作品名: 荒野の決闘 -


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お名前: ママデューク   
1946年5月、フォードはモニュメント・ヴァレーに、やって来たんですね。
戦争が終わり、安堵感より
のんびりとしたムードが画面から溢れていますね。
トゥ-ムストーンの床屋、嫌がるアープに香水をふりかける。
ホテルのポーチ椅子に腰掛けているアープ、ホテルからでてきたモーガンとヴァージル、
ここで私の好きなセリフをティム・ホルトがいうんだ「すいかずらの匂いがする」
これはプリースト判事の繰り返しなんだね。フォードは自分の好きなフレーズはよく繰り返し使うんだ。
そして、これにつずく教会のダンスのシーン、本当に解放感あふれています。
極めつけは、ラスト。
イーサン・エドワーズやトム・ド二ファンの三角関係と違って、
一番結ばれるべくアープとクレムが残り、あのみんなの好きなエル・キャピタンをバックにしたエンドになるんだ。
ハッピー、ハッピー。本当にいいじゃありませんか。
でもモーガンもカリフォルニアを目指して馬車で先に行くんだけど、
実際ワード・ボンドはどこまで走っていったのかね。
[2008年2月18日 18時46分1秒]

お名前: Kaz   
何と言っても最後が最高です。ワイアットが馬上の人となって、意を決して発する
言葉が日本語字幕では「私はクレメンタインという名前が大好きです。」ですが、
英字幕では2つの文に分れ、 Ma'am, I sure like that name. と Clementine. とは
別の画面に表示される様に、少し間を取って発音します。当然、ワイアットの本心
ではこのClementineは、呼びかけですよね。吹き替えの「実にいい名前だ。クレメン
タイン。」の方が合っていると思いますが、最後に逡巡した上でthat nameと同格に
取れる様に偽装して想う女性の名を呼ぶシーンも直前に頬にキスするザナック編集版
では台無しにされた気がします。
[2007年12月31日 1時38分58秒]

お名前: ウエイン命   
初めて覗いたんですが、議論の内容がスゴイことになってますネ。のんびり感想や思い出を書くのが
何だか場違いのような気さえしますが、昔の映画小僧としてはこれを無視するわけには行かないので
皆さんちょっと一休みしていただきましょう。
W・ブレナン、初めてこの映画を観たのは中学の時ですが、子供心にもスゴイ俳優だと思いました。
フォンダと牛の売り買いを交渉するシーンなど怖いくらいの凄みを漂わせていますよね。私の世代に
は一番館、二番館…とあったうえに、殆どの映画をリバイバルブームの中で観てるものですから、製
作順と観た順番がメチャクチャなんですヨ。この映画など、場末の映画館でセピア色に変色した土砂
降りの「リオ・ブラボー」を観た後、リバイバルされたものを観たものですから、ブレナンのあまり
の変貌振りにビックリ、と云うよりオーバーでなく観終わってから「どこにW・ブレナンが出て
た?」と友達と話したほどです。到底同じ俳優が演っているとは思えませんよネ。
我々西部劇ファンにとっては名場面の宝庫のようなこの映画の中でも私の大好きなシーン、フォンダ
がブレナンたちに牛を盗まれたことを告げるくだりですが、皆さんよ~くご存知のところ恐縮ながら
ちょっと再現させていただきます。
「そりゃーとんだ災難だったな、それでカリフォルニアには行くのかね」
「いや暫くここにいる。仕事を見つけたのでね」
「牛飼いかね」
「保安官だ」
「保安官!?このトゥームストーンでか?ハッハッハッ」「幸運を祈るよ、ミスター…?」
「アープ、ワイアットアープ」
慄然とするブレナンたちを後に、フォンダが土砂降りの中をサイドウォークにブーツの音を低く響か
せながら去って行きますね。怒りを押し殺したフォンダのポーカーフェースが逆に手に汗握る緊迫感
を醸し出し、当時の中学生にとっては初めて映画でワイアットアープを見た瞬間であることも相俟っ
て鳥肌立ちましたね。
そのブレナンをラストで蜂の巣にしたW・ボンドのファニングが、当時「西部劇ファンにとっては何
百回見ても飽きることのない」名場面として映画雑誌にコマ割写真つきで紹介されてたのを憶えてま
すが、ガンマニアの私から見て正直どこがそれほどいいのかよく判りませんでした。抜き打ちではな
いですしね。本欄で2001年に「終戦っ子」さんが「あそこはファニングでなければいけない」と書か
れてるのを見て「なーるほど」と思いました。ガン捌きそのモノと云うより状況設定まで含めての話
だったのかと納得した次第です。その後ブレナンには「赤い河」「誇り高き男(リオブラボーのスト
ンピーがいるのかと思いました)」や伝説的代表作「西部の男」など楽しませてもらいました。西部
劇ではありませんがクーパーの「打撃王」の記者役も忘れ難い好演でしたね。
[2006年10月8日 8時10分22秒]

お名前: KOJI   
連続投稿失礼します。
今DVD見直してみたのですが。
PV版ラスト前の別れのシーンでカーテンのゆれてる部屋は・・・
チワワの部屋ではありませんね。
たしかにクレメンタインの部屋っぽいです。

チワワは自分の部屋でベランダから撃たれます。
直後ビリー・クラントンを追ってワイアットがベランダへと出て行きます。
ここの撃ちあいからビリーの飛び降りるあたりで酒場の看板が画面に入っていて、
チワワの部屋が酒場の二階にあることがわかります。

では、酒場はどこにあるのか?
酒場とホテルの位置関係は、ドクがチワワに駅馬車上から金袋を投げるシーンでわかります。
酒場の前で金袋を拾ったチワワは、駆け出して、道ひとつ横切ってホテルの入り口を入ります。
つまり、酒場とホテルは別の建物なのですね。
問題の窓は、ホテルの入り口にあるMANSION HOUSEという特徴のある看板とベランダの看板から
ホテルの建物の二階であることがわかります。
と、いうことで明らかにチワワの部屋の窓ではないことは断定していいでしょう。

では、誰の部屋なのか?
ホテルにある部屋でストーリー上に登場するのは、クレムの部屋とドクの部屋。
このどちらかと考えていいでしょう。

クレメンタイン到着のシーンをみると。
奥の階段を画面右に向かって登ってきて
画面手前に向かって伸びる廊下の突き当たりの画面右の部屋が彼女の部屋ですね。
ドクの部屋は廊下を挟んでその向かいになります。
こちらの部屋はドアを入って左側に窓があり日差しが入ってきています。
「おはようございます保安官」「夜の駅馬車が遅れてる」などの台詞から時刻は朝だと確定できます。
と、すると柱の影の向きから、この建物は南(若しくは南東)に向いて建っているとおもわれます。
問題の窓の下、一階の一番東にはボン・トン氏の理髪店があります。
その左隣のホテルの入り口には例のMANSION HOUSEという看板がかかっています。
ホテルの入り口を入ると正面にクロークカウンタがあります。
カウンタの左隣に二階へ上る階段があります。階段の左はレストランになっています。

さて、日曜日の教会でのダンスのあと、ワイアットがレストランで肉を切り分けているところに、
白いスカーフで旅支度をしたドクが階段を下りてくるショットがあります。
このショットをよくみると、階段は、カウンタ横を正面から奥へ数段上がったところで
右へ曲がっていることがわかります。つまり、東に向かって上る階段だということです。
ということは二階の廊下は南北に伸びていることになり、
ドクの部屋の窓は南向き、クレムの部屋はその廊下を挟んだ東隣だということになるのです。

ここでもう一度建物全景を見てみますと、問題の窓は二階の一番東にあるのではなく、
その隣に45度の角度になった窓があることがわかります。
問題の窓をドクの部屋の窓だと仮定すると、45度の窓がクレムの部屋だということになります。
ところがこの二つの部屋の間には廊下があるはずです。
窓と窓の間に廊下のスペースがあるとすると、クレムの部屋は完全に斜めになっていることになり、
南側に面した壁が無いことになります。
しかし、先ほどの、チワワが走ってクレムの部屋に怒鳴り込むシーンを見ると、
クレムの部屋には廊下と90度になった南側に面した壁があることがわかります。
したがって、ドクの部屋だという仮説は誤りだということになり、
斜めになった窓と問題の窓は共にクレムの部屋だとするのが妥当だという結論になります。
東南角の一番いい部屋がクレムにあてがわれたのでしょうか?(^_-)-☆
[2005年12月24日 2時1分11秒]

お名前: KOJI   
ご苦労様です。なるほど!背景を含めていろいろと知らなかったことがわかりました。
ありがとうございます。

個人的に、駅馬車を降りてくるギャンブラーの件は、あまり気になりません。
単純に、玄人お断わり体勢を確立している説明エピソードだと思って流してました(^_^;

実はその他に気になるところが

冒頭のボン・トン氏の理髪店での髭剃り。
「つなぎがおかしいなぁ・・・」と昔から思っていました。
つまり、一瞬でワイアットの顔に石鹸が塗られてるんですよね。
「金鉱掘りでしょ?」「違うよ」的な会話が交わされている次の瞬間銃弾が飛んできて
ワイアットの顔にいつの間にか石鹸が塗られてるんですよね。
ここの会話ってPVではもっと長かったのにカットされてるんでしょうね。

あと、以前にも書き込んだので繰り返しになりますが(^_^;

例のワイアットお得意のペイブメントの上に椅子を持ち出してくつろぐシーン。
最初にあそこに座るシーンなのですが、
PV版では、所定の位置で椅子を探してきょろきょろしてるとホテルのボーイが
「すいません・・・今日は爺さんが留守にしてるんで。」といって椅子をもってくる。
なんと、これが初めての「椅子」なのです。
その後、もちろん、フランシス・フォードが椅子を持ってすっとんでくるシーンもあります。
しかし、台詞から類推するに、
PV版の一巻目には、少なくとも一度はフランシス・フォードが椅子をもってくるシーンがあったはずです。
もっというと、「何故そこに座るようになったのか?」というエピソードがあったのかも。

これほんと知りたい!
[2005年12月23日 22時22分5秒]

