△古事記 下巻 大長谷若建天皇(雄略天皇)
 
〈一言主大神〉
 またある時、天皇が葛城山にお登りになったときに、百官の人たちが全て、紅い紐を つけた青摺りの衣服を賜って着ていた。その時に、その向こうの山の尾根伝いに、山の 上へ登る人がいた。様子は天皇の行幸の列と同じ形で、またその装束の形、また人々も よく似て分別出来なかった。そこで天皇は、遠望されて(従者に)尋ねさせて、
「この倭の国に、自分を差し置いて他には王は居ないのに、今誰がそのように行くのか」
と尋ねさせたところ、(向こうの人が)答えて申される状も、天皇のお言葉どおりであ った。
 
 そこで天皇はいたく怒って矢をつがえられ、官人たちも全部、矢をつがえたところ、 向こうの人たちも皆矢をつがえた。
 故に天皇は、また尋ねさせるには、
「それならば、その名を名乗るように。互いに名を名乗ってから矢を放そう」
と仰せになった。
 すると答えて申すには、
「自分がまず問われたので、自分がまず名乗ろう。自分は悪事(まがこと)も一言(ひ とこと)、善事(よごと)も一言に言いはなつ神、葛城之一言主(かづらきのひとこと ぬし)の大神である」
と申し上げた。
 
 ここに天皇は、かしこみ恐れて申し上げるには、
「恐れ多い。わが大神、宇都志意美(うつしおみ、人間の姿)で有られたとは、気づか なかった」
と申し上げて、太刀また弓矢を始めとして、百官の人たちの着る衣服を脱がせて、拝ん で献上した。すると、その一言主大神は、(お礼の)拍手を打って、献上物をお受け取 りになった。
 そこで天皇がお帰りになるときに、その大神は山の峰いっぱいに、長谷の山の入り口 までお送りした。
 故に、この一言主之大神は、その時にだけ出現なされた。
[次へ進む]  [バック]