△新滝命名
ここは、茶釜の滝を観るときの登り口である。
つまり、ここから左手の絶壁を登ると、いわゆる「茶釜の滝特別観覧席」
へ至るのである。
茶釜の滝の滝壺から連続する三段ほどの小滝を経て、写真の上の滝、そして正面の滝へと続く。何れも、無名の滝たちである。
茶釜の滝は、これらの無名の諸滝を礎(いしずえ)として、
悠々とその雄姿を誇っているのかも知れない。
さてここで、写真の中で、上(奥)に見える滝を「乙滝」、下(正面)に見える滝を
「甲滝」と仮に呼ぶことにしよう。高さは、何れも十米以上と認められる。
[地図上の位置→]
ところで、夜明島川は、私共の母なる川である。夜明島川の水によって、
ここ旧曙村の大部分の稲作が行われてきている。
現鹿角市(大字)八幡平地区は、前八幡平村であった。前八幡平村の大字長井田・同松谷
は元曙村であった。つまり曙村の母なる川は夜明島川であったが故に、
曙村が誕生したのである。
明治二十二年(1889)四月一日、長井田村・松谷村などが合併して、
新生「曙村」が誕生した。
それまでは、夜明島川流域は、その名の如く、まだ夜明け前のような地域であったと
考えられる。この新村誕生を機に、名称を「曙村」とすることで、
あたかも曙光が到来するように、それが現実になって欲しい
と云う願望が籠められていたのではないだろうか。
しかし、新生「曙村」はご案内のように消滅してしまった。「曙」を冠する
施設や機関は、どんどんなくなってしまった。
現在では「曙郵便局」と、今工事中の「曙橋」ぐらいのものである。
この曙橋は、県道尾去沢根瀬線、夜明島川を跨ぐ長内・三ケ田間に架かっている。
私を含めて、元曙村に生まれ育った人々は、「曙」と云う名称に、殊のほか
郷愁を感じている。
と云うようなことで、ここで、思い切って、この二つの滝を、
新たに次のように、呼んでみたいと思う。関係各位のご理解とご賛同とを
切にお願いしたい。
一、乙滝の新名称は、「曙滝」
一、甲滝の新名称は、茶釜の滝を含む諸滝(五つの滝)をしっかりと受け止めている
意味から、「五徳の滝」
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