第三節 芸能の変遷 「からめ節」は、民謡の部門に分類され、民謡は次のように定義される。 @民謡とは、地方の農産漁村で生産に従事する人たちが、祭儀や労働を集 団で行うときに歌い始めた唄で、特定の創作者を意識せず、互いの意思が 疎通し合うなかで唄の形になった。 Aしかもその唄が、流行歌のような一時的なものではなく、親から子、子 から孫へと伝承されていく。 Bその伝承も文字や楽譜を媒体とせず、口から耳へと伝えられる。 C必要に応じて集団が歌い継いでいくため、時代とともに歌詞や節が変化 していく。 そこでこの芸能について、その変遷を調査した。 一、旧からめ節の元唄 現在のからめ節金山踊りは、地元尾去沢の有志の努力により、昭和五十 九年に「尾去沢からめ節保存会」を発足させて、鋭意保存伝承に取り組ま れている。 これに対して、その保存会発足当時までに伝えられていたものを、本稿 では便宜上「旧からめ節」と呼ぶこととする。(昭和六十二年発行『無形 民俗文化財後継者育成事業 学習資料 鹿角市無形文化財 からめ節・金山 踊り』より) さて、万延元年(一八六〇)に盛岡藩主南部利剛が鹿角を巡見したとき 尾去沢に立ち寄り、金場で働く婦人たちの唄を見聞きしたという。そのと きに歌い踊られたものが、旧からめ節の元とされている。 ○西は台所東ハ床屋いつもとんとん音がする ○赤澤山より元山よりも白(金偏+白)の出る山田ごうり山 ○親父大黒カヽア恵比寿顔一人リ娘は弁才天 ○直リ親父の金場を見れば白(金偏+白)で山築富士の山 ○金のべこゝに錦の手綱我も我もと引たかる |