GLN 宗教を読む

法華経

◆10.法師品
今まで二乗(小乗)と呼ばれ、仏には成れないとされていた人々が次々にこの法華経に於いて仏になれるという証明をお釈迦さまから授かりました。これを二乗作仏といいます。この二乗作仏は法華経がすぐれているということの大変重要な点です。この法師品ではまず、法華経のすばらしさが説かれています。「もし私の滅後の法華経の一句一偈をきいて一念にも随喜する者がいたならばその人は悟りを得ることが出来るであろう。一人の為にも法華経のたとえ一句一偈でも説く者がいたならその人は仏の使いである。」この他にもいろいろ法華経を信じ行ずることのすばらしさがくりかえし説かれました。では法華経を信じ行ずるとはどういうことなのでしょうか。一つに受持(信じたもつこと)、二つに読(一々の文字を読むこと)、三つに誦(声を出して文章を通読すること)、四つに解説(他の為に説くと)、五つに書写(書き写し世にひろめること)以上五つの種類があります。これを五種法師といいます。この中で一番重要なのは受持の行でこれを正行といいます。他の四つはこの正行を助けるものとして助行といいます。日蓮聖人は正行である受持の行とは南無妙法蓮華経と唱えることであると説かれました。南無とは受持するという信力念力を意味することばです。お釈迦さまの滅後にたとえ一人のためにでも、法華経のことを一句だけでも説いたとすれば、その人は如来の使いであり、すばらしい功徳のそなわっている人である。出家であろうと在家であろうとこの教えを受持すれば悟りに至る功徳がそなわる。お釈迦さまの滅後にこの教えを説こうと思えば、そこに変化(へんげ)の人を使わし、法を聞くように人々を集めるであろう。又さみしい、人のいない所ならば、天竜鬼神等の人間以外のものをつかわして法を聞くようにするだろう。もちろんその人に危害を加えるような事があれば即座に守護するであろうと、説かれています。それ程にこの教えは弘め伝えていかなければならないのです。素晴しい教えは自分だけが知って幸福になれば良いというのではなく、素晴らしいからこそ、迷える人々に弘めなくてはなりません。これを大乗精神といいます。仏さまの慈悲に通じるものです。教えを説く人を法師といいますが、この法師たるものはそれだけの自覚と、どんなに苦しいことがあっても必ずこの教えを弘めるのだという覚悟が必要なのです。それでこそお釈迦さまは変化の人をつかわしてまでいろいろ守ってくださるわけです。

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