GLN 宗教を読む

宗教を読む / 導入

◆方便
 ”嘘も方便”とは、「事をうまく運ぶためには、一つの手段として時には嘘が必要なこともある。」 です。
 
 方便(ほうべん)とは、 「(1)ある目的を達するため便宜的に用いられる手段。てだて。 (2)〔仏〕〔梵 upya〕(ア)仏が衆生を教化・救済するために用いるさまざまな方法。 (イ)真実の教えに至る前段階として教化される側の、宗教的能力に応じて説かれた教え。」 (以上、goo 辞書)です。
 「法華経」には、いろいろな方便の仕方が盛られています。
 〔<仏典関係>のページ参照〕
 
 社会一般に通用する「方便」とは、 前述「(1)ある目的を達するため便宜的に用いられる手段。てだて。」のことです。 方便には、誇張や虚偽、不正は絶対に許されません。 しかし、「法華経」を読む限りにおいては、私共が理解しにくい、 あるいは納得しにくい方便が沢山あります。
 〔法華経/方便品の項参照〕
 一体、どうしてなのでしょうか。
 
 法華経の中で説かれる釈迦とは、 実は久遠実成の釈迦であると云うこと(信じること)です。
 久遠実成(くおんじつじょう)とは、 「〔仏〕法華経に基づく天台宗の仏身論。釈迦がこの世に出現して、 菩提樹の下で成仏したとするのは、仮に示された現象にすぎず、 本当は釈迦は永遠の過去から仏としての教化を行なってきたのだとする説。 釈迦が常住不変の仏であるとする説。それにならって阿弥陀仏の久遠実成を説くこともある。 久遠成実。久遠成道。久成正覚。」(goo 辞書)と云うことです。 つまり、釈迦のことを、神そのものとして認識することを意味します。
 〔法華経/如来寿量品の項参照〕
 
 このように「釈迦は神である」と信じますと、 神たる釈迦の言葉や行為には不正や虚偽がないことであり、 人々は安心してその指示に従うことになりましょう……。
 
* 正しい神・正しくない神
 神道には、正しい神も正しくない(悪い)神もおります。
 例えば、正しくない神(悪をする神)としては、八十禍津日神とか、大禍津日神などです。 個々人であっても集団であっても、お祓いをしていないと、 何時とはなしに悪神(禍神)が蔓延って、正常な行動を妨げるとされています。 また必要により神直日神や大直日神の神威によって、禍神は抑え付けられますが、 完全に退散したり消滅したりはしません。 換言すれば、人間の腸内に潜む”悪玉菌”のようなものです。
 
* 祝詞(のりと)
 ご案内のように、神道には教義も教典もありません。 しかし、神道は宗教である、と云うことを示す(証明する)ものに、祝詞があります。
 
 祝詞は、氏子崇敬者(信者や参拝者)に代わって(代表して)、 宮司(又は神職)が神前に申し上げる文書です。
 文言は、古文書風でも、万葉仮名風でも、現代文風でも構いませんが、 普通は、古語風な文言で作文し、それを万葉仮名混じりの漢字で筆書きします。 出来るだけ一枚の紙にまとまるように書き、万一用紙が足りなくなったら、糊で継ぎ足して補います。 祝詞は”七折れ半”に畳んで懐中に納め、神前で開いて、 微音(出来れば後方に参列している氏子崇敬者にも聞こえるような程度の声)で奏します。
 
* 祝詞の体裁(構成)
一、起首章句 − ○○神の前で何某が申し上げます。
二、由縁(神徳・感謝など)章句 − 神恩感謝、祝詞の目的など。
三、献供章句 − 初物などを献納。
四、祈願章句 − 祈願内容。
五、祝頌章句 − 神祇・国家・天皇・国民・氏子崇敬者(取捨選択)を祝福・頌讃。
六、結尾章句 − 以上のとおり申し上げます。
祝詞(例)の項参照〕

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