お名前: 布村 建   
  「荒野の決闘」2バージョン徹底分析
 
 映画の最終的な形を決定するのは編集・録音(DB)である。にもかかわらず、伝記等によればJ・フォードは「荒野の決闘」の粗編プレヴュー以降、あとの作業をプロデユーサーのダリル・F・ザナックに委ね、かねてから企画中の独立プロ作品「逃亡者」の準備に入った。「荒野の決闘」は20世紀フォックスとの契約本数消化のためにやむなく受けた仕事である。フォードとしても、改編に付き合うよりも、“自分の仕事”が大事だったのだ。
昨年(04)フォード編集による46年6月のプレヴュー版復刻DVDがリリースされ、一般週刊誌の話題にもなった。UCLAの映画科の学生が授業で使ったフィルムを見て、劇場公開作品との違いに気がついたのが端緒であったという。たまたま同大学にザナックが7月に一部撮り足し、再編集する前のプリントが保存されていたのである。それをもとにUCLAの映画アーカイブスのロバート・ギットがフォードのオリジナル版を復元した(以下PV版)。
ギット氏によれば、ザナックは公開版より30分長いPV版を見た。彼は一晩なやみ、フォードに手紙を書く。一部を削除し、撮り直をすれば作品は格段とよくなるだろう、と。そして、別監督を起用してリテークと編集仕上にあたらせたのである。
 ただし、今回の“復刻版”で復活したのはおよそ3分である。音楽まで入れたプレヴュー・プリントは本当に30分も長かっただろうか。本線以外の別なエピソードが幾つかあったのだろうか? 当初のシナリオや撮影記録はない。この疑問については最後にもう一度考察する。いずれにせよ、二つのヴァージョンの比較検討は、編集という創造過程の本質を知るための恰好のトレーニングとなる。
DVDには、復元担当者が改編されたシーン毎に比較考察する解説映像が含まれている。また、全台詞がスーパーインポーズされた英文字幕版を選択することができる。英文字幕をコマ止めしながら全文チェックし、日本語版字幕と照合してみた。字幕翻訳の当否についても、あわせて問題を提起したい。

以下、1 公開版における大きな変更、絵および台詞の削除と、その当否。
2	両版に共通する字幕翻訳の問題点。
について私見を述べる。

1	改編とザナック指示による別監督のリテーク個所

◇ ラストシーン
まずは有名なラストシーン。街の外れでまっていたクレメンタイン(以下ドク・ホリディーの呼び方に従ってクレム)とワイアット・アープ別れ場面である。プレヴューの後、フォードに手紙を送った。“我々は満足している。しかし君も見て分ったように、2000人の観客は二人がキをすることを期待している”。こうして頬に接吻シーンする寄りがスタジオで追加撮影された。
昔から突然わりこんでくるアップには違和感があった。業界用語でいえば“つながりがわるい”のだ。木に竹を接いだ感じ。3ヶ月も後の人工光による撮影。名優H・フォンダといえどもやりにくかった筈だ。ザナックの改訂の視点は通俗性への妥協である。作品的格調よりも観客の受けを大事した。フォードはヒーロー、ヒロインの抱擁とキスで終わる、西部劇伝統のパターンに辟易していたのだろう。

◇ラスト前2シーンの全面削除
公開版では決闘の後、すぐに別れの場面になる。PV版にはその前に2シーンが入る。ホテルのまえに見送りに集まった善良な人々に別れの挨拶をする場面である。殆んど大ロング。おかげで登場人物たちが滞在したホテルの全体像が初めて分った。このシーンで重要なのはホテルの二階、レースのカーテンが揺れる開けはなれた窓だ。
ア-プは誰かの影を求めるように窓を見上げる。復元解説者は死んだチワワのいた部屋をみたのだが、どうも腑に落ちない。決闘まえにビリー・クラントンは窓越しにチワワを撃ち、ベランダから飛び降りて逃走する。スロー、フリーズで繰り返し見たがチワワの部屋ではない。ふと気がついた。クレムの部屋だ。アープに云ったように彼女はツームストーンの澄んだ空気が好きだ。朝、窓を開けて外気を入れたのだ。アープは、ほのかな好意を寄せた彼女の姿を追い求めていたのである。
初めて見る人なら分ったはずだ。そして、何故見送りの中に彼女がいないのかをいぶかる。だから最後の登場が生きてくる。40年前から劇場、テレビで10回は見ている私の脳裡には、ラストの印象が強くきざみこまれていて疑問を感じなかったのだ。つづいて未練を断ち切るかのように、通りを疾走するアープとモーガンの馬車の大ロングとなる。
ザナックは何故削除したのか。簡潔にラストに向ったが故に観客の意識をアープとクレムの二人に収斂させることができたが、作品の広がり狭くしたマイナス面も否めない。

◇ つじつまが合わない公開版
切ってしまって説明不足、不自然似なってしまった所がある。
公開版ではチワワの前に突然ビリーが現われるが、PV版ではその伏線として酒場の表でチワワにせまる場面がある。ただし、このシーンの撮り方は凡庸。フォード先生は下世話な場面は苦手なのか。カットした気持は分る。ミスター・ザナックの失敗はヴァージル・アープがビリーを追う追撃戦のくだりだ。撃たれたビリーが家にたどり付いて倒れ、収容される。その後ヴァージルが到着するまで40秒強の時間差がある。互いに相手を視認できる距離で撃ち合いながらの追跡戦、何故遅れたのか? VP版で謎が解けた。
ヴァージルは馬が傷をおって転倒、落馬していたのだ。40秒の時間差はオールドマン・クラントンがヴァージルを射殺するに至るため芝居のために必要である。つながりがおかしいことにザナックは気づかなかったのか。この削除について解説ビデオはふれていない。10秒たらずの1カットを外す積極的な理由は見当たらない。夜間、砂漠の追跡劇。撮影も見事だ。

◇ 墓参の撮り足し
 フォード映画の墓参シーン。そのゆたかな叙情性には定評がある(「若き日のリンカー」「黄色いリボン」)しかし、なぜかザナックは冒頭殺された末弟ジェームスの墓参りのシーンがお気に召さず、アープのクローズアップ撮り足し、墓標の享年20歳を18歳に直した。こちらは正解だ。また恋人の名をナンシーから、西部らしいコーリー・スーに変えた。大ザナックが登場しない人物の名前にまでこだわったことは興味深い。
新撮のすべてを担当したのはロイド・ベーコン監督。聞き覚えのない人なのでインターネットで調べてみた。所謂活劇娯楽映画が多い。日本で公開されたのはJ・ギャグニーの「オクラホマ・キッド」他数本。失礼ながら自己主張しない便利屋として起用されたのだろう。ザナックの礼状も、わずか2行と素気ない。アップからロングへ、無用なアクションつなぎの稚拙さに改めて気づいた。フォードがするわけがない。

◇ 酒場での手術場面の削除カット
撃たれたチワワの手術がポーカーテーブルを並べて始まる。元外科医のドクが執刀、看護師の心得があるらしいクレムは助手を務める。
Doc “Miss Cater” 
Clem “Ready. Doctor Holliday”
愛憎を越え、チワワの一命を救う手術にかかる前の二人の緊迫した対話である。
切ってはいけない。月並みな言い方だが、神は細部に---の好例である。

◇ OKコラールの銃撃戦  
直後のショットは、PV版のようにドクの遺体を見下した後、アープが“ドクのブーツをとってくる”(公開版、字幕ナシ)とフレームアウトした後、町長等が姿を見せる。最後までは使うべきであった。ザナックはいささか気が短いようだ。

◇ 音楽効果音の変更
 全体的に音楽を押さえ効果音を生かした端正な構造を、ザナックは劇的盛り上がりを強調すべく、いかにもハリウッド映画風音楽を足した。例えば、クレムの駅馬車到着シーン。PV版ではドクの部屋に入ったところで、初めてテーマ曲「愛しのクレメンタイン」が静かに流れ出す。 

◇ 不可思議な1シーン 
実は両バ-ジョンとも、意味不明のシーンがあることに気づいた。アープがクレメンタインと同じ駅馬車に乗ってきた、ライフル片手の男とやりとりする場面である。昔見たときは駅馬車の護衛に乗った弟のモーガン・アープが戻ってきたのかと思っていたのだが、ショットガンの護衛は別にいる。顔はレフがあたっていないのではっきりしないが、よく見るとモーガンではないことは分る。
アープと件の男は何の因縁があるのか。本線の話と関係しない場面を何故ザナックは切らなかったのか。以下、英文字幕でのやりとり。
A ”デッド・ウッドはどうだった”。ミスター・ギャンブラー。
X まあまあだね。
A 兄弟は一緒か?
X いいや。
ここでカメラは寄り気味に切変わる。
A 馬車は30分後に出る。ホットケーキでも食べたら、かならず乗れ。
いったい何者なのか。何故唐突に直線距離1000マイル北、ダコタのデッド・ウッドの話題が出てくるのか? 何故町から立ち退きを命じるのか。 消された一話があったと思うしかない。


 残る謎解き 30分と3分の差が意味するもの  
「荒野の決闘」をこよなく愛するイギリスの映画ジャーナリスト、リンゼィ・アンダースンのインターヴューに、フォードは完成作品(公開作品)は一度もみていないと答えている。(「ジョン・フォードを読む」フィルムアート社刊)そのあと、自作のお気に入りは「若き日のリンカーン」で、こちらは16ミリをもっていて何回も繰り返し見ている、と語った。あれはザナックのシャシンだよ、と云いたかったのではないか。双方に無理からぬ事情があったのだろう。フォードはザナックを非難するような発言はしていない。
フォードの孫、ダン・フォードによる「ジョン・フォード伝」(文春刊)には改編のいきさつが具体的に書かれているが話に矛盾があり、物証に乏しい。プレヴュー・プリントが30分長かったことまではギット氏と同じである。
ダンによると、撮影現場でフォード゛は退屈すぎると認めた説明的なくだりを全部省き、勝手気ままに撮影した。プレヴューを見たザナックは、説明不足で話が分らない。テンポもゆったりしすぎでかったるい、と文句をならべた。そして、感傷的すぎる部分や、酔っ払い好みの騒々しいユーモアをふるい落とし、30分つめた。フォードが説明的なカットを省略したのは、正にテンポとリズムのためではなかったのか。
自分に理解できない、或いは好みに合わない映像は長く感じるものだ。食堂のアリスとポリーや床屋のボン・トンのユーモラスな話が少々あった程度ではないか、というのが私の推測である。あとは前述デッドウッド帰りの件の男にかかわる話か。
 ギットは撮影を3月、ダンは5月からとしている。ダンによれば潤沢な予算のおかげで撮影はゆったりとしたペースで進んだ。6月初旬ハリウッド戻り、2週間後にザナックに粗編集済みのラッシュをプレヴューした。まずしい日本映画でも有りえないスケジュールである。ギットの3月が正確と思われる。
プレヴューと一言でいうが、二つの意味がある。内輪見る粗つなぎと、一応形になったフィルムを一般招待客にみせる試写会である。二人ともこの2種を混同しているように思われる。こう考えると30分(実数は分らないが)と3分の差の謎も解けてくる。フォードはある程度ザナックの要求を受け入れ、完成させた。それに対し更なる直しの要求がでた!
 DVD解説編で紹介された書簡にあるように、ザナックがこだわったのはラストシーンであり、より大衆受けする形にという点である。“説明不足”やテンポは問題となっていない。早く「逃亡者」の製作準備にかかりたいフォードは、あとはご随意に、となったのではないだろうか。
ダンはギットが立証した撮り足しについては一言もふれていない。また、もしザナックが説明不足を補うための撮影をしたとすれば、ギッドが調べた7月の撮影記録に残っているはずだ。2バージョンの比較で述べたように、削除して説明不足になったのはむしろ公開版の方なのだ。
PV版復元にかかわったギット氏は、ザナックの編集を高く評価しているが、私は全体として6:4でPV版の方に軍配を上げたい。伝聞によってザナックの直しを全面的に是としたダンの書きようは理解にくるしむ。
彼は「荒野の決闘」について一切語らなかった。しかし、私たち分っている。

