<未定稿> 縄文遺跡は「丘(台地)」にある。 現在発見されている多くの縄文遺跡は、台地の上にある。 秋田県鹿角地域では、大湯環状列石を始め、内野(鹿角市十和田大湯)、高屋(同市花輪)の環状列石(未指定)、小坂環状列石墳墓(鹿角群小坂町)は、海抜180〜230米の台地の上に造られている。 ※大湯環状列石(推定位置→GeoHack) 内野台地(環状列石)(推定位置→GeoHack) 高屋台地(環状列石)(推定位置→GeoHack) 小坂環状列石墳墓(推定位置→GeoHack) 玉内遺跡(推定位置→GeoHack) 何故、これらの遺跡は台地の上に造られたのであろうか。 鹿角の地形の特徴として、これらの台地は、「舌状台地」と呼ばれている。 ※舌状台地 舌状台地の特徴は、保水力が無いことである。引き水しても、保水能力が乏しいため、水田に転用できなかった。その引き水工事のとき、大湯環状列石が発見されたのである。 したがって、これらの台地は、水田はもちろん、畑地にもされないまま、原野として年月を積み重ねた。換言すれば、原野故に、未開発のまま、現状を保ちつつ現在に至っている、と云うことになる。 土壌が乾燥気味のまま長期間継続すると、土中の有機物はなかなか腐食(消失)しない。そのことを利用して、木の実や山菜などの食料はもちろん、捧げ物(食べ物や生贄)などを埋めたものと思う。 土中に埋めた捧げ物は、長期間経ても変質しない。即ち、その間、「祈り」の効果は持続する。 年月の節目節目 ‐ 例えば夏至や冬至、春秋の彼岸 ‐ に、土の中に埋めた物を取り替えるなどして、以後の幸運を祈っていたものとも想像できる。 更に付記すると、このような遺跡のある所、例えば大湯環状列石など鹿角地域の遺跡・伊勢堂岱遺跡・大森勝山遺跡・小牧野遺跡などを見る限り、そこは当時不毛の地(荒野)であったと推測する。荒涼とした平地、見晴らしの良い台地、そこに環状列石を配石し、近くの小山を通して、天なる神々への捧げ物を供え、一族の長命を祈って祭祀を執り行ったものと考えたい。 |