西部劇タイトル:シェナンドー河 


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お名前: ウエイン命   
マクラグレンは最初に注目された「マクリントック」でもフォードっぽい大らかさが好意
を以って評価されていたと記憶していますが、更に手腕の確かさを立証したのがこの映画
ですよね。と同時に、彼が確実にフォードタッチを継承している「フォードの後継者」で
あることを世間が認識した1作でもありました。末っ子の捜索行の途中雷雨にあって廃屋
に避難する辺りの情感溢れる描写など、知らずに観るとフォード作品かと思ってしまいそ
うでした。W・クローシアのカメラもいつもの鮮やかさを心持ち抑えた色調で詩情豊かな
画面を作り上げてましたよね。
ところで、マクラグレン自身は「フォードの後継者」と呼ばれることをどう思っていたん
でしょうかね。尤も、アメリカでもそう呼ばれてたのかどうかは知らないので勝手な想像
に過ぎませんが、振り返って見ると、どうも本人は余りよしとしていなかったんじゃない
かと云う気がするんですがどうでしょう。フォードっぽいシーンやジョークは随所に出て
きますが、今思うと作品全体の雰囲気から「フォード」を感じたことはなかったような気
がします。「フォード一家」のメンバーがそのまま出ていることがフォード映画を彷彿と
させる最大の要因だったのではないかとさえ思えます。但し、それもこの「シェナンドー
河」までで、次の「大西部への道」から以降の作品を観ると、むしろ意識的にそこから脱
却しようとしているような気すらしますね。「グリーン・ベイ」さんのご指摘にあるとお
り「バンドレロ」などはその典型で、その後の「大いなる男たち」「チザム」などになる
と、フォードの香りを感じさせるのはもはや我がウェインとB・ジョンソン以外殆どなく
なってしまいました。
ただまことに皮肉なのはこの辺りからマクラグレン作品が急速に精彩を欠いていったと云
うことです。彼の作品中「佳作」と評されたものはすべて前半に集中しています。「ビッ
グ・ケーヒル」「大いなる決闘」と往年のマクラグレンを知る者にとっては明らかな凡打
が続きましたし、これ以降は西部劇すら撮ってないですよね。よく云えば自分自身の作風
を模索していた、悪く云えば迷走していたように思えます。「フォードの後継者であって
欲しい」と云うのは、我々の勝手な希望で、芸術家あるいは創作家として、誰かの作風に
そっくりと云われることは確かに耐え難いことなのかも知れません。その「誰か」が例え
「神様」であってもです。残念ながら「フォード映画」はフォードと共に逝ってしまった
んだなーと今になって思います。「フォードの詩情」はフォードだけのもので、しかも意
図的なものでない以上、誰かが継承できるものではないでしょう。
読んでいただいた方には本当に申しわけありませんが、最初にお断りしたとおり、マクラ
グレン監督の心情はすべて私の想像です。この「シェナンドー河」を観た時の感動と、必
ずしも期待通りに行かなかった「その後」に対する軽い失望が、私にチョッピリ複雑な思
いを抱かせたと云うことになるでしょうか。
[2007年10月10日 22時28分7秒]

お名前: 還暦少年   
bsで放映あり、どなたか書き込みがと思ったのですがありませんでしたね。久しぶりに
見ましたので、ああこんなだった、と懐かしい気持ちで。つらい話ででも良い映画ですね。シェナンドウー河の曲はぴったりでとても良い。戦争と家族について、自分を守るとはどういうことか。今公式に声高に論じられている問題の原点ですよね。時代は違い状況はまるで違うとはいえ、否応なくなにかに巻き込まれていく時、本当にどうすれば良いのでしょうか。ラストの教会に足をひきずって息子が帰ってくるところは良く覚えていました。映画館で観た時はまだ学生だったのですが、親として観るとこのラストしかないと思います。
[2003年6月20日 2時16分6秒]

