「松館今昔:菅原神社のこと」

奉納神楽「松館天満宮三台山獅子大権現舞」

△はじめに
@萬歳楽
 前述のように、神前に神楽を奉納するようになったのは、 舘主精長卿が天神宮を勧請して建立したとき、村人と共に萬歳楽を唱えたときとされている。
 その後、いろいろ変遷を重ねて今日のような権現舞になったものと考えられる。
A修験道の禁止
 明治時代になって神社が国家管理になったのと呼応して、修験道などのような (神信仰なのか、仏信仰なのか判然としない)宗教は、これを禁止された。 そのため、権現舞を始めとする修験道に由来する神楽や神事も姿を消すこととなった。 その後大正時代には、修験道も公認されるようになったが 、そのまま途絶えてしまった神楽や神事もあったものと考えられている。
B神楽の再興
 松館でも、そのようなことがあったり、また別当(神職)が一時不在のとき もあったりして途絶えつつあったが、尾去の海沼氏を招いて教わり、 昭和12年に復活した。
 元々の権現舞やお湯立てなどは、修験道に由来する「神事」であるので、 神職自らが執り行うものである。神社が国家管理になったことに伴い、 「祭式の厳修」が強く要請されるようになったので、神職の任務が過重になった。 そのため、それを氏子が代わって務めるようになったものと考えられる。 現在、「松館天満宮三台山獅子大権現舞」に携わる人は、全て当菅原神社 の氏子たちである。

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