49 後醍醐天皇
 
(前略)
 (蒙古来襲は)人々を震駭させたに違いありません。同時にそれは、我が国において は非常な自信となり、我が国は神国なりとの信念がいよいよ強く、勇気百倍するに至り ました。かように国家の本質を深く考えるようになりますと、それは直ちに現在の状態 は、これで良いだろうかと云う疑問が起こる筈です。つまり朝廷と幕府との対立してい る不自然、更に朝廷では、上皇が院政をおとりになって、天皇は政治に直接の御関係が 無いと云う不思議、ここに気がつく筈であります。
 
 文永・弘安両度の蒙古襲来は、院政としては亀山上皇の御時でありますが、天皇として は後宇多天皇の御代でありました。天皇は亀山上皇の皇子であります。文永十一年に御 年八歳、弘安四年に御年十五歳、大国難に遭遇して、上皇がいかなる祈願をこめられた か、時宗がいかに対処したか、将士がいかに奮闘したかを御承知になり、深く御考え遊 ばされたに相違ありません。然し天皇の御一代は機運いまだ熟せず、次の御代に一切を 期待し給うたでありましょう。それが分かりますのは、おかくれの際に特に御遺勅があ りまして、御名を後宇多天皇と申し上げる事になったからです。
 
 その頃、我が国の黄金時代と考えられましたのは、延喜・天暦、即ち醍醐天皇・村上天 皇の御代であります。村上天皇は醍醐天皇の御子、そして醍醐天皇は宇多天皇の御子で あります。従って今、御自身、後宇多天皇と名乗らせ給うた事は、御子を後醍醐天皇と して、御孫を後村上天皇となされたい御希望、御期待の現れであったと考えられます。 もしそうであったとすれば、後醍醐天皇の御代には、院政をやめて天皇親政が行われ、 また記録所を設けて荘園を整理し、そしてやがて幕府を廃止せられなければなりません 。
 
 文保二年二月、後醍醐天皇御位を継がせ給い、しばらくは御父後宇多上皇、院政をお とりになります。しかし四年目の元享元年(西暦一三二一年)十二月、院政をおやめに なって、天皇の親政にかえされました。そしてその月のうちに、朝廷に記録所を設けら れました。後三条天皇が二百五十年前になさろうとして、遂に果たし給わなかった大改 革を、今や後醍醐天皇は実行しようとされるのであります。
 
 後醍醐天皇が政治を改革して、日本の国をその正しい姿にかえそうとされました事は 、すでに世間に伝わって、人々は非常な喜びを感じ、大きな希望をもつようになりまし た。それは元享釈書を見ると分かります。元享釈書は師錬の著述です。(中略)
 
 かように後醍醐天皇が、日本国の中興をめざしてお進みになる時、どのような人物が 朝廷にあって、御輔佐申し上げたかを、正中元年(西暦一三二四年)で見ますと、その 年天皇は御年三十七歳でありますが、
  大納言  北畠親房 三十二歳
  中納言  藤原師賢 二十四歳
  権中納言 日野資朝 三十五歳
  少納言  源 具行 三十六歳
  参議   藤原藤房 三十歳
  蔵人頭  平 成輔 三十四歳
等の人々、いずれも学問は深く、識見は高く、そして勇気のある名臣でした。この外に 天皇が御信任になり、低い家柄をかまわずに抜擢して蔵人として、天皇の御傍近くお仕 えして機密にあずからしめ給うたのは、日野俊基でありました。
 
 天皇はかように、すぐれた人材を集めて御相談になり、一方に学問修養を御奨励にな ると共に、一方にはまたそれぞれ同志を求めて道を弘めさせられました。資朝や俊基は 山伏の姿に身をやつして諸国を廻り、勤王の士をさがし連絡をつけられました、それは いよいよ日本国の中興となれば、何よりも先決で重大な問題は、幕府を倒す事であるか らです。然し何分秘密に事を運ばねばならないので、公然と参謀本部を作るわけにはゆ きません。そこで学問研究の為の会合に名を借りました。当時有名な学者玄恵法印を講 師とし、教本には韓退之(かんたいし)の文集を用い、その講義を聴く為と云って、同 志が集まり、講義がすめば、打ち融けて戦略の相談をし、之を無礼講と称していました 。
(中略)
 
 鎌倉では北条高時、之を聞いて、更に関東の大軍を派遣しました。(中略)
 
 後醍醐天皇親政以来十一年、何とぞして日本国をその正しい姿に戻そうと苦心し努力 し給うたに拘わらず、かような痛ましい結果に終わりました。そしてそれより百年前に 、後鳥羽上皇が流され給うた隠岐へ、同じ御志と同じ御歎きとをいだいて、遷幸し給う たのでありました。それ故に太平記は、隠岐御遷幸の事を記した後に、
 「今年如何なる年なれば、百官罪無くして愁の涙を配所の月に滴り、一人(天皇)位 を易へて宸襟を他郷の風に悩まし給ふらん。天地開闢よりこのかた、かかる不思議を聞 かず。されば天にかかる日月も、誰が為に明かなる事を恥ぢざらん。心無き草木も之を 悲み、花開く事を忘れつべし。」
と歎いています。
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