一、さざれ石(細石)とは 「さざれ石」とは、学名「石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)」と云い、 石灰石が長い年月の間に、雨水で溶解され、その時に生じた粘着力の強い乳状液 (鍾乳石と同質)が次第に小石を凝結して、だんだん巨石(巖)となったもので、 それが、河川の浸食作用により地表に露出し、苔むしたものとされる。 神奈川県立総合教育センター さざれ石公園 二、主な産地 さざれ石の主な産地は、わが国では滋賀・岐阜県境の伊吹山である。 三、天然記念物 さざれ石は、岐阜県では県の指定天然記念物に指定されている。 四、さざれ石の見られる(据え置かれている)場所の例 秋田市秋田県護国神社 東京都港区明治記念館 神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮 三重県松阪市水屋神社 三重県伊勢市二見浦夫婦岩前 滋賀県米原市岡神社 京都市左京区下鴨神社 京都市左京区吉田山吉田神社 大阪府藤井寺市道明寺天満宮 山口県下関市長府乃木神社 五、国歌「君が代」 歌詞:君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで 読み:きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで 一般的な漢字かな交じり表記:君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔の生すまで 現代語訳:君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生える ほどまで、長く長くずっと続きますように。 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 GLN「わが国の象徴」君が代 六、さざれ石と君が代にまつわるお話し 平安時代の初めの頃のお話。 文徳天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王は、第四皇子(後の清和天皇)に皇太子の座を先んじられ、 しばらくの間近江の小椋郷(永源寺町(現東近江市))に隠れ住んでいだ。 当初、天皇は惟喬親王を推すつもりでいたらしいが、第四皇子の生母が摂政を務める藤原氏の出だったことから、 これをはばかったと云われている。 その悲運の親王は、後にお椀や鉢などを作る木地師の祖神とされるようになった。 即ち、その親王に仕えていた木地師の一人が、小椋郷の君ケ畑から良材を求めて春日(岐阜県揖斐郡揖斐川町春日。旧春日村)の地へやってきた。 あるとき君ケ畑へ帰る途中、現さざれ石公園付近の地で珍しい岩石を目にし、それを見たまま感じたまま歌に託した。 君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔の生すまで やがてこの歌は京の都で評判になり、『古今集』に採録されるまでになった。 男は身分が低かったため、歌集では「よみ人知らず」として扱われたが、朝廷から歌の上手さを認められ、石に因んで「藤原朝臣石位左衛門」の称号を賜った。 旧春日村の中央部に当たる小宮神地区には、今も木地師の遺跡や系図などが保存され、その一族とみられる末裔90余戸も残っていると云う(参考:春日村サイト)。 七、リンク 国歌に歌われている、さざれ石とは。 |
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