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[縄文遺跡の絆]


H16.10.02
△日本人の精神構造
 
 「弥生人の祖先霊信仰」によると、日本人たる縄文人と弥生人との基本的な違いは、 縄文人は「円の発想」、弥生人は「区分の発想」であると云う。
 「円の発想」は、「円環の思想」のことである。

△自然崇拝と祖霊崇拝
 
 縄文人は、狩猟採集を中心とした独自の高度な文化を営んできた。もちろん縄文人は、 農耕文化も、大建築が出来る文化をも持ち合わせていた。その哲学は、森羅万象、この 世の全てが是であり平等である、と云う自然崇拝(自然信仰)基づいていたものと考え られる。自然の個々が神々たる、八百万の神々の信仰である。
 
 人間は自然を構成する一員として、自然の恵みを享受しながら、自然の営みに参画し てきたのである。それは、自然は絶えることがなく永遠に再生し続ける、「円環」とし て捉えることが出来る。
 
 一方弥生人は、稲作文化と密接な関係を持っている。祭りの基本的哲学は、三大神勅 の一つである「斎庭の稲穂の神勅」によって知ることが出来る。
 わが日本の古名を豊葦原瑞穂国と称し、稲作は、弥生人にとって神々から授けられた 神聖な営みであった。天皇は、この水穂国の稲作りの主宰者として、五穀豊穣・天下泰平 の祭りを、今に営々と続けられてきているのである。それは、日神たる天照御大神を粗 とする、祖霊崇拝(祖霊信仰)を基本とする哲学である。
 
 天照御大神を粗とする祖霊崇拝は、次第にピラミッド社会の下の層へ広がってゆくこ ことになる。祖霊信仰が各地に定着すると、今度は逆に、人々はその階層ごとに当該祖 霊を崇拝しつつ、やがて最上層たる天皇霊の信仰へと収斂されることとなる。これが 「首長霊信仰」であると理解することが出来る。
 その結果、上層に位置する首長霊が、自分の子孫だけでなく、庶民をも守ってくれる と云う信仰が生まれることとなる。
 
 日本人の一部の人達 − 北海道のアイヌとか、沖縄諸島の少数の人々 − を除いて、 全ての日本人は、血縁関係にあるとされている。これは、前述のように、縄文人と弥生 人とが、長い年月を経て、互いに混血を繰り返してきた結果であると云うことである。
 従って、自己の祖霊の延長線上には、無意識のうちに首長霊たる天皇霊、すなわち天 照大御神があると認識されているのである。
 
 このピラミッド型社会においては、個人はその一員としての任務を果たすこととされ る。個人は、その個々の立場での役割を担うことだけで、用は足りるということになる。 すなわち「区分の発想」と云う考え方である。
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