した上での行動でありました。

  ローズは1785年、フランスのアルザス地方に生まれ、ナポレオンの「大陸軍」
 にも参加、あの1812年のロシア遠征で国境を越えた38万人のうちかろうじて
 生還した3万人足らずの兵士のひとりでした。そこで彼がいくども経験した殿(し
 んがり)部隊の英雄的で献身的な防戦が、情け容赦のないロシア軍の追撃や「冬将
 軍」の前にあえなく「無為」に帰していった体験が、ローズの脳裏から離れること
 はなかったのです。彼なりに「砦」で「玉砕」をしても、軍事的に無意味と判断し
 た訳です。
 
  1832年ころにテキサスの住人となっていたローズは、50歳と当時としては
 「老人」になっていながら、35年の「独立闘争」に参加して、サン・アントニオ
 包囲戦で戦い、「マタモロス遠征軍」に編入されます。しかし理由は不明ですが、
 サン・アントニオに戻り、ジム・ボウィの指揮下に入り、サンタ・アナの到着を迎
 えたのです。

  彼の「脱出行」は奇跡的な幸運に恵まれたのです。翌朝の攻撃に備えて、メキシ
 コ軍部隊は移動を感知されることなく行動しなければならず、「小さな異状」は見
 逃したからです。その後、数時間でメキシコ軍の包囲線を突破した彼は昼間は隠れ、
 夜に動き、途中足に負傷を負いながらも安全地帯へ逃れます。

  彼は「アラモ守備隊の神格化」が進められる風潮が高まる中でも、彼は自分の行
 動を隠すことはありませんでした。一度も「砦にいたこと」や「最終戦闘直前の脱
 出」を否定したことはなく、逆に少なくとも6人の守備隊員の遺族たちのために、
 彼らが砦にいたことを宣誓証言しています。これらのことは彼が自身の行動に何の
 疾しさを感じることがなかったことを物語っていると思います。

  政治的な思惑からウェインはローズの「脱落」を描きませんでした。今度の作品
 でもローズの名前は登場していないようです。ということは「トラビスの線」も?
 なんて疑問を抱かされますね。
 
 
  
 
  

  
[2004年3月13日 23時29分54秒]

お名前: 放浪者   
  そろそろ、本編に戻る時が来たようです。

  いろいろと「アラモ」にまつわる話を書きなぐってきましたが、やはり、
 映画「アラモ」そのものについて書くべきでしょう。もう一ヶ月もしない
 うちにディズニー版の「アラモ」が公開されます。それと比較するかたち
 で賛否両論が激しく交わされるでしょう。(日本ではないでしょうね。本
 国アメリカでは現に「戦争」が継続している以上、民主主義の大義を扱っ
 たこのウェイン版「アラモ」がその象徴のひとつとして、論争の的となる
 ことは間違いないでしょう。)

  以前にも書いたように、公開当時はその「愛国主義」が鼻につく「駄作」
 とか、大金を捨てた「凡作」などと散々な批判が大半でした。それがいま
 では比較的コンスタントに売れているDVDやビデオの古典の仲間入りを
 しています。手元のビデオ・ガイドでも評価は4つ星ランクで3つですか
 ら、傑作や名作の仲間入りをしています。5つ星ランクの本でも3つ半か
 4つになっているものがあります。満点というのは「必見」という評価な
 のですが、映画は芸術であると同時に「商品」でもあるので、旬(しゅん)
 というもがあります。いわば「賞味期限」があるといえます。

  ですから映画のガイド・ブックでの「満点」の評価には2種類あること
 になります。今、この時に見ておかないといけない(或は、見る価値がな
 い)作品と時間の壁を乗り越えて、映画という「商売用商品」から「芸術
 品」に昇華したものとがあるのです。製作されてから40年以上も経って
 いるのに、今なお新しい観客をひきつける作品は「芸術作品」になったと
 評価しても間違いないでしょう。ウェイン版の「アラモ」は既にそうした
 地位を築いています。今度の新作公開によって、よりその評価は上がりこ
 そすれ、下がることはないでしょう。
[2004年3月12日 3時8分36秒]

お名前: 放浪者   
  「手直し版・アラモ」のキャスト

  3月4日付けの「アラモ」のホーム・ページのキャストは以下のとおり、

  デニス・クェイド              サム・ヒューストン将軍(テ)
  モーリス・リプケ(*)           座り込んだ捕虜(?) 
  ビリー・ボブ・ソーントン          ディヴィ・クロケット(テ)
  ジェイソン・パトリック           ジェームズ・ボウィー(テ)
  パトリック・ウィルソン           ウィリアム・B・トラヴィス大佐(テ)
  エミリオ・エチェヴァリア          サンタ・アナ将軍(メ)
  ジョーディー・モッラ(*1)        ホァン・セギン(テ) 
  ローラ・クリフトン             スザンナ・ディキンソン(テ)
  レオン・リッピィ              ウィリアム・ウォード軍曹(テ)
  ケヴィン・ペイジ              ミカジャー・オートリー(テ)
  クレイグ・エリクソン            トム・ウォーターズ
  ダメオン・クラーク(*)          ジョーンズ氏
  ネイサン・プライス(*)          チャーリー・トラヴィス 
  ジェームズ・ダグラス(*)         兵士(無名)
  スチワート・フィンレイ=マックレナン    ジェームズ・グラント医師
  スコッティ・フリーマン(*)        テキサス軍兵士(テ)
  ジェット・ガーナー(*)          ニュー・オリンズ義勇隊兵士(テ)
  ジョナサン・グウィン(*)         ボウィーのボディーガード?(テ)
  マーク・ヘイル(*)            アラモの曹長(テ)
  エドウィン・ホッジ             ジョー(トラヴィスの奴隷)
  パトリック・ジョンストン(*)       バストロップの騎兵隊員
  トミィー・G・ケンドリック(*)      T・J・ラスク
  クリストファー・ジョーンズ(*)      メキシコ軍・テキサス軍(意味不明)
  ニック・コキッチ              ダニエル・クラウド(テ)
  ジェームズ・マークス(*)         サン・ハシント=ゴンザレスの騎手(テ)
  ニック・メダルノ(*)           テキサス軍の兵士(テ)
  マルク・メンチャカ(*)          横笛の奏者
  バート・ビートソン(*)          伝令
  ニータ(*)                「サルバドール」T・ウォーターズの犬
    マシュウ(マット)・オリアリー       ダニエル・クラウド(*2) 
  フィリップ・オリヴァス(*)        メキシコ軍の斥候兵(メ)  
  アフェモ・オミラミ(*)          ベン・ジョンソン
  ロバート・C・ピーメルトン(*)      テキサス軍の兵士(テ)
  ロバート・プレンティス           アルバート・グリムス(テ)
  トッド・レイマース             ジェームズ・ファニン大佐(テ) 
  チモシィー・ライリー(*)         ジェームズ・マッグレガー(テ:砦の奏手)
  グレッグ・ロメロ(*)           テキサス側の守備隊員(テ)
  ランディ・シグリー(*)          メキシコ軍の曹長(メ)
  エイダン・ブラック(*)          ジャクソン・ラスク(テ:トラヴィスの騎兵                        隊員ひとり) 
  ウェス・スチューデー            ボゥル酋長 
  マルク・ブルーカス             ジェームズ・ボナム(テ)
  クリント・タイドウェル(*)        守備隊員(無名)  
  デヴィッド・ザンディ(*)         メキシコ軍の軍曹(メ) 
  ダニエル・ズービエイト(*)        中隊付きの軍曹(テ?)
  マーク・ブラウナー(*)          ニュー・オリンズ「グレイ」義勇隊員(テ)
  W・アール・ブラウン(*)         デヴィッド・バーネット
  キット・グウィン(*)           エイヤーズ婦人 
  セリオン・ヘルナンデス(*)        テハノの売春婦
  エステファニア・レバロン          ホアナ・オールズベリー
  アリッサ・ピーターソン(*)        植民者
  アマンダ・ピーターソン(*)        植民者  
  アン・テイラー(*)            劇場のパトロン
  クリスタル・マリー・ダッドリー(*)    キャンプの随行者
 
  (*)が新たに加わった俳優 
  (*1) ホアン・セギン役はホルへ・モッラ・ペレズから交代したようです。
  (*2) ニック・コキッチがクラウドを演じているので、当初のように息子が
       テキサス軍に志願する父親役であると思います。

  新たな配役について調べて、分かったものについても書きます。
[2004年3月11日 1時33分51秒]

お名前: 放浪者   
  前途多難?新「アラモ」−−大幅手直し。

  先にディズニー版「アラモ」の詳細な配役を紹介しましたが、やはり「事前試写」で
 の悪評のためか?かなり配役が違ったものが発表されてきました。

  前の配役表から23人もの役柄が姿を消して?35人が追加されたものです。
  43人から半分の23人を削って、54人のうち35人が新たな追加キャスト
  という「大事」になっています。どっちの表が正しいのか?調べてみます。

  これだけ変わるということは、「幻の0号版」はよほど評判が悪かったということで
 すね。まるっきり違う映画になってしまったといっても過言ではないでしょう。
[2004年3月9日 21時5分29秒]

お名前: 放浪者   
  オースチン親子ーー「アラモ」事件の元凶?テキサスの強盗?米国の手先?

  何か物騒な副題ですけど、メキシコ側から見たら多分、こんな評価を付けられそう
 な人物がモーゼスとスチーブンのオースチン親子ですね。

  東部でいろいろなことを試しては失敗と挫折を繰り返したモーゼス・オースチンは、
 「無人の荒野」テキサスで儲けようとたくらみ、スペインから独立したばかりのメキ
 シコへ乗り込み、先住民コマンチ族との紛争が絶えなかったテキサスに、米国からの
 殖民者を入れ、メキシコ本国との「緩衝地帯」を設けることを提案しました。

  なにしろ当時のメキシコ領テキサスは、現在のテキサス州だけでなくニュー・メキ
 シコ州やユタ州にも及ぶ日本の倍以上もある広大な土地でしたが、住民の方は僅かで、
 数千人しかいなかった状態でした。そんな状態と独立したばかりで、辺境の地まで手
 が廻らなかったメキシコ政府も賛成して、三百家族の入植を認めました。しかし、そ
 こでモーゼスは病死してしまったので、事業の後を継いだのが息子のスチーブン(1
 793〜1836)でした。

  1823年に制定されたメキシコ憲法によって、入植者たちはメキシコ市民として
 の権利を得る替わりに、カソリック教徒に改宗することを求められました。これが映
 画の中でアラモ砦に掲げられた旗にある1823の意味です。はじめのうちはともか
 くとして、テキサスの広大な原野は入植を許された人々だけでなく、その他の「野心
 家たちの食欲」を刺激しました。不法な入植者も少なからずいたので、わずか10年
 で、メキシコ系の住民をはるかに凌ぐ数のアングロ系の住民がテキサスにいることに
 なりました。スチーブン・オースチンが「アングロ系メキシコ人」の主導的な立場に
 あり、大きな影響力を持っていたことは当然のことでした。

  雄弁家としても知られたオースチンは、サンタ・アナの登場によって独裁制が強まっ
 たメキシコ中央政府と対立を深めるテキサスの象徴的な存在となりました。交渉の最
 中に逮捕され、1年以上も牢獄生活を強いられても屈せず、釈放された後でも活動を
 続け、アメリカ東部諸州を廻ってテキサスへの支持を呼びかけました。

  ヒューストンがテキサスの武力の代表者であった一方、オースチンは政治的な代表
 でした。独立を得たあと共和国の初代の大統領の座を競って、ヒューストンに破れた
 直後の1836年12月27日に病いのため死去しました。43歳の壮年での突然の
 死でした。
[2004年3月7日 18時15分20秒]

お名前: 放浪者   
  「アラモ」と「大カラス」ヒューストン

  ウェイン版の「アラモ」の冒頭と終盤の2回だけ登場しているサム・ヒューストンに
 について書いていないようなので、以下に。

  何年か前に出版広告を見ただけなのですが、「テキサス独立戦争」での双方の大物、
 サンタ・アナとヒューストンの伝記がありました。その副題が「大カラスと鷲の戦い」
 となってました。それぞれヒューストンとサンタ・アナに付けられた綽名に由来してい
 ます。

  サムエル・ヒューストンは1793年3月2日にヴァージニア州で生まれました。同
 名の父親にとって5番目の男の子でした。13歳のときに父親を失い、母親と5人の兄
 弟と3人の姉妹という大家族はテネシーに移住しました。ホメロスの「イリヤッド」な
 どを愛読した早熟な一面を見せていた15歳のサムは、農業に専念させようとした兄た
 ちの方針に反発して、家出をします。先住民のチェロッキー・インディアンの部落で3
 年間を過ごすという変わった経験をします。このとき酋長のオオロテッカに付けられた
 呼び名が「大カラス」でした。彼は生涯、先住民に対して親愛さ、同情さを持つことに
 なります。その後、白人の社会に戻った彼は学業を修めます。

  1813年第2次米英戦争の最中に、米陸軍に志願して兵卒となります。わずか4ヶ
 月で少尉に昇進し、後に大統領となるアンドリュー・ジャクソン将軍の下で奮戦します。
 3度の負傷をする勇敢さでジャクソンの信任を得ます。5年後上級中尉で退役して、陸
 軍長官の副代理人となります。政治や法律の経験を積んでテネシー州で法律家となりま
 すが、同時に同地の民兵隊の大佐に任ぜられます。少将に昇進してあと、連邦議会の下
 院議員となり、ジャクソン大統領の一派として活動します。1827年、議員を2期務
 めたあと、テネシーの州知事となります。在職中に結婚しますが、奇妙なことに僅か3
 ヶ月で破綻し、更には知事の職も辞任しました。この謎はよく分かっていません。彼は
 ミシシッピー川の西に移住させられていたチェロッキー族の下に行きます。また3年を
 彼らと過ごし、種族の娘と結婚をして暮らしますが、同時に彼らの「代理人」として、
 種族間の紛争の調停や白人との交渉にもあたります。1837年に最初の妻との間で離
 婚が成立するまで、彼は「重婚」状態にあり、白人社会に復帰したあとこの問題に悩ま
 されました。

  1832年、妻と部族を置いてふたたび白人の社会に戻り、その年の末にテキサスに
 移住して土地の投機人となり、現地の政治的なリーダーのひとりとなります。1835
 年からの「独立問題」会議のメンバーとなり、翌年3月の「独立宣言」による臨時政府
 の軍事部門の責任者に任じられます。サン・ハシントで自らも足に負傷を負いながらも、 
 サンタ・アナを破り、独立を勝ち取る立役者となりました。テキサス共和国の初代大統
 領に選ばれ、2期を勤めます。1845年、テキサスがアメリカ合衆国に「併合」され
 ると連邦上院議員となり、1859年にはテキサス州知事にもなります。1861年、
 南北戦争が起きると連邦からの離脱に反対していた彼は知事の座から追われ、政治的生
 活に終止符を打ちます。その2年後波乱に富んだ生涯を閉じました。

  
[2004年3月7日 12時30分31秒]

お名前: 放浪者   
  ミラボー・B・ラマー、超出世した軍人

  新作の俳優・配役の末尾の方に登場しているミラボー・ラマーという人物も、変動の
  激しい時代を生きたひとりとして興味ある生涯を送りました。

  1798年、ジョージア州に生まれたミラボーは、早くから優れた騎手、詩人、画家
  としての才能を発揮していました。テキサス軍に一兵卒として参加しましたが、敗走
  を続けるテキサス軍の中にあって、指揮官として優れた資質を認められ、一躍少佐と
  なり、騎兵部隊を率いました。サン・ハシントの戦いに参加して勝利に貢献した後、
  テキサス軍の少将に昇進しました。

  独立後はヒューストンの下で副大統領となり、彼の後共和国の第2代の大統領となり
  ます。1846年の米墨戦争では米国軍の中佐として従軍、モンテレーの戦いに参加
  しました。テキサスに戻った後は法律家・政治家として活動しました。1859年の
  クリスマスを間近にひかえた12月9日、彼は心臓発作のためになくなりました。
[2004年3月6日 18時33分54秒]

お名前: 放浪者   
 「新・アラモ」の守備隊の兵士たち

  ジョン・ウェインの映画では、その名前を挙げられなかった実在の守備隊員が
 何人か今回の映画では登場しています。(読み方が若干違う人がいます)

  ダニエル・クラウド、ミカジャー・オートリー、ウィリアム・B・ウォード、
  アルバート・グライムス、ジョン・フォーサイス、アイザック・ミルサップス、
  マイアル・スカーロックの7人です。

  割りと経歴がわかった人物とそうでない人がいます。簡単に記述して見ます。
  (アルファベット順)

  ミカジャー・オートリー(1794?〜1836)、ノース・カロライナ州出身。

   1812年の第2次米英戦争に志願兵として従軍。15年に退役。テネシー州
   に移住し、法律家となる。1835年、ニューヨークを訪れた際に、テキサス
   殖民計画を知り、現地に行く。36年1月「テキサス外人義勇部隊」に志願。
   ハリソン大尉の指揮のもと、ディビー・クロケットらと共にアラモに入る。
   彼は素人ながら詩人、作家、画家、演奏家など多彩な才能を見せていた。

  ダニエル・ウィリアム・クラウド(1814〜1836)、ケンタッキー州出身。

   1814年2月20日に生まれた。彼は弁護士となり、同僚のピーター・ベイ
   リーと共に中西部の各州を経ながら、テキサスに到る。36年1月14日、二
   人は同郷のB・トーマス、ウィリアム・ファンテルロイ、ジョゼフ・ワシント
   ンら共にナコドッチェスで志願兵として登録した。2月11日、アラモに到着。
   「テネシー義勇騎馬隊」の一員として活動。3月6日に戦死した。

  ジョン・ハッブバード・フォーサイス(1797〜1836)ニューヨーク出身。

   ニューヨーク郊外の農園で生まれ、長じて医学を学ぶが、実務には就かなかっ
   た。妻の死後、子供を実家に預けて、テキサスに向かう。そこでテキサス共和
   軍の大尉となり、トラビスと共にアラモに入る。

  アルフレッド・カルヴィン・グライムス(1817〜1836)、ジョージア州。
   
   テキサスのナヴァソタに住み、独立戦争が始まるとフォーサイスらと共にアラ
   モに入る。彼の父親ジェッシーは36年3月2日、テキサスの「独立宣言」に
   署名をしたひとりであった。息子のアルフレッド(アルバートという説もある)
   は3月6日に戦死した。

  アイザック・ミルサップ(1795〜1836)、テネシー州出身。

   1814年、テネシー民兵隊に志願。兵士として勤務する。マリー・ブラック
   バーンと結婚。7人の子供に恵まれる。テキサス独立戦争が始まったとき、彼
   らはゴンザレスに居住していた。彼は盲目の妻と子供たちを残して、36年3
   月1日夜、アラモに他の30人あまりと「ゴンザレス・騎乗偵察中隊」として
   入る。5日後に彼は戦死した。

  マイアル・スカーロック(1809〜1836)、ノース・カロライナ出身。

   テネシーとミシシッピーに住んだあと、兄のウィリアムと共に奴隷商人として
   テキサスに移る。サン・アウグスチンに住んだが、独立戦争に参加、35年10
   月サン・アントニオ包囲戦に志願兵として参加。そのまま同地に留まり、36
   年3月のアラモ陥落の際に戦死した。

