<未定稿> 全ての「物」には、表裏・上下がある。川原石の場合、誰が見ても「見やすい」「安定感がある」「美しい」などの要素を勘案して、その表を特定することができる。 立っている物、例えば石碑の場合、主文が刻まれている面が表、注釈や付記などが刻まれている面が裏、と私共は認識する(共通認識)。主文は、前述したような要素を勘案して「表」と認識される面に刻まれる。何故なら、石碑は、人間が見ることを前提に立てられるからである。 大湯環状列石の組石にも、表裏がある。置かれている石の上が表であり、地面に接している面が裏である、と認識する。 では、日時計状組石の中心に立っている柱石(立柱石)は、どの方向を向いているのであろうか。他の遺跡の日時計状組石の向いている方向は? 大湯環状列石日時計状組石の場合 @東西南北の、どの方向を向いて立っているのであろうか(この場合、人間は介在しない)。 Aどの方向(信仰対象物=山・巨石・巨木などの自然物)を背(裏)にして立っているのであろうか(この場合、人間・柱石・信仰対象物を直線的に見通すとき、柱石は人間に対しては表、信仰対象物に対しては背(裏)になる)。 B表裏を意識しないで、ひたすら天(日輪)に向かって立っているのであろうか。 C柱石そのものが神霊(神の依り代)なので、表裏を意識する必要はなかった。 D縄文人は、現在の私共のような観念や価値観を有していなかったので、表裏を気にしないで立てた……? |