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11 川原大神楽

 第三節 月山神社に対する信仰
一、いろいろな奉納
 
 月山神社に対する庶民の信仰は、特に厚いものがある。それは現在拝殿
に掲げられている絵馬などによってもうかがわれる。「百人一首献額」を
始め、数々の絵馬の奉納者からも、武士、町人、村役人などあらゆる身分
の人から信仰されてきたことが知られる。
 
(一)鹿角市指定有形民俗文化財「百人一首献額」
 月山神社拝殿の鴨居の上にめぐらされた小倉百人一首の献額は、安政三
年(一八五六)に奉納された。この献額は、横一八六センチ、縦九四セン
チの焼き杉板を五つの桝割にして、天智天皇から順徳院まで百人の歌人と
その和歌を描き、二十枚で構成されている。
 達者に描かれた絵は薄墨で丹念に細線が施され、胡粉や赤、青などの顔
料で彩色されている。人物を描いたのは、献額者名に二度登場する伊勢屋
与之助と思われる。
 「諸願成就皆令満足」と諸願成就を願った献額者は百四名で、その名は
裏面に記載されている。それによると、時の毛馬内通代官山本林左衛門、
池田衛士をはじめ、毛馬内の武士、町人、村役の名前がみられる。ほかに
小坂村、細越村、濁川村などの肝煎の名もあり、月山神社が江戸時代には
毛馬内通の総鎮守として尊崇されていたことをあらわしている(『鹿角市
の文化財』)。
 この「百人一首献額」二十枚は、昭和五十二年二月四日に鹿角市の有形
民俗文化財として指定された。
 
(二)大絵馬
 月山神社はその古い由来とともに奉納絵馬の多いことで、鹿角市十和田
山根に鎮座する葦名神社(もと芦名沢観音堂)と並んで有名であるとされ
る。
 前記「百人一首献額」のほか、拝殿の吹き抜け天井の梁間などに数十点
の絵馬が掲げられている。
 その奉納絵馬の主なものとして、弘化三年(一八四六)に泉沢修斎「那
須与一」、慶応元年(一八六五)に馬渕南渓「明智左馬之助湖水渡り」、
明治十六年(一八八三)に熊谷月郷「牛と少年」、明治二十年(一八八七)
に田中北嶺「唐武人馬上図」などの大絵馬などがある。
 
(三)参道石段
 南部利敬トシタカ公の武運長久を祈願して寛政七年(一七九五)、三百段の
石段が田山村(岩手県安代町)の人々によって寄進されるなど、月山神社
に対する信仰圏は、鹿角を越えた広範にわたっていたことがわかる。

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