  ウィリアム・B・ウォード(1806〜1836)、アイルランド出身。

   両親と共にアメリカに移住。ニュー・オリンズに暮らす。テキサスに義勇兵と
   して参加。大酒のみで知られたが、2月23日メキシコ軍が到着した際には、
   他の守備隊員が右往左往する中、砦の正門に敷設された大砲を落ち着いて操作
   しているのを目撃されている。彼も3月6日の戦闘で戦死した。


  
[2004年3月6日 18時12分43秒]

お名前: 放浪者   
  PCの具合が変になっていたので、しばらく休んでました。復帰したら、
 ドラ猫が「春の陽気」に誘われて家出をしてしまいました。「延しイカ」に
 なってなきゃよいのですが、心配しても仕様がありません。所詮、ケモノで
 すから。毛皮は着ているから風邪は引かないでしょう。


  さて、「新版アラモ」の出演者の詳細が分かりましたので、以下にテキサス独立軍(テ)
 メキシコ軍(メ)原住インディアン(イ)としました。不明なのはそのままです。 

  デニス・クエイド               サム・ヒューストン 将軍(テ)
  パトリック・ウィルソン            ウィリアム・B・トラビス 中佐(テ)
  ビリー・ボブ・ソーントン           デビッド・クロケット 大佐 (テ)
  ジェイソン・パトリック            ジム・ボウィ 大佐(テ)
  エミリオ・エチェバリア            サンタ・アナ 将軍 (メ)
  ホルヘ・モーラ・ペラレス           ホアン・セギン 中尉 (テ) 
  ニック・コキッチ               ダニエル・クラウド (テ)
  レオン・リッピィ               ウィリアム・ワード 軍曹 (テ)
  ケヴィン・ペイジ               ミカエー・オートリー
  リカルド・チェヴィリア            エスパルザ 兵卒
  クレイグ・エリクソン             トム・ウォーターズ
  マット・オリアリー              息子が志願兵となる商店主
  トム・デビッドソン              グリーン・ジェームソン 大佐 (テ)
  マルク・ブルーカス              ジェームズ・ボナム 少尉 (テ)
  ローラ・クリフトン              スザンナ・ディキンソン 
  スティーブン・ブルートン           アルメロン・ディキンソン 大尉 (テ)
  クリスタル・モルテン             アンジェリーナ・ディキンソン
  ブランドン・スミス              ジェームズ・C・ニール 中佐 (テ)
  トッド・レイマース              ジェームズ・ファニン 大佐 (テ)
  スチワート・フィンレイ・マクレナン      ジェームズ・グラント 医師 
  フラヴィオ・イノホサ             ホアン・アルモンテ 大佐(メ)
  ウェス・スタディ               ボウルズ 酋長 (イ)
  ブルー・デッカート              「コロラド」スミス
  リチャード・ナンス              「グレイ」#1
  ジェット・ガーナー              「グレイ」#2
  エスタラニア・レバロン            ホアナ
  エドウィン・ホッジ              ジョー(トラビスの奴隷)
  カスツーロ・グエラ              カストリロン 将軍 (メ)
  フランシスコ・フィルベルト          コス 将軍 (メ)
  モウリシコ・ザタライン            バトレス 将軍 (メ)
  ヘズス・マヨルガ               ヘズス
  ランネル・ペーニャ              アンナ・エスパルザ
  エクター・ガルシア              砲兵軍曹 (メ?)
  エリック・モントーヤ             エンリケ・エスパルザ
  ロバート・プレンティス            アルバート・グリムス (テ)
  ジョー:スチーブンス             マイアル・スカーロック (テ)
  ターク・ピプキン               アイザック・ミルサップス (テ)
  スチーブン・チェスター・プリンス       ジョン・フォーサイス 中尉 (テ)
  アフェモ・オミラニ              サム(ボウィの奴隷)
  エミリー・デシャンネル            ロザンナ・トラビス(トラビス婦人)
  ドン・ハビエア・カスティロ          ドン・ホセ・パレツ
  クリストファー・ベリー            ミラボー・B・ラマー
  リン・マシアス                ハケット

  他 5000人以上のエキストラに50人以上のせりふのある端役たち。

  さてさて、ジョン・ウェインの「アラモ」とはどのように違ったストーリーとして、この
 テキサス独立戦争の絵巻が描かれていくのでしょうか?これまでに紹介できた人物たちとそ
 うでない人物たちが、どのような役割を果たしていくのか?資料のある人物はおりを見なが
 ら、来月の公開までに紹介したいと思います。
[2004年3月5日 4時35分54秒]

お名前: 放浪者   
  書き込み「百番台突入記念」

  自画自賛という訳ではありませんが、我ながら良く書き込んだものだと思います。
  ざっと、書き込み回数を調べてみたら、

  アラモ        100
  シェーン        70
  荒野の七人       42
  夕陽のガンマン     37
  リオ・ブラボー     32
  荒野の決闘       28
  鹿皮服の男       24
  駅馬車         23
  トゥームストーン    23
  ミスター・ノーボディ  22
  赤い河         20

  となっています。300を超す作品が挙げられているのに、それぞれの
 作品について話題が交換されないのが、残念ですね。昨年の12月17日
 に最初の書き込み(#34)をしてから、2ヶ月あまりで#100まで、
 若干の重複書き込みもありますが、伸ばしたわけです。よくもこれだけ書
 ける材料があったものだと、我ながら感心しますが、前にも書いたように、
 この「アラモ」はアメリカ版「忠臣蔵」ですから、研究書はそれこそ山の
 ように見つけられます。洋書屋に顔を出すと、何年かごとに「アラモ」関
 連の本があるので、買い求めてきました。それでもほんの十冊を数える程
 度です。最近でこそ、インターネット上にかなりの資料が出てくるように
 なりましたが、ほとんど「アラモ」の新旧の映画の案内か、アラモの地名
 や知名度を利用した広告の類です。

  4月にディズニー版の「アラモ」が公開されますが、それまでに判った
 情報はなるべく書き込むつもりです。史実をすべて再現することなど不可
 能ですから、製作者の考えが元の史実をどう解釈し、アレンジしてくるの
 か、またそれはどういう意図で行なわれたのか、それは賛成できるのか、
 反対なのか、さらに、自分ならどう表現しただろうとか、様々な考え方を
 ひきだしてくれる手がかりになったらば、膨大な「駄文」を書き流して来
 た本人としては得心できるものです。

  これからもよろしく。
 
[2004年2月24日 1時52分2秒]

お名前: 放浪者   
  サン・ハシントの戦闘とホアン・セギン

  アラモの始めの部分、ボウィが砦に入った時、3人のメキシコ人が馬を走らせ、
 サンタ・アナの大軍が迫りつつあることを告げようとします。そのとき、トラビス
 が杓子定規よろしく、白髪の年配の人物にこう言います。「ご好意には感謝します。
 でもセニオール・セギン。たとえサン・アントニオ町長のあなたでも、民間人のも
 たらす情報を額面通りに受け取るわけにはいかない」と。

  また、映画の後半、すでに包囲された砦に30人ほどの増援部隊が暗闇に紛れて
 到着します。そのときのリーダーがこのセギンでした。ところで、映画のクライマッ
 クスで砦の守備隊員の主だった者たちが、次々と戦死していくシーンが続くのです
 が、なぜかこのセギンはいません。スミティのように伝令に出た様でもないので、
 何か気になる人物です。映画が製作された当時、出版されたウォルター・ロードの
 「決死の時」というアラモ攻防戦を扱った本に、それまでに判明していた戦死者の
 名簿が掲載されているのですが、そこにホアン・セギンの名前はありません。

  では、彼は架空の存在だったのか?

  ちゃんと、彼、ホアン・ネポムチェント・セギンは実在しました。テキサス独立
 戦争でそれなりに重要な役割を果たした人物でした。1806年10月27日にま
 さにこのサン・アントニオで生まれました。サン・アントニオの有力者の娘と結婚
 して、年若くして地域の重要な人物のひとりとなっていました。1835年、中央
 集権化を図るサンタ・アナに反対する地方分権主義者たちのひとりとして、反対闘
 争に加わります。彼はサンタ・アナがアラモを包囲したとき、砦の中にいましたが、
 伝令のひとりとして脱出しています。その後、ヒューストンの軍勢の中にあって、
 サン・ハシントの戦闘に唯一のメキシコ系部隊を指揮しています。6月4日、彼は
 再びサン・アントニオに戻り、同地のメキシコ軍の降伏を受けます。そして火葬さ
 れたアラモ守備隊員の遺灰を発掘して、丁重に葬りました。

  テキサス共和国が成立した後、彼は議会の上院議員として3期勤めます。1840
 年、メキシコ国内でふたたび中央集権主義者と分権主義者たちの対立が激化すると
 彼は上院議員を辞して、闘争に参加します。その年の暮れ、彼はサン・アントニオ
 の市長に選出されますが、メキシコ系とアングロ系の住民たちとの抗争に巻き込ま
 れ、一時はメキシコに亡命したりする波乱に富んだ後半生を送ります。そして、彼
 は1890年8月27日、メキシコのヌエボ・ラレドで死去しました。彼の遺体は
 1974年、彼の名前を冠したテキサス州のセギン市に改葬されました。

  (追伸:W.H.さん、ご期待に答えて100番台になりましたよ。お後をよろ
   しく (^o^)/~ )
[2004年2月24日 1時16分57秒]

お名前: 放浪者   
  ファニンと「ゴリアドの虐殺」

  映画「アラモ」の中で、砦の守備隊が期待していた増援部隊がファニン大佐が
 率いた5百人でした。彼らは砦を目前にしてーーあと一日の距離ーー、メキシコ
 軍の待ち伏せを受けて全滅してしまった、とボナムが告げます。

  前にも書きましたが、これは史実とは違います。ファニン隊が全滅したのは、
 アラモが陥落した後のことでした。

  ジェームズ・ウォーカー・ファニン二世は、1804年1月1日頃、ジョージ
 ア州に生まれた。彼は1819年7月、ウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学
 したものの、21年11月に退学しています。故郷に帰って結婚し、二人の娘を
 もうけます。34年に家族と共にテキサスに移住して、農園を経営する傍ら、奴
 隷売買にも関わりました。

  35年8月には熱烈な「テキサス独立運動」の提唱者のひとりとなり、故郷の
 ジョージア州のウェスト・ポイントの卒業生たちに「テキサス軍」の指導を依頼
 しています。10月にメキシコ側との武力衝突が始まると、ファニンはボウィな
 ど共に活躍してます。12月7日にヒューストンから正式にテキサス軍の大佐に
 任命されます。1月にテキサス軍が、リオ・グランデ河口の町マタモロスを攻略
 しようとします。ファニンはこの遠征軍の指揮官のひとりに選ばれますが、作戦
 が撤回されたので、2月7日、彼はゴリアドの町の守備隊の指揮官に選ばれます。

  テキサスの「秩序回復」を目指すサンタ・アナは、自ら率いた本隊とは別に海
 岸沿いに北上する別動隊を送りました。その指揮をとるウルレア将軍は、各地で
 テキサス軍を撃破しつつゴリアドの町に迫ります。彼は3月12日(アラモが陥
 落してから6日後)に、南30キロの町レフィゴに部隊の大半を救援に送り出し
 ます。14日にヒューストンから東30キロのヴィクトリアへ撤退せよという命
 令を受けますが、なぜか彼は直ちにその命令に従わず、レフィゴから退却してき
 た部隊と共にゴリアドに留まり続けます。19日になってやっと移動を開始する
 ものの、悪天候と悪路に妨げられ町に引き返す途中でメキシコ軍と遭遇して、戦
 闘になるが、たちまち撃破されてしまいます。疲れ果て戦意を喪失した部隊は降
 伏をしますが、その際、条件を確認せず、約4百人のテキサス人のほとんどが、
 先に布告されたサンタ・アナの「恩赦をあたえられない反逆者」と認定されてし
 まいます。27日に医者や鍛冶屋などメキシコ軍が必要とする人材と、非武装で
 捕らえられた者を除いて、ほとんどが処刑されました。30人ほどが「虐殺」を
 逃れ、その悲報を各地に知らせました。

  ファニンが軍人としては失格者であると、ほとんどの歴史家が認める一方で、
 彼が最後まで勇敢さと誇りを保っていたことは認められています。彼の名前を
 つけた町がゴリアド郡にあり、米陸軍の施設のひとつに「キャンプ・ファニン」
 があります。

 
[2004年2月23日 22時1分31秒]

お名前: 放浪者   
  ボナム少尉  アラモ守備隊員

  映画「アラモ」の冒頭、サン・アントニオに到着したヒューストンが守備隊指揮官
 のジム・ボウィの所在を尋ねられる若い士官がいました。「姓名は?」と聞かれて、
 「ジェームズ・バトラー・ボナム少尉であります」と答えています。ジョン・ウェイ
 ンの息子パトリックが演じていました。

  映画ではアラモとファニン大佐率いる増援部隊との連絡役を務め、救援は来ないと
 という絶望的な報告をもたらします。最後の戦闘では騎兵の剣で串刺しにされて、壮
 烈な戦死をとげます。

  史実のボナムは? 映画ではトラビスとディキンソン夫人スザンナが親戚のような
 口をきいていました。これは事実に反するのですが、なんとこのボナムがトラビスの
 叉従兄弟であるという証拠書類が近年発見されたそうです。子供時代に付き合いがあっ
 たようですが、詳しいことは判っていません。

  映画で若い士官として描かれたように、ボナムは29歳になったばかりでした。18
 09年2月20日にサウス・カロライナ州で生まれました。(トラビスは1809年
 8月9日生まれといいますから、ボナムの方が2歳年上だったわけです。)当時として
 は「中年」に近い感じだったかも知れません。

  ボナムは成人するとサウス・カロライナ大学に進み法律を学びましたが、学校側の待
 遇の悪さに抗議する運動の主導者となったため、退学させられてしまいます。その後、
 1830年、同州のペンドルトンで学位を取り、仕事につきます。正義感に満ちた激情
 的な人物だったらしく、彼の依頼人の夫人を侮辱した相手側の弁護士を杖で殴り、謝罪
 を命じた判事のハナをつねると逆に威嚇して、法廷侮辱罪で90日間の拘置を命じられ
 たことがありました。

  1832年、州と連邦政府とが主権をめぐって争いになったとき、彼は州知事ハミル
 トンの補佐官のひとりとなり、州軍の中佐の待遇を受けることになったものの、実際の
 軍務においては砲兵大尉として勤務しました。1834年10月まで彼はアラバマ州の
 モンゴメリーで法律家として仕事をしており、翌35年10月17日、同州モービル市
 のシェークスピア劇場で行なわれた「テキサス州独立運動支援会」を主催しました。3
 日後、彼は同市の「サム・ヒューストン支援決議」を受けて義勇隊の指揮者に指名され
 ます。2週間で「モービル・グレイ義勇中隊」を編成した彼は勇躍、テキサスへ向かい
 ました。11月半ばにテキサスの中心部に達した彼は、直ちに同地の政治・軍事の諸問
 題にかかわることになります。12月1日付けでサン・フェリーペ市からヒューストン
 に宛てた手紙で「テキサスに対する彼のボランティア行為」にいかなる報酬、土地、分
 け前など受け取ることを謝絶すると書いています。12月20日付けで彼は「テキサス
 騎兵隊少尉」に任じられました。しかし、当時のテキサス軍は有効な騎兵部隊をもって
 いなかったので実効性はあまり意味がなかったと思われます。事実、彼は36年1月
 2日付けのブラゾリア市で、地元の新聞に法律事務所の開設の広告を出しています。

  彼とヒューストンとの間に親密な信頼関係が結ばれていたことが、当時の書簡のやり
 取りで判ります。彼は多分1月19日にボウィと共にサン・アントニオに到着しました。
 1月26日にスミス知事宛てに、彼のベクサー地区防衛策を支持すると手紙を送ってい
 ます。2月1日に行なわれた「テキサス独立問題会議」のベクサー地区の代表選出選挙
 で落選します。(3月3日にこの会議は「独立」を選択し、臨時政府樹立を宣言します)
  
  2月16日、彼はトラビスの支援を求める手紙を持って旅立ちます。彼は3月3日、
 メキシコ軍の包囲を突破して、ウィリアム・M・ウィリアムソン大佐からの援軍派遣の
 返事をもたらします。(映画でいうファニンからではありませんでした。)しかし、援
 軍の到着を待たずして、3月6日「アラモ砦」は陥落し、ボナムもそのときに戦死しま
 した。その時、彼は礼拝堂付近の大砲を操作していたものと思われます。

  彼は「アラモ神話」でよく間違われる人物のひとりです。トラビスが手紙の中でボナ
 ムを「大佐」と呼んでいますが、その階級はサウス・カロライナ州でのもので、テキサ
 スでは「騎兵少尉」でした。また、彼はアラモ守備隊の指揮系統には属していませんで
 した。頻繁に彼はアラモと外部との連絡についていたためでした。しばしば、ボナムは
 ファニンから「救援不能」であるという報をもたらしたと誤解されています。
 

 

  
 
 
[2004年2月22日 21時44分24秒]

お名前: 放浪者   
  ウェイン版クロケットの最後のモデル

  「アラモ」が圧倒的なメキシコ軍の総攻撃に前に、守備隊員たちが次々と倒れて
 いきます。砦の中に北側の壁を破って侵入したメキシコ軍は、南に位置する礼拝堂
 跡のクロケットたちテネシー義勇隊が即席に構築した防壁に迫り、遂にそこも破ら
 れます。全ては終わったと判断したクロケットは砦の弾薬を敵に渡すまいと、松明
 を手に弾薬庫に向かいますが、数人のメキシコ兵に阻止されます。彼らの囲みを突
 破して、弾薬庫の扉の前にたどり着いたクロケットですが、槍兵の一刺しを受けて
 しまいます。致命傷を受けながらも、クロケットは最後の力を振り絞って弾薬庫に
 たどりつき、手にした松明を投げ込み、大爆発の炎の中で最後を遂げます。

  「伝説の英雄の最後」にふさわしいものですが、もちろん映画用の脚色です。
 生存者のひとりであるディキンソン夫人は、クロケットの遺体が礼拝堂と長い兵舎
 の間の広場に横たわっているのを見たと証言しています。ベンというサンタ・アナ
 に使えていたコックは、クロケットは16人ものメキシコ兵の死体の山の上に倒れ
 ていたと証言しているそうです。こちらの信頼度は低いものです。しかし、クロケッ
 トが弾薬庫と運命を共にしなかったことだけは確かなようです。

  では、それを試みた人間はいたのか? いました。ディキンソン夫人は礼拝堂に
 配備されていた大砲の砲手ロバート・エバンスが、陥落直前に弾薬庫の爆破を試み
 て、直前で銃弾を受けて倒れ、目的を果たせなかった、と証言しています。ただ、
 この証言は彼女が夫のディキンソン大尉が「別れ」を告げて去ってからは、部屋に
 こもって戦火を避けていたという証言と矛盾するものです。でも、彼女はそのよう
 に証言しているのは事実です。彼は1800年、アイルランドに生まれ、ニュー・
 ヨークに渡り、さらにニュー・オリンズを経て、テキサスに移住してきたようです。
 1835年10月の「テキサス蜂起」に参加して、アラモでは砲手を務めていまし
 た。背は高く6フィート弱(約180センチ)、黒い髪と青い目をしたいちもほが
 らかで陽気な男だったとディキンソン夫人は述べています。
[2004年2月22日 3時14分18秒]

お名前: 放浪者   
   wild さん、TEST さん、デンバー・パイルさん、こんにちわ。

  ささやかな知識の開陳をおほめいただいて、ありがとうございます。でも、
 ほんとうは何千、何万とある膨大な手書きの公文書、命令書、手紙、日記など
 を「発掘」し、「解読」し、「整理」してくれた無名の研究者たちのお陰です。
 私が披露したのは彼らの努力と成果の上澄みをチョッとすくっただけのことで
 しかありません。