「すべてのカメラの位置、角度、撮影された場面は、映画の最後のモンタージュで唯一無二のものでなければならない。そうでなければ時間と材料と人間精力の損失である」  (双葉十三郎氏紹介のフォード10戒 第8項)


2 字幕問題 比較と発見

 洋画の日本語字幕の不適切な意訳、省略、誤訳は今に始まった話でははない。まず正確であること、そして感情やニュアンス、情報がうまく伝えることが大切だ。翻訳者、配給会社は字数の制限のせいにするが、英文字幕はロングやオフの台詞までもれなく収録している。字数問題は日本人が文字を読みなれていなかった大昔の慣行を踏襲しているにすぎない。英文に比べ、表意文字を含む日本語は瞬間的にパターン認識しやすいのだ。
どうか、台詞の翻訳にあったては登場人物の人格、属性、おかれた状況をよく理解してかかって頂きたい。

◇ 墓参の台詞 
アーがジェームスに語りかける。“われわれがこの町を去る頃には、子供が安全に暮らせるようになるだろう” 原文は“Kids like you----“ kidsとあってもこの場合は若者である。昔の劇場版は正確に訳していた。

◇ 日曜の朝 
ア-プが床屋で香水をふりかけられた後。ヴァージルはHoneysuckle blossom (忍冬 スイカズラ)の香りがする、という。日本語字幕は単に花。40年前の劇場版はきちんと訳していた。おかげで忍冬という名を覚えた。続く場面でクレムはDesert flowerの香りが、という。サボテンの花が匂うかどうかは別として、二字節約することはない。

◇ 酒場の手術 ロング
苦痛に耐えるチワワの台詞 オフ “Oh Oh  ma’!”
介護のJ・ダーウエル。のオフ“there  there  honey、 Doc going to help you”
チワワはアパッチの混血らしい。かあさんは何処にいるのだろう。
日本語字幕は“ドクにまかせて” と適当にすませている。
前述のPV版、ドクとクレムのやりとりも“ミス・カーター”“ハイ、ホリディー先生“ と正確に表現すべきだ。手術後 クレムがドクを見上げて云う。
“I’m awfully proud of you 、 John”
既にドクとの別れを決意したクレムの、愛と敬意をこめた台詞である。“ジョン あなたはえらいわ“ では困る。

◇ 見送りと別れ 大ロング
ホテルのウエィトレス、アリスが食べ物の包みらしきものを手渡す。
“here’s my specialties for you”  字幕には”鹿肉を“とある。意味不明。
但し、耳で聞く限りではもっと短い台詞のようなのだが。

◇ クレメンタインとアープの別れ
レム“言いたいことは いっぱいあるのに言えなくて-----”元の台詞は 
There’s so many things  I wanted to say, and---
  now nothing seem appropriate”
せめて“お話したいことは沢山あるのに 言葉にならなくて”ぐらいにならないか。「言いたいこと」とは普通は意見か文句である。
名台詞 “ I sure like that name Clementine”  劇場公開時の字幕
“わたしは クレメンタインという名前が とても好きです”DVD版は “---大好きです“ 大人の言葉使いではない。

◇ Camp meeting  
開拓時代、教会のない辺境では野外で集会をした。日曜の朝、野外礼拝に集まるらしい人々をみながら、アープたちが懐かしむのは、首根っこをおさえられて母親にムリヤリつれていかれた、Camp meetingである。字幕の“日曜日には教会に行ったなあ”ではアープ兄弟の生い立ちが伝わらない。

◇ 歌 ポーカーをしているアープの前で歌うのは、西部民謡 Ten thousand cattle] 。博打に狂っている間に、牛をぬすまれた男の話である。アープが怒りはイカサマに荷担した上、更に歌でからかったためだ。歌が記号、象徴として使われている場合は、歌詞の大意を字幕で出すべきではないだろうか。

◇ シェクスピア 旅役者ソーンダイクとドクのハムレット朗読は、ほぼ全文を
 字幕化。翻訳に気合がはいっていて、文体もととのっている。
 
◇ 役名と人格  日本語字幕では略されているが、タイトルに名が出ない脇役にそれぞれ役名がついていることに気づいた。
駅馬車が着くたびにトライアングルをならす食堂のおばさんは(失礼、アープ はgirls とも呼んでいる)アリスにポーリン。自称Tonsorial parlor(理容サロン)の気取った床屋はボン・トン氏。フランシス・フォードの元軍人老爺はキャプテン・デューク。最初にバッジを返す保安官はルーク。デュークはジョン・ウエインの渾名、「駅馬車」の敵役はルーク・プラマー。アープの仲間にはルーク・ショートなるガン・マンもいた。皆さん楽しんで命名したようだ。
フォードは名無しの人間はこの世に存在しない。名前は個人の尊厳と不可分である、と考えていたのではないだろうか。人物を俯瞰、つまり見下して撮るのが嫌いなフォードである。             

DVD 荒野の決闘 特別編 20世紀フォックス 2枚セット4200円 
[2005年12月6日 8時31分32秒]

お名前: 上州の隠居   
KOJI様 「Virginian]は1902年にO・Wisterの小説が出版され、04年にWisterとKirke Shelle
により劇化されマンハッタン劇場で1月5日に開幕し 主役Dustin Farnumの好演で138回も続い
たそうです。モリーはAgnes Ardeckです。 その後各地で上演したようです。(演劇辞典より)
無声時代の映画化は不明ですが クーパー、マックリー版はともに この芝居の脚本を元のしたと
タイトリにあります。”一万頭の牛”がこの劇用とは初めて知りました。田中さんだから間違い
無いと思いますが。以前みた楽譜はTraditionalとしてあった様な気がしてますが。タイトル
バックにも流れいて 懐かしい曲です。
康治様 「七人の侍」で勘兵衛が暴れ者を取り押さえる挿話は当上州が生んだ剣聖上泉伊勢守の
有名な話で 木刀を真剣で試合し直すのも 柳生十兵衛の伝説から取ったものです。
最初に観た西部劇が「荒野の決闘」でまだ中学生でした。それ以来 西部劇の中心となってます。
レークの本はもうぼろぼろになってますが、(ポケット ブックは装丁がちゃち)この作品に
出会えたことは 幸福です。この作品の感想は この一言で充分です。

高島屋の洋書売り場で300円で買った
[2005年6月15日 13時4分2秒]

お名前: KOJI   
うーん、よくわからないですが、映画の中の描写では兄弟だけで運んでいるみたいですね。
「赤い河」の場合は10人ちょっとくらい?で3000頭だったようなイメージなんですが・・・。
11人のカウボーイはお子様だらけの11人で・・・何頭なんだろ?

リンダ・ダーネルが歌う「一万頭の牛が盗まれた」はタイトルバックにも流れてますが、
田中英一氏によると、西部民謡ではなく「ヴァジニアン」(元は舞台演劇)のために書かれた曲だそうです。ヴァジニアンの初演はいつなんだろう?「落日の決闘」(ヴァジニアンのリメイク)で流れないかと思ってDVD買いましたが・・・・流れなかった(^_^;

どちらにしても、「荒野の決闘」では、チワワが即興で歌ったのではなく、アープへのあてつけに「既存の」歌を持ち出したという形だと思われますので、歌詞の中の牛の頭数には意味が無いのではないかと愚考します。

しかし、歌詞の字幕が出ないバージョンが多いですね。あそこの歌詞を出さないとストーリー的に問題出てくるように思うんですが・・・
[2005年5月22日 13時54分19秒]

お名前: 康治   
この映画でひとつ気になることがあります。この映画の設定では、ワイアットらは
何人で何頭の牛を運んでいたのだろうか、ということです。

僕は、テレビ映画「ローハイド」も好きなんですが、ここでは、約25人で、
約3000頭の牛を運んでいたのは確かで、それは相当納得性のある数字だと思います。

だから、兄弟4人で、歌にあるように1万頭を運んでいたとしたら
それは不可能だと言うことになりますが、それじゃ、一体、
何人で何頭なのかな、って、気になっている次第です。
何となく家族で運んでいた、って感じの描写になっていませんか?
[2005年5月17日 14時58分30秒]

お名前: 康治   
初めまして。このノスタル爺さんの全HPを通じて初めての投稿です。
僕も、西部劇分野では「荒野の決闘」が別格のベストワンです。
自己紹介しますと、昭和26年生まれで、ちなみに、分野を問わないでは、
「無法松の一生」を採りたいかな、と思います。そんな映画ファンです。

さて、もう4年も前になりましたが、下の方で、終戦っ子さんが、
黒澤映画がフォード西部劇から得たものが多いことを指摘されています。

僕が前から気にしているのは、「七人の侍」で勘兵衛が、暴れて
誰にも手が付けられない、狂気じみた男を、持ち前の胆力と頭で
簡単に処理してしまうエピソードが、アープが、酒場で暴れている
泥酔したインディアンをやっつけるクダリを完全に模倣しているように
思える、ということです。盗用に近い。

これは皆さんには周知のことでしたでしょうか。

これがきっかけで、それぞれ、市民から保安官に目され、農民から
助っ人侍団のリーダーに望まれる、のですから、このエピソードは
ストーリー上も、重要なんですが、いつみても、上手い
(アープと勘兵衛の人物の、観客への紹介として)と思います。
[2005年5月17日 14時55分33秒]

お名前: たどころ~る   
告知お願いいたします!!

