52 吉野五十七年(一)
 
 建武の中興は、脆くも崩れ去りました。正中の変から数えただけでも十年の辛苦、数 多くの犠牲を出して漸く鎌倉幕府を倒す事が出来ましたのに、その途端に早くも足利の 謀反となってしまい、承久の昔に劣らぬ悲劇を迎えました。後醍醐天皇吉野へ御登りに なったのが延元元年(西暦一三三六年)のくれ、それより後村上天皇・長慶天皇・後亀山 天皇と御位をおつぎになりますが、その後亀山天皇が京都へお帰りになりますのは元中 九年(西暦一三九二年)の冬、この間足掛け五十七年、于四代にわたって、都をお離れ になり、山の中の安在所に、侘びしい月日をお送りになったのであります。
(中略)
 
 若し京都へお帰りの事、それだけの御希望であれば、それは実はすぐに実現出来た筈 であります。どうなさればよいかと云うに、足利高氏の申し出のままに、三種の神器( しんき)をお渡しになり、足利の幕府を御承認になれば、足利は喜んでお迎え申し上げ たでしょう。しかしそれは暴力に屈し、反逆を認める事であって、つまりは道義道徳を 否定する事になりましょう。且つまたそれでは承久以来数多くの忠臣悉く犬死にになり ましょう。それ故に後醍醐天皇は、どんなに苦しくても足利を許容せず、幕府を承認せ られなかったのです。後醍醐天皇おかくれの際の御遺勅、太平記にはこう伝えています 。
 「朝敵を悉く亡ぼして、四海を泰平ならしめんと思ふばかりなり。朕則ち早世の後は 、第七の宮(後村上天皇)を天子の位に即け奉り、賢士忠臣、事を謀り、義貞・義助が忠 功を賞して、子孫不義の行無くば、股肱の臣として天下を鎮むべし。之を思ふ故に、玉 骨は縦令(たとい)南山(なんざん)の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕(ほくけつ) の天を望まんと思ふ。若し命を背き義を軽んぜば、君も継体の君にあらず、臣も忠烈の 臣にあらじ。」
 
 即ち天皇は、無道不義との妥協を、どんな事があっても、お許しにならなかったので あります。新田・楠木・名和・菊池を見捨てて、足利と手を握ってはならぬと仰せられたの であります。この決然たる御態度の為に、四代五十七年間、吉野の山の中に、侘びしい 月日を送らせ給うた事は、日本の国柄を考える上に、日本の歴史をかえりみる上に、最 も重要な点であります。
 
 天皇の御態度は、これで分かりました。次に臣下の態度を見ましょう。足利高氏大軍 をひきいて九州より攻め上りました時、楠木正成は一応賊兵を京都へ入れた上で、四方 より包囲して討とうと云う戦略を提案しましたが、朝廷では御採用にならず、京都へ入 れないように防戦せよと命ぜられました。正成、この上は異議を述べず、兵庫へ向かい ます。その時の様子、太平記に次のように記してあります。
 「正成是れを最後の合戦と思ひければ、嫡子正行が、今年十一歳にて供したりけるを 、思ふ様ありとて、桜井の宿より河内へ返し遣すとて、庭訓(ていきん)を残しけるは 、獅子子を産んで三日を経る時、数千丈の石壁より是れを擲ぐ、其の子獅子の機分あれ ば、教へざるに中より跳返りて、死する事を得ずといへり、況や汝すでに十歳にあまり ぬ、一言耳に留まらば、我が教誡に違ふ事なかれ、今度の合戦、天下の安否と思ふ間、 今生にて汝が顔を見んこと、是れが限と思ふなり、正成すでに討死すと聞きなば、天下 は必ず将軍(高氏)の代に成りぬと心得べし、然りといへども、一旦の身命を助からん ために、多年の忠烈を失ひて、降人に出づる事あるべからず、一族若党の一人も死残っ てあらん程は、金剛山のほとりに引籠って、敵寄せ来らば、命を養由が矢さきに懸けて 、義を紀信が忠に比すべし、是れぞ汝が第一の孝行ならんずると、泣々申含めて、各東 西へ別れにけり。」
 
 これが楠木正成の、その子正行に与えた最後の教訓であります。そして数日後に、湊 川で奮戦の後、力尽きて弟の正季と差しちがえて自決したのでしたが、太平記はその事 を記したあとで、次のように述べています。
 「そもそも元弘よりこのかた、かたじけなくも此の君にたのまれまゐらせて、忠を致 し功に誇る者、幾千万ぞや。しかれども此の乱又出で来て後、仁を知らぬ者は朝恩を捨 てて敵に属し、勇無き者は苟くも死を免れんとて刑戮にあひ、智無き者は時の変を弁ぜ ずして道に違ふ事のみ有りしに、智仁勇の三徳を兼ねて、死を善道に守るは、古より今 に至る迄、正成程の者は未だ無かりつるに、兄弟共に自害しけるこそ、聖主再び国を失 ひて、逆臣横しまに威を振ふべき、その前表のしるしなれ。」
 
 太平記は誰が作ったものか、著者は明らかでありませんが、足利の勢力の強い時に当 たって、きびしく之を逆臣ときめつけ、自決して果てた楠木正成に対して、絶讃の辞を 惜しまなかったのは、正邪の判断の正しい事と、堂々と之を発表して恐れなかった勇気 と、二つながら偉大なる歴史家であったと、すべきでしょう。
(以下略)
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