  ひとつの事件でも、それを解釈する人の数だけ違った見方ができます。アラ
 モもそんな一例でしかありません。ですから、事件の背景を知ることで、いろ
 いろな判断が出来るので、「頭の体操」にもなります。映画は簡単には作れま
 せんから、それなりに興味を引く題材が選ばれるので、そんな訓練の教材とし
 ては最適なもののひとつだと思います。

  テキサスの独立を善しとする立場、裏切りと見る立場、どちらでもない立場
 などによって様々な見方ができます。個人の言動も同じです。出来の良い映画
 ならなおの事、様々な見方ができます。前にも書きましたが、この「アラモ」
 も公開当時から毀誉褒貶が多く付きまとっていました。当初は「駄作」「凡作」
 の評価が多かったのですが、徐々にその評価は上がってきました。「名作」と
 までは行きませんが「傑作」程度にまで評価されるようになっています。

  今度の「アラモ」では13歳で徴兵されたメキシコ軍の少年兵士、トラビスの
 奴隷だったジョー、メキシコ人でありながらグリンゴ(アングロ系アメリカ人)
 に協力したホアン・セギンの3人の視点から描かれるそうです。ウェインの「ア
 ラモ」が主にクロケットやトラビスなどの視点から描かれていたのと対照的です
 ね。ついで、サンタ・アナの視点から描いたものがあると面白いと思います。さ
 らに言うなら、「危険原住民」として勝手に追い立てられた原住民のインディア
 ンから見れば、スペイン人もメキシコ人もアメリカ人も全て「悪人」でしょうね。


 
[2004年2月21日 20時42分23秒]

お名前: デンバー・パイル   
放浪者さん、本当に凄いですね。映画の話からアメリカの歴史にまで詳しく、
良い勉強になりました。
心配なのは、ここまでアラモの歴史が分かると、
ディズニーのアラモを観て幻滅しなければよいのですが?
[2004年2月20日 21時14分56秒]

お名前: TEST   
放浪者さん、凄い知識ですね!
[2004年2月20日 21時9分1秒]

お名前: wild   
放浪者さん、すごい! 
「アラモ」は大好きな映画、背景がよ〜くわかりました。

ところで、この戦い「大義」というか「正義」はどっちにあったんでしょうか。
まだメキシコの領土だったとすると、サンタ・アナは立派な愛国的将軍だったのかも。
ボウイやクロケットはレジスタンスの一員としてわかるけど、トラビスはどういう気
持ちで戦ったんでしょうね。
[2004年2月20日 18時19分24秒]

お名前: 放浪者   
  ディキンソン大尉とその家族

  ケン・カーチスとジョアン・オブライエンの好演もあってか、「アラモ守備隊」
 の脇役の中でもディキンソン大尉とその家族は印象に残る人物像でした。

  映画の方では興行や演技の関係上、どうしても年を食った役者が若い人物を演
 じることが多いのですが、今回もその例に漏れません。

  実在のアルメロン・ディキンソン(ディッカーソンと綴ることもあった)は
 1810年、テネシー州に生まれ、ゴンザレスで鍛冶屋として働いていた。
 テキサスの殖民募集に応じて1831年、デ・ウィット開拓地に妻スザンナ
 (旧姓ウィルカーソン)と共に移住した。1834年には稼業の鍛冶屋をする
 傍ら、帽子工場の共同経営者も勤めていた。幾たびも生じた原住民との衝突では、
 義勇兵として参加した。テキサス独立戦争の引き金となった「ゴンザレス大砲押
 収事件」でメキシコ軍に抵抗した「最初の18人」の一人だった。さらに、サン・
 アントニオ包囲戦では指揮官バールソン将軍の副官のひとりとなった。ベハール
 地区が制圧されるとディキンソン一家は町に移り、マスケツ一家と親交を深めた。
 2月23日、サンタ・アナ軍の到着と共にアラモ砦に移動する。

  ディキンソンは包囲戦では12ポンド砲を操作していたと思われる。砦が陥落
 する直前、彼は妻の元に駆けつけ「スー!大変だ!敵が侵入してきた。すべてお
 終いだ。もし、生き延びることが出来たら、僕らの子供を頼む!」と言い残して、
 再び戦場へと引き返したといいます。そのとき彼は妻にフリー・メーソンの法衣
 を渡したもいいます。これが彼女の命を救うかもしれないと考えたようです。
 (この辺りの事情はフリー・メイソンの歴史に通じていないと判らない話です。)

  包囲戦を生き延びたスザンナ・ディキンソンとその娘リサことアンジェリーナ・ 
 エリザベス・ディキンソンは、その後も長く生きて数々の「証言」と伝説を残し
 ました。母スザンナは1814年の生まれで、1829年5月24日にアルメロ
 ンと結婚しています。19歳と15歳の幼いカップルーー当時としては普通でし
 たがーーが誕生しました。リサは1834年12月14日にゴリアドで生まれた
 ようです。従って、包囲戦の時は1歳と3ヶ月なので、映画で描かれたような微
 笑ましい話はありませんでした。(子守唄の歌詞を教えてもらっても、礼の一言
 もない「無礼者」がいますね。)

  リサは1851年に結婚しています。子供はアルメロン(1853年)、スザ
 ンナ(1855年)、ジョゼフ(1857年)が生まれたのち、離婚しました。
 1864年に再婚、翌年娘サリーが生まれたもの再び離婚。その後は放浪の生活
 を送ったので、最後はよく判っていません。一家の伝承では1870年か71年
 にニュー・オリンズで死んだといいます。

  母親のスザンナの方は1837年に早くも再婚しています。21歳の子持ちの
 未亡人では一人で生計を立てるのは無理だったでのでしょう。その後は離婚と再
 婚を繰り返したのち、1883年オースチンで死去しました。
[2004年2月19日 19時34分13秒]

お名前: 放浪者   
  訂正かな?

  正式な「アラモ砦」を含むサン・アントニオ・デ・ベハール地区の
 テキサス側守備隊の指揮官であったジェームズ・ニール大佐(中佐?)
 は映画に登場もしなければ、名前も出てこないと書きました。

  なにげなく映画を見直すと、冒頭のヒューストンの到着とトラビス
 が昇進して守備隊指揮官に任命される場面で、ヒューストンの副官と
 おぼしき人物を「ニール!」と呼んでいました。ヒューストンの一行
 の一員でしたから、アラモの守備隊長ではないわけですが、一応、史
 実に気を配ったのか、名前だけは「登場」していたようです。

  ちなみにこの「ニール大佐」は砦の急を知らせに、ヒューストンの
 キャンプに着いた伝令のスミティから、メッセージを受け取る役でも
 出ていましたね。(子孫からの注文がついた為でしょうかね?)
[2004年2月18日 13時31分12秒]

お名前: 放浪者   
 「史実・アラモ砦の戦い」 −2−

  映画版「アラモ」では全く登場せず、その名前すら触れられる事もなかった
 アラモ砦の正規の守備隊指揮官であったジェームズ・クリントン・ニールとは、
 いったいどんな人物だったのか?また、どうして、包囲戦が始まった時に不在
 であり、トラビスが指揮をとったのか?など疑問が出てきます。

  略伝によると、彼は1790年ノース・カロライナ州に生まれ、1814年
 のクリーク戦争に従軍し負傷しています。1831年、妻と3人の子供を伴っ
 てアラバマ州からテキサスに移住して、現在のマイラム郡に居を構えます。

  1833年の州会議にビエスカ地区の代議員として参加しました。詳しいこ
 とは判っていませんが、若い頃の従軍時に砲術を学んだようで、それが183
 5年のサンタ・アナとの一連の戦闘で役に立った。同年10月2日、ゴンザレ
 スの町で大砲を押収に来たメキシコ兵に対して、「独立戦争の第1弾を放った」
 のがこのニールでした。その知識と経験を買われたニールはサン・アントニオ
 の包囲戦の援軍として同地に赴き、メキシコ軍を撃破することに成功します。

  その戦功により州の正規軍の砲兵中佐に任じられたニールは、すぐに深い挫
 折感に襲われます。主戦派の馬鹿げた港町マタモロス攻略のために、アラモを
 始めベハール地区の人員と防備の大半を引き抜いてしまったのです。100人
 足らずの兵員と僅かな弾薬、食料だけを残されたニールは強い講義の文章を議
 会に送っています。その一方で、精力的にアラモの防備を強化していきます。
 その熱意はアラモを爆破する目的で現地に派遣されてきたボウィを感化し、そ
 の地点での防御へと翻意させました。その後に来たトラビスも同様でした。

  それだけ熱心で守備隊員全てから尊敬も信頼もされていたニールが、なぜア
 ラモの戦いの話に登場しないのか?実は2月半ば、彼の留守を守る家族全員が
 はやり病に倒れたという知らせが届いたのです。すでにサンタ・アナが軍隊を
 リオ・グランデ河の南に集結させているという知らせはあったのですが、その
 ベハール地区への到着は早くとも3月中旬ごろと予想されていたのです。そこ
 で彼は守備隊の指揮を一時的に「正規軍の中佐」であるトラビスにまかせて、
 20日以内に戻ってくると約束して家族の元へと旅立ったのです。

  予想より早いサンタ・アナの進軍によって、ニールがアラモへ戻る途中のゴ
 ンザレスに着いた3月6日にはアラモの守備隊は全滅していました。それを知
 らずに彼は身銭を切ってアラモの守備隊のために90ドル分の医療品を調達し
 ていました。同地でアラモの陥落を知り、13日からのヒューストンの退却行
 に随行しますが、大砲を河に捨てるほどのあわただしい「遁走劇」のために、
 ニールは担当すべき大砲のない「砲兵隊指揮官」になってしまいます。

  しかし、4月11日にヒューストンの下に2門の「双子の姉妹」と愛称され
 た6ポンド砲が届けられたことで、事態は一変します。20日午後、サン・ハ
 シントでメキシコ軍のサンタ・アナ本隊に迫ったテキサス軍は、この大砲によ
 る砲撃で奇襲攻撃を敢行、一気に勝敗を決したのです。この戦闘中、ニールは
 臀部にブドウ弾を受けて重傷を負います。ともかく、彼は「アラモの仇をサン・
 ハシントで晴らした」のです。
  独立後は「テキサス共和国」に引き続き奉仕したのち、1845年ナヴァロ
 郡のスプリング・クリークの自宅でその波乱に富んだ生涯を閉じました。

  映画ではトラビスが、いきなりヒューストンから指揮官に任命されていまし
 たが、実際にはかなり違っていたのですね。
[2004年2月17日 18時52分22秒]

お名前: 放浪者   
  「史実・アラモ砦の戦い」 −1−

  1835年12月、連邦制の維持(テキサスの自治の承認)を求めて独裁者と
 なったサンタ・アナへ反旗を翻したテキサスの住民たちはサン・アントニオなど
 いくつかの要衝を占領し、中央政府軍をリオ・グランデ河の南へと追いやった。

  これらの「勝利」により、「テキサス人民義勇軍」に参加した志願兵の多くは
 それぞれの家族の元へと帰っていってしまった。しかし、「テキサス臨時政府」
 の首脳たちは来る春にはメキシコ中央からの「(反乱鎮圧のための)遠征軍」が
 やってくることを予期し、恐れていた。リオ・グランデ河を越えてテキサスへ進
 軍する道はふたつあった。ひとつはアタスコシト道でグランデ河口の町マタモロ
 スから北西に向かってサン・パトリシオ=ゴリアド=ヴィクトリアの町々を経て、
 植民者たちの中心地へ到るもの。もうひとつは、旧サン・アントニオ道と呼ばれ
 るもので、グランデ河中流をパソ・デ・フランキアで渡河して、北東へ迂回しつ
 つ、サン・アントニオ・デ・べハス(ベクサー)=バストロープ=ナコドチェス=
 サン・アウグチンを経て、当時のアメリカとの国境線であるザビーン河に到るで
 あった。

  接近するメキシコ軍を早期に発見し、阻止する要衝としてはゴリアドのラ・バ
 ヒア(ノストラ・セニヨーラ・デ・ロレト)要塞とサン・アントニオのアラモ要
 塞があった。共にスペイン領時代に作られた宣教師用の修道院兼用の簡易防塞で
 あった。ジェームズ・クリントン・ニールがべハール地域を、またジェームズ・
 ウオーカー・ファニンが約140キロ南東に位置するゴリアド地域の防衛責任者
 に任ぜられた。テキサスに早くから殖民していた志願兵たちのほとんどは、帰郷
 してしまったので、必然的にその穴を埋めたのは新たにテキサスにやって、ほん
 の数週間しか経ていない男たちがゴリアドとベハールを守ることになった。

  指揮官としてニールもファニンも共に、メキシコ軍はそれぞれの地域で食い止
 めなければならないと判断していたが、同時に速やかな兵力の増援と資材・弾薬
 などの補給がなければ、どちらの「要塞」も長くは持ちこたえることはできない
 ことも理解していた。アラモ砦にはおよそ21門の各種口径の大砲が装備されて
 いた。すでに砲兵として正規軍に勤務していた経験からも、ニールがアラモ砦の
 守備隊司令官となることに問題はなかった。1月を通じて彼は砦の防備の強化に
 専念した。グリーン・B・ジェームソン少佐が工兵指揮官として、大砲の多くを
 外壁に設置した。しかし、植民者の中心地から遠く離れたところに位置していた
 関係でベハール地区では基礎的な軍需品の補充すらも満足に出来なかった。1月
 14日のニールのヒューストンに宛てた手紙で、「この地域の兵たちはまともな
 戦闘もできないほど装備も食料も足りないことに悩まされている」と書き、同じ
 日に臨時政府に宛てた手紙でも「現状のままで、敵の攻撃を迎えれば、簡単に撃
 破されてしまうだろう」とも書いていた。

  1月17日までにヒューストンはニール大佐の担当するベハール地域を「固守」
 することに疑問を持ち始めていた。この日、彼が知事のヘンリー・スミスに宛て
 た報告書で、ジム・ボウィと志願兵1個中隊をサン・アントニオに派遣したこと
 を知らせた。この報告書の中の記述に、多くの史家はヒューストンがアラモ砦の
 「放棄」を決めていた「証拠」とされるものがあった。「私(ヒューストン)は
 (ボウィに)ベハール地区の装備の撤去と兵器・弾薬などの移動、さらにアラモ
 砦の破壊などを命じた」という文章である。しかし、これは実際にはこれらは、
 ヒューストンからスミスに宛てた「進言」または「提案」であって、スミスの承
 認なくして、実行するつもりはなかったものであった。そして、スミスはこの件
 に関して承諾するつもりはなかったのである。

  1月19日、ボウィの一行はアラモに到着した。そこでボウィが受けた印象は
 砦の防備は充分に強化されており、またニール大佐と話すうちにサン・アントニ
 オとアングロ系植民者の居住地域との間に、有力な防御線を構築するすることが
 困難であると判断するようになった。ニール大佐の雄弁と性格はボウィに強い影
 響を与えた。2月2日、ボウィはスミス知事宛てにアラモ砦を「死守」すること
 で合意した、と書き送っている。これはスミスの情勢判断とも一致していたので、
 彼はベハールを敵に対して「丸裸か」にすべきではないと結論した。そこで彼は
 ヒューストンの提案を退ける一方で、サン・アントニオに新たな兵力と物資を集
 中する準備を始めた。ヒューストンは再考を求めたが、再び退けられた。

  ベハール地域を守るニール大佐の不満は募る一方であった。馬の数が足りない
 ので満足に長距離の偵察隊を送り出すこともできなかったからだ。特に「早期警
 戒基地」の役割を担うサン・アントニオにおいては、これは不可欠なものだった。
 ベハール地区の防備強化を決意したスミスはとりあえず、ウィリアム・トラビス
 中佐に「騎兵小隊」を率いて、ニールに報告をすることを命じた。危険が予想さ
 れたためか、志願者は僅かに30人に留まり、不安を感じたトラビスはスミスに
 「かかる危険な地域にほんの僅かな兵と貧弱な装備で乗り込むことは出来ない」
 と不満を訴え、辞任さえほのめかした。しかし、スミスはトラビスの訴えを退け、
 結果的にトラビスは30騎を率いてベハールに向かうことになった。

  不満たらたらのまま、トラビスの一隊は2月3日にベハールに到着した。しか
 し、26歳の若い騎兵中佐は先に到着したボウィと同様に守備隊指揮官ニール大
 佐の熱弁と人柄に圧倒され、魅了されてしまう。そしてその地を「テキサス(を
 守る扉)の鍵」とみなすようになった。それから数日した2月8日頃、一団の志
 願者たちを率いてディビー・クロケットもアラモに到着したのだった。

  
  長くなりましたが、以上で「アラモ砦」を守備する男たちが出揃ったことにな
 ります。もちろん、映画「アラモ」では時間の制約もあり、相当の脚色がされて
 いますが、「史実を如何にも見てきたように語る講談師」よろしくどこがどう変
 えられているのか、それはDVDやビデオをご覧になりながらお考えください。

  この続きは別の機会に。m(-.-)m
 
 

 
[2004年2月17日 0時46分57秒]

お名前: 放浪者   
  スペインから独立したばかりのメキシコは、当初アメリカ合衆国と
 同様に「連邦制」を敷いていました。ところが国内は混乱が増すばか
 りで、ついには旧宗主国であるスペインの介入まで招くことになり、
 それを撃退したサンタ・アナが国民的英雄となり、大統領になりまし
 た。しかし、彼は憲法を停止して独裁者となり、連邦から中央集権型
 の国家にしようとはかります。これに反対して国外に亡命した勢力が
 混乱に乗じてニュー・オリンズからメキシコの港町タンピコへ上陸を
 した部隊がいました。彼らは直ちに中央政府軍によって撃退されます。
 11月15日のことでした。捕虜となった31人のうち3人は負傷が
 元で死亡しました。残る28人も間もなく「海賊」として処刑されま
 した。メキシコ政府に対する「反逆者」たちに「慈悲は与えない」と
 する「トルネル宣言」が出されるきっかけとなった。

  一方、サン・アントニオの町を包囲している「反乱者」たちとメキ
 シコ軍との間に数回の小競り合いがあったが、補給を絶たれた形になっ
 たメキシコ軍は士気も低下していった。包囲戦が始まった直後の10
 月28日に包囲を突破しようとしたメキシコ軍275人を待ち伏せた
 「反乱者」90人が奇襲に成功します。メキシコ軍は14人の戦死者
 と39人の負傷者を出しました。テキサス側は戦死、負傷各1ずつと
 圧倒的な勝利でした。ここでジム・ボウィーも戦闘に参加しています。

  さらに1ヶ月後の11月26日、サン・アントニオに向かう「援軍」
 を発見したテキサス人たちはボウィ以下40騎とウィリアム・ハック
 以下100人の歩兵がメキシコ軍を襲い、多数の荷馬車を捕獲します。
 テキサス側は負傷4人。メキシコ側は死者3人、負傷14人を出しま
 した。捕獲した荷馬車の積荷はテキサス人たちが期待した「軍需品」
 ではなく、大量の飼い葉だったので、「飼い葉の戦い」と呼ばれてい
 ます。

