「火の用心」「マッチ一本火事の元」と叫んで、村中を回った。 火の用心の巡回は、男の子供たちの重要な役目であった。夕食後、確か週一 (木曜日であったか)拍子木を叩いて、「火の用心」……と叫んで、 十文字目から上通りを通って車ノ坂へ、下タ通り〜下モ坂〜下モ通りを経て 十文字目へ還る。この順路は、「ねんぶつ」や七夕など、集落を巡回する ときの「お決まりコース」であった。 現在では、下モ平の方も回ることになっているので、当時の三倍くらいの 距離になろう。 子供たちも少なくなったので、女の子供たちの声も聞こえるようである。 また、必要により消防自動車も巡回するようになった。 なお当家の火災は記録の上では、 @寛文三年(1663)二月十六日のときの松館大火 A明治十七年(1884)四月十一日神官宅焼失 となっている。 |
[次へ進む] [バック] [前画面へ戻る] |