GLN 宗教を読む

聖書の起源

◆寄留者の倫理
* 遊牧生活から農耕生活へ
 ところで古代社会における農耕民や遊牧民の生活は、変化にたいして、 想像以上に固定的な、いわば伝統指向的性格によって支配されていたとみることができる。 このことは、旧約聖書を理解する場合、とくに重要な鍵となる。
 
 さて問題は、こうした状況において、アブラハムが、彼の一族と共に開始した行動は、 どのように理解されねばならないか、ということにある。 そこには明らかに、変化への志向がある。伝統的パターンからの逸脱がある。 それはどのようにして起こったのであろうか。 すでに先にも述べたように、この変化への志向は、 遊牧、移動の生活から定住農耕生活をめざす生活形態への転換であった。 これが、どのような仕方で起こったか。 聖書には、いっさいその説明がない。あるのはアブラハムにのぞんだ、神の声だけである。 アブラハムは、ただ神の声に従った。
 
* 寄留者の倫理は敗者の倫理
 アブラハムは、イスラエルの歴史における、そうしためざめた人間、 伝統志向の殻を破った最初の人間ではなかったか。 こうしためざめのなかで、彼は親族に別れ、父の家を離れることができた。 こうしためざめのなかで、彼は、主が言われたように、 まだ見ぬ約束の地にむかって旅立つことができた。 しかも、特筆に価するのは、彼が侵略や略奪によらずに、正当な取引によって、 農耕民の仲間入りをしようとねがったことである。
 
 たしかに、神がアブラハムにむかって、「あなたを大いなる国民とし」、 「あなたの名を大きくしよう」(創世記)といわれたのは、彼の力が小さかったからにほかならない。 彼の旅立ちには、もっと大きな強い国民になろうとする願望があったはずである。 しかし、そうだとすると、アブラハムは弱者の倫理にしたがったということになる。 問題は、この弱者の倫理を、どこまで彼が貫徹できたか、ということである。 少なくともアブラハムの倫理は、その子イサク、そしてヤコブまでは確実に継がれていった。
 寄留者の倫理は弱者の倫理だったのである。創世記には、そうした挿話があふれている。 しかし、イサクからヤコブヘ、そしてヤコブの子たちの代になると、事情は次第に違ってくる。 寄留者でこそあれ、群れの数は大きくなり、奴隷の数も増大して、 すでに他部族を脅かすほどの、勢力になりつつあったからである。

* シケムの町の殺りく
 
ゴセンと推定される地域 * ゴセンの地へ移動する
 ゴセンの地が正確にどこかはわからない。 おそらくナイル河口に近い東部デルタの牧草地帯であったろう。 こうした遊牧地を当時の都市国家は、都市周辺にもっていて、 牧草地を求めて移動する遊牧民に、期間を限って、寄留地としての使用を認めていたのである。 それは、乳製品と農産物との交換という商取引のためにも、必要であった。
 エジプトへくだったヤコブの群れは、一族だけで七十人に達する大家族であったという(創世記四)。 これだけの家族の生活を支えるにたる羊や牛や、家畜を扱う者たちや奴隷の数を加えると、 群れの数はどれだけの数になるのか。 しかし、どれほど大きな数になろうとも、彼らが寄留者であることにほ変りがない。 彼らはアブラハムがそうであったように、そしてイサクがそうであったように、 寄留者の倫理にしたがって、行動するほかなかったのである。
 
 やがて、ヤコブが年老いて、ついにエジプトの寄留先で死の床についたとき、 彼は、その子らをひとりひとり枕辺によんで祝福したのち、こう命じて息絶える。
「わたしはわが民に加えられようとしている。 あなたがたはへテびとエフロンの畑にあるほら穴に、わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください。 そのほら穴はカナンのマムレの東にあるマクペラの畑にあり、 アブラハムがへテびとエフロンから畑と共に買い取り、所有の墓地としたもので、 そこにアブラハムと妻サライとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、 わたしはまたそこにレアを葬った。 あの畑とその中にあるほら穴とはへテの人々から買ったものです」(創世記)。
 ヨセフは、父の顔に伏し、口づけして、泣いたという。 ヤコブの子らは、父の命じたとおりに、遺体をカナンの地に運び、 エフロンの畑のほら穴に葬った(創世記)。
 