  12月に入って、包囲しているテキサス側もそれぞれの家庭の事情
 や農作業などの準備で「帰郷」を望む声が強くなり、包囲を解いて引
 き上げる雰囲気になりましたが攻撃を主張する強硬派の意見が入れら
 れ12月5日から9日までベハールの町で市街戦が展開されました。
 テキサス側は5〜6人が戦死、25〜30人が負傷しました。一方、
 メキシコ側は戦死傷約100人を出しました。主将コス将軍は、つい
 に「和を請い」、町と郊外のアラモ砦を明け渡してリオ・グランデ河
 の南に退去しました。 
 
  この後、予想されるサンタ・アナの反撃に備えるテキサス側の意見
 はバラバラで要衝であるサン・アントニオとゴリアドの町の防備を固
 めようとものと、一気にメキシコ領深く、南の港町マクモロスを攻略
 して反撃の芽を封じようとする意見が対立して、貴重な時間が空費さ
 れていったのです。
  
[2004年2月15日 14時8分40秒]

お名前: 放浪者   
  「アラモ」への道

  1820年ごろのテキサスは、まだメキシコの辺境であり、先住民である
 インディアンとの衝突に悩まされていた。そこで「緩衝地帯」を作るためも
 あり、外部よりの殖民を募った。しかし、彼らはメキシコ政府の思惑とは異
 なりメキシコ湾沿いの地域に集まり、しかもメキシコ系の人口約5千人に対
 して殖民約2万人とバランスが逆転してしまった。

  独立時の共和制が混乱を招いていたので、強力な中央集権を求める声に応
 じて「独裁者サンタ・アナ」が登場したわけです。しかし、すでにテキサス
 では独立しようとの声と「陰の母国アメリカ」との合併を求める声が高くな
 っていました。1835年5月、メキシコ中央部のサカテコス州の「反乱」
 を鎮圧したサンタ・アナはいよいよ辺境地域の「テハス(テキサス)」の不
 穏分子の一掃を図って圧力を強めていった訳です。

  1835年10月になるとゴンザレスやゴリアドの町で、メキシコ中央政
 府軍と「反徒軍」との衝突が起こり、ついにサン・アントニオ・デ・ベハス
 の町でサンタ・アナの義弟でもあるマルチン・ペルフェクト・デ・コス将軍
 の引きいる約650人をスティーブン・オースチンとエドワード・バールソ
 ンの率いる「義勇軍」(時期により400人から600人の間を変動)が包
 囲しました。12月始めまで続いた包囲戦のあと、コスの部隊は「降伏」し
 て町を退去しました。これでリオ・グランデ河の北側からメキシコ中央政府
 軍の勢力は一掃されたことになりました。ところが、もともと寄り合い所帯
 の「義勇軍兵士」の大半は、それぞれの家庭の事情によって「除隊」してし
 まい、戦力が低下してしまいました。サンタ・アナの「逆襲」は翌年の春ま
 ではないだろうと予想されていたことと、数回の戦闘で見せたメキシコ軍の
 弱体さがテキサス側の「油断」を招いたのでした。

  しかし、そうした楽観的な見方を裏切ってサンタ・アナは7千人もの兵士
 をもって「北部の反乱者どもの討伐」に出たのです。これはあの広大なテキ
 サスに殖民していたアングロ・アメリカ系住民の成年男子全体に匹敵するす
 るほどの「大軍」であったのです。二手に分かれて、一隊は海岸に沿って進
 み、本隊約2千人を率いたサンタ・アナは内陸部を進み、サン・アントニオ
 の町を目指したのです。劣勢に立たされたテキサスの植民者たちは、国境で
 あったザビーン河の東、ルイジアナ地方や遠くアメリカ東部にまで救援を求
 めたのです。かくして選挙に敗れて野に下ったばかりのディビー・クロケッ
 トなどがはるばる西の果ての地、テキサスへ向かったわけです。
[2004年2月10日 20時25分37秒]

お名前: 放浪者   
 サン・ハシント(ジャシント)の「双子の姉妹」の行方

  近未来を舞台にした海洋冒険ものーー「タイタニック号を引き揚げろ」などーー
 で知られるクライブ・カスラーが書いたノン・フィクションで、アラモの後に、サ
 ム・ヒューストンが率いるテキサス義勇軍がサンタ・アナの軍を破ったサン・ハシ
 ントの戦いで決定的な役割を果たした2門の大砲「双子の姉妹」の行方を捜索して
 いるエピソードが入っています。

  1835年の末に「テキサス独立運動」を支援するオハイオ州の市民たちの義捐
 金で鋳造された2門の大砲が密かにテキサスに送られ、翌36年4月21日午後3
 時半、ヒューストン以下738人がサンタ・アナ直率の本隊約2千人を奇襲し、僅
 か20分の戦闘でメキシコ軍は壊滅しました。死者630人、負傷者208人、捕
 虜約1200人。テキサス軍の損害は死者9人、負傷者28人(ヒューストンもそ
 のうちの一人)という一方的なものでした。メキシコ兵の多くが「私はアラモには
 行っていない。ゴリアドにも行っていない」と叫んで、命乞いをしたといいます。

  普通、戦闘での死傷者の割合は死者1に対して、負傷3と言われています。テキ
 サス側の損害はほぼそれに一致しますが、メキシコ軍のそれは逆です。虐殺された
 にしても時間が短すぎるので、主に「双子の姉妹」による直撃でテントごと吹き飛
 ばされた兵士たちが多かったようです。専用の砲弾がなかったので、代わりにくず
 鉄、チェーン、釘などが使われたそうで、単なる砲弾の破裂よりも致命的な打撃を
 兵士たちに与えたようです。

  「双子の姉妹」はその後、テキサス州の宝になっていましたが、南北戦争で南部
 連合に加わっていたテキサスも敗戦の混乱に陥り、ヒューストンの町の近くで行方
 不明になってしまいました。近年、3回の調査が行なわれましたが、いまだに発見
 されていないそうです。
[2004年2月8日 21時14分44秒]

お名前: 放浪者   
  ワシントンの誕生日

  これは本来、「アラモ2」の方に書くべきことなんですが、そちらの方は閑散と
 しているようなので、とりあえずこちらに書いておきます。

  メキシコ軍の先鋒がサン・アントニオ・デ・ベハール(ベクサー)の町に到着す
 るとき、「アラモ」の方では白昼、町に異変があるという歩哨の叫びで守備隊は気
 付くのですが、「アラモ2」の方では前夜からのドンちゃん騒ぎで二日酔いで寝込
 んでいる守備隊に偵察隊が急を告げる形になっています。

  アメリカの初代大統領ワシントンの誕生日が2月22日(新暦。本人は1732〜
 33年2月11日に生まれたと記憶している訳です。途中でローマ暦からグレゴリ
 オ暦に変わったので、こういうことになった。)だったので、そのお祝いとばかり
 に、飲んだくれた次第のようです。そこで翌23日朝にメキシコ軍が到着したのは
 計算外の「奇襲」だったことになります。(トラビスも他のテキサスの指導者たち
 も皆、メキシコ軍の到着は3月半ば頃と予測していたようです。)

  この辺り、どちらが本当なのか調べていないので判りませんが、こんどの新作で
 はどうなるのでしょうかね?
[2004年2月6日 21時30分12秒]

お名前: 放浪者   
 「悪役?仇役?サンタ・アナについて」

  映画の冒頭、字幕で「独裁者サンタ・アナの暴政に対抗して…云々」みたいな
 ことを書かれている「偉大なるメキシコの支配者にして統率者アントニオ・ロペ
 ス・デ・サンタ・アナ閣下」について、少し。

  何か悪役か仇役のはずなのに、意外?にも礼儀を弁えた人物として登場してい
 ましたが、その実像は、1794年に生まれ、1876年に死んだメキシコの軍
 人にして政治家でした。「アラモ」の直前の1833年に最初の大統領に就任し
 てから、続く20余年間に合計11回(5回という説もある)もその職に就くと
 いう波乱に富んだ人生を送った人です。

  スペインから独立したもののまだ国家としての骨格が固まらない時代に生きた
 風雲児と呼ぶべき人物ですね。1808年、14歳でスペイン軍に入隊し、21
 年にスペインからの独立闘争が始まるやそれに参加、独立後23年に共和制の移
 行に寄与。29年に再征服を狙うスペイン軍を破り国民的英雄となる。33年に
 大統領に選ばれる。その後中央集権化を図り、国内の統一に乗り出す。その過程
 でテキサス独立戦争を戦いアラモやゴリアドで勝利するも、サン・ハシントで大
 敗、捕虜となりテキサスの分離独立を認めさせられる。帰国後、失脚するが、3
 8年今度はベラ・クルスに侵入したフランス軍を破るが、左足を失う。再び国民
 的英雄となり、41年大統領に復帰する。45年にその座を追われるが、46年
 に米墨戦争が始まると軍の指揮官として復帰するが、敗北してジャマイカに逃亡、
 53年に帰国して権力の座に戻るも、55年にまたもや追放される。その後、カ
 リブ諸国で過ごしたのち、74年に高齢を理由に帰国を許され、貧困のうちにメ
 キシコ・シティで死去。(ナポレオン3世のちょっかいに乗じようとしたりして、
 爺様になっても結構、野心は失わなかったみたいです。)
  
[2004年2月5日 20時36分16秒]

お名前: 放浪者   
  訂正です。(^.^:;

  ジム・ボウィの妻子の件ですが、彼が結婚した当時40代半ばと書きましたが、
 最近の資料を見ると彼は30代半ばでした。昔、読んだ資料ではクロケットと同
 じ年齢となっていたので、それに吊られてしまって結婚時の年齢を間違えてしま
 いました。訂正します。

  テキサス州ハンドブックに載って資料によりますと、ボウィは1796年4月
 10日(?)にケンタッキー州ローガン郡(現シンプソン郡)で生まれたそうで
 す。1830年10月5日に正式にメキシコ市民となり、翌年4月25日にウル
 スラ・デ・フェラメンディと結婚していますから、35歳だった訳です。

  また彼の体格については、ジムの兄弟によれば身長6フィート(約183セン
 チ)、体重180ポンド(約82キロ)だったそうで、当時の西部の男としては
 大柄な部類でした。ちなみにサム・ヒューストンは身長6フィート2インチ(約
 188センチ)といいますが、別の資料では7フィート(約213センチ)近い
 巨人だったというものもあります。クロケットも6フィート1インチ(約185
 センチ)前後という記録があるそうです。トラビスについては今のところ資料は
 見つかっていません。
[2004年2月5日 18時3分25秒]

お名前: 放浪者   
  書き込みの少ないことは、西部劇の凋落を象徴しているみたいで、
 残念ですね。逢坂剛氏が最近、やけ気味で強引に書いたという新聞
 連載小説「墓石の伝説」での記述を図らずも証明している感じです。
  西部劇とSFものを出す出版社は潰れるというジンクスがあるそ
 うですから。

  それはさておき、西部劇版浪花節「アラモ」で泣かせる話のひと
 つとして、登場するジム・ボウィの妻子がコレラで死亡したという
 知らせが届き、彼が号泣するところがあります。事実、彼の妻子が
 コレラの流行に巻き込まれ死亡しているのですが、時期が違います。
 
  若い頃、奴隷貿易などいかがわしい事業で財を成したボウィがテ
 キサスに移住し、サン・アントニオで一番の金持ちの娘マリア・ウ
 ルスラ・デ・ベラメンディ(何と19歳の金髪娘!ボウィは、既に
 四十代になっていた。)と結婚したのが、1828年のことといい
 ます。二人の子供を持ったのち、1833年に仕事で東部へ旅行中
 留守家族がコレラの流行によって、義理の両親も含めて家族全部を
 失ったのです。このショックで数ヶ月間も帰れず、さらには深酒を
 するようになったのですね。

  この史実を踏まえて、包囲戦の最中の出来事に置き換えていた訳
 です。
[2004年2月2日 20時53分18秒]

お名前: 放浪者   
 追加訂正です。

 2行目の「south」の前に「the」が入ります。 
 14行目(下から3行目)のリフレイン(繰
 り返し)と同じになります。

 これがないと「南部」の意味でなく、単なる
 南のどっかになってしまいますね。

 6行目の「Jast」 は 当然、「Just」です。

 
[2004年1月26日 19時27分53秒]

お名前: 放浪者   
 ダメですよ!H.W.さん、法律破りをしては!
 
 とか、言いつつ、いくつか映画での歌詞と違うところ
 があるので、お節介ながら、訂正をば、

 Tennsssee babe with the sweet-saunding name
  =>sweet soundin' name

  「甘く響く名前」が「甘いサウナ?の名前」になって
 しまいます。
 
  Suggar would melt in your mouth
    =>Sugar wouldn't melt in your mouth

  「お前は余りに甘い(可愛い)ので、近所の皆はこう
  いうのさ。砂糖でさえ、お前のお口の中では溶けはし
  ないと」という意味になります。

    大抵、日本のレコードなんかについているおまけの
 歌詞集は、日本側で独自に作っていることが多いので、
 こんな違いがよくあります。なにせ日本人が聴いて、
 歌詞を書き出しているので、聞き違えることが少なく
 ないわけです。ほんとの母国語でない人間の悲しさで
 すね。私も英語の字幕をみて、逆に聞いていたことを
 何度も発見してはがっかりしていることが多いです。

 訂正は完全版の英語台詞(米側で作ったもの)に基づ
 いています。映画では冒頭の1番だけが歌われていま
 すね。

  TAKE.NOMさん、お孫さんの3歳のお誕生日
 に合わせてお歌いくださいな。ただし、ここの掲示板
 で知ったことは内密にお願いしますよ。
[2004年1月26日 19時15分1秒]

お名前: wada hidemi   
TAKE.NOM さん
テネシ−ベイブの歌詞は下記のとうりです。
Tennsssee babe with the sweet-saunding name
Dear little rose of south
You are so sweet that neighbors all claim
Suggar would melt in your mouth
Oh,Lisa,sweet Lisa,
Jast look at the way you have grown
Oh,Lisa Dear Lisa
Oh,Lisa.my baby,my darling.my own
Tennessee babe.save your dimples for me
Don`t let a one get away
Lisa my darling though you`re only three
You`ll be a grand lady some day
Oh,Lisa,Our Lisa
Dear little rose of the south
Oh,Lisa,Oh,Lisa
Sugar would melt in your mouth
お子さんに是非歌ってあげてください。
著作権に触れないよう祈ります。
[2004年1月26日 15時36分6秒]

お名前: 放浪者   
 TAKE.NOMさん。

 「テネシー・ベーブ」のオリジナル歌詞をお求めのようですが、
 著作権の関係からこうした公開の場での歌詞の掲載は違法とされ
 ていますので、個人的にメールで求める以外にないと思います。

  あとはDVD版の「アラモ」の英語字幕かCDの付属歌詞で
 捜されるしかないでしょう。ただ短縮版ではカットされている
 可能性があるので確かめる必要があります。既に出たビデオの
 「完全版」には当然収録されていますが、絶版になっている可
 能性もあります。むしろCD版のカタログで捜された方がよい
 かも知れません。今年の秋以降に新作の「アラモ」が公開され
 る予定なので、名曲の評判の高い音楽の方は再発売される可能
 性が高いと思います。

  ただ、歌詞のほとんどは判っているが、ここの部分だけは聞き
 取れないので、教えてくれといった部分的な依頼はできますが、
 それもせいぜい数小節程度ということになりますし、この場で
 答えてくれる人がいるかどうか判りません。
[2004年1月26日 2時21分44秒]

お名前: TAKE.NOM   
慣れないもので、書き込みに失敗しました。
要するところ、映画の中にでてくる、子守唄(かな?)、「テネシー・ベーブ」の英語歌詞全を
教えていただけませんか。孫が3歳になった時に、歌ってやりたいなと以前から思っています。
[2004年1月26日 1時22分44秒]

お名前: take.nom   
初めて発言(投稿)いたします。以前からいいかげんな捜しかたをしていて、
[2004年1月26日 1時12分4秒]

お名前: 放浪者   
 反省と期待です。

  何といっても、ここはジョン・ウェインの製作した「アラモ」について
 語る板(サイト)ですから、それに集中すべきなんですが、そのリメイク
 版ーー日本では今年の秋以降の公開になりますね。順調にいってもーーに
 ついてもどうしても言及することになってしまいます。史実を踏まえてい
 る映画につきものの宿命とでもいいましょうか、そのあたりは容認してく
 ださいね。

  と同時に、所詮、限られた時間の範囲で語ることのできる物語には限り
 があります。それについて映画なり、小説なりで語るにはそれなりの視点
 が必要です。それなくしては、単なる史実の資料の垂れ流しでしかありま
 せん。ウェインの「アラモ」は拙劣ではありましたが、共和制、共和国と
 いう理念とその実現に命を賭けた男たちの姿、生き方を描いておりました。

  今度の作品はどのような視点、理念をもってこの史実を描こうとしてい
 るのか?それが一番知りたいですね。単なる「娯楽の提供」に堕するだけ
 では、多額の予算と労力を費やす意味がありませんから。(残念なことに、
 そうした「目先の利益の獲得」だけを目指した映画がほとんどですけど。)
[2004年1月24日 3時15分8秒]

お名前: 放浪者   
 新版「アラモ」の予告編

  とりあえず、史実に忠実といううたい文句だけあって、メキシコ軍の総攻撃は
 日の出前に開始されているようです。ファン・セギンと思しき人物がアラモへの
 攻撃を見守っているところや、サン・ハシントの戦闘ーーシエスタ(昼寝)での
 んびりしているメキシコ軍が18分間で大敗したーーなんかもちゃんと描かれて
 いるようです。

  また、劇場の舞台で観衆に鹿皮服を着て愛銃「ベッチィー」を抱えて、アライ
 グマの帽子をとり挨拶しているクロケットの姿もありました。とにかく、どんな
 出来具合いになるのやら、楽しくもあり、苦くもありというところですね。
[2004年1月22日 1時46分24秒]

お名前: 放浪者   
 新作「アラモ」の評判は散々?

 現地時間の17日夜に、カルフォルニア州ウッドランド・ヒルズという
ところで、ディズニー・プロ製作の「アラモ」が事前試写会を行なったよ
うです。それを見た人たちの感想は散々なこき下ろしみたいです。英語の
文章がストレートな表現なので、意味が掴みにくいのです。

 でも、「(全米で人気の善玉レスラーの)ハルク・ホーガンをサンタ・
アナとしてもう一度撮り直せ!」なんて意見が挙げられていました。また、
「13歳以下の坊ちゃん、嬢ちゃんはご両親のご指導と承諾を受けてから
見ましょう」なんて、ディズニー印の映画、流血もない歴史を誤解させる
大駄作だ、という意見もありとかで否定的な意見が多いようです。

 4月9日の全米公開までにかなり手直しが必要になりそうですね。

 ひとつだけディビー・クロケットのソーントンの演技は評価されている
ようです。ただ、「史実に基づいて、降伏して捕虜となりサンタ・アナに
向かって、「これ以上の流血はテキサス=メキシコ双方にとっても無駄だ」
とヒューストンとの仲介役を申し出るが、結局、処刑されてしまうという
描写は悪評でした。どうせなら、この初号プリントと公開用のプリントと
その両方を見てみたいですね。
[2004年1月21日 1時52分38秒]

お名前: 放浪者   
  別に「アラモ」について、本格的に勉強も研究もしたことはあり
 ません。お兄さんの「狂気」に引っ張られて何十年、折に触れて、
 目に付いた資料などをメモっていただけのことです。

  今回の「アラモ」は米国の映画サイトに依りますと、始めは「超
 大作」の予定で製作の準備に入ったものの、「パール・ハーバー」
 で大コケをしたディズニー・プロがあまり当たる可能性がない西部
 劇に予算をつぎ込むことに尻込みをしたことで、平均的な「大作」
 になったとか。

   監督  ロン・ハワード  => ジョン・リー・ハンコック
   主演  ラッセル・クロウ => デニス・クエイド
   予算  1億3500万ドル=>  7500万ドル
   レート 成人指定(残酷さ)=>  PG13歳以上

  撮影はアラモ・ビレッジではなく、同じテキサス州のオースチン
 付近を中心に行なわれたそうです。ハミルトン・プール近くの
 ドリッピング・スプリングス(Dripping Springs) 北西約10マイ
 ルのレイマー牧場(Reimer Ranch) の中に53エーカーのアラモ
 とサン・アントニオのセット、同じ牧場の中に40エーカーのゴン
 ザレスとサン・フェリペの町のセットも作られたそうです。また、 
 バストロップ(Bastrop) というところでサン・ハシントの戦闘が
 撮影されたということです。

 (以上:http://filmforce.ign.com/articles/383/383822p1.html)

      
[2004年1月20日 20時40分13秒]

お名前: デンバー・パイル   
この欄も大分書き込みが増えましたね!
放浪者さん、滅茶苦茶詳しいですね!
よほど「アラモ」のことを詳しく調べられているのですね!
私の兄も大の「アラモ」好きですが、放浪者さんには負けると
言ってました。
また、ブラケット・ビルの「アラモヴィレッジ」に行きたいです。
お兄様連れて行ってください。

今年の末に公開されるディズニィーの「アラモ」はどこで
撮影したのでしょうか?
[2004年1月20日 10時2分45秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモの砦」は健在なりや?

