GLN「鹿角篤志人脈」:相馬茂夫

山の枯木のつぶやき(2)

○コケコッコの花の話し
 さて、話しは変るが、先月下旬老人クラブで保育園の草刈りをやったとき、 こゝはコスモスが出てきているので刈らないで下さい、 といわれた所を気付かずに刈ってしまった。 その後コスモスもコケコッコの花(五、六本)も植えてもらったのでその話は省略するとして。
 
 あの場所は石からで堀るとすぐ石に当る。 それでコケコッコの花を植えたいと思ったとき、 こゝをバックホーなどでガリガリかきならして新しい土をトラックで二〜三台入れゝば 簡単に花だんができると思った。(実際はそうはいかないかもしれない)が、 こゝは河川の改修工事がかゝるはずだ、 となればせっかく今作ってもすぐパーになる。 どうなっているか米村組さんに聞いてみた。 今月下旬にどういう設計になるかはっきりするはずだと。 こゝには駐車場も作らなければならないだろうが、 花を植えるところも少しは残して欲しいものだと思った。
 
 私は保育園には花を見るため豪華な花だんはいらないと思っている。 キレイに咲いたネ、キレイだネと話し合う花があればいゝと。 私がタチアオイ(コケコッコ)の花を植えたいと思ったのは今の時期 私達のまわりを色どる花が少ないということ、 本当は今の子供達(若いオカーサン達もそうかもしれない)、 この花でコケコッコーと遊んだことを知らない(花の名前も)、 だから子供達に花をとるな、ではなく花と一緒に遊ぶ、そんな楽しい経験を、 思い出を持たせたい、そんなことを思った。
 
 保育園の時代は花と話し合う時代、心を育てる時代だと思う。 だから私は見るための花はいらない、話し合う、心を通わせ合う花を欲しいと思う。 名のない道ばたの草花でもいゝ。 私はよく子供達が先生に連れられて散歩?(なんといってるだろう)しているのに合うことがある。 町場の子供達は手を上げてと、横断歩道や舗装された軒下などを歩いている。 尾去沢の子供達は恵まれている。 道ばたの目にもとまらないような小さな花にも言葉ではいゝ表せないようなかわいゝ美しさがある。 今は白いサビタの花が咲いている。 私は見るための花の美しさは大きくなってからでいゝ、 保育園の子供達には実を結ぶことを命とする花の、決して自己主張をしない謙虚で清楚な やさしい美しさを知ってもらいたいと思う。 リンゴ・モモ・ナシ・マルメロ・キュウリ・ナス・ジャガイモなどなど。 野にはドクダミ・ゲンノショウコ・センフリなども。 彼等は目立たない、たゞそっと次の命を育てるために咲いている。 そして私は自然の恵みを思う。 今の子供達は見たことも名さえ知らないかもしれないが、 私達が子供の頃はその熟すのを待ちこがれた桑の実、バライチゴ、サクランボ(山桜の黒い実)、 カシマメ、山ブドウ、アケビ、トジラ、ジョミ、コハズケ、グミ、スグリなどなど。 先日史跡尾去沢鉱山に行こうと思ってバスに乗りおくれ、歩いて行った。 元の分析をすぎて次の曲角、電柱のかげの草むら、バライチゴでないかと思った。 私は白い花か黄色い実がならないとわからない。 来年まで刈らないで下さいとお願いした。 保育園のプールの川側、中学校よりの角に大きい桑の木があり、黒い実がいっぱいなっていた。 あの実をとって(拾って)食ったら今のお母さん達は目を丸くしてそんなの食べたら お腹(なか)をこわすとおこるだろうな、と思って見てきた。
 私達が子供の頃三ツ矢沢の方ではまだカイコ(私達はトドコといった)を飼っていた。 カイコに食べさせる桑は栽培でその実は山桑の何倍も大きくおいしかった。 三木露風は十五のネェヤに背負われて”山の畑の桑の実を、小籠に摘んだはまぼろしか” と歌っているが(赤トンボ)。 私達はその実をとるなと怒られて追われて逃げた。 昭和のはじめ頃の話しである。
 時は流れ、時代は変る、でも私達はやさしい心、思いやりの心、命をいとおしむ心、 ありがとうという感謝の心、そういう心をいつまでも大事にしたいと思う。 保育園の時代は心を育てる時代である。
 と、最後はエラさうな話しになったが、これで終ります。 お盆の太鼓の行事には是非ご参加下さい。。
  平成二十一年七月二十一日                以上
 
 尾去沢のみなさんへ

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