GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(4)

 さて、ナンコの話しはわかった(ことにして)。今度は相棒のコンニャクの話しだ。 コンニャクといえば、もともと日本にあったものと思って日ごろ食べているが、サテ、と思ったら、 何んもわからない。 何にかコンニャク芋とかから作ると聞いたような気もするが、そんなイモ見たこともない。 私が小学校の二・三年の頃、我が家でもトーフとかコンニャクを作っていた。 何にかコンニャク玉といっていたような気がする。 コンニャク粉を水でといて、丸めたものかもしれない。 とかく芋をつぶそうが粉をとかそうが、そのまゝでは固まらないようだ。 それで石灰を入れるといったような気がする。 それを丸めて大人の手のひらくらいの木の枠(深さ三センチくらい、 底板の真中くらいから巾三・四センチ、長さ十四・五センチの柄がついている)に入れ、 上をならし、柄をにぎって煮立っているナベの中にドボンと落とすと。コンニャクのでき上りだ。 板コンニャクといったかな。突きコンニャク(糸コン)はどうして作っていたか記憶にない。 とにかく石灰の量が問題だといっていたような気もする。 入れすぎると固くゴソゴソなって、あのツルン、ツルンのプリン、プリンがなくなる。 なにせ八十年も前のことだ。 みんな忘れてしまって、ということは、私は天才でなかった証拠だが。
 コンニャクは消化が悪いといわれるから、未消化のまゝゴソゴソッと腹の中を下るとき、 この石灰分がきいて、ゴミをからめとってくれるのかナーと思った。 今はトーフもコンニャクも機械化の時代だと思うが、奈良亀さんに行って、 昔の道具(あると思う)を見せてもらって、トーフやコンニャクの作り方を教えてもらいたいと思っている。 商売をはじめるわけではないが、便利な生活になれた子供達に昔の話しをしてみたい、 そんなことを思っている。
 
 話しは横道にそれたが、また本題?にもどって、物の本によれば、コンニャクはサト芋の仲間で、 インドネシア原産。仏教と一所に日本に渡ってきたとか、縄文時代とか、いろいろ説があるようだが、 文献として残っているのは、平安時代(794〜約400年間)にかゝれた 「倭名類聚抄=935年頃、源順編者」にあるとか。 この粉コンニャクを水に溶いて糊状になったものに、石灰をまぜると固るという (これで石灰を入れたか入れないか、こんにゃくやさんに聞くに行くのはとりあえずいゝとして)。 このコンニャク芋の寿命は五年くらいで、一人前になるには三・四年かゝるという。 この芋はくされやすいので、コンニャクをつくるのは中々難しいらしい。 それでこれを乾燥させて粉にすることを発明したのは、茨城県久慈郡大子町の中島藤右衛門という人で、 十八年かゝって苦心の末、安永五年(1776)完成したという。 それからコンニャクの需要が全国的にグンとふえたという。 今は群馬県が主生産地で、全国の九割を占めている。
 
 一七七六年といえば尾去沢鉱山は、請負稼行から藩の直営になった頃だ。 麓三郎さんの「尾去沢・白根鉱山史」によれば、尾去沢銅山の請負稼行は約百年間継続したが、 寛保年間の南部屋八十治(享保十九年〜寛保二年1734〜1742の十四年間)、 宝暦末期の森田屋六右衛門(宝暦十一年〜明和二年1761〜1765の五年間)と相次いで請負者の 放漫な経営によって、御用銅の供出に支障を招くに至ったので、 明和二年(1765)十一月、南部藩は意を決して藩直営をもって稼行することゝし、 この経営形態は明治維新を迎えるまで約百年間の間持続された。
 
 この茨城の藤右衛門がコンニャク粉を完成したことゝ関係ないわけだが、 江戸ではこの年、源内先生がエレキテルを製作したという。 平賀源内はオランダ渡りのこわれたエレキテルを譲り受けて、原理を研究して製作に成功したらしいという。 はじめ医療用に使用するつもりだったらしいが、火薬を散らす珍しい機械は、 結局見せ物として流行し、偽造品まで出まわるようになったという (エレキテル=電気。摩擦によって静電気を発生させる装置。病気の治療に役立つとされた)。
 
 エレキテルは金掘りには関係なかったかもしれないが、コンニャク粉は大いに役立ったろう。 この頃から私達の先祖もコンニャクを本格的に食べるようになったかもしれない。 金掘りの平均寿命も少しはのびたかナ。 なにせ南方原産のコンニャク芋は、寒冷地の栽培は不向きといわれ、 八代将軍吉宗(在位享保元年〜宝暦元年1716〜1751)が全国の農作物や動植物を中心にして 産物調査を試みたとき、南部藩では、「コンニャク稀」と記されているという。 稀ということは、ほとんどないということだと思うが、逆に稀にはあるということだとも思うので、 我が家の親父がコンニャク玉といったのは、なんだか芋のような気もする (芋だって形は玉だ。コンニャク作りをおぼえてきて、 玉がどうのこうのと苦労していたような気もするので)。 鹿角でもコンニャク芋を作っていたろうか。コンニャクやさんの元祖に聞いてみたいと思っている。

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