  ふと「アラモ」の書き込みをしているうちに思い出したんですが、
 渋谷に近い池尻大橋、玉川通りに渋谷に向かって左側、やや入った
 ところに「アラモの砦」という喫茶店兼料理屋が昔あったことを思
 い出しました。

  大学の卒業論文の製本を頼みにいった場所の並びにあったと記憶
 しているのですが、なにしろ30年も前の話ですから、いまはどう
 なっているのやら。たしか鹿皮服を着たジョン・ウェインの肖像が
 でっかく店の看板と一緒に掲げてあったと思います。いまでもある
 のでしょうかね?まだあるのなら、「アラモ狂徒」たちの溜まり場
 にでもなるところでしょうか。

  文京区は、根津駅から東大に近い「言問い通り」に「駅馬車」と
 いう店があり、題名のとおりウェイン扮するリンゴ・キッドの肖像
 が掛けてある店はまだ健在ですね。いつもそばを通るときは定休日
 なんで入ったことはないので、はやっているのか、またどんな店な
 のかも判りませんので、悪しからず。
[2004年1月16日 17時39分38秒]

お名前: 放浪者   
 書き込みトップになったよ。

  H.W.さんよー。お望み通りこの西部劇の掲示板でこの板(スレッド)が
 「シェーン」を抜いて一番になったみたいだよ。2番手だった「荒野の七人」
 が40番台だったから、60番台でトップだった「シェーン」を抜いてトップ
 に躍り出たようだ。

  あとは、別のファンたちから「リメンバー、アラモ!」と逆襲を受けないよ
 うに努力してくださいな。
[2004年1月16日 17時13分22秒]

お名前: 放浪者   
  戦士の盲目の妻

  以前、ここの初期の書き込み(ノスタル爺さん、2000年3月21日
 付け)で、サンタ・アナの勧告で砦に居た非戦闘員が退去をする際、ひと
 りの男が盲目の妻をひとりで去らせることができないと言い、トラビスた
 ちもその男と妻の状況を考えて共に退去するよう勧める話があります。

  「西部の浪花節」と書かれていたように、妻は決然として夫に砦に残っ
 て「自分の義務を果たせ」と突っぱねます。「二度とあなたと会えなくな
 るのはつらいが、卑怯なふるまいをされるよりは、義務を果たして倒れた
 男の妻としての誇りを持って、残りの人生を送った方がよい」と。

  映画ではクロケットと同郷のテネシー州出身のジャッコとネルのロビン
 ソン夫妻として描かれています。脚本の創作かな?と思える話ですが、意
 外にもモデルがいたんですね。

  テネシー州ではなく、ミシシッピー州出身のアイザック・ミルサップス
 とその妻(名前は今のところ、判りません)がそのモデルです。彼女は盲
 目で、しかも七人の子持ちだったようです。彼女の豪胆さが発揮されたの
 はアラモではなくて、彼女が避難していたゴンザレスの町のことでした。
 「アラモの大虐殺」の噂を聞いて、パニックになった町の住人たちが我先
 に逃げ出しました。アラモの救援の準備をしにこの町にいたヒューストン
 の部隊ですら同様だったのです。なぜか子供たちと置き去りにされた夫人
 とその子供たちは、数日後に探しに来たヒューストンの部下たちに救出さ
 れるまで、落ち着いて過ごしていたそうです。

  彼女がアラモに夫を残しゴンザレスの町に移ったのはいつか判らないの
 で、映画に描かれたような別れ方ではなかったと思いますが、盲目の身で
 ありながら、夫を義勇軍に送り出したのですから、胆の据わった女性であっ
 たことは確かですね。

  「アラモの大虐殺」の知らせを聞いた開拓民たちのパニックぶりは、の
 ちのちまで「盲滅法な大逃亡」として語り草になったほどのもので、誕生
 したばかりの「テキサス共和国臨時政府」などもそのうちのひとりでした。

  実際、サン・ハシントの戦いまではテキサス独立軍はサンタ・アナの軍
 隊にほとんど連戦連敗の有様でしたから、わずか「18分の奇跡」と呼ば
 れる逆転劇まではルイジアナの国境のサビーン川まで、押し散らされるも
 のと双方とも思っていたようです。(どっかの島国の海軍も「5分の遅れ」
 で米海軍に大惨敗して、戦争そのものにも負けるきっかけを作ったことが
 ありましたね。)  
[2004年1月16日 12時59分55秒]

お名前: 放浪者   
 ファニンとゴリアドはどうなる?

  映画ですから時間の関係で、どうしてもはしょったりすることや脚色が
 入りますが、ジョン・ウェインの「アラモ」の中で一番大きな変更といえ
 ば、アラモへの「増援部隊となるはず」のファニン大佐が率いた約5百人
 の部隊が途中で全滅したという知らせをボナム大尉がもたらす話でしょう。

  実際にファニン隊もアラモ守備隊と同様に、ほとんど全滅してしまった
 のですが、時間的にはアラモが3月6日の朝だったのに対して、ファニン
 隊の方は2週間ほど後の3月20日から21日にかけて、ゴリアド付近の
 戦闘で破れ、約400人全員が戦死または処刑されたのですね。

  今度の「新版・アラモ」では1835年10月の「テキサス独立戦争」
 の開始から翌年4月のサン・ジャシント(サン・ハシント)の戦闘まで
 描くというかなり欲張った脚本だそうなんで、この話まで入れたらそれ
 こそ、3時間どころか6時間あっても足りそうにありません。あのイカ
 サマ史劇「パール・ハーバー」も真珠湾攻撃だけでなく、「英国の戦い」
 から「ドーリットル隊の日本本土初空襲」まで取り入れたメロドラマに
 して散々なことになったんですが、その「二の舞」という感じです。

 (ちなみに、「パール・・」はメロドラマといううたい文句に踊らされ
 た歴史音痴のアホな島国の住民たちだけが、自分たちのご先祖様たちが
 卑怯者にされているのに気付きもせずに、バカ高い料金を払って涙して
 いたという間抜けな笑い話になったということですけどね。)
 
[2004年1月15日 23時44分26秒]

お名前: 放浪者   
 サンタ・アナの総攻撃命令の疑問

 テキサス州ハンドブックというコラムにこんな記事が載っています。

 「(1836年)3月5日、包囲戦開始から12日目のこと、サンタ・
 アナは翌日の攻撃を命じた。この突然の命令に部下たちは驚いた。す
 でに敵の防御壁はずたずたになっており、テキサス側に増援が送り込
 まれる様子もなかった。兵糧が尽きれば、降伏する以外に選択肢は残
 されていなかったからだ。多数の銃砲で守備されている場所に対して
 甚大な被害を省みずに攻撃を仕掛けるいかなる軍事的合理性もなかっ
 た。しかし、サンタ・アナはこれらの合理的な批判を執拗に退けて、
 アラモへの攻撃に固執した。翌3月6日の日曜日、午前5時頃から四
 方向から痛めつけられた防壁に対して攻撃が開始された。始め、テキ
 サス側は何回か、メキシコ軍を撃退したが、そのたびに体勢を取り直
 して、ついに北側の防壁を破ることに成功した。トラビスは戦闘開始
 直後に、その北の壁で戦死したひとりだった。防御側は、周囲の壁で
 の防戦を放棄して長い兵舎と呼ばれた建物に入り、抵抗を続けた。

  凄惨な肉弾戦がそこかしこで行なわれた。病の床にあったジム・ボ
 ウイにもなんらの慈悲めいた注意は払われなかった。礼拝堂が最後の
 戦闘地域となった。戦闘は1時間半と続かなかった。多分七人が捕虜
 となったが、サンタ・アナは彼らの処刑を命じ、ただちに行なわれた。
 この不運な男たちの中にディビー・クロケットがいたと多くの歴史家
 は見ているが、いまだに決着を見ることの無い議論の的となっている。
 午前8時までにアラモの守備隊員は全員、死体となって横たわってい
 た。現在、189人の名前が公式のリストに載せられているが、絶え
 間なく続けられている研究によれば、最終的な数は257人の多きに
 上る可能性もあるという。

  メキシコ側の損害についても様々な数字が挙げられているが、最良
 の推計では死傷者約6百人とされている。数人の非戦闘員である女子
 や奴隷が引き出されたが、サンタ・アナは驚くほどの「厚遇」をもっ
 て彼らを取り扱った。全員の生命を保証しただけでなく、目的地への
 安全な通行を保障した上に、毛布と2ドルの現金を旅費として与えた
 のである。
 :::::::::::::::::::::::::::::::

  こんなところが、映画が扱った部分になるでしょうか。
[2004年1月12日 21時4分59秒]

お名前: 放浪者   
 ヘクトさん、以前「アラモ」での戦死者数について、書き込みがありました。

 183人、185人、187人といった数字が上げられていることに困惑さ
 れたのですね。映画では「トラヴィス大佐、ディビィ・クロケット、それに
 180人の男たち」と歌っていますから、182人説を映画では採っている
 ようです。

  近年では189人とするのが主流のようです。ですが257人もいたとす
 る説も登場しているので、なかなか大変です。とりあえず、189人という
 のが現在の「定説」になっているということでしょう。
[2004年1月12日 2時12分18秒]

お名前: wada hidemi   
放浪者殿
実際のアラモの戦闘状況は3月6日早朝には終了した
と史実にはありますね、サンアントニオのIMAX
シアタ−で毎日上映しているTHE PRICE
OF FREEDOM で早朝に砦の守備隊が殲滅
されてしまうシ-ンがえがかれています。ジムボウイさん
が銃剣で芋刺しにされてしまう画面など暗い画面のなかで
圧倒される場面がありました。又総攻撃の前にデグエヨの
演奏がありますがアラモのテイオムキンの編曲した皆殺しの歌
とはかなりちがうイメ-ジでした勿論撮影場所はアラモビレッジ
でしす。
[2004年1月10日 21時33分29秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ砦」攻防戦の最後

  映画の最後では白昼、7000人の大軍が砦の周りを囲み、軍楽隊が
 トランペットで勇壮なマーチを吹き、次いで慈悲を与えない(=すなわ
 ち「皆殺し」を意味する「デ・グエロ」の演奏があり、再びトランペッ
 トが鳴り渡り、突如として1分ほどの沈黙が辺りを支配します。その後、
 砲兵隊の一斉射撃を合図に歩兵、騎兵隊が多大な犠牲を顧みることも無
 く、突撃を繰り返す力攻めを行い、ついに北側の防壁を破り、砦の中に
 突入に成功します。

  その後の数分間で、守備隊司令官のトラビスを始めとして、ディキン
 ソン大尉、ボナム中尉など守備隊員たちが次々に倒れて行き、クロケッ
 トも槍兵の一突きで致命傷を負います。しかし、その苦痛に耐えながら
 最後の力を振り絞って弾薬庫へ松明を投じて壮烈な自爆を遂げます。そ
 の爆煙に咳き込みながらボウイも、突入してきた敵兵たちを相手に死力
 を尽くすも、銃剣に串刺しにされて絶命します。直後、軍医が倒され、
 物陰に隠れていたディキンソン大尉夫人と娘、召使の少年の3人が発見
 され、戦闘の終了が告げられます。

  伝令に出ていたスミティが砦より丁重に送り出されたディキンソン夫
 人たちを迎え、共に夕日の射す地平の彼方へ歩んでいくところで映画は
 エンドとなります。

  さてと、実際の戦闘ではどうだったのでしょうか?

  最後の総攻撃は守備隊にとって、奇襲であった午前5時少し過ぎたこ
 ろに始まり、1時間半後には砦内外の掃蕩も終了したとあります。

  でもって、興味をもって1836年3月6日のサン・アントニオ付近
 (北緯29度30分、西経98度30分)の日の出をシミュレートして
 みると日の出は午前6時15分頃、ほぼ真東の南へ5度ほどのところか
 らでした。ということは、明け方の薄明の明かりの中で戦闘が開始され、
 日が出てきたときには戦闘はほとんど終わっていたことになります。

  史実のままに、戦闘を再現しては暗闘シーンだらけでおよそ映画向き
 のものにならないのは確かですね。この秋に公開されるという「アラモ」
 はどんな風に描くのでしょうか?(ま、あのでたらめ極まる真珠湾攻撃
 シーンを作ったデイズニー・プロのこと過大な期待は禁物のようです。)
[2004年1月10日 1時15分49秒]

お名前: wada hidemi   
上海パパ様
アラモ2(13days to  glory)日本語字幕版 1987年大映(カブ)
MVH-0208 145分

アラモ2アメリカ版 1201WESTERN MINISERIES
170分です。アマゾンで
確認下さい
[2004年1月9日 21時33分49秒]

お名前: 上海パパ   
ジョンウエイン主演のアラモ、そしてブライアンキースがデイビークロケットを演じた
アラモ2はどこに行けば買うことができますか?VDV、ビデオどちらでもかまいません。
どなたかお知らせください。(できたら価格も)
[2004年1月9日 19時20分23秒]

お名前: 放浪者   
 アラモの上映時間

 「完全版」の時間を計測してみました。

 前奏曲     0分00秒〜 3分05秒    3分05秒
 タイトル    3分05秒〜 5分15秒    2分10秒
 本編前半    5分15秒〜 95分00秒  89分45秒
 休憩案内   95分00秒〜 95分15秒     15秒

 間奏曲     0分00秒〜  3分40秒   3分40秒
 暗転部     3分40秒〜  3分45秒      5秒
 本編後半    3分45秒〜103分25秒  99分20秒
 終曲    103分25秒〜106分43秒   3分18秒

 合計                    201分58秒

 というのが、「ディレクターズ・カット完全版・前後編」のビデオ
 を正月に見ながら計測した結果です。機械の関係で若干の伸び縮み
 はあるでしょうが、すべてを含めて約202分。前奏曲や休憩時間、
 終曲などを除いた本編だけなら 191分15秒(3時間11分1
 5秒)というのが最長版ということになりますね。
[2004年1月8日 2時51分13秒]

お名前: 放浪者   
 ウェルカムバック、H.W.さん。


 2週間半ぶりの書き込みですね。ま、「コイズミ・ノー天気、無責任宰相」と
 「数式だけで経済が解ったつもりでいるノータリン財務大臣」の最悪コンビが
 続投を続けている世相では、40年も前の西部劇談義にうつつを抜かしている
 のは顰蹙を買うかもしれませんが、それでもあの絶望的な状況の下でも諦める
 ことなく己の信ずる道を選んで倒れていった男たちの物語は、何かを語りかけ
 てくれるでしょう。

 「学芸会」と化していた「大河ドラマ」も次週より、「信義に殉じていった男
 たちの青春ドラマ」だそうな「新撰組」が始まりますね。何か思い違いも甚だ
 しいのですね。35歳で死んだ近藤勇や土方歳三なんかは、今から見れば若く
 して死んだことになりますが、当時の感覚では充分に生きた感じですよ。

 その点で50歳で死んだディービー・クロケットは既に「老人」扱いの感じ
 だったはずです。(それゆえに、クロケットのアラモ行きは「自殺願望」が
 あったという説もあるわけです。)27歳と伝えられるトラビスなんかでも、
 立派な中年でしたし、大体、デキィンソン夫人が事件当時まだ17歳か18
 歳の「幼な妻」だったなんてことを知って映画を見ると変な感じがしますね。
 ちなみにその娘は当時1歳半なんで、5歳のアイサ・ウェインでも「トウが
 立って」いたことになります。デキィンソン夫人が結婚したのは14歳だっ
 たといいますが、当時の西部では普通のことでした。20歳で嫁にいってい
 ない娘は「行かず後家」呼ばわりされたそうです。(「西部開拓史」の冒頭
 でも、主人公ローリング一家の長女イーブが「もう、20になるのに嫁にも
 いけない仕様の無い娘です」なんて、父親に言われてました。1840年ご
 ろの五大湖あたりの話となってましたけど、メキシコの影響下にあった地域
 なら15歳前後で嫁にいくのが普通だったとかいいますね。)
[2004年1月8日 1時35分22秒]

お名前: wada hidemi   
放浪者様
年末年始 私もジョンウエインの アラモの資料を
屋根裏より引っ張り出してみていました。映画のパンフは
四部ありました。最初70ミリの分/圭疋潺薀虜造里舛蕕憩り
⊃圭錨豕泙離轡優泪好-プ版8絣擶爛轡優泙糧
ぃ隠坑僑掲の70ミリ短縮版(これはデビ-クロケットの
顔がジョンウエインでも最初の松明を振り回しているミラノ座の
バ-ジョンと微かに違う)がありました。それとアラモ2のビデオ
ですが日本版は2時間弱ですがアメリカで購入した版は152分も
ありました。今年の暮れ公開予定のアラモが楽しみです。
[2004年1月7日 23時3分27秒]

お名前: wada hidemi   
放浪者様
年末年始 私もジョンウエインの アラモの資料を
屋根裏より引っ張り出してみていました。映画のパンフは
四部ありました。最初70ミリの分/圭疋潺薀虜造里舛蕕憩り
⊃圭錨豕泙離轡優泪好-プ版8絣擶爛轡優泙糧
ぃ隠坑僑掲の70ミリ短縮版(これはデビ-クロケットの
顔がジョンウエインでも最初の松明を振り回しているミラノ座の
バ-ジョンと微かに違う)がありました。それとアラモ2のビデオ
ですが日本版は2時間弱ですがアメリカで購入した版は152分も
ありました。今年の暮れ公開予定のアラモが楽しみです。
[2004年1月7日 23時3分25秒]

お名前: 放浪者   
 おーい、10日以上も経つのに、H.W.さん。追加の書き込みはないのかー?

