参考(出典):花輪まちづかいサポーター資料
△桃ノ木稲荷大明神について
桃ノ木稲荷神社は鳳林山長年寺の境内伽藍の守護、仏法の護持を願って祀られた
鎮守様であります。
長年寺稲荷様書き付けによれば、延享二年(一七四五年)山門脇に建立されて
いた頓悟庵(とんごあん)(長年寺の別院)に本尊様の十一面観音菩薩が
小田嶋市左エ門により寄進されました。それと頃を同じくして能登屋五代杉江庄八
の浄財寄進、小田嶋市左エ門妻による白狐煮二体の寄進が行われております。
この二年後延享四年には旧長年寺の本堂・庫裡・衆寮の建立がなされており、これは
伽藍建立に伴う守護神の勧請であったと考えられ、長年寺頓悟稲荷様の
草創と思われます。
その後も、明和九年(一七七二年)頓悟稲荷様。安政三年(一八五六年)、同五年
(一八五八年)には田村茂助・奈良屋専吉等の寄進により溝側(みぞかわ)稲荷様が
勧請されており、又近年には故佐藤隆三氏により、豊川(とよかわ)稲荷様の勧請も
行われております。氏はその祭祀の中で、関わりのお稲荷様の奉安なども行うと共に、
祭礼の執行、現社殿の建立などを行い、篤信の誠は後代に特記すべきものが
あります。
この二百有余年間の再三に渡る勧請の結果、長年寺の鎮守様は「頓悟稲荷大明神」
「溝側稲荷大明神」「豊隆(ほうりゅう)稲荷大明神」の三神となりますが、
今日広く「桃ノ木稲荷大明神」と総称されております。
元々長年寺頓悟庵におかれていたお稲荷様は、昭和十年の現本堂建立に伴う庵の
解体により、現在地、墓地裏の高台に移転建立されましたが、そこが山桃の繁茂する
地であったから、又見晴らしの良いお物見台であったから「桃ノ木稲荷様」と
呼ばれるようになったと伝えられております。
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