GLN 宗教を読む

聖書の起源

◆申命記の信仰告白
 こうした関連において、旧約聖書申命記二六章にしるされた美しい祭儀神話に、 ふれておかなければならない。 ラートによると、それは本来、モーセ六書中でも最古の 「土地取得伝承」に属し、過越の祭り、あるいは収穫祭に、人々によって朗読されたものだという。 その古式で、簡潔な告白の中に、われわれは、 契約宗教としてのイスラエル宗教の精髄をみることができる。 その一節を引用しよう。
「わたしの先祖は、さすらいの一アラブびとでありましたが、 わずかの人を連れてエジプトへ下っていって、その所に寄留し、 ついにそこで大きく、強い、人数の多い国民になりました。 ところがエジプトびとは、われわれをしえたげ、また悩まして、つらい労役を負わせましたが、 われわれが先祖たちの神、主に叫んだので、主はわれわれの声を聞き、われわれの悩みと、 骨折りと、しえたげとを顧み、主は強い手と、伸べた腕と、大いなる恐るべき事と、 しるしと不思議とをもって、われわれをエジプトから導き出し、われわれをこの所へ連れてきて、 乳と蜜の流れるこの地をわれわれに賜わりました。主よ、ごらんください。 あなたがわたしに賜わった地の実の初物をいま携えてきました」(申命記二六・五−一○)。
 
 ここには自己の歴史にめざめ、神の聖なる民として、自己解放をなしとげた民族の誇りが、 生き生きと力強くうたいあげられている。ラートは、これを申命記の信仰告白とよんでいる (G・ラート『旧約聖書の様式史的研究』一九六九)。
 カナン侵入後、農耕民となったイスラエルの民は、祭りの日に、野の収穫物を携えて聖所に集まり、 それを祭壇に供えて、右の言葉を朗読諭した。主題は神の救いであり、恵みであるが、 それは具体的な「土地取得」が成就したことにおいて、はじめて明確化される。 それは、旧約聖書六書の全思想の圧縮であった。創世記も、出エジプト記も、ヨシュア記も、 ひっきょう、この告白の展開にすぎない。
 
* 告白をつらぬく救いの歴史
 告白をつらぬく強力な「救済史観」は、創世記冒頭の創造物語をつらぬき、 アブラハムの物語をつらぬき、モーセ十戒をつらぬき、 詳細な祭儀規定の集成であるレビ記をも貫通している。 人々は祭りのたびに、ヤハウェの聖所に詣で、この信仰告白を朗読し、 祭りの頂点において示される神のおごそかな意志を聴き、律法遵守を心に誓い、 再び故郷に帰っていった。
 こうした祭りの反復の中で、イスラエルの過去は、イスラエルの現在と手を結び、 現在はイスラエルを未来にむかって指さすものとなった。 まさにこのような意味において、申命記の信仰告白は、イスラエル宗教の精髄を伝える、 祭儀神話の典型を示しているということができる。

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