 「アラモ」が「アラマのアホの集う砦(いわゆる「き*がい病院」)に指定されの
 は時間の問題ですぞー。続報を期待しているのだ。その点では「ヘクト」さん、あ
 なたの書き込みにも、大いに期待しておるのですぞー。「家人」の反感など、気に
 しないで、どんどん書き込みをしてくだいね。

 倉庫を掃除していたら、出てきましたよ。「アラモ」の完全版が。202分の最長
 晩ビデオですから、ゆっくりかんがえさせてもらいますね。
[2004年1月7日 3時31分20秒]

お名前: 放浪者   
 アラモ守備隊の戦死者数

  「聖夜」の晩にこんな書き込みが出来るくらい、ひまを持て余しています。
 小泉の「痛みのある改革」なるもののあおりを受けて町の商店街、飲食街は
 崩壊寸前です。サンタ・アナよりもたちの悪い「独善者コイズミ」とそのお
 先棒担ぎの竹中なぞ、暴動でも起きたら真っ先に吊るされるところですが、
 「瑞穂垂れる国」の住民のおとなしさからすると、まだ「余裕」ありそうな
 ので困ったものです。

  さて、サンタ・アナの「暴政」に抗議して「テキサス独立戦争」のために
 アラモの「砦」にはせ参じたものの、武運つたなく倒れた「英雄たち」の数
 ですが、前にも書いたように確定していません。

  ただ、ウォルター・ロードという調査を徹底的にすることで著名な歴史作
 家がこの戦いを扱った「決死の時・真説アラモ砦」という本によると、アラ
 モ砦で収容された「反乱者たち」の遺体の数は183体であったするのが、
 最も信頼できるものだろう、としています。

  サンタ・アナは攻防戦が終了した後、「反逆者たちが安らかに眠ることが
 出来ないように全ての遺体を焼却するよう」に命じました。当時のカソリッ
 ク教徒(クリスチャン一般とも云えます)の考えでは「最後の審判の日」に
 備えて「遺体は損ねることなく葬ることが必要」でした。いわば、死者への
 冒涜的行為だった訳です。

  その焼却を命じられた人物ーーフラシスコ・ルイスーーが集計した数字で
 は182体となっています。しかし、ただ一人だけ埋葬を許された人物を抜
 かしたので、砦で収容された守備隊員の遺体は合計183体であったと考え
 るのが一番妥当であろうと書かれています。
 
  ただロードの本が書かれたのは1961年と40年以上も前になるので、
 その後いくつもの「新しい資料や史料」が発見され、研究も進んでいるので、
 また違った数字も提案されていますね。それでも上限は189人を超えるこ
 とはないようです。問題は同じ人物でも綴りが異なるために「別人」として
 数えらている事例がいくつも発見されているので、いわゆる「名簿」から数
 えることには限界があります。(一例を挙げれば、ディキンソン大尉です。
 彼はディッカーソンとか、ディクソンとかデッカーソンとか綴られた記録が
 残っているようです。該当する人物がひとりなので簡単に綴りの誤りである
 ことが判りますが、無名の人物の場合、それを確認することは極めて困難で
 あることは言を待たないでしょう。)
[2003年12月24日 23時0分6秒]

お名前: 放浪者   
 >夕方の書き込みで、183人の命、としましたが、この数字は撤回
 させて頂きます。185人だったのでしょうか?でも、双葉十三郎さ
 んの、西部劇十大事件という歴史記述ふうの文章では、187名となっ
 ていて、またまた混乱してしまいます。

  ヘクトさん、これは別にこれと言った定説がないので、あまり気に
 なさる必要はないでしょう。もともと「義勇兵」たちが基礎になって
 いるのですが、文字も書けない人物も珍しくない時代と場所で起きた
 事件であるうえに、「勝利者」側も誇張した数字しか残しておらず、
 確実な人数を把握することは困難です。

  サンタ・アナが送った報告書では「600人余りの反逆者たち」を
 殺害したという数字があるそうですが、これはもちろん誇張した数字
 です。

  もともと「篭城していた」人数は120人前後といわれ、そこへ
 クロケットがつれて来た25人ほどの「テネシー人」、包囲後に入
 り込んだホアン・セギンの32人とさらに個人で入り込んだ10人前
 後と合計190人から200人の間が「砦」にいたと推定されます。

  そこから5〜7人が伝令として砦から抜け出していますし、少なく
 とも一人(ローズ)が脱出しています。他に2〜3人が負傷しながら
 も逃れた可能性があり、また一人はテキサス側の「捕虜」だったとし
 て虐殺から逃れています。という訳で「砦」が落城するまでの13日
 間の「テキサス軍」側の死者は181人から189人の諸説があり、
 確定していません。さらに250人前後とする説から逆に175人以
 下だったという説も僅かながらあるので、何とも云えませんね。

  メキシコ軍の損害についても同様で、250人から3000人以上
 なんていうバラバラな数字が存在しています。

  それだけ「伝説」が入り込みやすい事件だったということですね。 
[2003年12月23日 2時13分59秒]

お名前: ヘクト   
夕方の書き込みで、183人の命、としましたが、この数字は撤回させて頂きます。
185人だったのでしょうか?でも、双葉十三郎さんの、西部劇十大事件という歴史記述
ふうの文章では、187名となっていて、またまた混乱してしまいます。
(ボウイは)悲痛な声で生涯を終わらねばなりませんでした。
とも書きましたが、これはもちろん、テキサスの風土と気質を愛してやまなかったボウイ
(それを演じたウイドマーク)への、私なりのオマージュです。
クロケットと初めて出会った夜の彼は実に颯爽として、ざっくばらんで、照れくさそうに
テキサス(メキシコ)女性の素晴らしさを語る表情が忘れられません。
ウイドマークの笑顔など、アラモ以外の作品ではあまり記憶がないのですが、それだけに
あの夜、酒場のテラスで顔を赤らめながら苦笑した表情が、とても美しかったです。
[2003年12月22日 23時10分31秒]

お名前: ヘクト   
あまり度々書き込みしては、皆さんにウルサがられるだけだと、家人は申しますが、
なにとぞご容赦ください。
映画雑誌の切り抜きに目を通していたら、サンタ.アナ将軍(大統領)を演じた
カルロス.アルザは、実は<メキシコの有名な闘牛士で特に懇望されて>出演したと
紹介されていました。このことからも、メキシコ側に配慮したキャスティングの努力が
うかがえて、当初から、メキシコ軍を悪役として位置づける意図などまったくなかった
ことが察しられます。メキシコ軍が単なる悪の手先でしかなかったら、この映画にそなわった
高い悲傷性は生まれてこなかったと思うのです。いわば、歴史と歴史との避けがたい衝突、と
いう基本軸があるから、183人の命もうかばれるというもので、そうでなかったら、急ごしらえ
の砦での篭城戦など、あまり誉められたものではありません。
トラヴィスは、共和国誕生という歴史に殉じる、という思いがあればこそ、不敵な笑いを浮かべて
討ち死にしましたが、ボウイにとっては、歴史よりもまず身辺の現実が関心事だったので、
とうとう、クエー、という悲痛な声で生涯を終わらねばなりませんでした。
[2003年12月22日 17時58分36秒]

お名前: 放浪者   
>前々から気になっていたのですが、劇場パンフとレコードとでは、絵柄が
 左右逆になっているのですね。印刷ネガを処理する際のケアレスミスでしょ
 うか?どうでもいいことですがーーー

  よくあることです。映画関係者も多忙なので、同じ作品にいつまでも関
 わっている訳ではありません。そのためリバイバル(最近はとんと聞かな
 くなった言葉ですが)作品などはそれを扱った人物がかならずしも再び扱
 うわけではないので、もとの形を知らないままに「新規」に扱ってしまう
 ことは普通です。

  一番有名なのは「アラビアのロレンス」でしょうか。かの「映像の奇跡」
 とまでいわれた地平線の彼方から、突然湧き出したかのようにして首長ア
 リが登場する衝撃的なシーンが、何回目かのリバイバルの際に裏焼き状態
 にされていて、完全復元版が登場するまでは「映画マニア」のトリビアの
 ひとつとして珍重されたものです。ロレンスの左手にあった腕時計が右手
 になっているわけですから。

  
[2003年12月22日 17時33分10秒]

お名前: 放浪者   
 えてして、忙しいときにこんなことが重なりますね。

 「アラモ」と「リオ・ブラボー」との関連と言えば、なんといっても音楽です。
 
 総攻撃を前にメキシコ軍が「慈悲なし」(No Prisner=皆殺し)を意味する曲
 「デ・グエロ」を演奏しますが、同じ曲が保安官事務所に立て籠もるウェイン
 たちの耳に聞こえてきます。対立する悪役たちが町のサロンの楽士たちに一晩
 中演奏させて、ウェインたちを脅えさそうという魂胆でした。

  一緒に立て籠もっていたディーン・マーチンかリッキー・ネルソンだかが、
 これは「アラモで守備隊を皆殺しにした時、メキシコ軍が演奏した曲だ」とか
 いっていたように思います。
[2003年12月22日 13時10分57秒]

お名前: ヘクト   
年末、家の中の不用なものを整理して、さっぱりと新年を迎える準備にいそしむべきの今頃に
なって、私は物置からダンボール箱を運び込み、古い映画資料(資料、というのも、おこがま
しいですが)をひっぱりだして、家人のヒンシュクをかっています。ダンボール一箱に
1960年前後の映画パンフや、古本屋で買い集めた映画雑誌の切り抜きが入っていて、
やはりアラモやJ.ウエイン関係のものが多いですが、その中には、アラモ.撮影最高潮と
題された公開前の特集記事もあったりして、クレーンに据え付けたカメラの前で、なんとなく
浮かない顔をしているポロシャツ姿のJ.ウエインや、テネシー人たちが砦に乗り込むシーンの
撮影現場の風景、それにスミティ役の扮装のまま、F.アヴァロンが撮影合間にキャロル.ベル
リンという女性と仲むつまじく談笑している写真などに見入ってしまい、大掃除がおろそかに
なってしまいそうです。
 絵について、一言ーーー私の手元には、この絵の印刷物が三つあります。一つは70ミリ版
の劇場パンフ、もう一つはシネマスコープ版の劇場パンフ、そしてLPレコードのジャケット
です。前々から気になっていたのですが、劇場パンフとレコードとでは、絵柄が左右逆に
なっているのですね。印刷ネガを処理する際のケアレスミスでしょうか?どうでもいいこと
ですがーーー
[2003年12月22日 12時49分31秒]

お名前: wada hidemi   
ヘクトさん 放浪者さん
アラモの絵の件ですがデイビイクロケットが手にかざしているのは松明(たいまつ)です。
確かあの絵は「映画の友」の西部劇特集号1960年9月発売 に載ったのが最初だと記憶
しています。何故か1967年11月のリバイバル公開のときは最初の顔と違ったジョン・
ウエインの顔になっていましたが、それとLPレコ−ドの口絵も1960年12月発売SL
1018と1977年CBSソニ−より再販された口絵では画面が最初よりワイドになって
います。曲目はまったく同じです。「馬上の2人はアラモヴィレッジで撮影されています
「アラモ」のサンアントニオの町をそのまま使用しています。
[2003年12月21日 22時53分38秒]

お名前: 放浪者   
 「アラモ」と米海兵隊

  Marine defend the Alamo, 「海兵隊、アラモを守る」となりますが、この
 辺りの言葉で検索すると、ほとんど場合、太平洋戦争初期のウェーキ島攻防戦
 が出てきます。絶望的な状況下での不屈な戦意を示した戦いを「アラモ」に例
 えたようです。

  そういえば、「プライベート・ライアン」でも最後の戦闘で、「最終抵抗拠
 点」のことを「アラモ」と呼んでましたね。

  西欧の歴史ではいわゆる「玉砕戦」はほとんどないのですが、数少ない戦闘
 では称えられることが多いようです。古くは古代ギリシャの「テルモピレー」
 での300人のスパルタ軍がペルシャの大軍と戦い全滅したもの。古代ローマ
 と戦い全滅したユダヤ人の「マサダ砦」など、自らの大義のために死んでいっ
 た男たち(女たちもいましたけど)の物語は長く伝えられています。

  なぜか、同じく全滅した第七騎兵連隊のカスター中佐の話は最近ではどうな
 んでしょうね?

  

  
[2003年12月21日 18時25分22秒]

お名前: 放浪者   
 訂正です。

  ヘクトさんの記憶の方が正しかったのです。ジョン・ウェイン版の「アラモ」
 の看板ではクロケットは大砲の点火棒を振り回していました。彼の愛用の小銃
 ベッチィーではありませんでした。

  事件後に書かれた多くの想像図では、クロケットはベッチィーを振りまわし
 ているものが沢山あるので、そちらに引きずられた形で記憶が変化していたよ
 うです。

  数少ない生存者のひとりトラビスの奴隷だったジョーの「証言」として、彼
 は15〜6人ものメキシコを小銃で「撲殺」したあと、その死体の山の上で倒
 れていたというのがあり、それに基づいた想像図が描かれたのです。

  映画では一度も愛用の小銃のことに触れていなかったようです。また、最後
 に弾薬庫を爆破するために点火棒をもって走り、直前で槍兵の手で致命傷を負
 わされるものの、最後の力を振り絞って弾薬庫へ投げ込み、自爆するのでウェ
 インが棒を振り回していても不思議はありませんね。

  リチャード・ウィドマーク扮するジム・ボウィイー(ブウィイーかな?)の
 最後は、ウィドマークのアイデアだそうです。ただ、撮影は危険なので銃剣が
 突き刺さったところから引き抜いたものを逆回しにしたそうです。

 
[2003年12月21日 18時1分18秒]

お名前: 放浪者   
 デンバー・パイルさん、ヘクトさん。

 早速、映画のファイルを検索しましたが、発見できませんでした。
 多分、TV用の映画なのかも知れません。そうなると検索でヒット
 するのはかなりしんどいことになりそうです。でも、努力はしてみ
 ますが、あまり期待はしないでください。

 ヘクトさん、ディービー・クロケットが振り回しているのは、「棍
 棒」ではなく、彼がこよなく愛用した単発銃、愛称「ベッチィ」だ
 と思いますよ。つまらない突っ込みになりましたが、とりあえず指
 摘させていただきます。

 何十年も前の記憶ですから、誤認や思い違いは付き物です。なんの
 遠慮も躊躇もいりません。どんどん書き込んでください。私だって
 いくらでも間違えて、恥なんか掻き通しです。でも、ずうずうしく
 なっただけです。その点ではしぶといと言うか、厚かましいという
 か、そんな男になりました。(大橋何某みたいな「恥じ掻き」には
 なりたくありませんが。)

 これからもよろしく。

 
[2003年12月21日 2時29分20秒]

お名前: ヘクト   
アラモの劇場用パンフの表紙を飾り、サントラ盤LPのジャケットにも
使用された、アラモ攻防の絵があります。(たぶん)礼拝堂の前に
バリケードを築いた守備隊に肉迫するサンタ.アナの大軍、なぜか
クロケットはバリケードの真ん中で火のついた棍棒を振り上げている
んですよね。この絵がたしかポスターにも使われていたと思うのですが、
記憶は曖昧です。ただ、この絵に接した頃の印象はまだ残っていて、
こんなむごたらしい凄惨な場面とはどんなもんだろうか、と漠然とした
肉体的恐怖を感じたものでした。今、ビデオで再見するたびに、守備隊の
面々のそれぞれの死が、いかに適確に、過不足なく描かれているかと
感歎いたします。別に<死>を仰々しくテーマ化している訳ではなく、
激しい攻防の流れのなかで、否応なしに生じる場面なのですが、それに
しても、それぞれの死にざまには工夫がこらされていて、そのアイデア
をひねりだす様子さえ想像してしまいます。なかでも印象的なのは、
ジム.ボウイが多数の銃剣に突き刺されて、クエー、とひしゃげた呻き声を
発するところで、こんなアイデアを誰が出したのかと気になります。
[2003年12月20日 23時42分41秒]

お名前: デンバー・パイル   
放浪者さんへ
海兵隊のタイムスリップの件、題名がわかりました。
「Marine defend the Alamo]
アラモビレッジに行った時の写真の中に写ってました。
[2003年12月20日 18時14分13秒]

お名前: ヘクト   
リンダ、クリスタルはアラモの直後、J,フォードの馬上の二人という映画に、
ウイドマークともども出演していますが、これはフォードの、アラモへの
エールではないかと、公開当時子供心に思って、嬉しくなりました。アラモ
よりおよそ二年前に製作されたリオ、ブラボーという映画では、保安官チャンス
が泊まるホテルの名前がThe Alamo というので、これもまた、すでにその頃
から製作準備に入っていただろうウエインへの、ハワードからのエールでは
ないかと勝手に想像しています。
 たとえば、こんな会話があったとしたらーーー
 <ハワード、今度の映画で俺が泊まるホテルは、アラモという名前にして
くれよ>
 <おいおい、なんで俺が、お前のつくる映画の前宣伝をしなきゃならないんだ?
デユーク、これは貸しだぞ、忘れんなよ>
 それでも、リオ、ブラボーの有名なアクションシーン、リッキー、ネルソンが
ウエインにライフルを投げ渡して二人で早射ちするシーンの背後の、ホテルの
壁に、The Alamo という看板がしっかり掛かっていて、ホークスの並々ならぬ
エールを感じ取ります。
[2003年12月20日 17時39分18秒]

お名前: wada hidemi   
デンバ―パイル様 
ディッケンズ大尉夫人ではありません。
ディキィンソン大尉夫人です。JOAN O'BRIENが演じていました。
JOAN O'BRIENは何年か前にアラモに出演した人たちが、
アラモヴィレッジに集まった時に来ていたそうで、
大変性格が良く綺麗な人だったそうです。
リンダ・クリスタルはあまり評判が良くなかったようです。

ヘクトさん。
私はPC初心者です。これだけ打つのに30分近くかかってます。
それと62年2月頃、旗の台の近くの荏原オデオン座でシネマスコ−プ版の
アラモ上映してますよね。

放浪者様 
上記のように初心者の為、返事が遅くなり申し訳ありません。
ビーキーパーが腹をサーベルで後ろから刺されて鐘を鳴らしながら
落ちる時に、歯を数本折ったそうです。
また、「アラモ」のタイトルで出てくる大砲は、今、アリゾナ州の
オールドツーソン(リオ・ブラボーの撮影場所)に置いてあります。
私事ですがティオムキンの音楽は本当にすばらしかったと思っております。
1967年のリバイバル上演の時、オ−プンテ−プレコ−ダ−を映画館へ持参して
全部録音して良く聴いていました。もう時効と思いますが!
[2003年12月20日 16時27分44秒]

お名前: デンバー・パイル   
サンタ・アナ将軍ですが結構善政をしていたようですね!
メキシコでは英雄のようです。
メキシコの領土にアメリカ人が入植してきて、独立運動を行ったの
ですから、どちらかというと????

そうですか、海兵隊のはわかりませんか?
結構、こういうの好きなんです。荒唐無稽なのが!
でも、今、日本で書かれている太平洋戦争に自衛隊がとかいうのは
好きではありませんが!好きな人、ゴメンナサイ

リンダ・クリスタルは本当にきれいでしたね!
ディッケンズ大尉夫人(名前をド忘れしました)も良かった。

トラビス大佐がサーベルを折るシーンなどよくマネしてました。
後、クロケットが槍を刺されるシーン、そうそう、2時間40分版では
刺されてから一度礼拝堂の中に入って、またよろよろ出てくる部分がカット
されていましたよね?

