GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(5)

 炎天の八月も間もなく終わる。終戦のとき、私は奉天にいた。その日奉天も晴れだった。あれから六十七年、尾去沢鉱山も閉山して三十四年、時の流れを感じながら駄文を重ねてきた。いつか小さい見出しでくくりながら整理したいと思いながら。
 
  冬の日愛すべし
 暖かい冬の日だまりの中に集って遊んだ子供の頃がなつかしく思い出される。
 いつの日か声良鶏がマインランド(現史跡尾去沢鉱山)の庭先で、鹿角をたたえ、尾去沢をたたえて、うたう日を思いえがきながら。(終り)
 
(追記)
  帰去来兮辞(ききょらいのじ)
 終戦翌年、三菱を退職され、尾去沢を後にしてふる郷に帰られた安井さんは、どんな思いを胸に秘めておられたろうか、私が勝手にその胸の中(うち)を憶測することは許されないが、たゞ私はバカの一つおぼえみたいに、中国の詩人陶淵明(とうえんめい。三六五〜四二七)の帰去来兮辞の冒頭の一句だけおぼえていた。
 「帰去来兮(かえりなんいざ)
 田園将(まさ)に蕪(ぶ。荒れる)せんとす」と。
 私は何んの気なしに安井さん安井さんといって、本の題名の中味もそのまゝ使わせてもらったが、……たゞ私達の立場からいえば、そう気軽に安井さんなどといえる立場でないことはよくわかっているが、私の知っている安井さんは、尾去沢の勤労課の私達の上司であった安井さんで、国会議員になられたというか、ふる郷に帰られた後の安井さんとは、なんのかゝわりもなく(といえば失礼だが)すごしてきた(余白が少なくなってきたので少しハショッて)。
 この本の最後は「私もひとこと」という、奥さんの文で終っている。「私からもなにかひとこと」といわれて筆をとりました、と。いろいろ思い出を書いておりますが、その最後を「これからは主人も私も土を愛し、四季の花々に埋まり、お互いに肩をよせあって、残された人生を悔いのないように贈りたいと思っております」と(安井さんは引退されたとき、「帰りなんいざ」という提言を出しておられます。省略)。今、奥さんの言葉を思いながら、田園詩人といわれた陶淵明の次のような一句を思い出しております(後先もわかりません)。
 「菊を東籬(とうり。東の垣)の下に採り、悠然として南山を見る」と。
 東神楽町からは、どんな山が見えるだろうか。心から御健勝をお祈りして、勝手な心のお詫びといたします。(以上)
 
  平成二十四年八月二十七日
 尾去沢の皆さんへ

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