△古事記 下巻 大雀天皇(仁徳天皇)
 
〈聖帝の御世〉
 この天皇の御世に、大后の石之日売命の御名代(みなしろ、名前の記念)として葛城 部を定められ、また太子の伊邪本和気命の御名代として壬生(みぶ)部を定められ、ま た、水歯別命の御名代として蝮(たぢひ)部を定められ、また大日下王の御名代として 大日下部を定められ、若日下部王の御名代として若日下部を定められた。
 また秦人(はだびと)を使って、茨田(まむた)の堤と茨田の三宅を作られ、また丸 邇(わに)の池・依網(よさみ)の池を作られ、また、難波の堀江(ほりえ、運河)を掘 って海に通し、また小橋の江を掘り、また墨江津(すみのえのつ)を定められた。
 
 さて、天皇が高い山に登り四方の国をご覧になって、仰せられるには、
「国の中に煙が立っていない。国は皆貧しい。故に、今から三年の間、全部の人々の課 役(みつぎえだち、税や労働)を免除せよ」
と仰せになった。  このために大殿(おほとの、皇居)が破れ壊れて、すっかり雨漏りしても、全く修理 されなかったので、器で漏る雨を受けて、漏らない所へ移って雨を避けたられた。
 後に国の中をご覧になったところ、国に煙が満ちていた。そこで人民が豊かになった と思われて、今度は課役を課せられた。
 このようにして、人民は栄えて労役に苦しむことはなかった。そこで、その御世を称 えて、聖帝之世(ひじりのみよ)と申す。
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