第1次攻撃と第2次攻撃の中で、同じシーンが違うアングルで
使われていたのと、第1次攻撃と第2次攻撃の間で騎兵の馬が
戦場を歩いていると、死んでいる人が馬を避けるシーンがありました。
しょうも無いところに目がいってしまって済みません。
[2003年12月20日 15時13分42秒]

お名前: 放浪者   
 デンバー・パイルさん。

 そうですか、原題が判らなくては調べるのは大変ですね。映画としてはいわゆる
 「ゲテモノ」に分類される様ですから、その手の分野に詳しい人からの書き込み
 に期待するよりないかも知れませんね。

 「アラモ」は製作当時は散々な評価でした。1980年代のビデオのガイドブッ
 クを見ると「駄作」「凡作」といったものが圧倒的でした。それが1990年代
 になると「佳作」「秀作」なんて評価が出てきました。政治的、思想的な問題で
 この作品を覆い隠していたものが薄れてきたことが、評価を変えることになって
 来たのでしょうね。

 この作品の「真価」を問えるようになるにはまだ時間が掛かりそうですね。

 公開当時は気付きませんでしたが、意外にもメキシコ軍を「悪役」として描いて
 いないのですね。サンタ・アナ将軍にしても、そんな「悪人」でもないですね。

 到着直後に軍使を送り、降伏を求め、拒絶されると攻撃を行なったものの、砦の
 中に婦女子など民間人がいると知るや、彼らの「安全な退去」を求めたり、陥落
 直後に生き残ったディキンソン夫人とその子らを丁重に送り出したりで、「愛国
 主義」を鼓吹したと非難された割りには結構「公平」な描き方になっていますね。
[2003年12月19日 18時43分21秒]

お名前: デンバー・パイル   
放浪者さん。
海兵隊のアラモへのタイムスリップの件ですが、
アラモ・ヴィレッジにはここで撮影された各種映画の写真が展示してあり、
その中に海兵隊の分がありました。但し、メモや写真を取らなかったので
題名その他判りません。シャハーンの奥様と撮った写真はあるのですが!
W・Hさんご存知ないですか?早く続きを書いてくださぁ〜い!!!
[2003年12月19日 12時33分58秒]

お名前: 放浪者   
  ヘクトさん、別に恥じることは全くないですよ。誰でも始めは初心 
 者なんですから。「上手の始めは下手から」なんていいますから、ど
 んどん書き込んでくださいね。慣れることが上達の大前提です。それ
 なくして進歩も前進もありません。

  デンバー・パイルさん。海兵隊がタイムスリップして云々の話は聞
 いたことはありますが、映画化(TV放送用も含めて)されたという
 話は聞いたことがありません。アメリカのサイトでものぞいて見ます
 が、オリジナルのタイトルが判るといいのですが、ご存知ですか?
[2003年12月19日 2時44分28秒]

お名前: ヘクト   
失礼しました。ご自分で改行、と赤く明記されているのも気がつかず、
ご迷惑をおかけしました。赤面しております。なにせ、こうした書き込みを
するのは初体験なので、作法を一から学ばねばなりません。それでも、つい
書き込みしてしまうのは、やはりアラモという少年期の熱病の後遺症かも
しれません。それまで、東京、旗の台の近くの、新映とかミリオン座といった
小便くさい映画館で東映や新東宝の映画ばかり見ていた少年が、まるで熱に
促されるようにして、ひとりで渋谷パンテオンまで出かけて70ミリの大画面
に接した、その震撼、その感銘は、私自身でも釈明できない暗闇の熱病の
ようなものだったのです。だから、ここでも紹介されている高名な評論家のウド
の大木発言とか、(私の大好きな)ハワード.ホークスの、全くひどいものだ、
デユークは監督をやるより俳優の方がずっと良いと思う、といった発言など、
全然気にならないし、傷つきもしません。そうした評価とはまったく別個の、
超個人的な秘められた記憶の層に、私のアラモは息づいているからです。
 数年前、JRAの競走馬にダイワアラモという馬がデビューして、私の熱病の
後遺症がよみがえりました。アメリカからの輸入馬でしたが、父親がヒューストン
という名で、もうそれだけで胸がキュンとしてしまいます。懸命に応援して、
忘れられないのは行川特別ですが、話が横道にそれてしまうので、この辺で
ーーー
[2003年12月18日 22時16分30秒]

お名前: デンバー・パイル   
放浪者さん、確かに改行を入れないと読みにくいですね!
映画とは関係ないですが、この映画を好きな方は私の予想ですが、
50代を超えていらっしゃる方が多いと思います。
最初からIT関係をされている方は、PCの扱いには慣れていますが、
初心者の方もいると思われます。ですから勉強をしていると考えて
どんどん、投稿をしてください。読みにくくても構いません。

さて、新しいリメイク版の「アラモ」ですがディズニーが製作しています。
「アラモ」好きのサ-ムライさんから得た情報によると、
製作が遅れていて日本では来秋公開になる予定だそうです。
サンジャシントの戦闘も描かれているようで今から楽しみです。
ホームページも出来ています。
済みませんURLは検索エンジンで探してください。

どなたかアメリカでは放映されたらしいのですが、海兵隊がアラモの砦に
タイムスリップしてサンタ・アナの軍隊と戦って全滅するという映画が
あったそうなんですがご存知ないでしょうか?

ジム・ボウイの発音の件ですが、サン・アントニオのI-MAXシアターで
見たアラモ最後の戦いではジム・ブゥーイと発音されてました。
アメリカ人もジム・ボウイではわかりずらそうでした。私のジャパニーズ・
イングリッシュでは!
ジム・ブゥーイだとすぐ理解してくれました。

2000年にアラモヴィレッジに行ったときシャハーンの奥様と
会うことが出来ました
[2003年12月18日 9時27分39秒]

お名前: 放浪者   
 ヘクトさん、その他投稿慣れしていない方々へ

 ご感想には感服いたしましたが、大体30〜35字で改行なさって
 くださいね。横のほうに延々と続く文章を読むのは意外にストレス
 が掛かりますから。(この文章で30字くらいです。ここまで来た
 らエンター・キーを押せば、改行してくれます。)

 さて、本題に入ります。

 ご承知の方も多いと思いますが、「アラモ砦の攻防戦」にはディビー・
 クロケットとジム・ボウィイー(ボーイと表記されることが多いの
 ですが、アクセントは後ろの方にあるので、こんな表記の方がより
 原音に近いと思います。)のふたりの開拓時代のヒーローが関係し
 ており、さらに「テキサス独立戦争」もからんでくるので、結構、
 映画化されています。

 このあたりは自他共に「アラモ狂」を自称するW.H.氏がその内
 に書き込む予定ですからお楽しみに。来年公開予定の「アラモ」の
 リメイク版などについても情報をもたらしてくれると思います。

 このジョン・ウェイン版の他に「新アラモ」「鹿皮服を着た男」
 「アラモの砦」「ホアン・セギン」「テキサス」などもこの事件
 を扱っています。

 おーい、早く書いてくれよ。W.H.さんヨー。
 
 
[2003年12月17日 22時30分49秒]

お名前: ヘクト   
今日はじめてこのページを知りました。アラモは私にとって少年期を刻印する決定的な
一項でしたが、それは私個人のひそかな執着にすぎないと思っていたところ、このペー
ジでアラモ狂の方々のメッセージを拝見し、私よりもっと上の狂の人がいるんだなあと、
痛感させられました。私も、アラモにはなぜか熱狂した一人なのです。1960年12月、
私は渋谷パンテオンでこの映画を見ました。今はなくなってしまった東急文化会館の外壁に、
J,ウエインの鹿皮服の雄姿が掲げられていたのが、鮮明に記憶に残っています。予告編は
エルマーガントリーとデイズニーのサーカス小僧でした。予告編が終わるとスクリーンに
薄い膜がかかって、そこが真っ青に染まり、やがて序曲が厳かに流れます。ホルンがメー
ンテーマを奏でるあの序曲!幼い私がどれほどワクワクしたかは、ご推察ください。その
頃買いもとめたアラモのサントラ盤のlpレコードが手元にあります。コロンビアのSL−1018で、
定価は1500円ですから、その当時はレコードは高かったんですね。そのレコードにはJ.ウエイン
の声が二箇所入っています。一つはA-4、トラヴィスに共和国の夢を語るところ、もう一つはB-3、
リンダ、クリスタルに別れを告げる場面の声です。これらはもちろんアフレコではありません。
リンダに別れを告げる場面で、クロケットが大木によりかかりながら語り始めるあのシーンを、
もう一度70ミリの大画面で見てみたいものです。
[2003年12月17日 18時43分19秒]

お名前: allusion   
KENさん、wada hidemiさん、どうも。
やはり僕の勘違いなのでしょうかね。
wada hidemiさんは最初に公開した70ミリ版をごらんなのですね。
僕も「鹿皮服の男」と記憶がごっちゃになっているかもしれないとは思っていましたが、
まだそうだとも言い切れません。←ちょっとしつこすぎる?

CDのジョン・ウェインのセリフは、KENさんがおっしゃるとおり、演説ではありません。
ただ、アナログLPに演説があったような気がするのです。A面の最後あたりに。
まあ僕の記憶ですから、当てにはなりませんが。

それにしても、70ミリの大画面を意識したカメラワーク、今見直しても感激です。
なぜ感激するのか、まったく意味がわかりませんが、感激してしまいます。
飯島耕一は「ウエスト・サイド物語」を、“巨大なビルを前にした感慨しかない”と言いましたが、
僕は巨大なビルを前にした感慨が好きです。
そのビルが、イラクで戦争を起こしている石油会社のものであったとしても。
[2003年12月4日 6時42分39秒]

お名前: wada hidemi   
アラモの上映時間の件で皆さんが意見を色々でていますが、1960年の12月の70ミリは
途中休憩が入り3時間を越えていました。その後1961年9月にシネマスコ―プでは途中休憩が
なくなり2時間40分のバ−ジョンになりその後の1967年11月のリバイバル版では2時間40分版に
途中休憩が入ったものでした。デイビイ クロケットが議会で演説するのは鹿皮服の男の間違え
だと思います。又8年位前にアラモのメ−キングの本がでています。私はアラモの撮影現場のアラモ

ヴィレッジの売店で購入しました。それとDVDのアラモ劇中の音楽ですが何ケ所か狂っています。
最初はジムボウイがアラモ砦に到着する時の音楽がダブッてずれてます。また最後の総攻撃のヴィキ−パ−が
階段から落ちて死ぬシ−ン、デイヴィクロケットが死ぬシ−ンも音楽がずれています。
[2003年12月1日 22時23分35秒]

お名前: KEN   
 僕も、「アラモ」の、サントラは持っていますが、あの演説シーンは
J・ウェインがリンダ・クリスタを逃がしてやる時のセリフだと思います。
[2003年11月21日 19時16分54秒]

お名前: allusion   
ノスタル爺さん、調べていただいてありがとうございます。
僕の手元に「ディレクターズ・カット」があったので、とりあえず早送りで確認しました。
やはり議会での演説シーンはありませんね。

サントラCDにはデイビー・クロケットの演説という曲があり、ジョン・ウェインの語りがあります。
しかし僕の記憶とは違う、とても淡々とした、完全な“アフレコ”のセリフでした。
アナログのサントラ盤は手放してしまったようですが、こちらにはもっと堂々とした演説があったように思います。

そして僕の記憶では、なんば大劇場で見た70ミリプリントには、第1部が終る少し手前でジョン・ウェインの演説があったと思うのです。

これが僕のデジャヴュだとは思えないのですが、どなたがご記憶ありませんか。

ちなみにマーティ・ロビンスの「バラッド・オブ・アラモ」は映画の中では流れないようです。
なんば大劇場は休憩時間にレコードを掛けていたのでしょう。

>長く退屈なだけの映画
早送りで見直していても、70ミリならではの画面作りに感激しました。
双葉さんにとっては長く退屈なだけかもしれませんが、僕には懐かしさにあふれた作品です。
愛国主義とか好戦的とか、そんな問題ではなく、大事な映画です。
僕には“長く退屈なだけ”の「タイタニック」が、若い人には大事な映画なのと同様でしょう。
僕も双葉さんの年齢になったということですね。
[2003年11月9日 11時3分11秒]

お名前: ノスタル爺   
『アラモ』には、4種類のバージョンがあります。
155分のビデオ編集バージョン(日本で最初に発売されたビデオ)
162分のアメリカ公開バージョン(DVD発売)
200分の日本公開バージョン(BS2にて放映)
202分のディレクターズカット・バージョン(ビデオ発売)
でもって、J・ウェインが議会で演説するシーンは、どのバージョンにもなかったような気がしますが……
[2003年11月3日 21時15分45秒]

お名前: allusion   
初めてお邪魔します。
僕は中学生のときに、なんば大劇場でこの映画を見ました。
指定席が500円と、当時の普通料金の2倍しましたね。
それでも真ん中ではなく、右のブロックでした。

音楽がとても印象的でした。
休憩時間に流れたマーティ・ロビンスの歌が好きです。
すでに書いておられる“テネシー・ベイブ”については、
最近友人に教えてもらいました。

双葉さんの言う“ウドの大木”には笑ってしまいますが、
双葉さんならではのお言葉ですね。
淀長さんだったら、「アラモ」以外で淀長さんが褒めている“ウドの大木”を
少なくとも2〜3本は挙げる自信があります。←意味ないけど。

ところでDVDをお持ちの方にお聞きしたいのですが、
DVDの本編時間が2時間40分程度と表示されていますが、
本来は3時間を超える作品です。
NHKで放送したものも3時間以上ありました。
どこかでジョン・ウェインが議会で演説するシーンが、
一部の反発を買ったのでカットしたという話を読んだことがあります。
DVDには全編収録されているのでしょうか。
ご存じの方、教えていただければ幸いです。
[2003年10月28日 10時35分45秒]

お名前: 還暦少年   
 ここにかきこんだつもりでしたが、なぜか「鹿皮服の男」に入ってました。新参者の無礼お許し
ください。しかし、どうして?確かにデビークロケットの話にはちがいないのですが。
[2003年10月20日 1時22分21秒]

お名前: 捨石喜市   
 1823年、サンタ・アナはメキシコの実権を掌握すると、7000人の大軍を率いて領有権でもめて
いたテキサスに兵を進める。迎撃体制の整っていなかったテキサス側のサム・ヒューストン将軍はアラモ
の廃寺に義勇兵180人余を残し、募兵の為にアメリカへ走った。アラモを守るのは生粋の軍人ビル・ト
ラビス大佐と、片刃のナイフ(ボウイ・ナイフ)に名を残すジム・ボウイ大佐。
 そこへ当時すでに伝説的存在になっていたデイビー・クロケットが義勇兵を率いて駆けつける。「デイ
ビー・クロケットが来る!」というので守備兵はよろこんだが、期待に反してやって来たのは僅かに20
人ほど。200人そこそこ対7000人では結果はみえている。しかし、彼等がメキシコ軍を足止めして
いる間にヒューストン将軍は体制を立て直し、結果、サンタ・アナをテキサスから追い出すことが出来た
のである。
 「鹿皮服の男」として勇名を馳せたデイビー・クロケットは、一時上院議員となって得意の絶頂にあっ
たが、山出しの悲しさ、政界の摩訶不思議な駆け引きについてゆけず、次の選挙では落選の憂き目にあい
失意のどん底にあった。そこへメキシコとの戦争が勃発、彼は死に場所を求めてアラモに赴いたという説
もある。
 スタンリー・キュブリック(当時はカブリックと表記されていたが)監督、カーク・ダグラス主演の
「スパルタカス」が製作中だと聞いたコチコチ鷹派のウェイン旦那、「あれはアカの映画だ。あんなもの
がヒットするようでは世も末だ」と、それに対抗すべくアメリカ魂の原点ともいうべき「アラモ」の製作
に、借金かかえて取り組んだそうだ。男ではあるが、単純だね。
[2003年7月8日 3時37分35秒]

お名前: デンバー・パイル   
行ってきました。映画「アラモ」の撮影場所へ!サン・アントニオから車で2時間くらいの
ブラッケットビルに在ります。名前も「アラモビレッジ」。まだあの礼拝堂やトラビス大佐の部屋、
壁などがそのまま残っています。タイトル写真のように礼拝堂に登って写真を撮りました。
テキサスの空は映画のまま、真っ青でとてもきれいで感動してしまいました。
映画の「アラモ」は兄がキチガイのように好きで、確か小学校3年くらいの時から見ています。
回数でいうと150回は軽く超えていると思います。
アラモヴィレッジには「アラモ」大好きのハンガリー人がいて、普通では入れないところまで見せて
くれました。デービークロケット達が教会の地下で火薬や銃を見つけるシーンがあるのですが、そこは
実は1階で、2階から降りてきていたのです。(意味わかります?)地下室は実際は1階だったのです。
また、これは兄から聞いたのですがトラビス大佐やジム・ブウイ、デービークロケットはメキシコ軍の
進撃が早すぎて逃げようとしていたのに時期を失して戦うはめになったそうです。
デービークロケットは殺される寸前「俺は旅行者だ、助けてくれ!」と命乞いまでしたという
ホントか嘘かわからない話まであるそうです。
映画「アラモ」が好きな人は、アラモヴィレッジに行くといいですよ!
結構、テキサスはみるところがあって大変おもしろいです。
[2002年9月10日 8時33分40秒]

お名前: アラモ狂   
アラモは1960年12月25日小学校6年の時、新宿のミラノ座で見たのが最初でした。
 その後70ミリの大画面で15回(3時間のオリジナル)1967年の70ミリ(カット版)や
シネスコ版など100回位みています。なんといってもわたしにはロ−レンスハ−ベイのトラビス
大佐とテオムキンの音楽は最高にいいと思っています。1996年にブラケットビルのアラモビレ
ッジに行きアラモのメ−キングの本を買ってきました。後日アラモについての自分の思い入れを後送します。
[2002年7月2日 21時38分4秒]

お名前: 長岡順一   
中学3年のとき、池袋までバスに乗って(アラモ)を見にいきました。
ずっと後テレビ放映の時ビデオを録画しました。
27歳のとき出張でニュウヨークに行った時、ちょうど独立記念日でした。ホテルで朝TVを
つけると(アラモ)を放映していました。場面はジムボウイが二日酔いでヒユーストン将軍に
会えない場面でした。
アラモでは特にジムボウイが好きで、同様のフリンジのついたジャケットがほしくてアメ横を
ずいぶん捜し歩きました。
現在、上海に住んでいますが、アラモのビデオを持って来ています。何度も何度も見ています。
男のロマンが描かれていますからいいんでしょうか。
[2002年6月28日 17時44分57秒]

お名前: 長岡順一   
中学3年のとき、池袋までバスに乗って(アラモ)を見にいきました。
ずっと後テレビ放映の時ビデオを録画しました。
27歳のとき出張でニュウヨークに行った時、ちょうど独立記念日でした。ホテルで朝TVを
つけると(アラモ)を放映していました。場面はジムボウイが二日酔いでヒユーストン将軍に
会えない場面でした。
アラモでは特にジムボウイが好きで、同様のフリンジのついたジャケットがほしくてアメ横を
ずいぶん捜し歩きました。
現在、上海に住んでいますが、アラモのビデオを持っ・C
[2002年6月28日 17時44分53秒]

お名前: おんぼろ帽子   
お久し振りに書き込みしました。
ローレンス・ハーベイのトラヴィス大佐は、本当に素晴らしいキャスティングだと思っています。
彼は、舞台役者の経験も豊富だったのでしょか?早々と亡くなってしまって・・・惜しいです。
それと、ケン・カーティスのディックも人生の“綾”をよく表現していて良かった思います。
パトリック・ウェインはこの頃まだイマイチ。
[2002年3月23日 23時5分8秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 『アラモ』の話題となると、ウェインとウィドマークが中心となるのですが、
ローレンス・ハーヴェイのトラヴィスもすてがたいですね。
 貴族の血筋をひいた堅物で片意地な伊達男が似合っていました。
 アラモ砦の戦いぶりは、彼が一番カッコよかったですよ。
それと、ジム・ボーイでなく、ブーイが正しいようですね。
ロナルド・リーガンがレーガンに、ルーズベルトがローズベルトに、
ビバリー・ヒルズもベバリー・ヒルズと最近では表記されるようになりましたが、
ジム・ボーイは、やっぱりコッチの方がいいや。(笑)
[2002年3月17日 13時42分30秒]