お名前: グリーンベイ   
 ノスタル爺さん・・・今晩は・・。グリーンベイです。何時もご指導有り難う御座います。
 この作品に対するノスタル爺さんの評価に全く異存有りません。私の映画の背景には、往年
 のフランス映画が強く影響してまして、ハッピーエンドはいかにもアメリカ的と思わなくも
 ないのです。しかし、西部劇はアメリカが誇る文化財のようなもので、ハリウッドの代表的
 エンタテイメントなわけです。そのバックボーンはアメリカ人が西へ西へと発展していった
 力強いフロンチア精神であったことを考えれば、ハリウッド西部劇は、分かりやすく痛快で
 あることが第一条件であるようにも考えます。理屈抜きで面白いこと、すると、フォークス
 とスタージェスの二人が頂点だとの意見も真実性が増してきます。しかしながら、西部劇と
 て映画であることには変わりがない。映画は総合芸術です。人それぞれで、いろんな見方、
 楽しみ方があって良い。理屈無く面白いことが条件となると、この作品などは西部劇でない
 ことになりますね。J・ウエインが死んで西部劇の一つの時代は終わった。とする見方もあ
 ります。おもえば、西部劇にも幾つかの変遷がありました。正統派西部劇のエポックから
 マカロニの時代を経て、ニューシネマ・ウエスタンの時代、そして新しい西部劇の時代を
 期待したが無理なようです。私が胸躍らした西部劇。「オクラホマ・キッド」「拳銃の町」
 「スポイラース」等々の作品には、若い世代には、もう受けいられないでしょうが、こんな
 西部劇が原点となって、数々の作品の集積を以て現在に至ってる人間には、西部劇は西部劇
 として連綿と生き続けるものと確信している。 
[2001年2月11日 23時39分53秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 グリーンベイさん、こんばんは。
 ラストを悲劇に終わらせると、反戦思想はもっと強烈になったかもしれませんね。
 ただ、私の持論として、映画は娯楽だと思っています。
 西部劇は映画の中でも娯楽性の高いジャンルなので、実話ならともかく、やはり
ハッピーエンドで終わって欲しいですよね。
 末っ子を捜す旅に出て、息子の一人が殺され、帰ってみたら長男夫婦も北軍ゲリラに
殺されている。これで、末っ子も戻ってこないとなると救われませんよ。
 それと、この作品が製作された1965年はベトナム戦争が泥沼状態の時でしょう。
 子どもをベトナムに送り出している親にとって、映画の中だけでも帰ってきてもらい
たいと思うのではないでしょうか。
 J・フォードは、その時代その時代の国民感情にマッチした映画作りをしています。
 マクラグレンがフォードの後継者といわれる所以をこの作品にみた気がします。
[2001年2月11日 18時35分37秒]

お名前: グリーンベイ   
 ノスタル爺さん・・・今日は。昨日「シェナンドー河」を再見しました。批評はmoro
 dosankoさんやノスタル爺さんの書き込みの通りです。そこで私の感想を二三述べて
 みます。まず一口に云ってテーマとして全編に反戦思想が色濃く貫かれていること。
 そして主役のJ・スチュアートが、J・フオード、A・マン監督作品や西部劇以外にも多く
 出ていますが、この作品ほど、大きい、男らしい、存在感のある彼を見たことがない。また
 キャサリン・ロスが映画デビューを果たしている。とても新鮮。そしてパトリック・ウエ
 インも出ていますが、監督はフオード監督を意識しているシーンが見られました。A・V・
 マクラグレン監督は、V・マクラグレンの息子ですよね・・・。幸福な大家族に次々と戦争
 による不幸な事件が襲うわけですが、全編、主題歌「シェナンドー河」が心を縫うように、
 美しく、時にもの悲しく流れます・・・・。16歳末息子が、川に流れる南軍の帽子を拾っ
 ばっかりに・・・・・。ノスタル爺さんは、ラストに、その息子が教会に戻ってくることで
 救われたと御座いますが・・・。私は戻らなかった方が映画としては、より内容を深めたの
 ではと思ってますが、如何でしょうか・・。そこがアメリカ映画だよと来そうですね。 
 いずれにても、見応えのある傑作の一本です。
[2001年2月11日 16時0分0秒]