☆移ノ瞬
民族アンビエントイベント

~SOUL PLANT'S CARPET ~
10/11@横浜中華街チャイハネシルクロード舞踏館

15:00スタート
前売り→2000えん 当日→2500えん

出演予定 
○哲J(トラディショナルディジュ)
○ムビラジャカナカ(ジンバブエに500年前から伝わる楽器、ムビラの演奏)
○ハリシュ(from KOH-TAO)meetsたどころ~る (カリンバアンビエントJAM)
○ヒロイ&イチハシ from NAGA  (ガーナ太鼓&ディジュセッション)
○あ~ちゃん(プラネットフラ)

出店 麻こころ茶屋、はんこや象華堂、マッサージ 脱力堂 他

★先住民族やネイティブアメリカン、密教など、トラディショナル
の世界は、あまりにも深く、感銘を受ければ受けるほど現代に生かすには
困難な教えもあると思う。でも、本質は出会えた喜びと生きたいという祈り
、大地への感謝、みんなとつながりたいというシンプルな想いだと僕らは信じるんだ。

みんなは何を願い思う?

どんな想いでもよいので、この場に持ってきてほしいです。 一人一人の
苗木は小さくても、みんなで持ち寄って、素晴らしすぎる'またぁりミュージック'と共
にGROWし、横浜を綺麗な緑のカーペットにしちゃおうよ!  

たどころ~る、くみより

もあいんふぉ→http://k.excite.co.jp/hp/u/UZUBASS
http://www.dinkum-j.com/LIVE/20041011TYO%20.html

最後まで読んでくれてありがと~
[2004年10月8日 20時24分5秒]

お名前: KOJI   
思ったこと。

わざわざ私がここであげつらうまでもなく、この映画、いろんな対比構造が使われています。
都会人で教養がある元外科医で、非適応者であるドクに対し、
田舎者で野暮の極致の元カウボーイで、適応者たるワイアット。
チワワに対するクレム。町の住民に対する牧場主のクラントン一家。

「駅馬車」の「動」に対して、「荒野の決闘」は「静」と、よくいわれます。
では、その「静」の印象はこの映画の何処から来るのか?
それはやはり、トゥーム・ストーンの朝の描写。
静かで穏やかで爽やかな空気。

冒頭、果てしない荒野で牛を追う兄弟の描写から、トゥーム・ストーンの街灯りへ
行って見れば、床屋で安心してろくにひげを剃っていることも出来ない荒くれた町。
野営地に戻れば、弟は殺され牛は盗まる。
保安官になれば、酒場の歌い手は牛泥棒の歌を歌って保安官をからかい、
いかさまポーカーの手引きをし、博打の元締めは勝手に人を追い出し銃をちらつかせて凄む。
旅芸人は誘拐される。住民はリンチに走ろうとする。

当然、この前半の無秩序状態の町があって、後半の「トゥーム・ストーンの朝」が
生きてくるんですね。

さて、この「平和な朝」は誰がもたらしたのか?いうまでも無く、アープなのです。
で、町がほぼ秩序を取り戻し、
もはや、椅子を傾けたまま博徒に注意するくらいで状態が維持できるほど平和が
復活したところへ、その平和の象徴のようにクレムがやってくるんですね。
「自然回復に努めて森が復活したら、小鳥が帰ってきた」というようなイメージ。

今では、床屋で妙なコロンを振りかけられるほどのんびりとできる。
いつもの場所にたたずむだけで、椅子を持ってきてくれる。
シンプソンさんの念願だった教会の建築も始まります。
アープはクレムの手をとって歩道を歩き出す。
聞こえてくる賛美歌が徐々に大きくなっていく。鐘の音が明るく響く。
まだ骨組みだけの真新しい教会の塔に向かってゆっくりと近づく。
住民の歓呼の声。
「新任の保安官と御婦人に道をあけろー!」

終戦直後の製作ということです。
まだ正義があった(とされている?)太平洋戦争直後、
頑張って、勝利をもたらして帰還した人達が巷で社会復帰を目指して励んでいる頃では
ないでしょうか?
(今となってはこういうことが単純にいえないですが・・・あくまでも当時の米国内の感覚)
そういった時代背景を鑑みてみても、やっぱりフォードが描きたかったのは、この平和でしょう。
言ってみれば、この映画はやはり「荒野の決闘」ではなくて「マイ・ダーリン・クレメンタイン」
なんだとおもいます。

で、ここで、もう一歩かんぐってみると。
「それにしちゃあっさりと、一気に秩序回復しちゃうなぁ?」とか
「同じ町だとは思えないよな。」とかおもいません?
「我が谷は緑なりき」で、理想郷がじょじょに崩壊していくペースを考えてみても、
もうひとつかふたつほど、秩序回復の過程をえがくエピソードがあってしかるべきだと
おもうんですよ。
それをザナックが「荒野の決闘」にしようとして切っちゃったんじゃないかと・・・・

・・・・考えすぎかな?(^_^;

長文失礼いたしました。 
皆様の御意見御聞かせ願えたら幸いです。
[2004年10月7日 0時29分27秒]

お名前: KOJI   
>ノスタル爺様

ありがとうございます。
ワーロックは見てないんですよー。牛泥棒は買いました。
昔、田中英一氏の新書版の本で「西部劇バッチリ」って本がありまして、
牛泥棒(オックス・ボウ事件だったかも)は、その西部劇映画リストに載ってて、
いつかみたいなとおもっていました。
でも、写真を見て牛泥棒だと気が付かなかった!(^_^;
[2004年10月6日 22時36分41秒]

お名前: ノスタル爺   
>KOJIさん
 DISK1裏面のジャケット写真は、上の大きい方が『ワーロック』で、
下の小さい方が『オックス・ボー事件(牛泥棒)』です。
[2004年10月4日 16時22分12秒]

お名前: KOJI   
三伸
音声解説見てたら、
例の「爺さん」はジョン・フォードの実兄であると解説してました(^_^;)。
たしか、フォードは映画業界で活躍してた兄さんを頼って、
この世界に足を踏み入れることになったんでしたよね。
そうか、このひとなのか(@_@)
頭の中で情報が繋がりました。
駅馬車でも、トマス・ミッチェルと抱き合って再会を喜び、一緒に飲んだくれてましたよね。
荒野の決闘では、酒場で旅芸人とバンバンテーブルをたたいて酒を催促し、
別離の朝は抱き合って涙にくれる。
フォンダがペイブメントに立つと椅子をもってすっ飛んでくる。
うーん、いい味だしてますね。
ジョン・フォードが一流になったころには、立場が逆転して、
兄さんはフォード映画の端役のギャラだけで生活していたそうです。
お義理の役付けなのかも知れませんが、さすがフォード。生かして使ってますよね。
[2004年10月3日 15時50分6秒]

お名前: KOJI   
追伸
>フランチェスコ 様
 >>(ジャケットの写真違いというおまけはありましたが)。

Disc-1裏表紙の2枚の写真は一体何の映画の写真なんですか?
誰か教えてー!(>_<)
[2004年10月2日 20時48分43秒]

お名前: KOJI   
DVD特別編を購入して、何度も見直しています。

私の場合は、非公開試写版の最初の方の、
ドクの帰りを待つチワワがビリー・クラントンにキスされて
「無駄よ、ビリー」と冷たくあしらうところを観たような記憶があるのですが・・・
劇場で本作品を観たことのない私ですので、単なるデジャビューでしょう(爆)

チワワとアープの最初の絡み、
酒場でアープがポーカーをしているとチワワが横に来て脚を出し挑発するシーン。
リクエストされた『ラバの歌(?)』と違う『一万頭の牛が盗まれた』を歌います。
タイトルバックにも使われてて、何度も観てよく知っているいる人たちにはいまさらですが、
初めてみた人には歌詞に訳がついてないと、場面の意味がわからないのでは?
弟を殺されて牛を盗まれた直後のアープに
「居眠りしてる間に一万頭の牛がいなくなっちまって、おいらはほんとにどうしよう?」
というような歌詞なんですよね?(いや、英語はわかんないんで^^;)
たしか、NHKの放送では訳詩が付いていたとおもいます(でなきゃ、私が知っている筈が無い)

トライアングルを鳴らして駅馬車を迎えるシーン。
試写版だとその直前に、椅子を探すアープにホテルの若者が、
「すいません。今日は爺さんが居ないもんで」と歩道の柱の前に椅子をもってくるシーンがあります。(これが最初の歩道椅子シーンだとおもいます)
と、いうことは試写版では、「爺さん(この人いつも同じ軍帽被って
同一役かとおもうくらい変わりないシュチュエーションで
ジョン・フォード映画に出てくるんですが
私は不勉強にも、なんという人なのか知りません)」があの柱の前に椅子を持ってくる、
歩道椅子の由来となるシーンがあったはずです。
これもなんとなくうすらぼんやりと幼いころ観たような気になってしまう(爆)。
我ながらなんと単純馬鹿な暗示にかかりやすい頭であることよ<オイ
しかし、一巻目出てこないですかね。

シンプソン氏の教会建設エピソードの最初のあたりで、
町を去るべくホテルのフロント前で独りたたずむクレメンタイン。
そこへアープが左からぷらぷらとフレームインしてくるところ、
公開版では「愛しのクレメンタイン」を口笛で吹いてます。これは間抜けですよ!
わかりやすいですけどね。
続く、ドクが乗った駅馬車がチワワの横を駆け抜けていくシーン。
これもわかりやすくBGMで教えてくれますけど^^;

試写版はいいですねぇ。風の音、家畜の鳴き声、車軸の転がる音がBGMです。

こうして二つ並べてみて、私の個人的意見では、
全体的にザナックの演出は、映画を俗っぽく解り易くするために尽力しているとしか思えません。
でも、当時、興行的に成功させるためには仕方なかったのかもしれませんね。
いい作品であることと、興行的に成功することとは別ですからね。

最後に恥を・・・
実は今回DVDを購入するまで、
あきれたことに私は、最後の対決に駆けつけてくれる二人が誰なのか?
これがずっと疑問でした(爆)
「え?この人たち誰???何で来てくれたの?・・・え?なんでショットガンの弾、
抜いちゃうの?なんでなんでなんで???」と、思っているうちに決闘に突入して忘れてしまう。
毎回TV放送で見る度同じことを繰り返す学習能力の無い私。ほんとアホでした。

これは、シンプソンさんと町長なんですね。
直後に町長が逮捕状を書いてるシーンもあるし、なんでわからんかなー<自分
二人に(間違っても撃たないように)シェルを抜いたショットガンを持たせて、
肩を並べておなじみの形で対決の場OKコラルに向かう三人組は、
町長とシンプソンさんとアープなんですね。
それを遠くから観て、アイク・クラントンは「ドクもいるぞ」とのたまう。
歩き出す直前に、町長は黒い上着の襟をたてて前を掻き合わせ白いシャツを隠し、
遠目ででドク・ホリディの黒シャツに見えるようにする仕草をしてます。
頼りなげにたたずむシンプソンさんをちょっと長めに写します。
この間にドクとモーガンは別ルートでコラルに回り込んでいるんですねー。
「んなこと解ってるワイ!」っていわないで!(^_^;
私は全然理解してませんでした!!!!