お名前: JOE   
当時70mm、出始めで「ベン.ハー」「スパルタカス」「エル.シド」といった筋肉ムキムキの
時代劇ばかりが封切りされた頃の最初の西部劇だったと記憶しています。
神戸では封切館の阪急会館にも新聞会館にも朝日会館にも来なくて、梅田まで親父に連れていって
もらいました。
入館して買ったパンフレットにはジョン.フォードの演出中のスナップが載っていて、半々か7.3
位は「フォード作品」みたいな先入観を持ってしまったので、それにしては少し冗長かな?という
印象を感じたんです。リンダ.クリスタルもウェインの相手役には一寸ミスキャストだったかも知
れませんね。B級のヒロインでは◎でコーフンさせられた経験もあるけど。チル.ウィルスとウィ
マークが持っていたノックボレーガンと戦いのあとのサンタアナ軍の累々たる死体の方が、むしろ
印象に残っています。
アラモ砦の戦いというのは、他方では奴隷制度を認めないメキシコに対してと奴隷を所有して入植
して来たアメリカ人たちが独立を求めてを仕掛けたという一面もある訳で、最終的にはニューメキ
シコ、カリフォルニアも取り上げてしまうんだからメキシコ側からすると、おだやかじゃない話な
んですよね。クロケット、ボウイといったアメリカ史上のヒーローが参加してたからカッコついて
いるけど。
[2002年3月17日 1時20分24秒]

お名前: OJINN   
アラモは40年前の高校生の時に父親と見に行きました、いい映画でした、当時はLPレコードで
このオリジナルサウンドトラックが発売されていました、生まれて初めて買ったレコードがこの
アラモでした、何度も何度も聞いて映画のシーンを思い出していたものです、そのうちレーザー
ディスクなるものを買って、アラモを探しましたが出ていなかったのです、暫くしてビデオで売って
いるのを見つけて早速購入し、見ました、感動です、宝物です、そして今年になってDVDも買っちゃいました。
うれしい、車の中でも見られる様にした、ティオムキンの主題歌も、何もかもアラモは最高
[2002年3月10日 1時27分57秒]

お名前: 渡辺   
何十回見たか分からないくらい好きです。とゆうより、愛しくもあり切なくもある。が!なんと
言ってもメキシコ軍との戦いが始まる前に女性と子供を外へ逃がすシーン。あれはヤバイ!テネ
シー出身の目の不自由な女性。あの女性の 勇気や自信。憧れますね。あんな女性になれたらい
いですな。
[2002年2月12日 11時33分36秒]

お名前: おんぼろ帽子   
「アラモ」は今から40年位前、大阪難波の劇場で観ました。(確か70ミリだったように記憶してます)
当時小学生だった私の思いでは、メキシコ軍の軍服の綺麗さと鹿皮服にクロケットキャップのテネシー人の
いでたちの対比が強く残っています。その後劇場でのリバイバル放映やT.Vの洋画劇場、ビデオ等で何度
も見ましたが、やはり一番好きなシーンは、ジム・ボウイが外部から投げ入れられたソンブレロの中の妻の
死を知らせる手紙を見て「夜がこんなに暗いとは・・・」と絶句するところです。多少オーバーなリアク
ションや「クサイ」セリフが舞台劇を彷彿させるあたりのウイドマークの表情が実に良かったと思います。
ソンブレロを手紙を入れる小道具に使うあたりの「定番」もちゃんと取り入れていましたね。
もうひとつ、クロケットがテネシー人に参戦意欲をかき立たせるため、サンタ・アナが書きしるしたという
自分の手紙をフラカに読ませ、だまされてその気になった仲間に「それじゃあ仕方がないな」と言わんが
ばかりのウエインの表情も実に良かったと思います。
[2001年11月22日 8時58分6秒]

お名前: 奥津包夫   
アラモは大好きな作品です。メキシコ軍が総攻撃をかける前の晩、焚き火を囲みながら、一人一人思いを
はせる。バックに流れるGreen Leaves of Summer、もう泣けちゃいますね。こんなに好きな人がいてうれ
しいです。最近テキサスから来た女性二人にこの映画のことを聞きましたが、二人とも見たことないと
いうことでした。今度ビデオを貸してあげようと思います。
[2001年11月14日 23時19分46秒]

お名前: 加藤 浩   
 アラモ好き(というか当時のメキシコ軍の軍装が好きなので)、テキサス州サン・アントニオまで一昨年
はるばる行って参りました。はっきり言って砦というか伝道所跡(ミュージアムになっていて、テキサス
レンジャーが警備している)を見たときは最高に感動しました。やっぱり、サンタ・アナは悪い奴でした(^-^)。
映画の中で、伝令から援軍全滅の報告場面がありましたが、実際、アラモへ援軍として行軍中捕虜となって
しまい、ゴリアットというプレサディオ(駐屯地みたいな所)に連行されて、約300名が銃殺になった
そうです。何名かは基地司令官の奥方のはからいで、逃げおおせたとのことでした。悪い奴には天罰が下る
もので、アラモ占領後まもなくサンジャシントで全軍昼寝中(シエスタでしょうか。呑気な人たちです)
サムヒューストン将軍の奇襲を受け、ご本人は捕虜となり、渋々独立を認めさせられたそうです。10年後
アメリカとメキシコの戦争時も彼が大統領で、国土の5分の3を失うなどメキシコ国民にとって疫病神でした。
(女好きでお妾さんがたくさんいたようです。ラテン系ヤサ男だね)

 サン・サントニオはいかにもテキサスという風情のある街ですから、是非訪ねてみてください。(アメリカ
人にとっても特別な場所らしく、お上りさんも沢山いましたし、アラモボールも開催中で盛り上がっていました)
[2001年4月21日 15時7分39秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 久しぶりに『アラモ』を観ました。
 といっても、ディレクターズカット版の後半部分だけなんですが。
 前半部分がなくても、後半だけでちゃんと物語が成り立つんですね。(笑)
 これは、前半のドラマと後半のドラマが深く関連していない証明といえます。
 ドラマ部分が貧弱いわれる所以ですね。
 前半のウェインとリンダ・クリスタルの絡みなんていらないんですよ。
 ジム・ボーイとトラビスの確執を中心とした男のドラマに徹底したらよかった
んじゃないかな。
 評価は一般的に低いんですが、私はこの作品が好きなんだなあ。
 好きな西部劇のベスト10の一つなんですよ。
 4千人のエキストラによる戦闘シーンは、最高に見応えがあります。
 それと音楽がいいんだな。
 「遥かなるアラモ(グリーン・リーブズ・オブ・サマー)」
 「バラード・オブ・ザ・アラモ」
 「皆殺しの歌」
 今回、改めて好きになった曲が「テネシー・ベーブ」
 トラビスの部下の下士官が、娘の誕生日に歌ってやる子守歌なんです。
 私が持ってるサントラ・レコードは混声合唱ですが、映画の中では両親の
デュエットになっています。
 私としては、こちらの歌の方が好きだなあ。
 映画の魅力を考える時、音楽は重要な要素ですね。 
[2001年4月7日 21時29分0秒]

お名前: ボブ    URL
アラモは小学校の時にはじめて見たので、もう25年以上前です。
確か、土曜洋画劇場です。僕の記憶では淀川長治氏の日曜洋画劇場ではなく、土曜洋画劇場で
荻昌弘氏の解説だったと記憶しているんですが。1時間半の前編後編だったと思います。まあ、
それはいいのですが、この中のリチャード・ウィドマークがとてもカッコよく、僕は彼の大ファン
になりました。
アラモの中で一番最後に死ぬのも、彼でしたよね。僕の記憶違いでしたら、ゴメンナサイ。
音楽もいいし、スケールがあるけど哀感もあるし、忘れられない西部劇の一本です。
アカデミー賞候補にも6部門候補になり、サウンド賞しか取れなかったけど、もう一寸、評価して
よかったのでないでしょうか。
ジョン・ウェインが私財を投げ打ってやった価値は十二分にあったと思います。
[2001年2月9日 0時55分38秒]

お名前: hongming    URL
 BSの放送で、久しぶりに見ました。
 初めてこの映画を見たのは、中学生の時で、「日曜洋画劇場」で
2回に分けて放送したのを見て、深い感銘を受けたのを覚えています。
 どう考えても勝てるはずのない戦いに自らの意志で加わり、最後の最後までふんばって、
結局戦死してしまう。これが最も大きいのですが、初めてみたときから忘れられない話が
二つあります。
 一つは、少年を伝令に出すこと。伝令が必要なわけではなく、生き延びさせようとするところ。
少年が帰ってきたときには、砦は陥落している、というのがいい。
 もう一つは、ボウイが、連れてい歩いた黒人を自由の身にしてやり、逃げろと言うと、
黒人は、自分の意志でボウイのそばに残り、ともに死ぬところ。
 下に、「アメリカ版忠臣蔵」というHNの方がいらっしゃいますが、たしかにと、
「忠臣蔵」に近いところがありますね。
 義勇兵たちとは立場が違うのに一緒にいる黒人は、吉田忠左右衛門に従った寺坂吉右衛門
というところですね。
 伝令に出されて生き残る少年も、何らかの配慮で生き残ったと思われる寺坂に重なるところが
あります。
 非常に日本的な美意識で貫かれている映画です。
 歴史的に考えると、メキシコ領だったテキサスが、サンタ・アナ(確かに、軍人では優秀だった
けれど、政治家としては余りまともではない人だったらしい)の圧制に反旗を翻し、
自由のために戦ったということになっていますが、おそらく、ハワイを手に入れた時と同じように、
テキサスを手に入れようとしたアメリカが裏から手を回していたのだろう、とは思います。
 しかし、そうであったとしても、映画が感銘を与えることに変わりはありません。
[2001年1月8日 22時49分43秒]

お名前: アメリカ版忠臣蔵   
この映画は私の誕生するずっと以前のものだったが、この映画のサントラ盤にはこの映画をすべて物語って
いる唄がある。それはマーティー・ロビンスが歌っている「バラードオブザアラモ」。どことなく淋しさを
感じさせるこの唄にアラモの総てがある。
[2000年11月24日 22時38分51秒]

お名前: ノスタル爺   
moro-dosankoさん、こんばんわ。
それは、1954年に結婚したピラー・パレットですね。
3度目の結婚相手で、ペルーの上院議員の娘で、ペルーの女優でした。
『アラモ』のロケ・ハンで訪れたペルーのティンゴ・マリアで彼女と出会ったそうです。

増淵健 『ジョン・ウェイン』(芳賀書店/シネアルバム)より
[2000年4月2日 20時42分41秒]

お名前: moro_dosanko   
この映画はアメリカでこけたものの、日本ではそこそこうけて、ジョン・ウェインの借金が減ったことが有名な映画です。
私は、R.ウィドマークのファンなので、結構気に入っています。あの「遙かなるアラモ」はウクライナ民謡で、ウェインが
ティオムキンが書いた主題曲が気に入らなくて書き換えを要求したときに、自棄になって聴かせた曲があの曲でウェインが気に入って
採用されたという逸話が残っているようです。前にMGMから出たCDは、採用されなかったエンドタイトルなどボーナストラック
がいっぱい入っていてLPよりも曲数が多くて買ってしまった記憶があります。
前も聞いたのですが、あの映画に出ていたメキシコ人役の女性がウェインの何人めかの奥さんになったとも
記憶していますが、だれかご存じ???
[2000年3月31日 21時15分44秒]

お名前: THE UGLY   
何かで、「双葉十三郎が“長いだけで退屈なウドの大木”と評した」
というような文章を読んでいたので、さぞかし酷いんだろう、と
思って観たら、意外や意外、といっては失礼ですが面白かったです。
確かに、都合良すぎるなぁ、とか、そんなきれいなもんじゃないだろう、
とか思うとこもありましたが、そこはジョン・ウェインの個性としてみれば
いいことだし、娯楽作として十分合格ですね。

特に郷愁を誘う主題歌が気に入りました。
サントラCDが出ているのなら買おうと思わせられました。

ところで、「アラモ」を観て思い出しましたが「沈黙の要塞」のパンフに、
「また今回のインディアンっぽい衣装は、ウェインが初監督作『ハタリ!』で
着ていたものとソックリ。」という失笑ものの文章があったのを思い出しました。
[2000年3月21日 22時45分45秒]

お名前: ノスタル爺   
 テキサス独立義勇軍とメキシコ軍とのアラモ砦の壮絶な戦い。
 この映画は、私が独りで見に行った最初の西部劇なんですよ。小学6年の冬休みでした。
 それまでは、父親か叔父に連れて行ってもらっていたんですが……。
 新聞(映画広告)に出ていた、ビーバーの帽子に、バックスキンの上着を着たジョン・ウェインの姿が
カッコよくみえましてね。フェス・パーカーが主演した『鹿皮服の男』の主題歌でもある「デビー・クロ
ケットの歌」の文句“〜たった三ツで熊退治〜”も、ウェインならできるだろうな、思いました。『鹿皮
服の男』は未見(今でも未見)だったんですが、「デビー・クロケットの歌」は有名で、歌詞だけは覚えて
いて歌ってましたよ。
 そんなわけで、デビー・クロケットの映画をどうしても見たくて、ひとりでバスに乗って繁華街の映画館
まで行ったんです。『アラモ』は、子ども心にも感動しましたよ。子どもが感動するのだから、それだけ
単純な映画ともいえるのですが。
 盲目の奥さんが、「私の夫は、男の中の男」と言って、主人を砦に残すシーンは、何回みても涙腺がゆる
むんですよ。ジム・ボーイの妻子が亡くなったという事実を知った時の、トラビスの男の友情など、浪花節
といってしまえばそれまでですが、日本人の心の琴線にふれてるところがあって、私はこの映画が大好き
なんです。
 ビデオも劇場公開版とディレクターズカット版の両方持っていますし、主題歌の「遥かなるアラモ(グ
リーン・リーブズ・オブ・サマー)」が収録されているLPをみかけると、反射的に買ってしまう
んですよ。 
 ジョン・フォードが演出を手伝ったのは、事実(劇場公開版の編集に協力したという噂もある)ですが、
クレジットはされていません。

 テキサス独立に関しては、アメリカ側の横暴ですね。それまでテキサス移住者から税金を取っていな
かったので、サンタ・アナはそれを取ろうとしただけですから。それも、圧政といわれるほど高額なもの
ではなかったのですから。
[2000年3月21日 20時55分26秒]

お名前: ja_aj    URL
わーいっ!! 書き忘れたのーーーーーっ!! (;^_^A アセアセ…
音楽ちょー好きーっ♪ “遙かなるアラモ” っていったっけー?
[2000年3月21日 7時58分5秒]

お名前: ja_aj    URL
ジョン・フォードって、director: second unit (uncredited) ってなってるー(by IMDb)
てゆーかー、(ちょっと寝ぼけまなこで)初カキコなのー σ(^◇^;) よろしくーっ♪ 

やっぱし、ちょー大作って感じー♪ 
メキシコ軍がずら〜っと並んだとことか、突撃してきたとことか、めちゃ圧巻だったーっ!!
あの戦闘シーンだけでも一見の価値ありって感じだなー
ただ、ja_aj が思ったのは、エキストラの数に対して、主要人物がちょっと少なくないー?
もうちょっと、クローズアップ出来るひといなかったのかなー?
忠臣蔵とか、新撰組とかなら、(あんまし知らないけど)もっと名前あがるような気がするけど‥‥
前半の、クロケットさんと女の人のエピソードとか、妙に語っちゃったりとかしてたけど、
あのへんでもうちょっと他の人たちとか、あとやっぱし背景とかも見せて欲しかったなー
そんなのならもっと長くなってもよかったって思うんだけどー?
てゆーかー、ja_aj 史実っていうの知らないから、どこまで史実通りで、
どのくらいフィクション入ってるのかもわかんないのー σ(^◇^;)

ちっちゃいとき初めてみて、わーんっ!! (>o<) みんな死んじゃったーっ!!
って泣いちゃったんだけどー、もっとおっきくなってみたときは、ときどき妙に
感傷的になっちゃうのがちょっとのれなかったのー
でも、今回はけっこうはまったかもー♪

ウェインはやっぱし存在感ありすぎー☆
ウィドマークはさっさと怪我して活躍できなかったー★ (ToT)
でも、死に方は上手♪ 

てゆーかー、こんなのでいいー? (‥?
[2000年3月21日 7時51分44秒]

お名前: ワード・ボンド   
今回のBS2放映は仕事の関係でごく一部しか見られず残念です。
GOGHさんご指摘のように、これは史実をベースに、あくまでも
アメリカ側から見たフィクションだと思っています。
「パラディン」のリチャード・ブーン(チョイ役ですが…)や「捜
索者」などのケン・カーティスが良い役どころだったのをよく憶え
ています。娘のアイサちゃんなどを登場させたり、ウェインのファ
ミリー映画的な雰囲気もありました。ウェインはどうしてもこの役
はやりたかったのでしょうが、クロケット役は他の人(例えば当時
クロケット役者として有名だったフェス・パーカーなど)に任せて、
監督に徹したほうが良い作品になったような気がします。どうも、
ウェイン自身のキャラクターが強過ぎて、「コマンチェロ」のよう
な感じになってしまいます。
それから、友情演出のジョン・フォードはクレジットに名前が出て
いたような記憶がありますが、GOGHさん、私の記憶違いでしょ
うか?
[2000年3月20日 11時32分57秒]

お名前: GOGH    URL
ジョン・ウェイン製作・監督の超大作「アラモ」(1960)ワイド版がNHK・BS2で放映されました。

当時の額で1200万ドルの制作費は、その時点でアメリカ映画史上最高の金額だったとか。
またテキサス州ブランケットヴィルの北、シャハンの牧場に作られたアラモ砦は、建設時に実際の日干し
煉瓦職人をメキシコから呼び寄せ、総勢400人もの労働者を使って作られ。最後の戦闘シーンで壊れて
いく際に本物と同じになるようにしたとか。こうなるともうセット作りではなく史跡の復元作業ですね。
そのため戦闘シーンは(メキシコ軍のエキストラの数といい)非常に迫力あるものになっています。

砦の守備隊の指揮官トラヴィス大佐(L・ハーヴェイ)、反目する義勇軍のボス、J・ボウイ大佐(R・
ウィドマーク)、テネシーから駆けつけたD・クロケット大佐(J・ウェイン)と3人の個性がぶつかり
合いながらもテキサス独立に向けての戦いが展開されていくのが見事に演出されています。クレジットに
は出てきませんが、J・フォード(監修)の助言が相当あったのでしょうかね。(^^ゞ

ところでサンタ・アナ将軍というのは本当に悪い独裁者だったのでしょうかね?この映画に出てくる彼は
礼儀正しく、決して無茶を言っているようには見えませんね。なにせ元々はスペイン領だったところで、
勝手入植してきたのはアメリカ人の方ですからね。(^_^;)

西部劇というより一大アメリカ史劇といった感のする「アラモ」。公開時には「アラモ・死の砦」と副題
が付いていたようです。
[2000年3月19日 21時21分25秒]

※この作品についての発言をどうぞ。
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