首をチョン切られれば人生も終りだが、私達は平凡でも天寿を完うしたいものだ
と思う。勢沢がキヨイ沢だろうとキオイ沢だろうと下タ沢だろうと、今更どうとい
うこともないが、私達は下タ沢に生れ育ったことだけは確かだ。そこで正しい下タ
沢語をシャベって暮らしたんだ。だから私は枝豆論もおがる話しも下タ沢が正しい
と思っている(思うことにしている)。 私達は、下タ沢を出てから何十年にもなる。これから先、またどこで暮らすよう になるかはわからないとしても、下タ沢の思い出を大事に、都会のなよなよとした 風に染まることなく、元気に、頑固に風雪に負けない下タ沢精神を心棒にして、迷 わず生きていきたいものと思う。 ともあれ下タ沢のカヤ刈りからはじまった話しも、より道ばかりしていたが、一 応これで終りとするが、私もおぼえ違い、聞き違い、感違いといろいろあると思う ので、この覚書きを話の種にでもして、あのときはこうだった、これはこうだった と、みんなで思い出を語り逢う機会をまた持ちたいものだと思っている。それまで みんな元気で頑張ろう。 |