参考(出典):花輪まちづかいサポーター資料
△ゆるぎ舘(ゆるぎ館跡)
桜山公園から奥(北)に入れば三つの小郭を総称する「ゆるぎ館」に行ける。
この台地は北端部までに「中の郭」「東の郭」「北の郭」があって、それぞれ
空堀跡、防塁跡、壕跡と見られるもので区切られている。沢小路側にはそれと分る
土塁跡もある。又東端には、その高さ、形からして、おそらく古くから烽火(のろし)
台がおかれたと思われる台状地がある(調査報告書)。今崩壊の災害防止のためにと掘り
崩して遊園地となった。かつてこの館の真下に福士川の急流がぶつかり、館全体が
揺らいだと伝えられるところから「ゆるぎ館」といわれているという(一説に大地震
にも揺がず、避難場であったのが転化したともいう)。
(昭和)六十二年夏「ゆるぎ館」発掘調査が行われたが、中世館らしく、竪穴跡、
柱跡、又陶磁器、古銭、鉄や銅の製品などが出土している。果たして誰の居館で
あったか、烽火はどこへ合図したものか、昔への夢が広がる。
△星場跡
「ゆるぎ館」の囲まれる北側の低い平場(今はツツジ花壇)は、代官所時代に
家中武士たちの鉄砲調練(星打ち)場で、「星場」と言っていた。「中野家諸御用留帳」
に「一、御家老衆武芸御見分ニ付出席、尤昼前和(やわら)、剣、槍ハ坂ノ脇
稽古場ニテ、夫レ過ギ鉄砲星場ニテ御見分相済ミ……(略)」(文久三年六月廿六日)
とある。
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