ではでは
[2004年10月2日 19時6分55秒]

お名前: 杉本   
想像どおり投稿が多いですね。当然ながら私も大好きな作品です。
先月DVD特別編2枚組を発売日に購入しました。・・・裏話も多くお勧めです。
言われるまでもなく皆さんも購入してますね。

ジョン・フォード監督はワイアット・アープと会ったことがあるという話は、ノスタル爺はご存知だと
推察しますが、話題提供させていただきます。
【ミニエピソード】
「実在のワイアット・アープはサイレントの初期、仲間のカウボーイを訪ねて、年に何度かスタジオを訪れた。
当時、フォード監督はコーヒーを届けるなど世話をし、OK牧場の決闘の話を聞いたという。」
(2000年、8月4日の新聞記事、「日本を、世界を震わせたスクリーン伝説④洋画監督編、
ジョン・フォード」:記事/平辻 哲也より)・・・私のスクラップブックに貼付してあるのですが、
朝日新聞か、報知新聞のいずれかです。
[2004年7月25日 21時57分39秒]

お名前: ノスタル爺   
非公開試写版を観ました。
劇場公開版との比較ですが、どっちがどっちとも言えませんね。
音楽を使って、シーンを盛り上げるのは映画として必要な要素で、
クレメンタインの初登場シーンや、ドクが金の入った袋をチワワに投げ落とすシーンは、
その後の展開からみて、ザナックの編集は妥当だと思います。
最初の19分はフィルムが紛失しているので、想像するだけですが、
冒頭のアープ兄弟の登場シーンや、ジェームズの死体を発見するシーンでの音楽は、
非公開試写版では使われていないような気がしますね。
フォードの演出は、映像中心で、音楽で盛り上げようという感覚はなかったような気がします。
逆にラストの決闘シーンで、ザナックが音楽を使わなかったのが不思議なんですが……

非公開試写版に出てくるバージルの落馬シーンですが、私は絶対に観た記憶があります。
『映画宝庫・さらば西部劇』に高橋千尋さんが、シナリオ再現しているのですが、
その場面の記載は次の通りです。
“荒野(夜)
 馬を駆るバージル。
 逃げるビリー、やみくもに発砲。
 馬もろとも斜面を転落するバージル、起き上がって乗馬。
 砂丘を越えて逃走するビリー”
高橋さんも、落馬シーンを観ているんだと思います。
落馬シーンがカットされていない劇場版フィルムが存在することを、非公開試写版を観て
確信しました。
[2004年6月9日 15時41分21秒]

お名前: bun    URL
筆舌に尽くしがたい素晴らしさ。「荒野の決闘」非公開試写版を見て、ジョン・フォード監督の
素晴らしさをあらためて実感しました。今までビデオ等で見たときは正直「まあこんなものかな」
って感じでしたが、非公開版はグーッと映画の世界に引き込まれて、西部の風や匂いまでも感じ
られたようでした。画面の陰影の素晴らしさ、ギューっと張り詰めたような空気感。
もう素晴らしいの一言。関係者の皆さんに大感謝です。
[2004年6月8日 23時55分27秒]

お名前: フランチェスコ   
 このたび日本でも発売された「荒野の決闘(非公開試写版)」は,高橋千尋さん風に表現するならば,
まさに『随喜の涙』でした。本国での発売から,さして間を置かずに発売してくれたフォックスさんに
感謝します(ジャケットの写真違いというおまけはありましたが)。この版を観た時を境に,私にとっ
ての「荒野の決闘」は試写版となりました。すべてが解明されているわけではありませんが,シークエ
ンスそのものや音楽の使い方など,フォード本来の演出にすっかり魅せられました。私は,まず従来の
公開版でファンになった者ですが,千尋さん訳の伝記などを読むにつけて,ザナックやイェーツが切っ
た部分にはどのようなものがあったのか想像したものです。それが何と,特典としてのよくある〈未公
開シーン集〉などという形ではなく,1本の作品として目の前によみがえる日がこようとは,製作から
60年近くの月日が流れていることを考えれば,奇跡としか言いようがありません。愛する「荒野の決
闘」は,真の姿に近づきました。画像も鮮明で,むしろ劇場公開版の上をいっているくらいでしょう。
淀川さん解説の日曜洋画劇場枠での放送以来親しんできた,小山田宗徳氏の吹き替え版収録にも感謝い
たします。あの日,カセットに吹き込んだ吹き替え音声を,その後何度聞いたことでしょう。
 ただ,試写版復活の比較解説をしていた方の話には及第点はあげられません。翻訳上の問題なのかも
しれませんが,明らかに間違いと思われるコメントや,当然触れるべきセリフの有無に全く言及がない
のはどうにも解せません。もしかしたら,あの解説の非公開試写版があったりして・・・。
 しかしいずれにせよ,2004年5月21日を期して,日本における「荒野の決闘」が新たな時代を
迎えたことは間違いないでしょう。
[2004年6月4日 20時10分6秒]

お名前: J.W.   
「荒野の決闘」のラストシーンでアープとクレメンタインがキスをしたかどうか、あるいは
ヴァージルの追跡途中の落馬シーンの有無について諸説が生じたのは、日本でも非公開試
写版が上映された可能性があるのではというYASUさんの推理であるが、果たしてそう
だろうか。

今回のDVDの「非公開版の復活」によるとUCLAの映画科の授業でFOXから借りて
きた「荒野の決闘」のフィルムを鑑賞、学生が劇場版と違うことを発見したそうだ。デイレ
クターズカットではなく、製作途中の試写版だろうが,たまたまFOXに残っていたフィル
ムがUCLAに行った訳だ。

 製作当時、この試写版を見たザナックが手を加えて劇場公開版が完成されたがどのシーンで
変更が為されているか、さまざまな経緯がこのDVDで明らかにされる。私はフォードの冗長
なシーン(本筋に関係ないどたばた等、いわゆるフォード・タッチ)をカットした位だろうと
考えていたが、カットのみならず新たに撮影を加えた所もあるのには驚かされた。フォードは
多分反抗して、追加撮影には参加していない。ザナックも編集のプロであるから、ザナック版
(公開版)の方で良かったという所もあることは否定できない。

しかし、フォードファンとしては、良いも悪いも全てフォードのオリジナルのままであった
らと思うのも許されるだろう。

特に酒場でのシャンパンのシーンでフォンダが顔をしかめてこの酒は腐った酢のようだと言う所、
馬車の列がフォスターの曲を演奏しつつ教会に集まるシーン、そして極めつけはラストシーン.
フォード版は別れのシーンをあっさりと描いている。名前が好きですとしか言えないような純な
男が決して抱擁やましてキスなどと思った少年ファンの心を裏切らない演出をフォードはちゃんと
行っていた!

なお、音声解説でスコット・エイマンという伝記作家がOKの由来はベン・ヒューレン大統領
の愛称、オールド・キンダーブックからだという話をしている。キンダーブックは彼の故郷で
彼の支持団体に「民主党OKクラブ」と言うのがあると言うのだが?
[2004年5月23日 21時55分52秒]

お名前: YASU   
ここの掲示板に、以前
「バージルがビリー・クラントンを追跡するシークエンスで、
 ビリーの発砲に、バージルの乗った馬が棹立ちになり、
 落馬するショットが無くなっている」
という話題がありました。

映画評論家の森卓也氏や小説家の小林信彦氏が
同様の指摘をされているのを読んだ記憶もあります。
(小林信彦氏は違ったかな?)

で、今回発売されたDVDを見てみたら、
「劇場公開版」にはそのシーンは無く、
「非公開試写版」にはちゃんと収録されていました。
(ちなみに、「予告編」にもそのショットが入っています)

また、この作品のラストシーンについて、
確かイラストレーターの和田誠さんだと思いましたが
「クレメンタインにキスもせずに去ってゆく主人公ワイアット・アープは、
 ヘンリー・フォンダにピッタリだ」と書いたところ、
「頬にキスしていたはずだ」と指摘され、
後日ビデオを見たら確かにキスするシーンがあったため、
自分の記憶違いだったと思われたそうです。

しかし、「非公開試写版」では、
アープは「キスもしないで去ってゆく」のです。

ということは、もしかしたら、
「非公開試写版」は、日本では劇場公開されていたのでは??

もし日本で「非公開試写版」も公開されていたのだとしたら、
バージルの落馬シーンがあった、という記憶、
ラストでワイアット・アープがキスもせずに
去ってゆく、という記憶は、
それぞれ「正しかった」ことになります。

ただし、ハリウッド映画には、複数バージョンが存在する作品は少なくないようなので、
細部のカットが違うバージョンというのがたまたま存在していただけなのかもしれません。

いずれにせよ、少なくとも、現在「劇場公開版」としてDVD化されたものとは
若干違うバージョンが存在し、それが日本で公開されていた、ということまでは
言えるのではないでしょうか?