お名前: グリーンベイ   
 ノスタル爺さん・・・・レス有り難う御座います。
 「シェナンドー河」の歌について、ラジオでもトミー・藤山が話してましたが、これは昔の
 民謡であると・・・。彼女の歌はロレッタ・リンばりの独特のバイブレーションで歌うバラ
 ードは、深夜ベッドの中で「生きているって素晴らしい」と感嘆した次第です。早速彼女の
 CDを探そうと思っています。大フアンになりました。
[2001年2月11日 0時7分17秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 グリーンベイさん、こんばんは
 この映画の主題歌でもある「シェナンドー」は、相当昔の歌のようですね。
 私は、ついこの前知ったばかりなんですが、1830年代から歌われていたようです。
 LP「西部開拓史」の曲目解説によると、ミズーリ河の舟唄で、シェナンドーという
インディアンの娘に恋をした、商人の愛のバラードとあります。
 “おー、シェナンドー、君の声がききたい
  私は波のさかまくミズーリ河を越えて去らねばならぬ……”
[2001年2月10日 22時29分31秒]

お名前: グリーンベイ   
 ノスタル爺さん・・・今晩は・・。
 この「シェナンドー河」を見てジェームス・スチュアートを好きになりました。懐かしい
 思い出が蘇ってきます。実は先週の木曜日、NHKラジオ深夜便(夜中の1時台)に、ウ
 エスタン歌手トミー・藤山が、生出演してカンツリーウエスタンを何曲か聴かせてくれま
 した。このトミー・藤山は、彼女独特の味がありますよね。オープニングに「ハイヌーン」
 でした。女性歌手の「ハイヌーン」も良かったですが、最後の曲「シェナンドー河」は、
 彼女の最も好きな曲だそうですが、これ又、心に浸みるものでした。東京では、まだ往年の
 カンツリーウエスタン歌手が頑張っているようですね。先日、寺本圭一が、彼の周年記念で
 元気なところを見せていました。
 カンツリー・ウエスタンの名曲が多い中、この「シェナンドー河」は名曲中の一曲だと思っ
 ています。
[2001年2月9日 23時16分49秒]

お名前: ノスタル爺    URL
 『楽園をください』を観ていて思い出したのが、この『シェナンドー河』でした。
 同じ戦争の悲劇を描いていても、『楽園をください』が恋と友情をからめた青春映画で
あったのに対し、『シェナンドー河』は真正面から家族を襲った戦争の悲劇を描いていま
したね。戦争(それも内戦)において中立という立場を貫く難しさ、同一国内に住んで
る隣同士だけに悲劇性が増します。
 定石通りなのですが、末っ子が傷つきながらも家族のもとに帰ってくるラストは、
観ている人の心をホッとさせてくれました。
[2001年2月8日 21時43分40秒]

お名前: moro_dosanko   
アンドリュー・V・マクラグレン監督作品で、人によりベトナム戦争反戦映画と解釈する人や、約束の地を頑なに守ろうと言う原アメリカ人を画いた作品という説もあります。
南北戦争中に南軍にも北軍にもつかずに土地を守ろうという農夫(J・スチュアート)の末の息子が誤って北軍に連れ去られ、その子を救出使用とする間に家族に理不尽な死が訪れてしまう。
最初ににぎやかだった食卓のメンバーが半減し、農夫が末息子が生まれる際に無くなったマーサという妻の墓前で語りかけるシーンは、特に父親という立場の人は涙なしでは見れません。
ストーリー的には、やや都合の良いところもありますが、物音に怯えた若い南軍兵士に意味無く次男が殺された時のスチュアートが、その場で殺そうとして行方不明の息子と年が変わらないのを見て、
「生き続けて、子供を産め、そして、その息子が殺されて、俺の立場を理解しろ」に近い呪いの言葉に近い怒りをぶつけるシーンは、普段のスチュアートの役に見られない印象的シーンです。
[1999年7月26日 23時14分19秒]

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