△古事記 中巻 品陀和気天皇(応神天皇)
 
〈系譜〉
 また、この品陀天皇(応神天皇)の御子の若野毛二俣王が、その母の妹、百師木伊呂 弁(ももしきいろべ)、亦の名は弟日売真若比売(おとひめまわかひめ)の命を娶って お生みになった御子は、大郎子(おほいらつこ)、亦の名は意富富杼(おほほど)の王、 次に忍坂之大中津比売(おさかのおほなかつひめ)の命、次に田井之中比売(たゐのな かつひめ)、次に田宮之中比売(たみやのなかつひめ)、次に藤原之琴節(ふぢはらの ことふし)の郎女、次に取売(とりめ)の王、次に沙禰(さね)の王である(七柱)。
 
 そして、意富富杼王は、三国君・波多君・息長君・坂田の酒人(さかびと)の君・山道君・ 筑紫の米多(めた)の君・布勢(ふせ)の君たちの祖先である。
 また、根鳥王が異母妹の三腹郎女を娶ってお生みになった御子は、中日子(なかつひ こ)の王、次に伊和島(いわじま)の王である(二柱)。
 また、堅石(かたしは)王の御子は久奴(くぬ)の王である。
 
 以上この品陀天皇は、御年は百三十歳である(甲午年の九月九日にお亡くなりになっ た)。御陵は、河内の恵我の裳伏(もふし)の岡にある。
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