作品名: 正午から3時まで -


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お名前: ミチノク・キッド   
この映画はチャールズ・ブロンソンとジル・アイアランドのプライベートフィルムか?
と、思ったシーンもありましたが、結果は十分楽しめた作品でした。
異色西部劇ということで、最初は心配しながら視聴し始めましたが、このような西部劇もアリだと
思います。ブロンソン・ファンは必見の一本と思います。

チャールズ・ブロンソンに手玉に取られて、ベッドでジル・アイアランドがブロンソンに迫る
シーンは、男性として羨ましくも思いましたが、いい思いをした分、その後のブロンソンは散々な
目に遭います。

3時間しか一緒にいなかったから、年月が経ち、再びジルの前に現れたブロンソンを見ても、
ジルは相手がブロンソンとは気付かない。ジルが出版した本同様にジルの記憶の中では
ブロンソンがどんどん美化されていて、本人を目の前にしても、判らない(映画だから、こういう
展開もオーケーか?)。世界中がブロンソンを美化しているため、ブロンソンは行く先々で、本名を
名乗ると馬鹿にされてしまう。

しかし、救いのないラストで終わってほしくはなかった。
ストーリー展開をちょっと変えて、
ブロンソンがジルと愛し合う→ブロンソン刑務所へ→ジルの本が大反響→ブロンソン出所→
→ブロンソン、行く先々で本名を名乗っても認めてもらえず、馬鹿にされる→ジルとの再会→
→ジルはブロンソンの〇●○で本人と気付くのではなく、別の展開でブロンソンと認める→
→チャップリンの「街の灯」的な展開でエンドマーク。
こんな展開の方が個人的には良いと思う。

本作は救いのないラスト、驚きの展開も結構ありますが、
全てにおいて、結局はチャールズ・ブロンソンに救われた作品と思います。
ブロンソンが主演でなければ、本作に興味を持たれない方って結構いると思います。
ブロンソン主演の西部劇ファンには、やはり貴重な作品です。
[2009年2月9日 11時51分45秒]

お名前: ノスタル爺   
実生活におけるチャールズ・ブロンソンとジル・アイアランドの仲良し夫婦ぶりを逆手にとった
ような皮肉タップリのおトボケ西部劇ですね。
伝説が形成される過程とその裏側に隠された真実の物語によって、巷間に伝えられている
西部劇の真実はこんなもんだよと、作者がほくそ笑んでいるのがわかります。
原作・脚色は『必殺の一弾』の原作・脚色で非凡なところを見せたフランク・D・ギルロイで、
この作品の成功は全て物語の面白さにありますね。
ただ、自ら監督せずに、バート・ケネディあたりが演出していれば、もっと洒落っ気のある
コメディに仕上がっていたと思いますけど。
音楽はエルマー・バーンスタインで、主題歌の「ハロー・アンド・グッドバイ」はジル・アイアランド
が歌っています。
[2004年12月12日 7時44分38秒]

お名前: 鳴海昌平   
1976年作品。チャールズ・ブロンソン主演のウエスタン。それも妻のジル・アイアランドとの
共演でなんだか適当な映画だろ、と思って見始めたところ、その展開のエグさにノケゾリまくった。
あまりに奇妙なお話なので書いてみたい。
ブロンソンはグラハム・ドーシーという悪漢で今日も強盗などを行い逃亡中。そんなグラハムが
ジル・アイアランド演じるアマンダという郊外に住む未亡人宅に逃げ込むのだが、なぜかアマンダ
はこの悪漢を受け入れ、二人は3時間という短い間だが愛し合うことになる。だが長居は禁物と
グラハムはとっとと逃げ去るのだが、この短いながら充実した愛の時間がアマンダには生涯の思い出
となる。グラハムは逃亡中、歯医者と衣服を交換させ、カモフラージュをはかるが、ところがこの歯医者
はヤブのニセ医者でグラハムは逮捕され、ニセ医者はグラハムと間違われて撃ち殺されてしまう。
アマンダは悪漢と寝た女だと噂され、陰湿な嫌がらせを受けるのだが、しかしこれにアマンダが怒った。
町へ出てアマンダは大演説をぶちかまし「確かにあの人は」でした。しかし私たちが愛しあったのは
たった3時間ですが、本当に深く愛し合ったのです!!」とやった。すると町の人たちはジーンと
きてしまい感動してしまい、おまけに演説を聞いていた出版社からアマンダに本を出す話まできてしまうと
事態は怒涛の急展開!そのアマンダはあのブロンソンを「グラハムはハンサムで背が高く・・・・」と捏造
キャラをしてしまい、おまけに出した本は感動の大ベストセラーとなり、アマンダが歌う「愛は永遠というけれど、つかの間に燃えた二人の愛」(笑)なんていい加減な歌まで大ブレイク!アマンダの屋敷も観光地になってしまうのだ。そのころ刑務所を出てきたブロンソンはこの急展開を見てビックリ。驚いてアマンダ
のところへいくが、彼を見たアマンダは「あなたなんか知らないわ、グラハムじゃない!」と言い出す。
なんと彼女は自分の作った虚構の美化したグラハム像にハマるあまり、本当のグラハムの顔を忘れてしまっていたのだ。言い寄るブロンソンだが、アマンダはガンとしてきかない。埒があかないので、ブロンソンは
「それじゃあ本に書いてないことを教えてやるぜ!」
となんとズボンとパンツを脱いでアマンダの前に立ち尽くすとアマンダ、
「まああなただったのね!」(なんちゅー展開!)。だがアマンダは自分の作り上げた虚構の美化したグラハム像を捨てられず、自殺!ブロンソンはビビって逃げ出す。
だが本当のグラハム=ブロンソンはその後昔の悪仲間にあっても誰も彼をグラハムだと信じてくれない。
なんと皆が伝説にハマってしまって彼の課を忘れていたのだ。本は芝居にもなっていて、グラハム役は
ブロンソンとは似ても似つかぬハンサムがやっている。ブロンソンは芝居を妨害し「こんなものインチキだ」と暴れまわり、町でも暴れ、とうとう精神病院へ入れられる。
だが彼がグラハム・ドーシーだと、ここでの狂人たちだけが信じてくれた。そのことで彼は笑顔を取り戻し
見事に精神病院の住人となり、ここが安住の地になってしまうというコワイオチでエンドとなるのであった。これはまるでカフカかJGバラードだ。当時はあまりにもスゴイ話すぎて時代がついてこれなかったが
21世紀の今こそ、このシュールレアリズム的な狂気に満ちたスクリューボールSF西部劇をリスペクトすべきである。製作・脚本・監督はフランクDギルロイ、音楽はエルマー・バーンスタインが担当している。
隠れ珍作??いや名作西部劇なのである。
[2002年1月22日 18時34分48秒]

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