△古事記 上巻 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
 
 さて、海神の娘、豊玉毘売命は(夫の許へ)自ら参上して申し上げるには、
「私は早くから妊娠しているので、今産むべきときになった。このときになって、天神 の御子は海原で産むことは出来ません。それ故に参上したのである」
と申し上げた。
 すぐにその海辺の波打ち際に、鵜の羽を屋根にして産屋を造った。しかしその産屋の 屋根が未だ葺き終わらないのに、出産が迫って耐えられなくなったために、(豊玉毘売 は)産室にお入りになった。そしていよいよお産みになさろうとするときに、その日子 (ひこぢ、火遠理命)に申し上げるには、
「総ての異郷の人は、産むときになったら、本(もと)の姿になって子を産むのであ る。であるから私も本の姿になって出産する。私を決して見ないで下さい」
と申し上げた。
 
 (火遠理命は)その言葉を不思議だと思われて、そのいよいよ出産の最中を密かに覗 き見されると、八尋の鮫に変身して、腹ばいに這い廻っていた。それを見驚いて恐れ、 遠くへ逃げられてしまった。
 そこで、豊玉毘売命は(火遠理命が)覗き見したことを知って、大層恥ずかしく思わ れて、その御子を生み残して、
「私は、ずっと海の道を通って、この国と往来しようと思っていたが、私の姿を覗き見 されたことは、本当に恥ずかしいことである」
と申して、すぐに海界を塞いで、(海中に)帰り入られた。
 
 さて、お産みになった御子の御名を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(あまつひこ ひこなぎさたけうかやふきあへず)の命と申す。
 しかしその後は、(豊玉毘売は)覗き見された心をお恨みになりながらも、恋しさに 耐えられなくなって、その御子をご養育すると云う理由で、妹の玉依毘売(たまよりび め)に託して、歌を献上された。その歌は、
赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装ひし 貴くありけり
 
そこでその日古遅(ひこぢ、火遠理命)が答えられた御歌、
沖つ島 鴨どく鳥に わが率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに
 
 さて、日子穂穂手見命は、高千穂宮に五百八十年お出でになった。御陵(みはか)は、 高千穂山の西にある。
 この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命が、その叔母玉依毘売命を妻にしてお生みに なった御子の御名は、五瀬(いつせ)の命、次に稲泳(いなひ)の命、次に御毛沼(み けぬ)の命、次に若御毛沼(わかみけぬ)の命、亦の御名は豊御毛沼(とよみけぬ)の 命、亦の御名は、神倭伊波礼毘古(かむやまといはれびこ)の命である(四柱)。
 御毛沼命は波の穂を踏んで常世の国にお渡りになり、稲泳命は母の国として海原にお入 りになった。
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