それにしても、皆さんの記憶力の凄さには驚いてしまいます。
「荒野の決闘」は初公開の後も数回リバイバル公開されているようですが、
相当集中して映画を楽しまれていたのだろうな、と思いました。

なお、今回の「荒野の決闘」DVDは、画質は素晴らしく、
「非公開試写版」と「劇場公開版」の違いの部分についても
丁寧な解説映像が付されているなど、
西部劇ファン必携、というものに仕上がっていると思います。
[2004年5月20日 23時12分22秒]

お名前: J.W.   
AGE GUARDさん、こんにちは。
O.K.ですが,人名ではなく一種の商標というか、即サービスいたしますの意味のOK
だそうです。津神久三氏の本で読んだ記憶があります。
話は変わりますが,今度DVDで「荒野の決闘」の試写版が発売とか、フォードのオリジナル版と
公開版とどう違うのか楽しみです。
[2004年4月30日 9時51分41秒]

お名前: ACE GUARD   
O.K. CorralのO.K.の意味が知りたいです。誰か教えてください。
そのコラルの持ち主の名前?それとも。。。
[2004年4月9日 11時50分32秒]

お名前: 終戦ッ子   
以前に「にっぽんのやくざ映画で池辺良のインテリやくざがいつも高倉健の最後の切り込みにつきあいますが、これは全く荒野の決闘の ドク・ホリデイのパクりではないでしょうか。」という
発言をしました。

「映画はやくざなり」という本を読みますと、やくざ映画で、主人公の男気にうたれて、切り込み
につきあう副主人公(たいていゲスト俳優がやってる)がなぜ生まれたかが書いてあります。
それは「荒野の決闘」とは無関係でした。訂正します。

その他、ひとりよがりの発言を多々この掲示板に書き込みました。御容赦ください。
[2003年12月24日 1時7分3秒]

お名前: Ikeda   
始めて投稿します。「荒野の決闘」は昭和23年の元旦に見ました。私はそれ程、西部
劇は見ていませんが、今になると一番、好きな西部劇です。感想については「オール
シネマ」に投稿してあるので省略しますが、「ノスタル爺」さんの言われるバージルの
落馬シーンがあったかどうかは、流石50年以上前のことですから、はっきりしません。
衛星放送のビデオを見直しましたが、矢張り無いのと同時にビリーが振り返って撃つシー
ンはありますが、バージルが撃つシーンがないのに気が附きました。少なくとも、かなり
接近して走っていた筈なのに、ビリーが家の庭で倒れ、クラントン家の連中が家のベッド
に寝かせた後で、やっとバージルが到着しているので、何か無いと時間的つじつまが合い
ません。従って、それらのシーンがカットされているのだと思います。
「阿僧祇」さんの言われる「My Darling Clementine」の歌詞についてですが、私もあま
り気にしていなかったので調べてみました。勿論、民謡ですから色々替え歌はあると思い
ますが、調べた中で一番長いのは9番までありました。内容は娘の溺死で悲嘆にくれた
父親がずっと一緒にいようとする情景が詠われていて、最後にクレメンタインの妹にキス
をして彼女を忘れようというものです。私の持っているCDで調べましたら、1959年
にピート・シーガーはそれの1,2,3,4,6番を、その後のザ・ブラウンズは1,3,
7,9番を唄っています。リフレイン附きで全部は長すぎるため、それぞれ適当に選んで
歌っているので、解釈が変わってくるのではないかと思います。
映画のタイトルバックで唄われるのは「ノスタル爺」さんの説明通りですが、
「Clementine」としては1番とリフレイン部だけです。因みにこの唄は「Clementine」
と呼ばれる方が多いようです。
もともと、映画と内容が全く違うこの歌を主題歌にしたのか以前から疑問に思っていまし
た。キャシー・ダウンズ扮するクレメンタインがラストシーンなどを飾っていますが、
名前をこじつけただけのように思えます。一番だけで、中間を映画の内容と合う「Ten 
Thousand Cattles」でつないでいるのも、その為だと思います。
余談ですが、この映画より3年前に「O, My Darling Clementine」と言う映画が作られて
いるようです。「ワバッシュ・キャノン・ボール」の唄で知られるロイ・エイカフが主演
です。これは日本に輸入されていないし、見たことはありませんが、こちらも主役が
シェリフなので、歌の内容とは違うストーリ-ではないかと思っています。
[2003年9月17日 16時4分56秒]

お名前: コルト45   
私にとって西部劇の醍醐味はアクションにありますので大監督の撮った
西部劇はいまひとつのめりこめないのですが荒野の決闘だけは別格です。
静と動を交錯させた完璧な構成が素晴らしいですね。それぞれのシーン
についてはこれまでの書き込みに書きつくされていますので省略します
がH・フォンダの寡黙なヒーローが見事でした。
アープと名乗った後ダッジシティの保安官?との問いに「ex‐
marshall」。 保安官就任を依頼され「not interested」。 ドクを見て
「good looking fellow」。 ドクにこれからは拳銃を持ち歩けとからまれ
「That’s good advice」。 OKコラルにいつ出かけるかと訊かれ「Sun- 
up」などと簡潔に答えるのが惚れ惚れするほど魅力的でした。
唯一の長台詞は弟ジェームズの墓参りでのモノローグだったのではない
でしょうか。
[2003年9月1日 12時39分58秒]

お名前: 捨石喜市   
 西部史上もっとも名高いOK牧場の決斗を描いた作品の代表は、やはり「荒野の決闘」と「OK牧場の
決闘」でしょう。いろいろあるなかで、どれが最も史実に忠実かなどと甲論乙駁、にぎやかなことですが、
そんなこたあどうでもいいのです。「荒野」「OK」その両方に出ていた俳優がいましたよ、ということを
いいたいのです。今更なにを、とみなさん周知のことなのかもしれませんが、「荒野」ではクラントン一家
の末息子ビリー・クラントン、「OK」ではクラントン一家の助っ人ジョン・リンゴをやったジョン・アイ
アランドがその人です。「スパルタカス」「北京の55日」「ローマ帝国の滅亡」など大作映画の常連でし
た。……そんなこたあどうでもいい、といわれそうですけど。
[2003年7月5日 11時38分1秒]

お名前: marineflat   
OK牧場牧場の決闘を題材とした映画では、『OK牧場の決闘』、『墓石と決闘』の方が史実に近い
そうですが、映画評論家によると、『荒野の決闘』が一番評判がいいようですね。
友人の恋人にほのかな恋をして、散髪をし、オーディコロンの匂いをプンプンをさせたあとの保安官の
暇そうな仕草、なんとのどかなこと。話の内容が全然わからない人にとっては、後半の決闘は予想でき
ませんよね。
クラントン一家の父親を殺さないで、馬に乗せた後のシーンもおもしろかったのですが、決闘で馬車が
砂煙をあげて走り去った後のシーンも印象的でしたね。
クレマンタインとの別れの言葉は、「実にいい名前だ、クレメンタイン」、「私はクレメンタインという
名前が大好きだ」と訳されていました。
レコードでも、CDでもサントラは出ていないようです。
どじょう髭をはやしたフォンダのやぼったい保安官、素敵でしたね。
[2001年4月7日 22時28分4秒]

お名前: 終戦っ子   
荒野の決闘のすぐれた人間描写について。

フォンダ/アープはクラントン一家の父親だけは殺しません。お前は一生息子たちを失ったことを
なげきながら生きろ、といいます。

観客は多少とも、ア-プの弟を殺したこの気の強い老人の絶望に同情します。決闘は勝ち負けが
決まってしまうと、結局はこういう、むなしい、取りかえしのつかないものなのです。

老人は無言でたちさろうとします。「現実主義者」ワードボンドはなにげなく、ピストルの用意
をします。

次の瞬間の老人の行動には、観客は半ば同情し、半ば反対します。

ワード・ボンドの撃ち方はファニングです。待っていたかのように。最早遠慮してもしょうがな
いというように。ここはファニングでないといけません。ファニングだから観客は救われるのです。
[2001年1月30日 23時27分57秒]

お名前: 終戦っ子   
「荒野の決闘」のよろしいところは、最後の凄惨な決斗の前にまことにのんびりしたユーモラスな
場面や、ドク・ホリデイのかげのあるイミ深な場面を適当にこきまぜて、複雑な味を出していると
ころです。(ビクター・マチュアの大きな帽子の下の、謎のような無表情をみよ。暗い酒場の中に
こもるタバコの煙りの緩慢なながれの沈うつさを...)

新任の保安官は、散髪をして、髪油(orオーデコロン)のにおいをぷんぷんさせ、椅子を家の前に
出して、通りをながめます。明るい日光が街路に満ちています。かれはブーツをはいた足で柱を蹴
って椅子をうしろへかたむけ、帽子をまぶかにかぶって、両手でバランスをとります。あまりのん
びりしたしぐさに、チワワがあきれた顔をします。
そのあと、ア-プはクレメンタイン嬢とダンスまでします。楽隊の指揮をしている白ヒゲの老人
は、「新任の保安官とレディのために場所をあけろ」と言ってくれます。保安官とはなんとも気分
のよい職業ではないでしょうか.なんという愉快な平和なまちではないでしょうか。

そのあとに血なまぐさい決闘があるのです。

映画「ゴッドファーザー」はマフィアの一族の結婚パーティーからはじまります。マ-ロン・ブラ
ンドウは娘のタリア・シャイアとダンスをします。華やかでしみじみとした場面で始まった映画の
クライマックスは殺伐な暗殺の場面の連続です。

ディア・ハンターは、前半は出征祝いのパーティーのどんちゃん騒ぎで終わります。その直後に
ベトナムの悪夢のような戦場の描写が爆音とともにはじまります。

これらは「対比の妙」というものでしょうか。
[2001年1月30日 22時57分45秒]

お名前: 終戦っ子   
またしても比較映画論。

(1)アープの弟は牛の番をしていて殺され、牛は盗まれるのですが、この場面は、土砂降りの雨
の中、弟をかき抱くフォンダ/アープと、取り巻く兄弟達です。弟が殺される場面は無かったと思
います。弟の突然の死に不意打ちされたアープ同様、観客も不意打ちを食います。
アープたちは雨合羽を身につけていますが、むくろとなった弟はぬれねずみになっています。雨に
うたれるままになっていること自体、弟の魂が帰らぬものになってしまったなによりの証拠です。
雨が非情なのではなく、死が非情なのであり、雨は死の非情さを強調しているのです。

