庚申塔(こうしんとう)のある辺りの崖っぷちの所に、太い幹を斜めに伸ばして、淡い桃色の綺麗な桜の木があった。 松館では、一番の桜であったと思う。 また、その辺りには柏(樫)の木があり、よく丸いドングリを拾った。 家の後ろの畑に、梅の木があった。アジメッコ(杏梅)だったと思う。 子供の頃は、方々の家のカグヂ(垣根の内)を回って、美味しく熟んだアジメッコを拾って食べたものだった。 確か、似鳥徳造宅との境の道端に、大きな豆柿の木があったような気がする。 豆柿は、子供達に限らず、大切な「食料」であった。雪が積もると、辺りを踏み固めて、木を振るって実を落すのであった。 新雪の上に落ちちた実は、ソーッと雪を掘っていって、探して食べた。美味しかった。 隣の畑(現桜田謙吾宅)との境に、何本かの、スーッと伸びた大木があった。 クルミのような感じの木で、珍しい木だったと思う。 入り口には、丁度門柱のような二本の太い豆柿の木があった。豆柿の上に電線が通っていたので、枝が切られていた。 その切り口辺りは黒くなっていて、雷が落ちたようでもあった。祖母が500円で売ってしまった (私は大事な木だから安いと、買人に抗議したが……)。 前庭には大きな二股の梅の木があった。実も大きく、一つ一つシソの葉にくるんで、梅干にした。 都会に行っている子供達にと、梅干を買いに来る人もいた。台風で倒れので、その枝で、「古梅香合」を作り、 親戚などに配った。 畑の真ん中に、木も大きく、実も大きい柿の木が生えていた。熟して落ちた実は、とても美味しかった。 東側の境に桜桃(サクランボ)の木があった。熟すのが村一番早かったので、村人みんなの注目の的であった。 十文字目の角に掲示板のようなものが建っており、その脇に栗の巨木があった。 実も大きく、前の晩に風が吹くと、朝早く起きて、こっそり拾いに行った。 元消防番屋辺りにシェガヂノギ(サイカチ)があった。それで「シャガ」の屋号となったようだ。 この屋号の起源は、そんなに古くなく、終戦後以降だったと思う。 また、元似鳥一伯宅を「ジュモジメ(十文字目)」と呼んだのも、終戦をずっと過ぎた頃だった。 前庭の真ん中に、大きな梅の木があった。その周囲を走り回って遊んだ。 確か道端のアジメッコ(杏梅)の木があったような気がする。 米代川へ水浴びに行くときは、方々の家のアジメッコをもぎ取って食べたものであった。 前庭に梨の木があった。県道から見下ろせるので、白くて綺麗な花だった。 下タ川(黒沢川)の向こう岸辺りに、ケンポナシの木が生えていた。 晩秋には、こげ茶色に熟んで、美味しかった。 このケンポナシは、東京小石川の東大植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)入口 の右側にも生えており、やはり美味しい実を稔らせている。 |
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