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12 土深井裸まいり

(五)大注連縄奉納
 午後零時半、予定時刻よりも若干早く、大太鼓の甚句が鳴り響いた。
 それを合図に、裸まいりの一行は行列を組み、市道に沿って町内を西に
向かって参進する。
 先頭は、土深井少年団の団旗、すなわち、おそらく戦前に作られたもの
であろう、年代の感じられる堂々とした団旗で、男衆は腹帯を着けてその
団旗を支え持っている。
 続いて五穀豊穣祈願、無火災祈願、交通安全祈願、健康護持祈願と書い
た旗である。旗は、約一丈(三メートルほど)の竹竿に、並幅(三十六セ
ンチメートル)の長さ六尺(百八十センチメートルほど)の白布に墨で書
き込んだものである。
 これらの先頭五名は、中学生と高校生が務める習わしであるという。
 
 次に宮司が笏を持って続く。
 その次が大注連縄の列である。
 大注連縄は長さ十七メートル、太さ(直径)二十センチメートル、真ん
中の太さと四十センチメートルもあろうかという大綱である。
 大注連縄は、年少の男衆を先頭に年齢順に、しずしずと、かつ、しかと
右肩に担ぐのである。今回は十九名がかついだ。
 次に牛蒡締めやロウソクなどを持った男衆が続く。
 次に大注連縄を結わえつける細縄を持った男衆が続く。
 最後尾は、注連縄五本を肩に背負い、柳樽をしかと持った男衆が務める。
最後尾を務める男衆は最年長の者とされ、今回は六十二歳の柳沢均氏であ
る。
 今回の裸まいりに参加した男衆は、以上二十七名である。
 
 裸まいり一行の参進する道は市道で、その沿線には地元の人々や、近郷
近在からの見物人、また報道陣やアマチュアカメラマンたちも大勢待ちか
まえている。
 男衆の身内の方であろうか、ホームビデオをかまえて、真剣に撮影して
いる姿もたくさん見られた。
 裸まいり一行を見守る地元の人々は、男衆たちがこの役目を無事果たせ
るようにと、また諸々の祈願成就を願ってのことであろうか、あちこちで
手を合わせる光景が目についた。
 
 三百メートルほど進むと、左手に稲荷神社の第一鳥居である大鳥居が立
っている。大鳥居は、稲荷神社にふさわしい朱塗りである。
 そこに大注連縄を置いておき、すでに世話人によって取り外されている
古い注連縄を持って、更に奥へと参道を進む。
 裸まいりの行列の順序は、その隊列は最初から最後までくずしてはなら
ないとされる。
 ただひたすら、黙々と進むのである。
 
 第二の鳥居をくぐり、土深井沢川を渡って杉林の中、すなわち鎮守の森
へと進んでゆく。
 古い注連縄はその辺りの参道の右側に置いておく。この古い注連縄は、
二年間の役目を終えて、やがて鎮守の森の土と化すのである。
 
 今まで注連縄をかついでいた男衆たちは、今度は腕を組んで、黙したま
まである。腕を組むということは、そのことによって脇の下をふさぐこと
であり、少しでも身体の冷えが防止されるのである。
 参道は急な坂道で、いくつかの葛折状になっている。前日からの雨で雪
がとけ、足が滑ったりぬかったりしてなかなか進めない。
 やがて、高梨子館に鎮座する稲荷神社に到着する。

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