(2)黒澤明はジョン・フォードが好きで、尊敬していましたが、黒澤監督の「七人の侍」のラスト
でうつぶせに倒れたミフネ・菊千代のお尻は容赦なく雨にうたれます。彼は最後の力をふりしぼって
一段高いところまであがって行って倒れるので、皆がかけつけるまで、ぬれっぱなしになります。

(3)同じくクロサワの「用心棒」で、やくざ同士が最後の大げんかをやると、宿場町の往来は、
たすきがけしたばくちうちの死体がゴロゴロころがる凄惨な様相を呈します。もはやだれも死体を
片付けるものもなく、棺桶屋は、ここまでいくとだーれもカンオケを注文するものはいねえ、と
絶望します。上州の空っ風が通りを吹きまくり、けんか装束をしたヤクザのむくろは、ほこりで
真っ白になっています。ほこりまみれのまま横たわっていることが、けがして倒れているのではな
く、死んでしまっていることをあらわしています。

黒澤明がフォードから学んで、変奏曲を奏でているとは思いませんか。

実際はわたくしは3.2.1の順で見ました。1が2.3のおおもとであると思ったのは、「荒野の決闘」を
ビデオで見てからです。
[2001年1月30日 21時29分31秒]

お名前: ノスタル爺    URL
>グリーンベイさん、こんにちは。
 130インチとは、すごいですね。
  私は、ビデオの音声出力をオーディオ装置に接続して、音だけはそれなりに楽しめる
ようにしています。テレビは29インチ……小さいなあ。(笑)
 最近は、休日前の深夜にビデオを観ることが多くなったので、14インチの
テレビデオばっかり。(笑)
 
 仕事が忙しいというより、CATVやBSで未見の映画を数多く放映してくれますので、
劇場の大画面で映画を観るのは、年に数えるほどしかありません。
 西部劇(リバイバルを含めて)が上映されることもありませんし……(笑)
 フィルムセンターで開催されたハワード・ホークス祭で上映された西部劇は全て観ました。
 なにしろ映画館で観たのは『エル・ドラド』しかなかったものですから。(苦笑)
 もう10年以上も前になりますが、フィルムセンターでジョン・フォード祭が開催さ
れた時も行きました。
 それで思い出したんですが、『血涙の志士』(1928年製作のアイリッシュもの、
ジョン・ウェインがスクリーンに初登場するというので観たんですが)で、主要人物の
ひとりである判事が死ぬ時、椅子に崩れながら白いハンカチをポトリと落すんですよ。
 これって、ドク・ホリデーが撃たれた時のシーンと、よく似てましたよ。

 東京にいるメリットですけど、フィルムセンターが50年代以前に活躍した監督
(セシル・B・デミルとかラオール・ウォルシュといった)の特集をしてくれないか
と思っています。
[2001年1月14日 15時34分0秒]

お名前: グリーンベイ   
ノスタル爺さん・・・今晩は。
グリーンベイです。ところで、ノスタル爺さんは、映画を劇場とか大型スクリーンでご覧になってますか。
昨年でしたか、ハワード・ホークス特集のようなイベントがありましたよネ。東京は、やはり羨ましい。
と、申しますには、映画は(特に西部劇)テレビサイズでは少々無理があると言うことです。当方には、
「名画鑑賞会」なるサークルがありまして、月二回の例会を持ってます。会場は「グリーンベイ」と言う
ホールでここに130インチのバーコビジョン(6スピーカー)が設置してあります。新春第一例会は、
「荒野の決闘」で今年の幕を開けたわけです。大型画面の「荒野の決闘」しびれました。上映作品の選定
は、懐かしい映画が第一条件です。また映画は、大画面が必須条件のようです。サークルは、少年・少女
時代映画狂の集まりで、上映後の合評は遠い時代にタイムスリップして盛り上がります。「映画って、
本当に良いものですネ・・・・・・」。
[2001年1月13日 23時31分25秒]

お名前: グリーンベイ   
ノスタル爺さん・・・今日は
「パウダーリバー」についてのコメント有り難う。ところで、ドク・ホリデーがワイアット・アープに
助勢するするに、チワワの弔い合戦との見方ですが、大変興味深いご意見です。いつもノスタル爺さんの
URLは楽しく覗かせてもらってます。東映の任侠路線にも殊の外通じておられるようで敬意を表しま
す。高倉健の昭和残狭伝シリーズは、9本撮られていますが、西部劇から筋立てを盗った作品が多いこと
に気付きます。脚本は山本英明、松本功が当たっていますが、ノスタル爺さんご指摘のドクの助勢と
「昭和残狭伝」第一作で、池部良が妹の弔い合戦として高倉健に助勢するに通じますし、第二作目「唐
獅子牡丹」は、随所にあの「シェーン」を意識した場面が見られます。たとえば、ラッドとアーサーの
絡みが高倉健と三田佳子、そして「カンバック・・・・シェーン・・・」がラストシーン、三田の子供が
「叔父ちゃーん、帰ってよ、・・・母ちゃんも待ってるよ・・・・」。映画って,本当に良いものですね
[2001年1月12日 14時31分54秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 この前、バージル落馬シーンの確認のためにビデオを観た時、気づいたこと。
 ドク・ホリデーがOKコラルの決闘に参加したのは、ビリー・クラントンに殺された
チワワの敵討ちのためのような気がします。
 史実が固定観念としてあったので、友情のためと今まで思っていたですが、この映画に
関しては上記の理由の方が強いように私は思うのです。
 そして、ドク・ホリデーが史実と異なり死ぬのは、これまたチワワの死(ホリデーが
手術するが結局助けられなかった)が伏線にあると思います。
 史実を改変したことにより、ドラマに深みがでましたね。

>グリーンベイさん
 すでにお気づきかもしれませんが、ロリー・カルホーン主演の『パウダーリバー』は、
『荒野の決闘』の出来の悪いリメーク作品ですね。
主人公の名前や設定は変えていますが、物語の展開は同じです。  
[2001年1月11日 21時56分8秒]

お名前: ワード・ボンド   
グリーンベイさん、あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!
4作品に関してのコメントありがとうございます。「赤い河」の件ですが、この4作品
に続く作品が何本かありますが、その中には間違いなく入ると思っています。ただ、私
はこの「赤い河」を見たのがかなり遅く、「捜索者」とほとんど同時期に見たものです
から、どうも印象がダブるところがあるんです。また、私の個人的な見方ですが、ハワ
ード・ホークスは、「赤い河」と「リオ・ブラボー」で精神的に完結しているのではな
いかと思います。つまり、「赤い河」だけでは語り尽くせなかったものがあるような気
がします。晩年、「エル・ドラド」や「リオ・ロボ」などの西部劇を撮っていますが、
これは付録みたいなものだと思います。
それから、ビクター・マチュアの件ですが、フォードはいわゆる「フォード一家」で固
めて安定感を保つ一方で、「フォード一家」以外の人をうまく使って、作品の幅を広げ
るのがうまいですね。
[2001年1月9日 11時9分54秒]

お名前: グリーンベイ   
ワード・ボンドさん・・・・。西部劇推薦の4作品ですが、厳選されてのことでしょうね。
私も挙げてみました。「赤い河」と「大いなる西部」と迷うところです。どちらかと言えば「赤い河」を
入れます。推薦5作品にしてもワード・ボンドさんは「赤い河」は入らないのでしょうか・・・・・。
あとの3作品は、私も異存有りません。
[2001年1月8日 21時57分16秒]

お名前: グリーンベイ   
ワード・ボンドさん、戦後っ子さん・・・・・あけましておめでとう御座います。今年も宜しく・・・・。
例年、元日には身を清め(一寸大袈裟フフ・・)「荒野の決闘」を観て、今年の映画人生の始まりです。
「いとしのクレメンタイン」の音楽をバックに、タイトルが見事な演出で飛び込んできます。すぐ後に
フオードタッチの広大な風景に牛の群と続く訳ですが、しかし、話も面白いが、何故この作品に、こんなに
惹きつけられるのか・・・・・。お話の様に、モノクロの陰影の良さも成功の一つです。第三の男の様に。
またキャストもそれぞれ申し分ない中で、ドクすなわちビクター・マチュアの起用を見逃せないと個人的
は考えているところです。彼独特の面構え、無精ひげゾリゾリの精悍な顔。西部劇の古典として残る名作
のドクは彼以外ないし、作品全体の映像美にはこの顔は欠かせない個性になっている。ワンカット、ワン
カット至る所に散りばめられている見事なフオードタッチについては言葉はいらない・・・・。
またラストシーンに涙でしたが・・・今年のそれは・・・感謝の涙に変わったようにも思われました。
[2001年1月8日 21時43分8秒]

お名前: ワード・ボンド   
この作品も「シェーン」と同じように、ディテールに物凄くこだわっているところが
成功の鍵だと思います。ノスタル爺さんが述べておられますように、クレジット・タイ
トルが、板の上に、牛の焼印のように焼き付けられているところや、素晴らしいハーモ
ニーのコーラスからホウダウンへ、そしてまたコーラスへの見事な転調等々。数々の名
シーンの構図の素晴らしさはたまりません。なかでも私が好きなのは、末弟を残して、
アープ3兄弟がトゥームストンに向う時、丘の上に馬を止めて街を望むシーンです。月
光に浮かびあがった3頭の構図が、まるでディズニー映画のように人が描いたかのよう
な見事さです。
[2001年1月4日 20時9分12秒]

お名前: ワード・ボンド   
この映画については初めてカキコします。私は多くの西部劇の中でベスト作品を
選ぶとしたら、次の四つを選びます。この四つは優劣は付けられません。
■最もアーティスティックな作品・「シェーン」
■最もエンタテイニングな作品・・「駅馬車」
■最もグレートな作品・・・・・・「大いなる西部」
■最もフェイバリットな作品・・・「荒野の決闘」
つまり、この作品が最も好きな作品です。モノクロ画面がこんなにきれいだと認識
したのもこの映画ですし、1カット、1カットが一幅の絵のようで、カメラの向こ
うのフォードの存在を常に感じました。吸いこまれそうな空に浮かぶ白い雲を見る
だけで、なぜか涙が溢れてきたことを憶えています。
カラーのメイキング・フィルムが残っていますが、本編と全く違う印象だったこと
を憶えています。フォンダやマチュアが妙にギラギラした感じでした。それもその
はずですよね。彼等が、まだ40歳前後でハリウッドの大スターですからね。
フォードがなぜ、あえてモノクロで作ったのかが、少し分ったような気がしたもの
です。
[2000年12月30日 16時34分19秒]

