△古事記 下巻 大雀天皇(仁徳天皇)
 
〈枯野の琴〉
 この御世に、菟寸河(とのきがは)の西に一本の高い木があった。その木の影は、朝 日に当たれば淡路島にまで及び、夕日に当たれば高安山(たかやすのやま)を越えた。
 それで、この木を切って船を作ったところ、大層速く走る船であった。当時はその船 を名づけて枯野(からぬ)と云った。
 そしてこの船で、朝夕に淡道島の清水を汲んで、大御水(おほみもひ)を献上した。
 この船が壊れたので(その材料で)塩を焼き、焼け残った木を取って琴を作ったとこ ろ、その音は七里(遠い里)まで響いた。そこで(当時の人の)歌に、
「枯野を 塩に焼き
しが余り 琴に作り
かき弾くや 由良の門の
門中の いくりに
ふれ立つ なづの木の さやさや」
 
 これは、志都歌の返歌である。
 この天皇は、御年八十三歳である(丁卯年の八月十五日にお亡くなりになった)。御 陵は、毛受(もず)の耳原にある。
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