* 寄留者的生活を条件づけるもの
 アブラハムからイサクを経て、ヤコブに至る遍歴物語は、 スラエルの歴史を通じて族長史とよばれている。 それらはいずれも、民族の始源と由来を語る始祖物語の系譜に属する伝承であり、 神話と伝説の集成であった。 しかし、それにもかかわらず、伝承に流れる一貫した願望は、 アブラハムに流れを発する一群の小さな民が、いかなる状況から、 いかなる仕方で、歴史の表面に浮上してきたかを、興味深く伝えている。
 
 それは、二つの明白な輪郭をもって描きだされている。 一つは、彼らの放浪の旅は、終始一貫、「土地取得」の旅であったこと。 その二は、彼らが余儀なくしたがった寄留者の生活は、 砂漠の民ベドウィンとポリス的生活者との、ちょうど中間に位置していたことである。
 
* アブラハムの生き方
 アブラハムは伝承によると、羊のほかにラクダを飼ってはいたが、 ぶどう酒を口にせず、牧草地の使用権を認められた寄留者として、 オアシスからオアシスヘ、一族を連れて遍歴した。 伝承によれは、彼がはじめて取得したエフロンの畑は、 一族の墓地であったにすぎない。その子イサクも同様、彼の生涯も遍歴の人生であった。 彼もまた寄留地を求めてさまよい、ゲラルの地に天幕を張り、井戸を掘るのであるが、 しかし、幾度もその場所を変えねばならなかった。
 ヤコブは、本質的に天幕に住む家畜飼育者として伝えられている。 彼は、シケムに寄留者として居住したとき、幸運にも、 幕営地の一部を取得することに成功する(創世記)が、 しかし、彼が寄留者であったことには変りがない。 彼は、自らを「家畜を飼う牧者」として語っている。 そう語ることによって、確実に必要な牧草地を確保できることを、 彼は知っていたのである(創世記)。
 
* 土地取得から神との契約へ
 さて、われわれは、アブラハムにはじまる一大遍歴物語の始終をとおして、明瞭に、 ひとつの主題を読みとることができる。それは「土地取得」の主題である。 族長たちの遍歴物語は、構成上の複雑な曲折にもかかわらず、 全体として「土地取得」という、ただひとつの主題によって貫徹されているのである。 ここに、伝承の担い手、その製作者の意図がある。 創世記の最古の資料の結集は、ソロモン王の紀元前九五〇年頃、 まさに統一イスラエル王国の全盛期に相当する。 イスラエルが、パレスチナ全土を占領し、そこに王権を確立したその時期に、 イスラエル民族の起源を伝える始祖物語が、「土地取得」伝承として編集された。 物語の主題は、古代イスラエル民族がたどった遊牧民から農耕民への、 歴史的転換という社会学的事実と、正確に対応している。 砂漠のなかの寄留者の遍歴物語は、 そうした民族の幾世紀にもわたる行動の軌跡を伝えている。
 
 一方、この主題には、イスラエル民族のふたつにひきさかれた運命が暗示されている。 カインの物語は、その予徴であった。 神ののろいの結果、エデンの東に追放された農耕者カインは、 砂漠から沃地への脱出をはかるイスラエルそのものであった。 問題は、カインにたいする神ののろいである。 大地に流されたアベルの血ののろいから、未来永劫逃れることのできないカイン。 このカインにたいするのろいには、伝統的な遊牧文化を否定し、 その破壊者となった農耕文化にたいする断罪のひびきがある。 こののろわれたカインの血から、いかにしてイスラエルは自由に解放されることができるか。
 聖書記者は、そのために、大洪永を用意した。しかし、生き残った義人ノアの血に、 カインの血が流れている事実は動かない。 罪の問題は、イスラエル民族をゆるがす根本問題として、 すでに予見されているのである。 問題は、いかにして、神との間に「和解」を、取り戻すことができるかにかかっている。 このようにして、神との「契約」の問題が、イスラエル民族の運命をうらなう、かなめ石となった。
 
 相対する者、また敵対する者、或いは勝者があっての、 イスラエル民族(敗者)の考え方、即ち、(自分たちだけの)を戴くことによって、 相手を打ち破ろう〜勝者になろう、とする思想哲学が生まれたものと考えられよう。 強い相手が存在することによって始めて効力を生ずる……、 換言すれば、「幼い時から悪い」立場の人間に適用される……。 と云うことは、既に勝者となったときは、 この思想哲学はどのように評価され、変遷してゆくのであろうか。 未来に向って、止むことなく”相手”を探し(敵を求め)ながら突き進むのであろうか。

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