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NPO関善賑わい屋敷通信NO.5「まちの風」

関善と花正宗

 私がまだ小学生、つまり昭和二十年代の中頃であったであろうか、関善に糀(
こうじ)を買いに、何度か遣わされた記憶が残っている。大きな構えの商家で、
店の中は薄暗く、あたり一面糀の匂いがしていたような思い出がある。清酒の香
りがするとか、店の上部が吹き抜けで、壮大な小屋組みが見られることなどは、
当時は子供故に記憶が定かでない。
 
 関善の生業は造り酒屋であった。花輪の町に買出しなどの用事で訪れた大人た
ちは、一仕事を終えると、やがて関善の店に吸い込まれていった。
 
 店内に漂う清酒や糀の快い香りに魅せられた客は、やおら吹き抜けを見上げ、
あまりにも見事な小屋組みに感心し、おもむろに「もっきりを呉れ」と。酒の肴
は、たくわん漬け、又は切り漬け、はたまた酒の粕であったのであろうか。一口
二口と飲んで辺りを見回し、やがて銘酒「花正宗」の商標に目がとまり、その出
所について考えを巡らすのであった。
 
 ところで、「正宗(まさむね)」の名のいわれには、刀のほかに、次のような
話がある。
 灘(兵庫県)の銘酒「櫻正宗」醸造元の祖、山邑太左衛門がある日、かねてよ
り親交のあった山城国深草の「元政庵」住職を訪ねたとき、机の上に置かれてい
た「臨済正宗」の経典を見て、「正宗(せいしゅう)」が「清酒(せいしゅ)」
に語音が通じることから正宗を樽印としたのが始まりという。 天保11年(1840)
のことであった。明治17年(1884)に商標条例施行の折、代々続いてきたそこの
醸造元は「正宗」と登録したが、政府は「正宗」を使用した酒銘が多いことを理
由に「正宗」を普通名詞とした。 そこで「正宗」に国花である桜花一輪を配して
「櫻正宗」と名付けたのだという。
 これですっかり納得し、身体がほてってきた客は、「もう一杯呉れ」と………
 
 関善の名が広く知られるようになつたのは、花正宗を代表とする数々の銘酒、
高々と吹く抜ける小屋組みの素晴らしさ、そして店内に漂う心地よい香気であっ
たろうと推量される。
 
 今の関善を思うとき、このように人々をひきつけるような造り酒屋の雰囲気が
失われてしまうことなく、花正宗に誘われて上戸たちが入ってくるように、今後
ともたくさんの方々が訪問されることを期待する。
H18.01.11

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