△古事記 中巻 若帯日子天皇(成務天皇)
 
 若帯日子天皇は、近淡海(ちかつあふみ)の志賀の高穴穂(たかあなほ)の宮にお出 でになって、天下をお治めになった。
 この天皇が、穂積(ほづみ)の臣たちの祖先の建忍山垂根(たけおしやまたりね)の 娘、名は弟財郎女(おとたからのいらつめ)を娶ってお生みになった御子は、和訶奴気 (わかぬけ)の王である(一柱)。
 そして、建内(たけしうち)の宿禰を大臣(おほおみ)とされて、大国、小国の国造 を定められ、また国々の境界や、大県、小県の県主を定められた。
 
 天皇は、御年は九十五歳である(乙卯年の三月十五日にお亡くなりになった)。御陵 は、沙紀(さき)の多他那美(たたなみ)にある。
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