72 明治天皇
 
(前略)
 和歌の道に御精進あらせられた事は、誰知らぬ者もありませんが、安政四年に六歳で およみになりました御歌が伝えられています。
 月見れば 雁が飛んでゐる
  水の中にも うつるなりけり
 
 まことに楽しいお歌ではありませんか。そしてやがて世にも尊い名歌を数多くよませ 給うたのですが、御一代の御製、すべて九万三千三十二首、まさに空前でありましょう 。その中に、
 手習を ものうきことに 思ひつる
  をさな心を いま悔ゆるかな
 竹馬に 心ののりて 手習に
  おこたりしよを いまおもふかな
と云う御歌があって、御製は実感からおよみになったものだと云う事が、よく分かりま す。
 をさなくて よみにし書を 見るたびに
  教へし人を おもひいでつつ
(中略)
 
 集まると 見れば離るる 大空の
  雲にも似たる ひとごころかな
(中略)
 
 動きなき 神路の山に 万代を
  民とともにも われはいのらむ
(中略)
 
 かようにして明治二十二年二月十一日、紀元節の日を以て、帝国憲法は発布せられた のであります。それは七章に分かれていますが、ここには第一章「天皇」のうち、いく つかの条を掲げましょう。
 第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
 第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
 第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
 第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
 第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
 第十三条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
 第十五条 天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス
 
 第二章は臣民権利義務、第三章は帝国議会、第四章は国務大臣及数蜜顧問、第五章は 司法、第六章は会計、そして第七章は補則であります。
(中略)
 
 憲法は発布せられ、あくる明治二十三年七月第一回衆議院総選挙は行われ、その十一 月に第一回帝国議会は開かれました。然しここに問題がありますのは、道徳の衰えであ ります。維新以来、旧来の陋習を破り、西洋の文物を採り入れるに熱中して、すでに二 十余年を経、我が国固有の教えは棄ててかえりみられず、新奇を求め、功利をあせり、 自分の権利ばかり主張する風が盛んとなってきていました。天皇は、明治十九年の十月 、帝国大学に行幸し給い、洋学の進歩に反して、和漢修身の学、見るに足るものの無い のをお歎きになり、之を総長に御下問になり、その結果、大学は二十二年に国史学科を 置く事になりました。
 
 かような事もあって、天皇は、国民道徳の振興の為に、勅語の御下賜をお考えになり 、明治二十三年十月三十日、之を発布せられました。教育勅語と呼ばれるものが、それ であります。
 
 別掲「教育勅語(Know ye, Our subjects)」参照
 
 天皇はこの日、総理大臣山県有朋と、文部大臣芳川顕正とを宮中へお召しになり、親 しく勅語をお授けになりましたが、勅語には大臣の副書はありません。つまりこの勅語 は大臣を抜きにして、天皇が直接に臣民にお呼びかけになりましたのであります。
 
 かように憲法によって国家の大本を確定し、勅語によって国民の精神を指導せられま したので、人々は向かうべき方向を明らかにして、日夜努力、天皇の思し召しにそい奉 る事を期しました。西郷・大久保相ついで倒され、木戸・岩倉また前後して病没し、維新 の元勲を失った朝廷は、稍寂しい感じになりましたが、その代わりに今や、明治天皇直 々の御統率によって、全国民一致団結、いかなる困難をも克服する体制になってきたの でした。
 人もわれも 道を守りて かはらずば
  この敷島の 国はうごかじ
 ちはやぶる 神の御代より ひとすぢの
  道をふむこそ うれしかりけれ
 国民は ひとつ心に まもりけり
  遠つみおやの 神のをしへを
 いずれも明治天皇の御歌であります。
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