GLN 武士道

1 道徳体系としての武士道

 武士道(シヴァリー)はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。 それは古代の徳が乾からびた標本となって、我が国の歴史のサク葉(押し葉)集中に 保存せられているのではない。それは今なお我々の間におけるカと美との活ける対象である。 それはなんら手に触れうべき形態を取らないけれども、それにかかわらず道徳的雰囲気を香らせ、 我々をして今なおその力強き支配のもとにあるを自覚せしめる。 それを生みかつ育てた社会状態は消え失せて既に久しい。 しかし昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、 封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、 今なお我々の道徳の道を照らしている。ヨーロッパにおいてこれと姉妹たる騎士道が 死して顧みられざりし時、びとりバークはその棺の上にかの周知の感動すべき讃辞を発した。 いま彼れバークの国語〔英語〕をもってこの問題についての考察を述べることは、 私の愉快とするところである。
 ……
 戦闘におけるフェア・プレイ! 野蛮と小児らしさのこの原始的なる感覚のうちに、 甚だ豊かなる道徳の萌芽が存している。これはあらゆる文武の徳の根本ではないか?  「小さい子をいじめず、大きな子に背を向けなかった者、という名を後に残したい」と言った、 小イギリス人トム・ブラウンの子供らしい願いを聞いて我々はほほえむ (あたかも我々がそんな願いをいだく年輩を通り過ぎてしまったかのように!)。 けれどもこの願いこそ、その上に偉大なる規模の道徳的建築を建てうべき隅の首石(おやいし) であることを、誰か知らないであろうか。最も柔和でありかつ最も平和を愛する宗教でさえ この願求を裏書きすると私が言えば、それは言い過ぎであろうか。トムの願いの基礎の上に、 イギリスの偉大は大半打ち建てられたのである。しかして武士道の立つ礎石も これより小なるものでなきことを、我々はやがて発見するであろう。 友教徒(クエイカーズ)の正しく証明するごとく、戦闘そのものは攻撃的にせよ防禦的にせよ 蛮的であり不正であるとしても、我々はなおレッシングと共に言いうる、 「我らは知る、欠点いかに大であるともそれから徳が起こる」と。 「卑劣」といい「臆病」というは、健全にして単純なる性質の者に対する最悪の侮辱の言葉である。 少年はこの観念をもって生涯を始める。武士もまた然り。しかしながら生涯がより大となり、 その関係が多方面となるや、初期の信念はおのれを是認し、満足し、発展せしむるため、 より高き権威ならびにより合理的なる淵源による確認を求める。 もし戦闘の規律が行なわれただけであって、より高き道徳の支持を受けることがなかったとすれば、 武士の理想は武士道に遥か及ばざるものに堕したであろう。ヨーロッパにおいてはキリスト教が、 その解釈上騎士道に都合のよき譲歩を認めたにかかわらず、これに霊的素材を注入した。 「宗教と戦争と名誉は、完全なるキリスト教武士の三つの魂である」とラマルティーヌは言っている。 日本においても武士道の淵源たるものが幾つかあったのである。

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