お名前: 終戦っ子   
はじめてこの映画を見たとき、映画の途中から入りました。ちょうどビクター・マチュアが
酒場でシェクスピアの台詞を言うところでした。そのせいかドク・ホリデイのこの場面が印象
に残っています。ドク・ホリデイが台詞をわすれたシェイクスピア役者にかわって、ハムレット
でしょうか、さわりの台詞を感情を込めて言ってやるのですね。かれはやくざな医者であるが、
教養はあるのです。何者か。西部辺境の酒場でばくちと酒に明け暮れているこの男は、富裕な
家の生まれではないか。観客の疑問に映画は最後まで答えてくれません。しかしドク・ホリデイ
をこれほどインテリに描いたことにより、映画全体の奥行きが深くなりました。

駅馬車で、騎兵隊が到着して助かったとき、長髪で面長のマントを来た男が息をひきとります。
死ぬまぎわにかれは、なんとか州のかんとか判事に息子は勇敢に戦って死んだ、と伝えてくれ
と言い残します。かれは判事の息子だったのです。判事の息子がばくち打ち(?)になり西部
くんだりまで来たのにはどのようなドラマがあったのでしょうか。一瞬そのような感慨が我々
観客の胸をよぎります。

にっぽんのやくざ映画で池辺良のインテリやくざがいつも高倉健の最後の切り込みにつきあい
ますが、これは全く荒野の決闘の ドク・ホリデイのパクりではないでしょうか。
[2000年12月29日 16時53分17秒]

お名前: GOGH    URL
結論から言うと、あったような、ないような。(結論になってない。(^_^;) )

まず、何年か前にNHK教育の「世界名画劇場」で録画したものには問題のシーンはありませんでした。
また、手持ちのLDにもそのシーンはありません。

しかし、しかしですね。LDに入っていたオリジナルの予告編には、馬と共に砂丘の斜面を転げ落ちる
シーンが最後の方に入っています。これがどの部分なのかは予告編なので分かりませんが、追跡以外に
このようなシーンはなかったような気もしますし、全編見直してみないと分かりませんね。(-_-;)

どうも中途半端で申し訳ありませんが、追ってまたご報告します。(^^ゞ
[2000年11月19日 20時38分17秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 学生時代の友人と話していて、『荒野の決斗』が話題になりました。
 彼が言うには、チワワ(リンダ・ダーネル)がビリー・クラントン(ジョン・アイア
ランド)に射たれて、バージル(ティム・ホルト)がビリーを追跡するシーンで、ビ
リーに射ち返された追っ手のバージルが落馬し、馬ごと砂丘をすべり落ちる(但し、
ケガはなく、そのため遅れるだけ)シーンが映画館で観た時にはあったのに、ビデオで
はないというんですよ。
 私も、そのシーンはうすボンヤリと記憶にあるので、自分のビデオ(フォックスビデオ)
を観たら、ないんですね。
 それで、さらに彼との電話のやりとりで、日曜洋画劇場で放映されたものには、その
シーンがあって、NHKで放映されたものにはなかったそうです。
 どうやら、2種類のフィルムが存在するらしく、そのシーンが収録されているビデオ
またはDVDをお持ちの方は、教えてください。
  
[2000年11月17日 22時22分49秒]

お名前: グレーンベイ   
「荒野の決闘」・・・何時見ても、しばらく余韻を残す作品です。何故だろう・・・
フオード監督の最愛の地・モニュメント・ヴアレーで撮られたこの作品は、つつましやかで
感性豊かな、そして滋味にあふれた映像美を備えた傑作だからに他ならない。
すべてのフオード作品の中でも、愛惜きわまりない西部劇の一本です。全シーン、全カットが
鋭敏かつ感受性に富み、さらに監督の目は、素朴な人々と素朴な自然の持つ美を余すところなく
掌握した演出の賜物なるが故でありましょう。・・・・「駅馬車」を西部劇映画の善し悪しを決
める判断基準にする向きがありますが、私は「荒野の決闘」が少し越えてるかなと思っています。
でもこの二作品を比較すること自体無理がありそうですね。
[2000年11月7日 1時21分5秒]

お名前: グリーンベイ   
「荒野の決闘」・・・名作「駅馬車」から七年ぶりに、フォード監督が手がけた作品ですが、
何度鑑賞しても飽きませんね。「荒野の決闘」の扱っている題材は、その後「ok牧場の決闘」(57)
他ありますが、この作品を越えるものはないと思っています。これはフォードがアメリカ西部
への、並々ならぬノスタルジックな郷愁の念を寄せた詩情豊かな美しい感傷の名品となっている
からに他ならない。ラストシーンには何時観ても泣けてきます・・・・・・・・・・・・
[2000年11月1日 0時24分23秒]

お名前: 終戦っ子   
荒野の決闘でわたしの好きな場面はダンスのシーンです。アープがミス・クレメンタインと一緒に町
の人たちがみんなでダンスを踊っているところへいくのですが、人々の輪に混じって、二人で立つと
アープがちょっと難しい顔をして帽子をぬぎます。ぬいだまま、緊張してそのまま立っているのです
が、娘さんは緊張をとるようにほほえみながら横から アープの顔を見上げます。ア-プはそ
のまま、正面を向いていますが、意を決して娘に向かいあって、帽子を胸に当て、頭をさげておじぎ
をします。ふたりが手をとったとき、アープは緊張してタイミングをはかっています。ふたりが鮮や
かに踊り出すと、カメラはロングに引いて、息のあった動きを思う様、写します。
[2000年10月9日 21時46分3秒]

お名前: グリーンベイ   
 「荒野の決闘」・・・・・・
 映画マニアを自称する私は、ここ数年元日には必ず「荒野の決闘」を観て新年の始まりとしています。
 フオード作品の中では、この作品を最高の映画と考えています。映画は映像です。視覚から心の印画紙
 に、どの程度焼き付いているかですが、この作品の写真(ヘンリー・フオンダとビクター・マーチュア)
 は、映画雑誌その他に多く載っていますのでより親しみを感ずるのでしょう。最後の決闘シーンで
 ドグが白い絹のハンカチを口に当てて拳銃を放つ場面や最後に「クレメンタイン、面白い名前だね」と
 言い残して走り去るシーンには、何時も泣けてきます・・・・・・
 他に西部劇の代表作としては、ハワード・フオークスの「赤い河」、ウイリアム・ワイラーの「大いなる
 西部」、ジョージ・ステーブンスの「シェーン」等を挙げておきます。     以上。
[2000年1月17日 10時39分11秒]

お名前: 阿僧祇    URL
 民族音楽らしく、「愛しのクレメンタイン」の歌詞にもいろいろなバージョンが
あるようですね。
 金鉱捜しの娘がアヒルを泳がせようとして池に落ちてしまうところまでは同じ
らしいんですが、歌い手がその妹と結ばれて一応ハッピーエンド(?)というのもあ
れば、父親が心痛の余り娘の後を追ってしまったという悲しい展開の場合もあり…
サウンドトラックの時は画面に気を取られてよく聴いてなかったのですが、どっち
だったのでしょう?
[1999年8月20日 10時5分38秒]

お名前: moro_dosanko   
 ヴィクター・マチュア氏は「荒野の決闘」以外は「サムソンとデリラ」が次ぎに出てくるほどで、
この4半世紀はなにも代表作が無いようですね。
 ノスタル爺 さんの質問ですが、『荒野の決闘』のサウンド・トラックは、見たことありません。
ミッチ・ミラー合唱団などたくさんのコーラスのカバーはありますが、オリジナルは聞いたことありません。
あの西部劇好きのドイツ(オリジナルの音源を好んでいる)からも出ていないのでないのでしょう。
同じような状況は「黄色いリボン」もそうですね。
ヴィクター・ヤングの「リオ・グランデの砦」はサントラがあってCD盤もありますが。
[1999年8月16日 12時50分9秒]

お名前: ノスタル爺   
 タイトルが素晴らしいですね。“愛しのクレメンタイン”の哀愁を帯びたコーラス
とともに、棒杭に乱暴に打ちつけられた一枚一枚の板に焼き付けられたタイトルを、
交互に、立て移動しながら見せてくれるんです。
 タイトルに流れる曲は、“愛しのクレメンタイン”のコーラスから、中途で転調して
フォーク・ダンスの曲となり、次いで“テン・サウザンド・キャトル”に変わり、
最後に再び“愛しのクレメンタイン”になるんですよね。
 “テン・サウザンド・キャトル”は、劇中でもチワワのリンダ・ダーネルが
歌っています。
 『荒野の決闘』のサウンド・トラックってあるんでしょうか。

“愛しのクレメンタイン”は、1849年頃西部で流行したそうです。
フォーティ・ナイナーの歌といわれてますが、作者ははっきりしていません。
著作権者としては、1883年にパーシー・モントローズが登録しているそうです。
[1999年8月15日 21時48分16秒]

お名前: ノスタル爺   
 ヴィクター・マチュアが亡くなり(享年86歳)、ドク・ホリデーに注目して
『荒野の決闘』のビデオ(フォックスビデオ)で見てみました。
 この映画、今まで何回見ただろう。
 最初に見たのが中学生の時のリバイバル上映。題名も『荒野の決斗』でした。
フィルムもブルーに染色されたものでしたね。オリジナルフィルムはTV局に売られて
存在せず、この時公開されたのはイタリア向けのフィルムで、プリント状態が悪かった
ため、このような処理がされたという話でした。
 今回見たビデオは、白黒の画像がきれいで、再生処理でも施されたのでしょうか。

 今回初めて気づいたこと。
 ドクが護衛として乗り込む駅馬車は、ウエルズ・ファーゴの輸送馬車だったですね。
ドクを追って、アープが馬を替える中継所が“WellsFargo Corral”でした。
 峠でアープがドクに追いついた時、駅馬車の馭者が、前のショットの馭者と
代わっていました。
 こんなことに気づくなんて、ビデオってこわいですね。
[1999年8月15日 20時41分2秒]

※この作品についての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL

半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。  ※適当に改行をしてください。

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