下タ沢会によせて(覚書)

附1 閉山こぼれ話し

 お別れ会
 
 閉山行事については、会社と組合との間でだんだん煮詰められていったと思いま すが、その一つに、全従業員による離散会というのがあった。一足先に閉山した松 木ではすでに終っていた。その準備の手伝いもするようにいわれた。私にはこの離 散会という言葉に抵抗があった。尾去沢は昨日今日開発された鉱山や町工場がつぶ れることとはわけが違う、私達は一二七〇年続いてきた鉱山に最後のお別れするん だ、天寿を完うした親の死水を取るんだ、昔飢饉などで食えなくなって親子兄弟散 り散りバラバラになって村を出て行く、そんな悲惨な離散とは違うんだ、と力説し たわけではないが、離散会というのは語感が良くない、といってもいゝ言葉も思い つかないので、とりあえずお別れ会ということで準備を進めることになったが、最 後までお別れ会であった。たゞ事務所の五月の行事予定表の三十一日のところには 解散会と書いてあったが、今思えば松木鉱山の離散会は離山会であったかもしれ ない。
 お別れ会のクラブの二階には、特に麗々しく横断幕のようなものはかざらなかっ た。たゞ正面の床の間の柱には、障子紙を長く切って、「千年の歴史の鉱山に春惜 しむ」という句をかゝげて、私達はこの鉱山の最後のお別れの乾杯をし、お互いも 元気でまた会おう、私達の心は尾去沢鉱山を通してつながっている、今は閉山とい う止むを得ない事情の中で別れ別れになるけれども、きっとまた会う日をつくろうよ、 そんな思いをこめて杯をかわした。

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